五島列島旅行 10 (5日目―1)
10月23日(月) 台風一過の秋晴れ
福江島観光の後 長崎経由で羽田へ
5:30 起床
6:40過ぎ 身支度を終えて何気なく奥の窓の障子をあけると、うっすら日の出。
前回は 和室の横に廊下があって椅子セットがおかれていたのに、 今回はないので 景観は望めないだろうと、窓を開けようとしなかったのですが、分かっていたらもう少し前に開けたのに。
右手の方に目をやると、
お城です。
お城がこれほど近かったとは!
右手の一番高い建物が昨日行った資料館です。
7:45 先に ホテル代、 夕食代を 支払っておきました。
それから ロビー横のティーラウンジで朝食
ホットサンド、サラダ、コーヒー付きにしました。あとでジュースもたのんで二人で半分づつ。
サラダ
食事が終わって、私はお城の方に散歩に出ました。(9:20~9:35)
昨日行った資料館です。
解説 (五島市公式サイトより)
1614年(慶長19)江川城が焼失し、その後、長年にわたって陣屋住まいを余儀なくされ、その間、3代にわたって築城の嘆願をしました。
江戸時代後期には、異国船が頻繁に五島灘を往来するようになって、幕府から築城の許可を得ました。
福江城は、三方海に囲まれた海城でもあります。
江戸時代最後の城郭であったが、築城5年後に明治維新となり、城郭解体の指令を受け解体され、その跡に五島中学校(現五島高等学校)が建てられました。
現在、城郭内には五島高等学校・福江文化会館・五島観光歴史資料館・五島市立図書館が建てられ、五島市の文化ゾーンとなっております。当館は平成元年に二の丸跡に建てられ五島の歴史や文化に係る資料を展示しています。
福江城は、三方海に囲まれた海城でもあります。
江戸時代最後の城郭であったが、築城5年後に明治維新となり、城郭解体の指令を受け解体され、その跡に五島中学校(現五島高等学校)が建てられました。
現在、城郭内には五島高等学校・福江文化会館・五島観光歴史資料館・五島市立図書館が建てられ、五島市の文化ゾーンとなっております。当館は平成元年に二の丸跡に建てられ五島の歴史や文化に係る資料を展示しています。
お城の形はしていますが、この資料館は新しくたてられたものなのですね。
お濠には蓮がうえられていました。
↑案内板 ④ のところにこの資料館が建てられている、ということなのですね。
外に出て現在の外濠を見ます。昔はここに船着き場があったとか、で そこに降りる石段があるので、それを見たかったのです。
濠の横は公園になっていました。
右手の黄色い建物が宿泊しているカンパーナホテル(なるほど鐘塔があります)
↑昔の灯台を摸したのでしょうか
日本の典型的風景
石段は奥のくぼんだところあたりかな?と思ったのですが、確認はできませんでした。
お天気も回復してきたようです。
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今日は5日目ですので本来なら旅行は終わっているはずです。
でも旅行会社側のご厚意により昼食付で観光させていただきました。
福江島出発は午後4時過で予定通り長崎経由です。
地方都市にお住まいのあるご夫婦は今日中にどうしても家にお帰りになりたいそうで、福岡に飛ぶご予定で、朝、さよならしました。
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福江島、もう主だったところは見ているのですが、今日は島の南西部へ行くそうです(ミステリーツアー)
地図には行ったところを先に印しておきました。
10:00 昨日のジャンボタクシー2台に分乗して出発です。今日は昨日とメンバーが同じで 車が入れ替わりました。
今日の運転手さんは宗さん。あまりおしゃべりはなさらない方です。
数字が読みにくいですが、27号線、164号線と進み 大宝寺に行きました。
玉之浦湾が美しい。 白い船が浮かんでいます。 (あれ何だと思いますか」 と運転手さん。 巡視船だそうです。
玉之浦湾は国際非難港 になっているのです。 嵐の時に船が避難してくるわけです。
すこし離れたところにある男女群島には珊瑚採りに(とってはいけないのに) 中国船がよくやってきて、それが避難してくるそうです。
外国船の乗組員たちは上陸してはいけないことになっているので、それを見張っているのです。 実際上陸してきた人もいたのですが、すぐ捕まったそうです。
大宝寺 (10:55~11:30)
上部の彫り物を拡大
海に面しています。
五島市のホームぺージから
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約1300年前の大宝年間に創建されました。元々は三論宗の道融という人が開基しましたが、大同元年(806)空海が唐から帰国の際に立ち寄り、真言宗最初の道場として布教活動をしたことから、三論宗を真言宗に改宗しました。その後、西の高野山とも呼ばれています。 大宝寺は五島八十八ヶ所巡拝の八十八番札所でもあり、境内には「弘法大師霊場 祈願お砂奉安 四国八十八ヶ所巡拝御砂踏處」と書かれた大師堂があります。 また、奥の院の小高い丘の上には「へそ神様」と呼ばれる五重の石塔があり、子どもが生まれると、島の人々は健やかな成長を願って紙に包んだへその緒を石塔の下にある穴に納めたといいます。
このお寺も空海ゆかりのお寺なのです。
護摩法要をするそうです。
火渡りもするそうです。
案内板の写真に護摩法要の様子が写っていました。
境内はやたら、と言っては何かと思いますが、仏像がぎっしり。
これは 子安弘法大師
横にある小さな仏像軍は 四国八十八ヶ所のお寺をあらわしていて、ここで拝めば八十八ヶ所まわったことになるそうです。
本殿
軒下拡大
御朱印を頂くために中へ入られた方もいらっしゃったと思いますが、私たちはお庭をぶらぶら。
奥に神社がありました。
その左に
これは何でしょう。各所にあった小さな仏像を集めたのかともおもいましたが。
このあと昼食レストランに向かいましたが長くなりすぎたのでここでひとまず切ります。
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kikuko様
ご指摘ありがとうございます。斜字体のところは五島市のホームぺージからそのままコピペしたものです。 調べもしないで 信用して載せてしまいました。
実を申しますと、三論宗なるものも知りませんでした。
wikiによりますと、大乗仏教の宗派の一つで、中論、十二門論、百論 の三つの論をあわせた三論を所依の経典とする云々 とありました。 輪ではなく論でなければならないはずだったのですね。これも ウイキそのまま、
タイプミスで最初 十二問、としてしまったのですが、これも 問でなく門と言われれば、そうですか、なのです)
kikuko様 さすがですね。
早速訂正いたしました。
知らないことは多いのですが、特に日本史、仏教等ダメ分野です。今後ともよろしくご教示くださいませ。
投稿: yk | 2017年11月16日 (木) 20時35分
また細かいことで恐縮です。五島市のHPから大宝寺の由緒を引用されていますが、三輪宗は不思議、三論宗ではないかと思って、HPの通信欄で伺ってみたら、先ほどお返事をいただきました。担当の方がお寺に問い合わされたようで、やはり三論宗でした。複数個所で三論宗と書いていたが、すべて訂正されたそうです。
たいへんな数の教会をご覧になられて、圧倒されています。個人では到底無理ですね。中通島のホテルは魅力的ですが・・・。
投稿: kikuko | 2017年11月16日 (木) 17時05分