『千年の祈り』 イーユン・リー著
新聞の書評にこの作者の『独りでいるより優しくて』が出ていました。 図書館で借りようかと思ったのですが、かなり待たされそうです。
そこでア○ゾンを開いて、検討。古本で安く買えるということもあって、『千年の祈り』、これを注文しました。(帯もついてきれいな本が届きました) 賞を沢山受賞していて、短編集で読みやすそうです。
『千年の祈り』 イーユン・リー 著 新潮社クレスト・ブックス

帯をとると

作者、イーユン・リーは 1972年、北京の生まれ。
1972年は文革の年。
父親は核開発の研究者で母親は教師。
核開発の研究者であったため、知識人に対する迫害からのがれることができたそうです。
こういう環境、時代の中で育ったため勉強をしてアメリカに留学することを考えるようになったということです。
1989年の天安門事件のときは高校生でした。大学に入った時はいきなり軍隊に入隊させられています。政治的再教育と抗議行動に参加した学生に接触させないようにするためです。
私の子供たちと同じくらいの年齢ですが、大変な時代を潜り抜けてきた人です。
大学卒業後 1996年渡米、免疫学の研究者でしたが、作家になりたかったのだと気付き、創作の講座をとりはじめて、短編を書き始めた、というわけです。
これは 2005年にアメリカで出版されたデビュー短編集、ということだそうです。
全部で10の物語が収められています。
短編集、というのは ちょっとした隙間の時間に手にとれるのがいいところです。
でも一つだけ、と思いながら、もう一つ、と一気に全部読んでしまいました。
あまりもの
工作単位(職場のことをこういうようです)が倒産したために職を失った林ばあさんは、食べていくために、病気の老人と結婚。介護の毎日にも適応していくが、二か月ほどで夫なる老人は風呂場の事故で亡くなる、子供たちは 林ばあさんのせいだとして、遺産などはもらえないが、私立学校の寮の家政婦の仕事をあっせんされる。
そこで、週末にも家に帰らない少年をかわいがるようになる(少年は父親が愛人を作ったために父にとっては あまりもん)しかし、ある日少年がしばらく行方不明になったために林ばあさんは解雇されてしまう。
寮を出てあてどもなく歩いていく途中、鞄を盗まれてしまう。でも林ばあさんは大事な弁当箱だけは盗まれなくてよかった、と 思うのです。そこには、解雇手当と少年に対する思い出の品がはいっているのだから。
少年が あまりもの、なら、ぼけた老人も家族にとってはあまりもの、そうして林ばあさんも、 社会のあまりもの、といえるのかもしれません。
淡々と書かれているなかに、本人は感じてもいないであろう 孤独感、やるせなさが現れていて、いいなあと思いました。(これが一番好きかな)
黄昏
蘇氏と方氏は株屋で出会って、親しくなります。
蘇氏は 妻とは いとこ同士で知的障害のある娘ともう家を出た息子がいます、障害がありながらも娘の世話に幸せを見出していたのが、息子の誕生で 夫婦の間に亀裂が入り、表面的には 穏やかですが、夫婦の間には修復不可能な亀裂が入っています。
方氏の妻は 汚職の罪を犯して刑務所に入っていたのですが、病気のため仮釈放、ところが その間に方氏は 別の女性と親しくなります。 妻の嫉妬はものすごいものです。
そうして酔いつぶれた方氏を家に連れてきた日電話の向こうでがなりたてる方の妻の相手を蘇氏の妻がしている間に、娘は、、。
この結末も悲しいです。
ここまで読んで、やはりこの本を買うことにしてよかった、と思いました。
淡々とした文章の中に にじみでる孤独感。
テーマ、登場人物は さまざまです。
宦官(これはちょっと気持ちが悪かったです)、ゲイカップルとその一人を好きになった女性、 未婚の娘と母、 未婚の息子と母、父親が家を留守にすると母子のところにやってくる叔父さん、、。
最後が表題の 千年の祈り です。
アメリカに住む離婚した娘のところに慰めにやってくる父親の話、
娘が情愛を示してくれることはなく逆に傷口をこじあけられてしまうことにはなったけれど、自分自身を見つめ直し、今を生きることに思い至らせられた、という話。
この話に出てくる 中国の『修百世可同舟』(誰かと同じ舟で川をわたるためには、三百年祈らなくてはならない)という言葉、 なかなか含蓄のある言葉です。
〈たがいが会って話すにはーー長い年月の深い祈りが必ずあったんです。ここにわたしたちがたどり着くためにです〉
父と娘ならおそらく千年でしょう。人は偶然に父と娘になるのではない。
人が人と出会うことの不思議、そうしてなお人は孤独である、ということを全編、語っているように思えました。
この作品で 作者の 英語で小説を書くことの意味、ということも示されていて、その点でも興味深い一編でした。
父と娘は中国にいたときから会話をすることはなかったのですが、無口だと思っていた娘が電話ではベラベラしゃべっています。それについて 「英語で話すと話しやすいのよ」「自分の気持ちを言葉にせずに育ったから、違う言語を習って新しい言葉で話す方が楽なの」 と娘は言います。
この本をもう一度めくってみると、文章がどれも短くプツプツときれたようになっていることに気がつきました。高校時代、英作文の下手な私は 関係節など使わず、短い文章をつなげて書いていたことを思い出しました。もしかしたら、彼女もそうかな、なんて 失礼なことを考えたりもしました。 それはともかく、こういう書き方も ベタベタしない乾いた文章、という印象を与えているのかもしれません。
短編、というのは 結末の持って行き方が ポイントだとおもうのですが、 そういう点からもうまい作家だなと思いました。
この本から 中国の現状について 知ることが出来たのも大きな収穫でした。
作者自身は知的エリートの家庭に育っているので良い暮らしをしていたのでしょうけれど、 ここに出てくるのは主に、暮らし向きは貧しく、衛生状態も良くない庶民です。
そうして共産主義の国ではあるけれど、考え方は昔と変わらず、家名を絶やさないことが大事、そのためにもよい結婚をすることは必須です。
現代的合理性とは程遠い因襲の中に生きている人々。これが共産主義の中国なのでしょうか。中国でも親の世代で子の世代は違うのかもしれませんが。
現時点ではどうなっているのか知りませんが、この本が出された時点ではイーユン・リーは アメリカの市民権を得るために努力中とありました。市民権を得ることは難しいらしいですが、得られてもなお異国人として生きることにはなるわけです。
この本では アメリカが舞台になっているものもありますが、中国の暮らしの延長であって、 異国に生きることから来る問題を扱っているものではありません。そういうものも読みたいと思いました。













この表紙の絵を観ながら読んだせいか、なんだか とてもシュールな感じが しました。






























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