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2020年12月 1日 (火)

大分旅行 1日目-2 杵築続き

大原邸を出て右に進むと隣は能見邸、能見邸は幕末時代の建物。能見家は杵築藩5代藩主親盈の9男幸之丞が初代、という由緒ある家柄だそうです。

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現在は中にカフェもあるようですが、時間を考えて素通り、

その斜め前(写真左)は藩校の門
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7第藩主親賢が1788年に藩校となる学習館を設立。その藩主御成門です。学習館では平民の子も学べたそうで、現在は杵築小学校の門となっています。
  

先へ進むと右側武家屋敷の最後は磯矢邸 

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藩主の休息所として1816年に建てられた御用屋敷「楽寿亭」これを後の当主が増築したもので、3部屋だけもとの楽寿亭のところが残っているそうです。眺めもいいそうで、ここは入りたかったのですが、あとで時間があれば、いうことにして結局入れませんでした。

この先が勘定場の坂

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この坂は下りず、引き返して酢屋の坂をおりることにしました。
書き忘れれましたが、このあたりは北台武家屋敷でした。

酢屋の坂を下りると(酢屋の坂、というのは昔、おりたところに酢屋があったからです)お味噌屋さんがありました。

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酢屋の坂の向いの塩屋の坂をのぼって 振り返っています。
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はっきりしませんが、坂を和服姿の人が歩いています。この町は和服を着ていると入場料が無料、ということになっていてお若い方で和服姿が目につきました。男女のカップルで和服姿という方々も見かけました。向こうに大原邸の茅葺屋根も見えています。

こちらは南台武家屋敷になります。

坂を上がってすぐの武家屋敷は中根邸 家老、中根氏の隠居宅。ここでお茶をたてて余生を過ごされたそうです。

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後で入ることにして(結局入る時間がなかった)その先を左に折れてきつき城下町資料館

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建物はこの道の先で、ここからはみえません。
ここで 初めて couponの入場券をきられ、体温測定。それも「手を出してください」???手は 冷たいのに。もちろん、熱無し。あらためて額をつきだしてOK.結局、旅行中 飛行場以外で検温があったのは、ここだけでした。
入るとすぐ山車(御所車と説明にはありました)
  別の部屋に町のジオラマもありました。 

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主な展示は二階、三階です。お手洗い拝借もあって入ったので三階はパス。展示品の数はそう多くはありません。

弓町の獅子駒 (近現代)

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高津屋の鬼瓦(天保六四月 鷹山 瓦工)の銘があり、 阿吽になっている。
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阿型は舌をだしているそうです。↓がそうでしょうか?

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舌だし鬼面と呼ばれ避邪を目的としたもので県内では珍しいそうです。

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左は 刀筒(武士が旅行の際、刀をこれにいれて携行)。(杵築神社蔵)

右は 能美家の鐙 雪見笹の紋がついています。

ここは展示品は少ないのですが、座り心地の良い椅子がいくつもおいてあって、そこでついゆっくりしてしまい、時計を見ると14:55、慌てて飛び出しました。

写真が多くなってきたのでページを改めます。 

 

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