映画 「ドストエフスキーと愛に生きる」
素晴らしい映画を観ました。
この間 「少女は自転車に乗って」を見に行ったとき、チラシをみかけたのですが、そのまま手に取ることもなく帰ってきて、パソコンで友人のブログを開きましたら、この映画をご覧になっことが記されていて絶賛なさっていたのです。それでは、と今日 またジャックアンドベティ にでかけました。朝10時からの一回限りの上映です。
ロシア文学をドイツ語に訳す84歳の翻訳家 スヴェトラーナ・ガイヤーの ドキュメンタリーフィルム 『ドストエフスキーと愛に生きる』(原題は 五頭の像を連れた婦人、 五頭の像とは ドストエフスキーの 五つの長篇 罪と罰、カラマーゾフの兄弟、未成年、白痴、悪霊のこと)
公式サイト
http://www.uplink.co.jp/dostoevskii/
彼女は1923年ウクライナのキエフで生まれました。ここのところ連日新聞紙面をにぎわせているあのキエフです。
スターリン時代のことです。父親が 粛清により一年余り 牢屋にいれられ、殆どの人が亡くなったのに、奇跡的に出られたのですが、その時の病がもとで亡くなってしまいます。
国家に対する反逆者を父に持つと、もう将来はないのですが、しっかり勉強はします。ちょうど高校卒業のころ ドイツ軍がキエフを占領、ドイツ語の通訳が必要とされ、彼女はナチス将校の通訳となります。母親は家政婦を必要としている、ということで母親は ドイツ人の家政婦になります。
そのころ、ナチスドイツによるバビ・ヤールの大虐殺で友人を失っています(三日間で三万人は殺され、昼夜とぎれることなく銃声がきこえていた、と語っています)
彼女を通訳とした ケルシェンブロック伯爵は 一年間ドイツ軍に協力すれば ドイツの大学への奨学金を与える、と約束、 ある鉄道工事現場で事務職をするのですが、その時重労働にあえぐ ソ連人労働者を目にすることになります。
その後、ドイツの敗戦が明らかになってきたとき、ドイツ人地域に住んでいて、対独協力者ということになると、危険なので、赤軍がくる直前に ドイツに逃れます。
ドイツでは アーリア人かどうかの身体検査、それに不合格になるのですが、親切な人がいて 滞在許可がでますが、その親切にしてくれた人は 東部戦線送りになってしまいます。
そうしてキエフの時から約束されていた奨学金を受け、大学に入り、 教職につくとともに 翻訳もすることになります。 結婚もして子供も得ます。
冒頭 彼女は 「私には負い目がある」と言います。
スターリンの粛清によって父が亡くなり、ナチスによる虐殺で友や多くの人々の死を経験し、 そのドイツ軍の下で働きその結果、ドイツへ逃れる、どこかほんの少しでも狂えば生きてはいなかった人生を生き抜いてきた女性です。いろいろな意味で負い目は感じているのでしょう。
ナチ将校の伯爵について、彼は虐殺にかかわっていたのではないか、という質問に彼女は はっきりは答えません。 民族としてはだめでも個人は別だ、ということを言います。
そういう彼女の 『罪と罰』の翻訳の表題は『罪と贖罪』です。これは暗示的です。「私はドイツ人におせわになった、だからお返しをしたい」とも言っています。
ドキュメンタリーで 役者でなく本人が 出てしゃべっていることは大きいです。 カメラは 彼女の目の動き、浮かべるちょっとした笑いものがしません。
チラシ裏
延々ストーリーを書いてしまって、ネタバレとおもわれそうですが、 そういう心配は不要なのです。 彼女の語る言葉の一つ一つが 詩的、というと軽い、箴言ともいうべきもので深いのです。
それと 日常生活の場面がいいのです。丸まった背中で、歩くのも不自由に思われるのに 買い物に出かけ お料理をし、なんと アイロンかけもするのです。アイロンかけをしながら、テキスタイル(織物)はテキストと語源が同じこと、などと言う話がはじまるのです。
孫娘と 講演依頼のあった キエフに65年ぶりに行くところの車中での話、 途中の煙るような景色の美しさ、 キエフでの昔の別荘探しなど、どれも 心にしみる場面でした。また教会好きの私には キエフ大聖堂を訪ねた場面も 興味深く思わず見をのりだして 画面に見入りました。
大聖堂では「医者に高いところへあがってはいけないといわれているの」と何度か言って残念がります。つまり高い所から 堂内を俯瞰したいのににそれがかなわないことをなげくのです。彼女の翻訳についての哲学みたいなものとして、 全体を頭にいれて細部をみていくことが大事としています。大聖堂でも 俯瞰して全体をまずながめたかったわけです。
スターリン時代そしてナチスの占領時代を生き抜いた、 父はスターリンの粛清の結果亡くなり、ユダヤ人の友達はナチスによるバビ・ヤールの虐殺で亡くなった、 そういう彼女にとって、自分が生きのびてこられたことに対する 罪の意識のようなものがあるように見えます。最初と最後に出てくる 窓辺で翻訳をする映像(チラシの写真)は その罪の意識がロシア語をドイツ語に翻訳することを通じて浄化されていくような、そんな印象を与えているように思われました。
またもやまとまりのない文になってしまいましたが、映像は美しく 特に言葉に関心のあるひとにとっては 示唆されることも多い映画ではないかと思います。
この映画を教えてくださった友人に大感謝、 帰ってすぐお電話であれこれ映画のことなどおしゃべりしました。二人とも近頃見た中でこれが一番、と意見が一致しました。(勿論 少女は自転車に乗って も必見ですが)
見に行ったのが遅くて東京近辺ではもうあまりやっていないようなので申し訳ないです。ジャックアンドベティでは 来週までやっていますが時間は16時30分からなのです、予告なしで 18時05分まで)
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コメント
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aiai様
染めるところからなさるのですか。素晴らしいです。かなり大変でしょうけれど、とても贅沢な時間を過ごしていらっしゃるのですね。
スエーデンは勿論北欧は どこも 手仕事を大事にしているように思われます。冬が長いせいでしょうか。民芸館にいくおと大抵どこも 機織り機が置いてあり、おられた布もかざられていたりします。 でも 絹 というのはあまり見かけません。日本ならではですね。
投稿: yk | 2014年4月24日 (木) 09時52分
機織りは、20年ほどしております。紬で着尺、帯、マフラーなど主に絹糸で織っております。辛い時も悲しい時も機に向かうと無心になれます。スエーデンの友人を訪ねたとき、彼女の友達が湖畔の家で裂き織りをしておりました。自然に溶け込んだ美しい佇まいでした。私自身は、生成りの糸を草木で染め、出来上がりを考えて糸を組み合わせている時が、一番楽しいです。
投稿: aiai | 2014年4月23日 (水) 15時18分
aiai様
書き忘れました。続きです。
機織りをなさっていらっしゃるって、すてきですね。大きなものを織られるのですか?翻訳をしていくのは 全体を頭にいれて細部を考えていく、 織物もまずはどう織るかをお考えになるのでしょうね。、経糸、横糸で どのような色合いになるのか など とてもむずかしそう。でも出来上がっていくのは楽しみでしょうね。
もう少し若い頃に、織物をすることを私もおもいついていれば良かった!!
投稿: yk | 2014年4月22日 (火) 23時30分
aiai様
なんとまあ、私は百合丘に住んでいらっしゃるお友達から、この映画のことを教えていただいたのですよ。この映画の印象がとても貴重でしばらくは他の映画を観る気になれません。本当に心に残るいい映画でしたね。
都心に行くにはちょっと時間がかかる地域に住んでいますと、しばらく遅れてでも、いい映画を上映する映画館が近くにあるのはありがたいです。百合丘では 「ローザ・ルクセンブルグ」も上映予定にはいっているそうですね。 ジャックアンドベティにはないです。 もしかしたら もう終わったのかもしれません。北欧ミステリー今 『スノーマン』の上巻を読み終わったところです(下巻は まだ 図書館で順番待ち)。 グーグルマップのストリートヴューで 町の景色を 眺めながら読みました。
投稿: yk | 2014年4月22日 (火) 23時17分
「ドフトエフスキーと愛に生きる」は、数週間前に新百合ケ丘のアートセンターで友人に教えられ観ました。非常に心に残る映画でした。スヴェトラーナさんの厳しい人生を想い、なおかつ日常生活を実に丁寧に生きている姿に感銘を受けました。私も、彼女のアイロンがけの場面、料理や買い物に行く足取りなど印象に残りました。おっしゃるように彼女の言葉の一つ、一つが、観ている私の心に響きました。私は、機織りをしていますので、テキスタイルとテキストの語源が同じとの彼女の言葉、すとんと腑に落ちました。本当に素晴らしい映画だったと、観てよかったと思えた映画でした。
投稿: aiai | 2014年4月22日 (火) 19時40分