最近のトラックバック

2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

« 大分旅行3日目 -1 富貴寺へ | トップページ | 映画「ストーリー・オブ・マイライフ」「コリーニ事件」、紅葉など »

2020年12月10日 (木)

大分旅行 3日目ー2 宇佐神宮

富貴寺をあとにして宇佐神宮に向かいます。25分くらいかかったでしょうか。観光案内所の前に着いたのは(写真からすると)11:45頃 (参考までにタクシー代は9020円でした。Go To割引の大半がタクシー代に消えた感じです)

観光案内所で地図をいただいて、しっかり道を教えてもらいました。「前の道をまっすぐいけばいいです。それが参道ですから」 出て前の道を右にまっすぐ進んだのです。でもなんだかおかしい。引き返しました。そうすると「宇佐神宮」と書いた石の標識があります。道もそれらしいので進みました。

       ↓それらしい道

    20120801
お土産物屋さんがいっぱいあります、と言われたのにないのですが、ともかく5,6分進みました。そうしたら鳥居がありました。やれやれ、参道と並行した道を歩いたようです。
正しい道は 観光案内所を背にしてまっすぐです!

鳥居が見えるところの角にカフェらしきものがあって、食事をしている方が見えています。 私も、 とおもいましたが、この宇佐神宮、地図で見るととても広大で時間がどのくらいかかるかわかりません。帰りのバスを逃すと飛行機に乗れませんから、ともかく神社をみようと先を急ぐことにしました。

   20120901

宇佐神宮 全国4万6千社余りある八幡様の総本宮で伊勢神宮に次ぐ宗廟だそうです。
祀られている八幡大神とは応神天皇の御神霊です。応神天皇の母 神功皇后も祀られています。そういえば松山の伊佐爾波神社も神功皇后と仲哀天皇(応神天皇の父)が祭神となっていました。
神功皇后とは?調べてみると仲哀天皇(とともに、実在しなかったらしいです。192~200年)は14代天皇で日本武尊の子ということです。神功皇后は夫の死後、おなかに子(応神天皇)をやどしながら熊襲征伐、海を渡り三韓征伐をしたという女傑で摂政として政を行ったそうです。聖母ともいわれたそうで、まあ、神様にされるのもうなづけます。
725年創建  広さ約14万坪
神仏習合 八幡信仰とは応神天皇を讃えるとともに、仏教文化と浸透を集合したものと考えられています。八幡大菩薩という言葉をきいたことがあります。

私の関心は建築です。去年、松山の伊佐爾波神社を訪ねたとき、八幡造りというのを知りました。二棟つなげて建ててあって、横から見ると屋根が開いたMの字に見えるものです。八幡造りは三つしかなくて松山と岩清水八幡と宇佐だけなのです。

さて鳥居です。

   20120902
鳥居は鳥居でしょう、と思っていましたが、色々形があるようで、上の横棒が太刀のように反り返り柱の上に鉄の輪がついているのがここの特徴だそうです。(旅の先達のblogで初めて知りました。調べて見ると、下の横棒が突き抜けていないもの、とか二本平行とか色々のスタイルがありました)。

ここまで鉄道が通っていた時代もあったそうです。

   20120903
ここからが境内だそうです。この神橋を
わたります。 

   20120904
道なりに進むと大鳥居。そこを抜けると 右手に宝物館、前の池は
初澤の池です。宝物館には入りたかったのですが、土日祝日しか開いていません。残念!

   20121001
その先、神宮庁、だそうです。

   20121002
今日もお天気が良く風もなく、気持ちがいいです。この辺で上宮へのモノレール乗り場へ行く道をさがしました。通りがかり(tourの人が三々五々歩いていました)の人にきいても皆さん階段をのぼられたようで ご存知ないのです。結果的には今まで来た道をそのまま進み、広場にでて左上宮に行く最初の広い階段を(段数は少ない)をあがったところにモノレール乗り場の案内がありました。そこを右に進みます。モノレールを利用する人はいないとみえて誰も歩いていません。 

       20121003
この先もう少し木々が多くなります。誰もいないのをいいことにバッグの中からカロリーメイトを取りだして、神聖な場所でいいのかな?と思いつつかじりながら歩きました。ところが一本食べ終わったかどうか、というところでもう乗り場についてしまいました。朱色の小さなお社みたいな建物。子供連れの母娘(三世代)がベンチに腰掛けていて、使い方を教えてくださいました。ボタンをおして戸をひらいて閉まったらまたボタンを押す、自分で動かすミニケーブルカーです。さほど時間もかからず上に着き、くねくね結構長い板の道を歩くと西大門を左に見る広場に出ました。 
   神井と西大門

 20121004

 20121005
西大門は 文禄(1592年~)に改築されていますが、桃山文化の華麗な唐破風を持ち内部も極彩色で飾られているそうです。帰りはここから出ました。
この門を背にして右手の方に回ると、正面になります。

 20121006
階段のあるところ向こうから、一之御殿、二之御殿、三之御殿となります。

二之御殿のところ これが南中楼門です。右手の大楠は樹齢800年。

     20121007
この楼門をみていて、昨日観た見星寺の入口の門となんとなく似ている気がしてきました。去年の松山の伊佐爾波神社の楼門はもっとあのお寺のものに似ています。お寺の方があとですから、神社建築がルーツsだったのでしょうか?一般的に神社建築そのものに関してはお寺を真似た、
とあるのですが、、、。

ところで八幡造りです。ここは段を上がってお賽銭をあげて段をおりて二礼四拍手一礼することになっていますが、私は段の上にたって奥を眺めました。信仰心のかけらもない行為です。兎も角目的が八幡造りの確認ですから。

   20121009
何か奥にみえていますが、、、。あとで広場のほうにもどって通りがかった白い着物をきた神社の人にきいてみましたが、八幡造りをみることはできないそうです。 
家に帰って図をながめているうちに我々がみられるのはいわば外囲いであることがわかりました。
国宝である本殿は一般参観者にははいれないところなのです。家で撮ってきた画像をみていて発見したのがこれです。一之御殿の奥、手前の赤いのは春日神社です。

 20121008

屋根がつながっているのが見えています。一番完全なのは三之後殿だそうですが。
松山では外囲いの外側を歩けたのできれいなM型をしっかりみることができたのに、残念です。
  20121010
「あ、七五三だあ」という声がしました。神主さんに案内されて男の子を連れた男女が廊下をやってきました。あそこに入れれば見えたかもしれないのに。(あそこでキョロキョロしたりしてはいけないのでしょうね)
ホームぺージに出ていた本殿の写真、

    20121014

広場にはいつの間に来たのか小学生の大群。ガイドさんがいたので修学旅行でしょうか。彼らをやり過ごしして下りていきました。

   20121011
恨めしいおもいで振り返りました。何とか横からみたいのですがこの崖みたいなところをまわっていくわけにはいかないです。

    20121012
そうは言っても森の中を歩くのは気持ちがよかったです。

下宮に出ました。下宮は嵯峨天皇の時、810年に勅願によって創建されました。

 20121013
上宮、下宮両方行かないと片参りといってだめなのだそうです。

  20121015
矢張り中を覗き見ています。どうなっているかしりたいのです。平面図がほしいです。

表参道に戻ると、絵馬堂が休憩所になっています。その先に池らしきものが見えます。赤っぽくて水とは思えないのですが、これが菱形池のはずです。向こうが能楽堂。

  20121016
  20121017
行きには気が付かなかったのですが(宝物館の向いだったので)手を洗うところがひしゃくを使わないですむ工夫されていました。ご時世ですね。

     20121018
さてここで13:52です。バスは14:32発です。食事をする暇があるかどうか?カロリーメイト一本ですが、おなかはすいていないのです。バス停も確認しておく必要があります。

今度は参道を歩きましたが、高校生の大群です。修学旅行でしょうか。しっかりくっつきあって組ごとに記念写真を撮っていました。慎重によけて歩きました。
結局 食事をしないで停留所で待つことにしました。バスは30分に来ました。

宇佐駅を経由します。ここであらっと思ったのは下宮で参拝していらした女性が乗り込んできたことです。なぜ、神宮前で乗らなかったのかしら?分かりました。キャリーを持っていらしたのです。きっと駅で預けられたのでしょう。神社のhome pageには出ていませんが、手を浄めるところあたりに「総合案内所でキャリーバッグ預かります」の立て札がありました。その時によって違うかもしれませんからキャリー持っていらっしゃる方、ホームページに出ている電話番号にかけて確認なさるといいですよ。
空港行きのバスは大回りをして豊後高田経由です。ここを昔は鉄道が通っていたけれど今は通ってなくて駅のホームがバスセンターになっています。 

      20121019
そのうち見たことがある川のそばを走りました。道路工事もやっています。朝、富貴寺に行く時通った道です。車内放送で「次はふき」と言っています。カメラを構えました。

    20121020

朝はここを左に下っていく道を行ったのです。
    20121021
最初、公共機関を利用していく方法を考えたのですが、バスで行くとしたら豊後高田から乗って降りるのは、ここだったのだと分かりました。2キロ30分の歩き、とありました。私の足では30分ではすまないはずです。そうして行ってあの階段を上って、だめです。本数はもちろん少ないですし、それにこのバス停、女一人で待つにはどうか、と思われます。
ところでこの空港行きリムジン 成田~横浜がノンストップであるのにくらべてよく停まります。途中で女子高校生や買い物袋を持った女性が乗ってきました。(もちろん途中でおりました)路線バスの役割もはたしているようでした。

定刻より10分くらい遅れて空港に着きました。ここでは食事の時間はありそうでしたが、おなかはすいていないので、また少し買い物をして飛行機に乗りました。
羽田空港の京急の乗り場で聞くと、ここでスイカのホーム入場記録は消せるということで、無事使えるようにしてもらえてやれやれでした。

海が好きでホテルも海辺を選びました。でも今回、山に囲まれた町を歩きながら<山懐に抱かれる>という言葉を何度も思い浮かべました。山に囲まれているって心穏やかになれて、いいものだと改めて思った旅でした。

家では主人がすき焼きの用意をして待っていました。(13442歩)

大分も私が行っている間に感染者は200人台になり、もう今では400人台になっています。Cocoaをスマホにいれていきましたが、陽性者との接触はなし、ということです。もう帰ってから2週間たちました。あやしい症状はありません。当然ですがやれやれです。行先を選べば大丈夫とはおもいますが、当分旅行は自粛すべきなのでしょうね。

買ってきたものから

おせんべい、固いけれど美味しい、 
お醤油はまだ使っていませんが野上弥生子さんの生家のお醤油会社のもの。
ご飯ダレ とても美味しい!
 

  2012102420121022 20121023

 12月10日旅行記完

« 大分旅行3日目 -1 富貴寺へ | トップページ | 映画「ストーリー・オブ・マイライフ」「コリーニ事件」、紅葉など »

大分旅行」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 大分旅行3日目 -1 富貴寺へ | トップページ | 映画「ストーリー・オブ・マイライフ」「コリーニ事件」、紅葉など »