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2012年5月26日 (土)

斎藤茂吉

港の見える丘公園にある神奈川近代文学館で開かれた「茂吉を語る会」講演会に行きました。

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折から薔薇の季節、我が家は咲きはじめたばかり、というのにここでは満開。お天気もいいせいか結構な人出でした。

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第一部、  絵筆と言葉   品田悦一氏 

 茂吉といえばアララギ派歌人で写実を重んじ、鉄幹ら 明星のロマンティシズムとは 対立する立場というようにとらえられるが果たしてそうか。 写実と空想(ロマンティシウム)という 二項対立でみる見方そのものがおかしいのではないか、という問題提起から始まりました。

茂吉は観入、ということを言っている。

 、、、長い間凝視している。、、、今まで 見えてゐなかったってものがいろいろ様々になって見えて来る。今までただぼんやりと見えてゐたものが今度は鮮明に見えて来る。すなわち具象化してくる。これがすなわち観入である。

 この文を引いて 品田氏は 集中的な凝視により、現実の事物・事象は今までとおよそ異なった姿を見せはじめる。空想の産物ではないからには、それら事物・事象は もともとそこにあったはずなのに、まるで今はじめて出現したかのように感じられる。内奥に潜んでいたものが顕現したかのように、と言い換えてもよい。

これが 茂吉の言う 「実相」であり、 この実相を忠実に写そうとするとゴッホがそうしたように、見慣れない写像を見慣れないなりに描きだすことになる。

 (この時 ゴッホの オーヴェル・シュール・オワーズの教会の絵と実際の教会の写真を 映写してくださり、 ゴッホの絵では 線がゆがんでいる、いびつな形で 描かれることを示されていた)

茂吉は 観入、といっているが これは ロシアフォルナリズムの「異化」 ということに他ならないそうだ。(異化、とは日常的な見慣れたものが 初めて見たもののように見えて来ること)

「異化」について聞きながら、私は三・四十年前に読んだジュリアン・グラック の 『シュールレアリズムとは何か』を思い出していた。

グラックによると、シュールレアリズムは 幻想的でも非現実的でもなく現実そのもの。

しかし たとえば :友人を訪ねたとき友人が不在で彼の部屋に通されたときの感じ、あるいは:旅立ちの朝、自分の町を見るときの感じ、こういう場合 部屋そのもの、町そのものは いつもと同じだが異なった様相を呈しているように見える、 これをシュールレアリズムという、と説明されていた。

茂吉の場合は 自我集中的な凝視によるものであり、グラックの例は いつもと違った状況において見る時、であるが いずれも目の前の現実が今までとは異なった様相を呈してくるというて点では同じである。

写生を突きすすめて行けば象徴の行きに到達するといふ考え、はそのころから既にあったlことが分かる  と茂吉は書いている。『作歌四十年』

つまり 写生派か空想派かという二項対立的なとらえ方では茂吉をみるべきではない。

茂吉の歌を読むに際しては 写実の背後にあるものを読みとるべき、ということになるのでしょう。

(以上、配られたレジュメと講演メモから〉 とても興味深い話でつい長くゴタゴタ書いてしまいました。

 第二部は 今野寿美先生の 赤光語彙から見えるもの

赤光 760首を品詞分解して どういう言葉が 多く使われているか また特徴ある語法などをお調べになられて話された。

前に 『乱れ髪』 『東西南北』についても調べられたそうで それらとの比較も話された。我、その同義語が ダントツに多くて143回、赤または 紅など赤を表す語が93回、は 56回だが みだれ髪には 3回しか出てこない、みだれ髪で一番多いのは 春、 君や子 も多いなど なかなか興味深かった。

それにしても 根気のいる大作業だったことと思う。

語法としてはおかしいけれど、 茂吉はゆずらず押しとおしている言葉の使い方の話も面白かったのですが、古語の使い方をよく知らない 私には、 ああこういう使い方は おかしいのだ、 と 改めて認識したものも多かったです。

例えば 大きかり、かり を付けるにあたっては 大きし が 前提されなければ」ならない。 小さし はあるが 大きし 、、言海 にでているのでよし、とするが、 どうも、、。使わないほうがいいでしょう、でした。

 言へなくなりて よさそうですがこれは 口語的発想で文語なら 言へずなりて とすべきなど、 ああ 勉強した、というと気がしました。

 

第三部は パネルディスカッションで興味はあったのですが、用事があるのでYさんと会場を出て 『茂吉展』 をざっと見て えの木てい でお茶をしました。お昼抜きでしたので、ケーキではなくスコーンにしました。ジャムは薔薇のかおり。

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えの木てい正面、ここも薔薇がみごとでした。

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コメント

ken.m様 おお、みつけてくださいましたね。
けっして多忙ではないのです。 でもブログをかくとHPがお留守になってしまっているだけです。
ken.m様のように社会時評は書けません。 ガール(?)ズトークでいきますが、よろしく。

monica様 早速のコメントありがとうございます。
 なかなか充実した講演で上手に簡単にまとめることはできませんでした。 短歌を鑑賞するのも 難しいですね。 私はさっと表面をなでるだけ。 でもお話をうかがって単なる深読みではなく、 て・に・お・は まで気をつけながらしっかり読むことによって みえてくるものだな、ということは 分かりました。

何とブログを始めましたか。忙中閑あり、さすがです。
どうか気楽に続けてください。楽しみに読ませていただきます。

ブログ開設おめでとうございます! 私は講座で学んだことをついついその場限りで聞き流してしまいますが、こうしてブログ掲載となると聴き方が違ってくるでしょうね。記事にまとめることはとても良いことですね。期待しています。

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