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2021年6月10日 (木)

奈良・明日香(2日目―4)

昼食後、まず最初は
酒船石 を見に行きました。小高い丘の竹林の中でした。
一つの大きな石に図形がくり抜かれていることは知っていました。思ったより大きかったです。

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いわば足元の方です。
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色々な方向から写真をとりましたが、真上から全体を撮ることはできなかったのでGoogleマップから写真をお借りしました。

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説明版

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年代は書かれていませんが、次に行く亀形石槽と湧水施設は、大掛かりな土木工事をした斉明天皇の時代のものと考えられています。
用途も解明されてはいないのですが、説明版には、酒をしぼる槽、あるいは油や薬を造るための道具、または庭園の施設かイラン
とかかれています。
松本清張は『火の路』で薬酒を造る道具ではなかったか、と書いています。それもイランのハオマ酒だ、としています。飛鳥地方に胡人(イラン人)が住んでいて、彼らが飲むために作っていたという考えでした。
松本清張の『ペルセポリスから飛鳥へ』はそのほかにも飛鳥の建造物をイランと関連付けていて(強引な気もしますが)面白いです。

ここから坂を下って

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亀形石造物と小判型石造物

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亀は 長さ2.4m   幅2m   小判型は長さ.65m 幅1m 深さ20cm

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用途は不明です。

この旅では見ていないのですが、イランでみられる噴水のでる石造物は中国にも朝鮮にもなくて飛鳥にだけあるということからイラン人の作ったものと松本清張は推定しています。

この亀の形も面白い、やはりイラン由来かな? なんて思ってしまいます。

次は 飛鳥寺です。

飛鳥寺
588年に蘇我馬子が発願し、596年に創建されました。造営には百済の工人があたり、当時の朝鮮の仏教文化の影響が色濃く残っているそうです。本堂は 1826年再建。

6月28日今『渡来系移民』(岩波書店)を読んでいますが、この本によると、飛鳥寺を造った契機は百済の僧が工人をひきつれてきたことですが、伽藍配置には高句麗の影響が大きい、とあります。蘇我馬子や厩戸皇子は高句麗僧に師事したそうです。(追記)

ここで有名なのは飛鳥大仏です。(重要文化財)609年に鞍作鳥(止利仏師)によって造られた現存最古の仏像(金銅像)
北魏様式で、力強く端正な顔立ち、といわれます。
後世の補修が多いが、目や額、右手指3本に造立当時のものが残っているそうです。
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私はなかなかいいお顔だと思った記憶があります。

聖徳太子像(室町時代末期)

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発掘品の展示がありましたが、ガラスが光ってよくわかりませんね。

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お庭を眺めて

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外に出ると、お寺の近くの野原ともいえる場所に 鎌倉時代あるいは南北朝時代の造立とみられる五輪塔がありました。
蘇我入鹿の首塚 といわれています。

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このあと橘寺へ二面石を見に行きました。

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 右が善面、左が悪面 われわれの心の持ち方を表したもの、と説明版にあります。

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2年前アイルランドでも人物が背中合わせになっている石像を見たことを』思い出しました。
   旅路はるか~2019年アイルランドロマネスク (xrea.com)
3日目 ヤヌス像です。

松本清張は、この顔も倭人ではなく、新羅人、百済人、中国人とも違って、胡人の風貌に近い と書いています。そうしてもとは馬子の邸宅の池のほとり(石舞台のそば)にあったのだ、と考えています。
歴史家は文書に書かれていたり、考古学的証拠がないと断定はしませんが、作家は想像力でものを言いますから。
橘寺には入ったかどうか記憶がありません。写真もありません。私にとっての目的はここでは二面石でしたから。

弘福寺塔跡(川原寺)
斉明天皇の川原宮跡に子の天智天皇が建てたお寺で 飛鳥の三大寺にあげられる大寺だったということです。 
今は28の瑪瑙の礎石と塔跡がのこっているだけです。 

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最後に甘樫丘に行きました。

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それぞれ何山、というのを聞いたのかもしれませんが、私は たたなずく青垣山籠れるやまとしうるわし などという言葉を思い出しながらぼーっと眺めておりました。

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ホテルに帰って夕食。

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