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2020年1月30日 (木)

『燈火節』 片山廣子著

片山廣子=松村みね子著 『燈火節』  を読みおえました。

 

いつもブログを書きながら、下手な文章、考え方の浅さに公開するのをやめようかと、しばしば思うのですが、でも公開する効用はあるのです。

この本を読むきっかけは、まず私がアリステア・マクラウドの本について書き、それにkikuko様がコメントくださって、マクラウドつながりでフィオナ・マクラウドを読みます、と書かれていたので、私も『かなしき女王』を読み、ブログに感想を書いたところ それにtina様がコメントで 訳者の松村みね子=片山廣子 の『燈火節』のことを書いてくださって今回この本を読んだわけです。
こういうった契機がなければ手にしなかった本でした。
そうしてこれがとても良かったのです。 大切にゆっくりゆっくり読みました。

15011001
カバーもいいので

15011002
梨木香歩さんが解説を書いていますが、この方の『エストニア紀行』と似た雰囲気のカバーです。

この本の帯に ひとり残された晩年、 とあるので、一応簡単に年譜を書いておきます。

片山廣子さんの年譜

1878年『明治11年)~1957年(昭和32年)父親は外交官 
東洋英和女学校卒(家は近くだったが寄宿生活を送った←英語)
1899年大蔵省管理(のちに日銀理事)と結婚 1920年(大正9年)没
長男1900年生まれ、1945年3月没
長女1907年生まれ 1982年没

1916年第一歌集『翡翠』
1915年~1925年 アイルランド文学、戯曲集の翻訳を多数、ここには 『かなしみの女王』 も含まれます。

なお 交際のあった(燈火節にも出てくる) 芥川龍之介は1927年没 

そうして
1953年 随筆集『燈火節』が暮らしの手帖社から出版されたのです。

あとがきも含めての49作品がおさめられ、 燈火節の周辺 として、あと8編(大正から昭和初期に書かれたもの)はいっています。

燈火節(Candlemass)という言葉は知りませんでしたが、調べてみると イエスの神殿奉献 の日のことでした。(これならよく絵にあります)。
2月2日で、この日に蝋燭行列をなし、一年中に用ひる蝋燭を祓い清むる風習 と説明されています。アイルランドの聖ブリジッドは2月生まれで、聖ブリジッドの日に春が来るといって、 この燈火節に春を迎える祝いをしたものだそうです。
春を待ちつつ、アイルランドに、聖ブリジッドに想いをよせている、という所から この編が書かれ タイトルにされたもののようです。

随筆集なので、思い出すままに綴ったのでしょうか、年代も内容も様々、ご自身の思い出、 それにアイルランドにまつわる話、それに短歌もありました。

内容が様々で、それぞれに なるほど、と思ったり、驚いたりで 感想は簡単に書くことができません。

読み始めて、すぐ何か懐かしさのようなものを感じました。
この本は最初 暮らしの手帖社から、出版されたものです。
娘時代、実家では「婦人之友」と「暮らしの手帖」を定期購読していました。 『燈火節』を親は買わなかったのでしょうか? 私は 小さすぎたせいか、読んだ記憶はありません。
これを読みながら、むしろ 婦人之友風な感じがしました。底に流れるキリスト教精神のせいでしょうか。(彼女自身はクリスチャンでなく神社にお参りしたり、お稲荷さんの話などもでてくるのですが、どこかキリスト教的なところが感じられるのです)それに戦後の乏しい(ともしい)生活で食べ物の工夫の話などが出てきたせいでしょうか。

特に気にいったもの、心にとまったものについて 少しだけ。

『濱田山の話』
晩年は浜田山にお住まいだったのですが、私は昭和33年夏に東京に引っ越してきて浜田山よりは もうすこし新宿よりのところに住んでいましたから、浜田山、永福町あたりはかなり 懐かしい、という気持ちで読みました。
亡くなられたのが昭和32年ですが、私には浜田山に住んでいる友達がいて、33年には遊びにいっていました。それでうっすらとその当時の景色はおぼえています。まだ草地というか 畑地が多かったと思います。それにしても浜田山が疎開地として選ばれる場所であり、大森にくらべれば大変な田舎だった、とは。

『二人の女歌人』 二人とは 小野小町と与謝野晶子のこと
私は突如おもいついて 短歌レッスン などという講座をとりはじめてしまったのですが、 近代短歌はもとより、古典と言われるものも 全く読んだことがないのです。中学高校の教科書に出ていた歌しかしりません。

 
小野小町の歌のすてきなこと、与謝野晶子のは 手元に遺構の『白櫻集』しかないから、とそこから引かれているのですが、これがまたいい、晩年、鉄幹亡き後の歌で、しみじみとした 寂しい歌
小町の あはれなりわが身のはてや浅みどりつひには野邊の霞とおもへば
この歌について、
この歌は たくましい。彼女がみちのくまで帰ってゆく途中で死んだというこ伝説も本當であったような気がする。このたくましさは少し位のことで弱りはしない。行くところまで行こうとしたのであらう
と説明しています。 片山廣子自身の生きる姿勢を感じさせられました。 尚 晶子とは同年生まれ、でも微塵も競争心とか ましてや嫉妬心などはもっていないようで、
私はこの国に會って生き、そして死んだ二人の女歌人の歌を比べるためでなく、ただ好ましさに書き並べてみたのである。何時このとに送られるか分からない天才は又いつかは生まれて来るだろう。その日は 遠くても近くても。  
と結んでいます。

暮らし向きについてもあちこちに書かれています。外交官の娘としてうまれ、日銀理事となった夫をもっていたので、未亡人となっても戦前は何不自由ない暮らしをなさっていたようですが、戦後はそういうわけにはいかなかったようです。(戦後、財産税と農地解放で貧乏になった、という話はよく聞かされました)

 

『野に住みて』に出ていた短歌で 株が三分の一になった、というのが出ていましたが、 働く人がいなくてこれまでの財産だけでくらしている人にとって、戦後のインフレの影響はものすごかったはずです。お若い頃は書いても稿料を受け取らなかったそうですが、戦後の暮らしの中ではお金のこともよく出てきます。
『赤とピンクの世界』でも少し浮世ばなれしていて、びんばう も楽しそうだ、などといって、ひとに「貴女は本当の貧乏、赤貧を知らないから」といわれるのですが、 自分の暮らしは 赤貧とはかなり遠いがピンクくらいの貧乏だといい、ピンク色の世界は苦しいが、欲も得も忘れきれない人間だから、懐中にないがしかあればあるうちは 生きているだろう、 と書いています。

 

『花やの窓』 には 自分の見た花やを芥川龍之介も見たことを読んで嬉しい気持ちがしたことが書かれていました。龍之介は彼女を尊敬していたらしいです。

 

ご子息に先立たれたのですが、直接そのことの悲しみについては触れられていません。

『軽井澤の夏と秋』 昭和20年のことで、 軽井沢に早く疎開するようにご子息からすすめられていたのに 急に死なれて疎開する気になれなかったけれど、それから三ヶ月して軽井沢に行った、としか書いていません。しかし 敗戦の前八月十日に彼のまぼろしを見たことが ここでは書かれています。 戦争がおわる、もう大丈夫だと教えにきてくれたのだと解釈するのです。
 もう一度彼が 私に見える日があるかしら?もう一度會へる。たぶん私の死ぬ日のじき前に會へる。さう思ふと、私は 大変頼もしい気持ちになった。
と結んでいます。

ご子息への思いはあとがきにも記されています。随筆を書くことをすすめたのがご子息で、

時々せがれに呼びかけて相談することもあった。、、(中略)、、この世界に生きてゐない彼が私の本を讀むはづはないとよく解ってゐても、別の心は彼が讀んでくれるとかたく信じてゐるのらしい。 

強く心に残ったのは『北極星』 最後のところをそのまま引用しますと

私はただ星その物を見て、この世の中が何もかも變わってゆき、また變りつつあるときに變わりない物が一つだけでもそこにあることが頼もしく愉しいのである。私がたのもしく思っても思はなくても北の星に何の感じがあろうか?それにしても、昔からきまったあの位置に、とほく静かにまばたきもしないで、むしろ悲しそうな顔を見せてゐる星はすばらしいと思ふ。 すべての正しいもののみなもとである神も、あの星のやうに悲しい冷たい静かなものであらうか?私は そう信じたい。

明治から昭和、世の中が何もかも変わっていく姿を見すえ、子に先立たれた人間の心の奥底が語られているように思いました。 

彼女にとって神は 悲しく冷たく静かなもの だったのです。

淡々と激することなく書き、野に一人風に吹かれて立つ女性の姿が眼に浮かびます。

 

追記 2020年2月4日

緑の風をひらいてびっくりしました。以前書いた 燈火説 の感想がこんなところに出てきているなんて!多分2015年の記事だとおもうのですが、、、。友人が読でくださったので、もう一度みなおしたときに、タイプミスを見つけて訂正したら訂正日に移動してしまったようです。こちらを消したかったのですが、元記事が存在しないし、日にちも定かでないので、おかしいですが、このままにしておきます。

  

 

 

 

 

 

 

  
 

 

 

 

 

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コメント

tina様
おかげさまで 素晴らしい本を読むことができました。 教えてくださってありがとうございました。
 『ありふれた祈り』 よさそうですね。ジョン・ハート風なところもあるらしいでので 是非読んでみようと思います。 こちらの図書館にはありますが、予約可能冊数が 満杯なので 予約かご入り、いつになったら読めるのか? でも読まれるのをまっている本も沢山ありますので、この本も楽しみに待つことにします。
いつも教えてくださってありがとうございます。

灯火節、もうお読みになったのですね。
私は目下、お勧めの「かなしき女王」を読みつつあります。「精」にうっとりしました。理屈はいらない世界ですね。
ただ書評でみつけた「ありふれた祈り」というミステリーにはまって、並行して読んでいたのでなかなかはかどりませんでした。このミステリー(ミステリーと言えるかどうか)アメリカ物ですがお勧めです。まだ図書館には入っていないので買ったのですが。

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