東北旅行(青森・岩手)2日目ー3
岩木山を下りてしばらくしてアップルロードに入りました。
途中で岩木川をわたりました。
最近はリンゴの木を低く育てるそうです。リンゴの木の下にアルミ箔のようなものを敷いてあるのは 反射光でリンゴのお尻のほうに日をあてるためだそうです。
近頃、黄色いリンゴが多くなってきているのはそういう手間を省くため、というのが主人の推測です。
その後国道102から394へ。ここはもう山の中です。一度トイレストップをはさんで17:10頃ホテルに戻りました。入るときは又検温と手指消毒です。
せっかくだからと主人は車をだしてもらって酸ヶ湯温泉へ。
18:00から夕食ですが、その10分くらい前には戻ってきました。
ホテルは荒川温泉、酸ヶ湯温泉は近くでも泉質が違い、酸ヶ湯温泉のほうが硫黄臭がするそうです。
千人風呂と呼ばれる混浴のお風呂が有名ですが、男性だって混浴には抵抗があるようで、小さな男女別のお風呂に入ったそうです。
夕食、今日は和食の日です。和食レストラン「寒水」にはテーブルが5つしかないそうで、密になってしまうので、広いコンベンションホールのほうに席が造られていました。今回は4組の夫婦(1組はお嬢様もご一緒で3人)女性二人組が2組、個人参加の女性が2人です。広いお部屋に7つののテーブルでお食事です。
メニュー
「Go toのおかげかホテルは満室ですね」とスタッフの方に声をかけると「去年よりお客様は多いです」とのことでした。飲み物は、主人はもちろん 田酒 それにビールは小を私も頼みました。琥珀の時間、とやらです。
もうこのあたりで私はおなかがいっぱいです。主人に大分てつだってもらいました。
器が備前焼ふうで特徴があるのでお聞きすると五所川原で焼いてもらっているそうです。
どれもおいしかったです。年のせいか和食のほうが美味しく感じられます。主人は両方美味しかった、と満足そうです。
19:45頃 お部屋に戻りました。明日は帰る日ですので、少し荷物をまとめました。主人はフロントにいって会計(飲み物代の)と宅急便の手続きをしてきました。私は今日もお部屋のお風呂です。
(6056歩)
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kikuko様
ミス?気がつきませんでした。 ツアーなどでも 十二湖巡りはあるようです。
お一人で 山の中、 怖くはありませんでしたか?
海外に未練はありますが、もう無理でしょう。 国内も行き始めるると次々いきたいところがでてきますね。
私kikuko様のように日本史に詳しくないので、少し勉強しなければ、と思っております。
ただただ、美しい景色を眺めて美味しいものをいただいて、だけでは情けないですから。
投稿: yk | 2020年10月18日 (日) 00時03分
拙文をお読みいただいたと知って、慌てて見直してみましたら、案の定、ミスだらけで赤面しております。どうしても消えてくれないタブはしかたがないと諦めましたが、お恥ずかしいです。まだ70代でしたから、あんな無謀な旅ができたのだと思います。
投稿: kikuko | 2020年10月17日 (土) 21時08分
kikuko様
弘前には 青春の思い出がおありなのですね。
昼食に立ち寄っただけですが 城下町として風情があるようで、ゆっくり 散策してみたい気がします。
岩木山にむかうまでは平野がつづいていましたが、遠く山々に囲まれて心安らぐ地域でした。
お友達、認知症とはお気の毒ですね。本当に先のことはわかりません。 私も体調をくずして 8月には検査入院をしました。狭心症の心配はなくなったのですが、まだ原因がわかりません。でも旅行は大丈夫だと言われて行きました(一過性の胸痛だったとおもうことにしています)。
kikuko様はこの旅の最後は 十二湖でしたね。 改めてブログを読ませていただいて ああ、ここも行きたかったと ため息をついています。十二湖巡りは 坂もあって大変そうで kikuko様の 気力、体力に 感服しました。
和井内貞行は 小学校か中学の教科書に出ていました。ヒメマスをカバチェッポとよんだところまでは憶えていませんでした。
投稿: yk | 2020年10月17日 (土) 17時08分
とてもとても楽しく拝見しています。高校に入ったときからの生涯の友が小学生のころ弘前市の小沢というところのお寺に学童疎開していて、りんご農家の方々に可愛がっていただいたそうです。友は農家の方とずっと文通していて、20歳のとき、二人で北海道に旅した帰りに、立ち寄って大歓迎していただきました。一泊して、夜は地域の若い男性が集まってきたり、翌日は軽トラックの荷台に椅子を置いて弘前観光に行ったり、素朴で面はゆい体験をした記憶が蘇ります。それ以来、弘前には行っておりませんが、岩木山のお写真も懐かしく見せていただきました。実家の番地が1625でしたので、60年以上たっても岩木山の標高だけは忘れられません。いまはどこも何丁目何番地になってしまいましたが、かつての住所表記は趣がありましたね。
たぶん行けそうもないところの詳しい記事を拝読して、行った気分になっております。
悲しいことに、クラスでいちばん頭がよく、美しく、品が良かった友は60代で認知症を発症し、ご家族の事情もあって音信不通になってしまいました。お互いに仕事を辞めたら、また旅をしましょうと誓い合っていましたのに、世の中には思いもやらないことが起こります。
YKさまは、私よりずっとお若いのに、教科書で和井内貞行をお知りになったのですね。中学生のころたぶん同じ教科書で学びました。カバチェッポでしたっけ。
投稿: kikuko | 2020年10月17日 (土) 12時50分