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2017年12月14日 (木)

母のこと

ブログを更新しないままずいぶん日にちがたってしまいました。
 
実は母が11月29日に94歳で亡くなりました。
母はこれまでに2度倒れ、前回昨年1月末に心不全で倒れたときは、転倒して股関節脱臼の手術などもひき続いてあり、5月ごろまで心配な状況でした。
そのまま施設に入り、車椅子生活ながら、元気にしておりました。
施設の生活にもなじみ「100歳まで生きられそう」と言うほどでしたが、今年10月29日 脳出血で倒れました。
 
迅速な手当ては受けられたのですが、半身まひとなり嚥下・発語もままならぬ状態になってしまいました。
あまりのかわりように驚き、関西に住む娘にも見舞いに来させましたが、大変な状況である、と認識する一方、まだまだ大丈夫、と思う気持ちも持っていました。(結果的に一か月がんばってくれましたので、孫、ひ孫まで全員見舞うことが出来ました)
 
心臓がもともと弱かったこともあり、11月24日に痙攣をおこしてからは一段と状態が悪くなり、火曜日には病院に誰か泊まり込むようにいわれました。(個室でソファーベッドやバスルームがある) 
準備もあるので、ともかくその日は帰り、病院まで2時間以上かかる私と下の妹は荷物をもって翌水曜日(29日) 長期逗留覚悟で近くのホテルをとって、病院に向かいました。
 
帰りの心配をする必要がないので夜おそくまで病室にいることができました。
 
夜8時近く、それまで点滴がいやなのか、腕を振り回したり、苦しそうな息をしていたのが静かになった、と思ったとき看護婦さんがいそいでやってきました。モニターで異常を知ったようです。息をしていない、と思うと大きく息を吐き、しばらくして軽くもう一度。 
娘三人と次女の夫の四人にみまもられての最期でした。
 
母は互助会に入っていたので、すぐ連絡して、その夜のうちに二年ぶりに自宅に戻ることが出来ました。
通夜、告別式は式場がすぐには手配できそうにないので、自宅で行うことにしました。
 
かねてから家族葬で、お茶名があるから戒名はいらない、と申していましたので、お花を飾って、お気に入りの音楽をながして、お坊さんなしで、ということにしました。
 
ベートーヴェンの交響曲第7番2楽章、ショパンのノクターン遺作、アルビノーニなどなど、母の好きだった曲を娘がスマホにとりこんでスピーカーにつなげて低く流しました。
 
お通夜と言ってもお別れ会、小さなひ孫たちは かくれんぼをはじめるし、その母たちは久しぶりのいとこ同士の再会でおしゃべり、私たち世代もおしゃべりしながら食事。
三世代、全員集合で、家で行ったからこそのゆったり、和やかな(賑やかな)お通夜でした。
 
告別式も次々お焼香(本当は献花にしたかったのですが、葬儀社の人がお焼香セットを持ってきたので)をしたあと、姪の発案で孫(母にとっての)たちが詩を輪読しました。
子供向けの バイリンル絵本 「ちいさなもののいのり」。
 
対訳なので英語の部分を一節読むと、次の人が日本語訳を読み、次をまた英語で、、というふうにして、、、。子供向けなのですが、しみじみとしたすてきな詩でした。
 
お経がなくて締まりがないような気もしましたが、これで少し、らしくなりました。
 
お別れ式、人、家、それぞれでいい、我が家はこれでよかったのではないかと勝手に思っています。
 
結果的に式場ではなく家で行ったのですが、母を一人にしておくことがなくてよかったと後から思いました。
高齢ですので、女学校時代の友達は全員亡くなっています。
郷里が遠くですので、高齢のため来られなかった母の妹などには、倒れてからの様子をしたため、お葬式の写真、母の去年の誕生日の写真などを同封して送りました。
 
これから、四十九日、納骨、などまだ色々大変な仕事がありそうです。
ブログ、また休止状態が続くかもしれません。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

tina様
ありがとうございます。
近頃は寿命ものびましたが、94歳は天寿と言えると思います。
愚痴をこぼすタイプではないので、周りは苦労しなくてすみました。

生き方として 愚痴はこぼさない人でしたが、こぼさなくてもすんだのだ、と残された方は勝手に解釈することにしております。幸せな一生だったとおもうことにもして、

ただ お葬式などはあらかじめ準備できないので、 すこし慌てました。
これまで親が生きているのに、子の自分の終活(好きな言葉ではありませんが)など思いもよりませんでしたが、きちんと考えておくべきだと気付きました。
未だ 四十九日、納骨があります。 それが終わったら エンディングノート等考えようと思っております。

おからだにお気をつけられてどうか良い年をお迎えになられますよう。
 

ガタガタしてしばらくブログを拝見していなかったのでびっくり致しました。心からお悔やみ申し上げます。ご家族に見守られてお幸せでしたね。私とは十歳違い。私もこのように見送られたらと思います。残された方々も心穏やかにお過ごしになられますように。

kikuko様
優しいお言葉ありがとうございます。
最後の一か月は かなり苦しそうな様子で見ていてつらかったですが、でも幸せな人生だったはずと、勝手に考えています。
お葬式は高齢ですので誰かに気を使って、という必要はなく、また前もって考えておくのも悪いような気がしてそのときになってはじめて姉妹三人で相談しながらでしたので、終始一貫しないものになってしまいました。
妹の一人は カソリックの信者です。私も神父様のお話の方がお経よりわかりやすくていい、と思うほうですが、信者ではないので無宗教で行きたいと思いました。でもお経が全くないのは、という妹もいますので、四十九日はお経付きの予定です。日本人ですから、これもよし。
お別れは形ではなく気持ちのもんだいですから。   

 なんと申し上げてお慰めしていいか、言葉が浮かびません。コンロをピカピカに磨いておられたお母さまでしたね。ご高齢で2度も辛い思いをされたのは、おいたわしいと存じますが、ご家族の温かい見守りに感謝されていたことでしょう。
 夫を見送ってちょうど3年になりました。故人の遺志で無宗教で家族全員でお別れしました。社会的な立場もあって、かなりハードルが高かったのですが、最終的には皆さまも理解してくださいました。
病院は完全看護でも重症になると、家族の泊まり込みを要求しますね。娘と3晩、徹夜しましたが、心情的には、かえって良かったと思っています。
 どうかブログのことは、しばらくお忘れくださいませ。

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