北欧ロマネスク旅 3 スエーデン本土南部続き~ボーンホルム島
7月26日
8:30出発、 まっすぐ南下。
途中、ひなげしが たくさんさいていました。
9:40イースタ(Ysted)まで行きガイドさんと待ち合わせて
10:20 ヴァーレベルガ教会
アブサロン司教(1159~1185年)が 造りました。
バルト海南岸に住むヴェンド人(バルト・スラブ人)はキリスト教徒でなかったので、彼らにたいして ヴェンデ十字軍がエルサレムにむけての第二次十字軍とともに 1147年組織されました(かのベルナールの進言によって)
ヴェンデ人は スエーデンの海岸地帯を荒らしていたそうです。
アブサロン司教は十字軍のリーダーでした。
この地域には 防衛線として 今教会が当時多くたてられていて それが今も残っているのです。(現地での説明は 話を簡単にするためか、ヴァイキングと闘った、ということでしたがかえってピンときませんでした。帰って調べてみると ヴェンデ人に対する戦いだったと判明しました)
司教は教会建設そのものにも力をいれ、洗礼盤も素晴らしいものがありました。
教会は 1160年円形教会として建てられ、その後 増築されています。 すこし雲行きはあやしいですが、お天気はもちました。
洗礼盤(マジェスティス工房の作)には 魔術師シモンの 話が刻まれていました。
ペテロに挑んで、空を飛べるといって落命した場面。
防御塔にも入りました。 昔は 入口は 高い位置にあったはずですが、現在はすぐに入れるところにあり、内部には 墓石や修復の際外された彫刻板などが置いてありました。
11:40 リュールップ教会
ここにも素晴らしい洗礼盤があったのですが、それは ホームページで紹介することにして、
庭から眺めた景色。
このスコーネ地方は 豊かな農業地帯だそうです。この景色を眺めているのは とても気持ちのよいものでした。
この後 イースタ(イェスタ、 ユースタード)の町に戻り、 ランチ。
船は 18:35発で 充分時間があるので、追加でもう二つ教会をまわることになり、そのための 現地ガイドも手配済み、 また バスに乗りました。
14:25 ビアルシェ教会
1100年頃造られた教会で 1120年頃の てんじょうが、 壁画がのこっているが 19世紀の修復は プロフェッショナルでなかったので、いくつかのオリジナルの細部は失われたそうです。
ラピスラズリの青が鮮やかでした。
1180年頃の 洗礼盤もありました。また 庭には ルーン文字の石碑もおかれていました。
このあと
ウーヴラビー教会へ
これを見た時一瞬ウェディングケーキを連想してしまいました。
横から見ると
12世紀に建てられたそうですが、こういう飾りは後年でしょう。
ここにも12世紀の壁画がありました。
ここで また教会の10分の1税の話になりました。
年間ユーロにして 約 300€を 教会の信者でいたい人だけが払い、スェーデンでは六十数パーセントの人が支払っているそうです。
ガイドのイェバさんは 私の孫も聖餐式の白い衣装を着るのをいやがって、と人々の教会離れを嘆いていました。
でもこれまで見たどこの国よりもスェーデンでは教会が綺麗に清潔に維持されていて、地域の人々に 愛され大事にされていると感じさせられたのですが、、、。
16:35 イースタ戻り、 すこし町中を散策
何年か前から 北欧ミステリーが 流行っています。
スェーデンミステリーも 何冊か読みました。 警察小説が多いせいか、 実在の町の名前が 出てきます。
イースタ(イェスタ)警察や明後日デンマークに渡るとき通過するマルメの警察が出てくる小説がありました。 もちろんストックホルムも。この旅で、土地の感じが分かって小説を読むのがさらに楽しくなりそう、と書きたいところですが、警察小説は どうも無残な殺人事件が殆どなので これからもっと読むかどうか、、、残虐さのない小説があればいいのですけれど。
町を少し歩いて大聖堂へ、まあ お手洗い拝借のためにはいったようなものでしたけれど。
途中、 タチアオイがきれいでした。
聖マリア教会
イースタ駅 バスの窓から
これから乗る船
フェリーなので バスに乗ったまま待ちます。 そのままバスごと入り、船の中に入ったら、バスから降りて座席は指定でないので 好きなところに座ります。
18:45出航
イースタの町
19:50
ボーンホルム島 レンネ到着
フェリーなので船の中でまたバスに乗り込み、港に着いたらそのまま走り出すので楽。
20::00 フレーデンスボーホテル着
このホテルが素敵だったのです。 それは次回に
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