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2013年3月

2013年3月29日 (金)

映画 「シャドーダンサー」

カルチャーセンターの帰りに銀座に寄り道、映画をみてきました。
アイルランド映画の「シャドー・ダンサー」です。アイルランドの景色が好きなので、アイルランド映画となると見たくなるのです。アイルランド映画といえば多いのがIRAもの。「マイケル・コリンズ」「麦の穂をゆらす風」「父に祈りを」「クライイングゲーム」などこれまでかなり衝撃的というか、痛哭の極みともいえるほど厳しい状況を描いたものを見てきました。それらに比べると、今日のは少しあまいかな、という感じはありましたが、良かったです。 

 

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映画は 1993年、ロンドンで地下鉄テロ未遂事件の犯人として、M15に逮捕されたシングルマザー、コレットの話です。
係官は 25年の刑務所暮らし と引き換えに スパイ となることを強要してきます。幼い子供のことを思い密告者となることを受け入れたコレットには、自分の身代わりに弟を銃弾によって死なせてしまったという過去をもっています。
コレットの兄弟二人もIRAのメンバーです。 IRAでは テロの失敗は 内部に密告者がいるからかもしれない、と疑い厳しい捜査や尋問が行われます。 一方 M15内部ではコレット担当の係官が 他にも密告者がいて、コレットが危ないのではないか、と 調査を始めます。これ以上書くとネタバレになりそうなので、この辺にしておきますが、下記公式ホームページで もう少し詳しい情報が 得られます。
http://shadow-dancer.com/

犠牲になるテロリスト、苦しい立場の密告者、家族ぐるみがんじがらめになってしまう一家の痛ましさを映画は描いていきます。コレット役の女優の清楚な美しさが悲しみをきわだたせていました。
97年に合意がなりたって、暫定派は武装解除、たもとを分かったレアルIRAも現在は武力闘争はしていないようです。それでもなお、このような映画が作られるのは、イギリスのよる抑圧の歴史の怨みがなかなか消えないということなのでしょうか。 
闘争によるこういう悲しみは もうおしまいにしたいという願いでつくられたように思いました。

2013年3月21日 (木)

ドラマ「とんび」 と 『ロング・ロング・アゴー』重松清著

テレビドラマ 「とんび」が終わりました。
人情もの、というのはどうも苦手で映画の 寅さんシリーズ も見たことがありません。これも 見るつもりはなかったのですが、日曜日の夜、大河ドラマが終わり、ニュースを見てまだ何となくソファーから立ちあがりたくなくて、内野聖陽だから見てもいいか、くらいで見始めたのです。
内野演じるトラックの運転手ヤスが結婚して、子供を持つが妻を事故で失い、男手一つで育てる話です。
第一回目から引き込まれてしまいました。 一本気なヤスの純情、それを取り巻くまわりの人たちの少々おせっかいとも思える優しさ。子役がまた可愛いい。こういう話にひきこまれるなんて やはりトシかな、とも思ってしまったのですが、いい話でした。よく 子供は社会が育てる、なんていいますが、お寺の和尚さんや小料理屋の女将が実によく面倒をみて、子供は まっすぐに育っていくのです。出来過ぎな話です。でも毎回感動させられました。 
主人は こういうドラマは見ません。 隣の部屋にいってしまうのですが、 戸はあいているので聞こえるらしく、終わるといつも 「なんだ、その嘘っぽい話は」と一声発します。 

原作は 重松清 という人です。 これまでに著書をよんだことはなかったので一冊買ってみました。

ロング・ロング・アゴー』  短編集です。

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帯にもあるように「うまくいかない人生」を愛おしく見つめるはなしでした。
倒産して町を出て行ったクラスの女王様、知的障害のある弟をめぐる話、「運が悪い」幼馴染の話 など 順調にいっている人たちには忘れられてしまっているような人たちと、そういう人をめぐる人々の話です。 
こんなはずではなかった人生をおくっているひとへのまなざしが優しくて、自分もまたもう少し人に対して優しい気持になれそうな、そんな気にさせてくれる本でした。

ほかにこのところ読んだのは
 ミステリーでは  『災いの黒衣』アン・ペリー著 tina様お薦めです。
 19世紀半ばのロンドンが 舞台、階級社会らしく、上流から、下層階級までさまざまな階層の人々が出てきて、なにか事件が起こると疑われるのは下層階級の人間。そのいろいろな人間の描写が面白かったです。 
事件は ある上院議員の娘が死んでいるのが発見された殺人を犯したのは誰か、と推理が くりひろげられるのですが、この本の前作の事件の裁判がかなり書かれていて、前作を読んでいないので真ん中あたりまでは 読みにくかったのですが、後半はおもしろかったです。 モンク警部と彼を手助けするヘスターとの関係も気になるところで、またこのアン・ペリーの作品は読もうとおもっています。

飛行士と東京の雨の森』 西崎憲 著

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実は これは途中までで読むのをやめてしまいました。長いのやら 短いのやら 7つの短編がおさめられています。最初の三篇
理想的な月の写真、 飛行士と東京の雨の森、 都市と郊外は良かったのです。
《理想的な 月の写真》 は 音楽家である主人公が ある老人からCD制作を依頼される話です。自殺した娘のために、遺品から受けるイメージを音楽にすることになるのですが、それらは ステンドグラスのかけら、とか オルゴールのシリンダー(箱はない)、文鳥の羽、、など。
それにシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』 これは どうも 亡くなった娘とかさなるところがありそうです。このアフォリズムが 生の息苦しさを表しているように思えました。それと写真集『理想的な月の写真』これは 盲目の写真家が 世界の異なった場所で撮った月の写真集です。これをどのような曲にするか、 最後のオチもきいていました。
読んだ作品のなかで これが 一番気に入りました。
これら三篇は どこかシュールな感じのする話でした。 
でもその次の 《さびしい場所》 会社を休職してさびしい場所を写真に撮っているテツオの話。これになると、どうも読んでいて気がめいってしまってだめでした。父に続いて母を亡くして、その空虚な気持を 説明する言葉を読んでいると、 どうにも耐えられない気持ちになってしまいます。次の《紐》 は どうやら 自殺のことらしいので、もうよみ続ける気力がなくなり、途中ですけれど図書館に返すことに決めました。 トシですね。

2013年3月15日 (金)

『ことり』 小川洋子著

最近、よく短歌仲間でご本が回ってきています。 
貸してくださった方が どういう理由でこの本をお求めになられたのかはお聞きしていないし、この小説が どういう内容かも知らないままにお借りしました。
小川洋子さんのご本は 以前 『博士の愛した数式』 を読んだことがあるだけです。とてもいいな、と思った半面、あまりにも作られている、という感じがしたような記憶があります。

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ことり
独居老人の死から始まります。ことり の意味がここで分かるようになっています。
全くこの本のことを知らなかったので ことり は コトリという音かな、と思ったりもしたのですが、小鳥だったのです。(途中で 子取り、という まがまがしい意味も被せられますが)
この人は 小鳥の小父さんと呼ばれた人で、幼稚園の小鳥の世話をしていたことから、こう呼ばれるようになったのです。小父さんは二人兄弟で弟のほうです。

兄はどうやら知的障害があるらしいです。(弟は そうはおもっていないようですが)人より遅いが言葉を覚え、字を書く練習にも取り組んでいたのですが11歳のとき、数か月ほどしゃべらなくなった、と思ったら自分で編み出したまったく普通の人には意味不明な言語をしゃべり始めるのです。小鳥のさえずりに近い言葉を。
その兄の言葉を理解できるのは ものごころがついたときから兄の言葉を聞いてきた、弟だけです。母に続いて父が 亡くなったとき、二人は 29歳と22歳。弟は兄の世話ができるように近くのゲストハウスの管理人の仕事をするようになっています。
判でおしたような変わらない毎日。兄は小鳥語とも言うべき ポーポー語しか話さないので、他人との交流はないのですが、弟も人と話すのが下手で片隅でひっそりと二人で充足した日々を送っています。その兄が亡くなったことをきっかけに兄の好きだった鳥小屋の掃除を引き受けます。いくつかのエピソードを挟みつつ、時が移り、鳥小屋の掃除を断られ、仕事も辞め 最後は世話をしていためじろの籠を抱えて亡くなっていた、というのが超短縮ストーリーです。 

外の世界に時折まきこまれることがないわけではないけれど、、世の汚濁から離れた小鳥のさえずる高い空にいるように、静かにしずかに充足して過ごす、そういう世界が書かれています。

感想を書こうと思って、色々他の方のも読ませていただきました。本好きな人って、基本的に 自分だけの静かな世界を愛する人なのですね。みなさん絶賛。

そこで私はあえておかしなことを書きます。

私が強い印象を受けたところは、(作者が 本来書きたかったことではなくて前提みたいなところなのですが) 子供がふつうではない言葉をしゃべるようになってしまったことに対する親の反応です。(親の気持ちを思うと涙が出そうになります) 
父親は兄(上の子)を畏れているようで、庭に小屋を立ててそこにひきこもり、母親はなんとかこの子を理解しようと努力します。病院をまわってあれこれ検査を試みた挙句、ある言語学者のところに行く場面は とくに印象的でした。兄が持っていった白いバスケットを 一時間ごとに確認するところなども。
なぜここが印象的だったか、これは多分、ここには普通の人間が書かれているからではないか と思うのです。つまりそれほど、この小説には 人間臭さ というものがないのです
少し検索をしていたら、この小川洋子さんの小説でフランスで映画化されてものがあることが 分かりました。
ああ、これもフランス映画 (少なくとも日本ではない国) ならいいのに、と思いました。 日本とは違う国にすることによって、二人の詩的な世界が違和感なくみられるような気がするのですが、 どうでしょうね。

 

2013年3月 3日 (日)

『怪物はささやく』 パトリック・ネス著 シヴォーン・ダウド原案  とグリーンマン

怪物はささやく

新聞で 売れてる本 として 紹介されていたのでかなり以前に図書館に予約、やっと順番がまわってきて一気に読んでしまいました。後から知ったのですが、中学生の課題図書にもなったそうです。いわゆるヤング・アダルト向け。 

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ヤング・アダルト向けですから、青少年に生きる指針を与えたい、という 意図は見えるのですが、そういう意図を感じさせるよりも、物語の迫力のほうが勝っていると思いました。

主人公のコナーは13歳。両親は離婚していて、父は再婚相手とアメリカに行ってしまい,母と二人で住んでいます。その母は重い病気です。このことがクラスの人達に知られてから 皆彼を避けるようになってしまいます。 いじめの対象にもなっているのです。つらい状況のなかで、悪夢にうなされているのですが、ある夜、別の怪物が現れます。家の裏手の丘の上には教会があるのですが、そこの墓地にそびえ立っている イチイ の木が変身した怪物です。でも怖くはないのです。  
イチイの木が変身した怪物は少年をやっつけるために来たのではなさそうです。つらい状況にある少年の支え手だということが分かってきます。 
母親はもう治らないらしい。読んでいて涙がこぼれそうになります。

この小説はシヴォーン・ダウド原案とありますが、それは シヴォーンが構想をメモしたまま 癌により早世したので、それをもとにパトリック・ネスが膨らませて書いたものだからです。 シヴォーン・ダウドに子供がいたのかどうかは知りませんが、残される者に対する彼女の強いメッセージが感じられます。

内容は お読みになっていただくことにして、本筋とは離れますが私は このイチイの木が 変身した怪物に注目しました。

怪物は 自分のことを、
 わたしは 狩人ハーンだ!樹木神ケルヌンノスだ!永遠の森の番人グリーンマンだ!
と言うのです。ロマネスクファンにとっては グリーンマンは とても親しい存在。 いろいろな教会の入り口や 中の柱などに彫られているからです。
一例 、これは もうゴシック時代になるのですがhttp://ykharuka.s113.xrea.com/uk06/uk06main.html の11日目の1

ケルンノスといえばコペンハーゲンにあるデンマーク国立博物館の グンデストルップの大釜(紀元前2〰1世紀)を思い出します。直径約70センチの銀製の大釜です。 

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これは 1998年のケルト美術展に フランスにあるレプリカがきていました。上の私の写真ははっきりしませんので図録から

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後ろ、つまり釜の内側右のパネルで膝を折って座っているのが ケルヌノスです。

外側左に半分浮き彫り状に見えている像、アンダースンは これもケルノスだが木の葉状の髪を持ちグリーンマンに近い とみています。

アンダースン1935〰1997)は 『グリーンマン』 の著者です。

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狩人ハーンもケルヌノスを元に考えられたものとされています。 つまり全てグリーンマンにつながるものです。グリーンマンは 上記の表紙のように髪が葉でできている(髪だけでなく眉まで葉のもある)ものや、口から植物を吐き出しているものなどいろいろな 姿をとっています。
グリーンマンの起源を上記の本では地母神信仰にまでさかのぼってルーツを探っていますが、森林や樹木に対する畏れ、崇敬の念、つまり自然崇拝の表れと考えていいのでしょう。

『怪物はささやく』では 教会墓地のイチイの木が怪物になっています。 
アンダーソンはイチイについて このように書いています。
非常の多くの教会墓地で イチイの木がみられるのは、死や人の魂が常緑樹のように不滅であることを想起させるためだけではなく、過去の宗教において崇められていた木が新たな 象徴的意味を与えられた見本なのであり、過去の宗教にまつわる精神エネルギーが新しい宗教に転換されたのである。
中世初期では 土地の聖なる木と言われる木を教会は切り倒させたりしていましたが、それを教会に取り込んでしまうようになったのです。墓地には普通 糸杉、と思っていたのですが、イチイも植えられるのですね。少年の家から教会墓地が見えるのですが、イチイの木にしたのはイチイの樹皮や根に含まれるタキソールが、ガンに対する治療薬として認定されている、ということもあるのかもしれません。

教会がそばにありながら 少年の助け手が牧師様ではなく グリーンマンでなければならなかったのは、物語として面白いというのではなく 根源的な存在だからでしょう。物語を読む楽しみを奪ってはいけないので、詳しくは書けませんが、少年の悪夢の正体を 認めるところ、少年の苦しみの源をみつめさせるところは圧巻です。

表紙の写真を載せましたが間違って白黒にしたのではありません(右の立っているのが 木の姿をとった怪物です)。表紙も挿絵もモノクロ、怪物は夜中の12時7分にでてくるのですから、まわりが暗いのは当然。 少年の内面を表しているようでもあります。
ヤング・アダルト向けですが良い本は年代を問わない、と思います。

イチイ(別名アララギ)の木の写真を載せたくて近くの植物園にいってみたのですが、 変種である キャラボク しかなくて、これは高さが2メートルにもならない横に広がった木でイメージにあっていないので、載せるのをあきらめました。 イチイは高さ20メートルにもなるそうです。

 

 

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