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2021年6月 6日 (日)

奈良・明日香(2006年)2日目ー2談山神社

朝食後 バスで出発 まず談山神社 に向かいます。
個人で酒船石を見にいったとしたら、決してこういうところには行かなかったと思います。談山神社も聖林寺も知らなかったのですから。
連れて行っていただいて本当に良かった!とはいえ、目的が石でしたから当時は神社仏閣に全く関心がなくて予習もしていなければ、お話もいい加減にしか聞いていなかったのです。情けない。

今日行くところ(黄色い星)

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談山(たんざん)神社

【公式】神社紹介|談山神社 (tanzan.or.jp)

大化の改新というのがありました。蘇我一族の権力集中を阻むため、中大兄皇子と中臣鎌足が相談して蘇我入鹿を殺害して政治改革を推し進めようと、改新の詔をだしたことは一応おぼえています。

蘇我入鹿を殺した(父親の蝦夷は自害)事件を乙巳の変(645年)というそうですが、この謀がなされた場所がここの本殿の裏山(多武峰)だったのでここを談(かたら)い山とよぶようになったそうです。

中臣鎌足の長男で僧の定恵(次男が不比等)が唐から帰国して、678年父の墓をここに移してその上に十三重の塔を築き妙楽寺と称しました。
701年には鎌足の木造を安置するする祠堂(本殿)が造られ(聖霊院と号した)926年惣社を創建,談山権現の号を下賜され、これにより、妙楽寺、精霊院、惣社との神仏習合の形がととのいました。明治になって神仏分離のさい、談山神社となったわけです。神社とはなっても十三重の塔などの建物はそのまま使用されています。
 主祭神 藤原鎌足

境内案内図 (グーグルストリートビューで拾いました)

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バスを降りてお土産物屋さんの並ぶ通りを行くと

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ここを右に曲がると
 鳥居がみえます。

   21060603
ひたすら石段を上がったようです。(130段あるようです。今なら無理かも)

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やれやれ、右が拝殿です。現存する懸造りのなかで唯一廻廊状の姿を残すものです。

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奥が 楼門 右が本殿

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左が本殿、右が拝殿、中央が透廊

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本殿 1850年の再建
日光の東照宮を造るさい、お手本にしたといわれているようです。

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十三重塔 
現存のものは1532年の再建。現存木造十三重塔としては世界唯一

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神廟拝所

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中臣鎌足は臨終の際、天智天皇から大織冠とともに藤原姓を賜ったので、生きていたころを表すときは 中臣鎌足というそうです。

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紅葉の名所ということでしたが、あと一息、というところでした。

1時間ほど見て回って聖林寺に向かいました。

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奈良・明日香の旅」カテゴリの記事

コメント

kikuko様
おはずかしいものをご披露してしまいました。
少し前にkikuko様が 聖林寺にいらしたとき、なんとなく見覚えが、と一度この写真をみなおしたおぼえがあるのですが、それっきり。
私のターゲットtは 目下日本古代史。もう海外は無理、と宗旨替えです。 
直接のきっかけは、この春の近江の旅ですが、それ以前kikuko様のブログで、磐井の乱に関連して岩戸山古墳にいらしたこと、鴨稲荷山古墳で継体天皇にふれられていたことなのです。 磐井の乱も継体天皇も知らなかったのですが、それが気になっていて古代史を勉強してみる気になりました。
昔の歴史の勉強って私は 年号を覚えるだけで意味は考えなかったのですが、 下手なミステリーよりずっと面白いです。
昨日のオンラインカルチャーは壬申の乱でしたが、 持統天皇ってすごい人なのですね。 権力欲? 我が子可愛さ? 天皇候補になりそうな皇子たちを 殺していって、日本人女性にもこういう人っていたのですね。驚きです。
 2006年の旅、今にして思えば なんともったいない、猫に小判の旅でした。朝日もJTB に入ってしまってこういういい旅はもう作らないのかもしれません。
ツアーは 目的地まで バスで行ってくれるので 体力が落ちている人間には助かります。 でも日本のお寺って石段を上がらなければいけないところが多いですね。ロマネスクツアーより hurdleが高いです。
 でもここは 手すりは あるようですから、 ゆっくりなら大丈夫かとも思います。 
東博、十一面観音より 古代の展示を観に行きたいと思っています。 が、ともかくワクチン接種後です。

2006年の旅日記を復元されるなんて、すごいです。私も消えたHPをなんとか再現しようと思いつつ、あまりにも膨大なので、手をつけかねています。
 この旅で行かれたところで、三か所ほど未訪の場所がありますが、談山神社もその一つです。2年前に大和を訪ねたときに聖林寺に初めてお参りしました。多武峰に向かうバスが走っていて、行ってみたいと思っていましたが、お写真を拝見して、無理だと悟りました。中臣氏はいまも続く大変なご一族ですね。鎌足から不比等、その子孫の北家から五摂家と非常にしたたかで、感心してしまいます。
 延期になっていた聖林寺の十一面観音の展示が始まって、予約しなければと思いながら、ぐずぐずしております。

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