最近のトラックバック

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

« 「ペテロの葬列」 クオ・ヴァディスなど | トップページ | 『トワイライト・シャッフル』 乙川優三郎 著 »

2014年9月17日 (水)

フェレンティルロ 

昨日ペテロを御紹介するのに フェレンティルロ の修道院教会の彫刻 を使ったのですが、 本当は パウロも 載せたかったのです。 それで 改めて書くことにしました。

パウロさん

昨日載せたペテロとともに 9世紀の作です。

14091701

修道院遠景

14091702
タクシーの中から撮ったので ぼけています。サン・ピエトロ・イン・ヴァッレというだけあって 谷間にある修道院で 公共機関では ちょっと行きにくいところです。(バスでいっても徒歩でかなり山道を登らなければならないはず)

当時は デジタルカメラと フィルムカメラ併用時代。ここでは フィルムカメラを使ったようで、その上 まだ教会に対して遠慮があったころ(今なら きっとだめ、といわれても隠れて撮ったかもしれないのですが!!)内部の写真はありません。
でも 壁画とランゴバルド時代の祭壇が有名なので、買ってきた冊子から

14091704

これを買う時ちょっと ビックリしたこと。 

中年女性が 受付係みたいに 教会入口近くにいて、売っていたのですが、 驚いたことに掛け算ができなかったのです。 ロマネスク仲間の分も含めて 何冊かかったのですが、いちいち 一冊目に二冊目をたして、計算してからもう一冊分をたす、という風に計算するのです。4,5冊買ったでしょうか、多分こんなに売れたことはなかったのか合計をだして 目を丸くして 本当に嬉しそうに、おお、と、お金を押し戴くようにしていたのです(当時は まだ リラの時代ですから、金額だけは多かったのですが)。

この教会については 饗庭孝夫さんの 『ヨーロッパ中世の旅』グラフィック社
で知って行きたかったところでした。
この本を 図書館で見つけたときは すでに絶版、4回くらい借りり出しては眺めていたのですが アマゾンを利用することを知って 中古で買いました。 

この修道院は 伝説によるとシリアからきた二人の修道士が庵をむすんだところから始まります。
ランゴバルド王国(568年~774年)時代、 スポレート公国 のファロアルド(Faroaldo)(~728年)二世が 夢のお告げによって、この地に修道院をたてたところから この修道院の歴史は始まります。

その後 ここは歴代のランゴバルド公の霊廟となったそうです。 そのためランゴバルド時代の物も残っているのです。修道院は その後 サラセン人に襲撃され、その後徐々に再建されていったようです。

壁画 (12世紀末) ノアの箱舟のノアです。 実際は もっと色が薄かったような

14091705
ランゴバルドの祭壇 これが 一番見たかったものでした。

14091707
冊子の裏表紙に拡大写真がありました。

14091706公の後継者で 740年に修道請願をたてたHildeligo Dagileopa の名が 上に刻まれています。
この写真の人物は 手にノミを持っていて 制作者のウルススです。 ヒルデリゴは上写真の右側の人。人物というより模様みたいです。二人とも 手をあげてオランすス(お祈り) のポーズ。風車みたいな十字架? 楽しいくなる彫刻です。

本当は 6月のピレネーロマネスクの旅日記完成を、いそがなければいけないのに、しばし 思い出に浸ってしまいました。

9月20日 写真を追加します。

見たかどうかもさだかではないのですが、裏側です。(上記、冊子から)

14092003

« 「ペテロの葬列」 クオ・ヴァディスなど | トップページ | 『トワイライト・シャッフル』 乙川優三郎 著 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

この教会に何年頃いらっしゃったのですか?ツアーですか?私は2010年にツアーで行ったのですが、バスを降りてからそんなに登ったという記憶がありません。参加者の中にすっかり腰が曲がって二本杖歩行の男性がいらしたのですが、バスに残りましたから大変だったのでしょうね。「ヨーロッパ中世の旅」はその前から持っていましたが、こんなところに行けるとは思わなくて記憶していませんでした。とても印象に残るところですね。今は宿泊施設もあるようです。
入り口で拝観料を徴収していた若い男の子に、添乗員が説明を求めたのですが「あなたがしなさい」と断られたそうです。
写真は禁止ではなかったので壁画も撮影できました。最近はデジカメになったのでOKなのでしょうか。ペテロとパウロも写真に残っています。鍵を持っているのでペテロはすぐわかるのですが、パウロの持ち物は剣なのでしょうか。セットになっているのでパウロだと思うのですがいつも別のものをもっていませんでした?
最近、外国の街を紹介する番組が増えましたが、たいてい何かテーマになっているものがあって、あそこにはこんなロマネスクがあったはずだけどと思っても紹介されることがなくてざんねんです。
中公新書の「ロマネスクへの旅」シリーズの著者、池田健二先生が、ひょっとすると、ロマネスクを紹介する短い番組ができるかもしれない、とおっしゃっていたので期待したのですが今のところなさそうですね。
懐かしくてつい書き込んでしまいました。

tina様 ここへ行ったのは 2001年 13年前です。個人旅行でした。テルニからのバスがあることは、当時とっていたイタリアロマネスクの先生におききしていましたが、 山道を 上る、ということで やめてスポレートに泊まり(ここも見るべきロマネスクが町の外にありますから)ホテルで タクシーをよんでもらっていきました。
数年前に個人でいらした方のブログをよみましたが、 その方は公共バス利用。お若い方なので、 大丈夫なようでしたが、 帰りは バス停を隣の停留所まで 行くことになって 猛烈に走って35分とかいてありました(もちろん下り坂だったはと思います) ツアーバスだと ぎりぎりそばまで行くのではないでしょうか。 タクシーだと上まで いけるので 楽でした。 当時もホテルはできていたので、 コーヒーくらいのみたかったのですが、今はオープン時間ではない、ということでだめでした(お手洗いは貸してもらえました)
パウロって、鍵を持つペテロと対になっていて禿げ頭なので判断します普通は本をもっていてますよね。 ここでは 剣 。 上に載せた冊子は イタリア語で私は 読めないのですが、 英語の簡単な解説も別についていて、 それには パウロ、と書いてありました・(ついでに言うとここには 9世紀、と書いてありますが、池田先生の本では11世紀)
調べてみるとパウロのアトリビュートは 剣なのです。 殉教者だからだそうです。 書物をもっていることもありますが、これは 書簡を書いたからだそうです。
イスラム教徒に荒らされたりしたので、本より剣を持たせたかったのかなあ、なんておもってみたりしています。

いいお写真を見せていただきました。ランゴバルドと聞くと、なぜか胸が躍ります。イタリア各地を旅して、あちこちでランゴバルドの文化に接しましたが、なかなか全容が把握できません。生きているうちに、どなたか、体系的な書物を書いていただきたいと、願っています。

kikuko様
 せっかくですので、 この裏側の写真も追加しました。
同じランゴバルドといっても(私は未見ですが)チヴィダーレとは全くちがいますね。 線刻で人物も図案化されているなど。
当時の私はまだロマネスクの入口、歴史にもうとくランゴバルドも(丁度 EU がシャルマーニュ帝国の再来、とか言われていた頃)カロリング朝に飲み込まれる運命にあるもの、という認識でしかありませんでした。おまけに教会を見るのにも遠慮がまだあった頃でこの祭壇を見るために奥に行くのも少し、遠慮が 。主人にも、「おいおい、そこまで行っていいのか」とおどろいていましたし。 
ロマネスクまだまだ見ていないところは多いのですが、 でもランゴバルド、西ゴートなど ロマネスク以前のものの方に魅力を感じるようになっています。
kikuko様もいらした、チヴィダーレやブレーシア等是非ともたずねたいところですが、一体いつのことになるやら。 

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1693231/57410585

この記事へのトラックバック一覧です: フェレンティルロ :

« 「ペテロの葬列」 クオ・ヴァディスなど | トップページ | 『トワイライト・シャッフル』 乙川優三郎 著 »