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2021年10月

2021年10月30日 (土)

2021年秋 京都 1-4 東福寺続き(方丈庭園ほか)

いよいよ方丈庭園見学です。庫裡から入ります。

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方丈・庫裡とも1881年の火災で焼け落ち、1890年に再建。方丈には東西南北に四つの庭が配されていますが、四周に庭園を巡らせたのは東福寺のみです。作庭は重森三玲に依頼され、1939年に完成。

作庭にあたって唯一の条件として本坊内にあった材料は、すべて廃棄することなく、もう一度再利用するということだったそうです。これは禅の教えの「一切の無駄をしてはならない」からきています。

八相の庭、といいます。「蓬莱」「方丈」「瀛洲」「壷梁」「八海」「五山」「井田市松」「北斗七星」の八つを「八相成道」(はっそうじょうどう)(釈迦の生涯の八つの重要な出来事)というそうですが、これにちなんで命名されたものだと、解説にありました。

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方丈をぐるっとまわりながら拝見しました。

庫裡から行くとまず右手に東庭北斗の庭
雲文様地割北斗七星を構成。石はもと東司の柱石の余材を利用しています。想像していたより小さなお庭でした。

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廊下を隔てて反対側 南庭はひろさ210坪で規模が大きいです。

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枯山水で巨石によって東の大海の彼方に仙人が住む、蓬莱、方丈、瀛洲(えいじゅう)、壷梁の四仙島が表されています。渦巻く砂によって八海が表わされ、西方に「五山」になぞらえた築山がおかれています。

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 みる方向によって感じが変わります。
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中央には昭憲皇太后恩賜の唐門

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ポコポコ置かれた苔山もいい感じ。

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向こうへ回ると西庭
さつきの刈込と砂地とを葛石で方形に区切って市松模様を作っています。井の字に当分した古代中国の田制「井田」にちなみ「井田市松」(せいでんいちまつ)と呼ばれています。葛石も再利用です。

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向こうに通天橋が見えます。紅葉の時期には色彩の対比が素晴らしいそうです。

ここを回ると北庭 小市松、イサム・ノグチが「モンドリアン風」と評したお庭です。

すてきです。

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渦巻き苔と敷石で市松模様が造られています。この敷石も勅使門から方丈に向けて敷き詰められていた切石の再利用です。

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最初の方は正確な市松模様を西庭からひきついでいて、それが崩れていき、ポツポツと、消えていく様子を表しています。

秋が深まると背景の紅葉黄葉との対比が美しいそうです。

ここを回ると東庭、南庭に戻ることになります。その前のお庭。

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この方丈庭園を見られたことはとても嬉しくて今写真をみながら感動をあらたにしています。

ここを出て本堂(仏殿・法堂)をのぞきました。

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天井には堂本印象画伯よる龍の絵が描かれています。
結構大きい龍がにらんでいました。写真禁止です。買ってきたクリアファイルの写真

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本堂から通天橋、その向こうは経蔵

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それからその先にある 三門へと歩いていきました。

三門とは空門,無相門、無作門の三解脱門の略で、本来三戸を開くのが基本だそうです。東福寺は五間三戸の二重門。 
創建時の三門は火災により焼失して、現在のものは応永年間(1394~1428年)の再建によるものです。

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本堂・三門特別公開というのをやっていて1000円払うと三門の上にあがれるようでした。(本堂も外からのぞくだけでなくちゃんと中に入れる)いい加減くたびれていてあの階段をあがる気にはなれなくて申し込みませんでした。あとでお寺の冊子を買ってみてみると三門の上部の梁や天井には迦陵頻伽や天女などが描かれていて素晴らしいようで残念なことをしたと思っています。
特別公開と言うからにはそれ相応にいいものをみせてくださる、ということなのでともかく入るということを原則にすべきだと思いました。←教訓

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 三門の向こうに東司があります。お手洗いです。

 建物全体の写真は撮り忘れ。この格子の間から中を覗きました。

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奥にかかっていた絵 個室があるみたいです。お香もたかれています。

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このあと日下門をでて芬陀院に行ったのですが、写真が多くなってきましたので、次回にします。
  

2021年10月29日 (金)

2021年秋 京都 1-3 東福寺

バスを降りてそのまま少し行くと大本山東福寺の石碑、そこを入り、何度か左折、直進をくりかえすと臥雲橋の案内。

そこに至るまでに既にいくつか東福寺の塔頭を目にしました。

霊源院(写真が斜めでしたので角度を変えました)1350年頃の創建。

小さなお地蔵さんが並んでいます。帰って調べたら水子供養をするお寺だそうです。特別公開のときにお庭がみられるようです。

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退耕庵 ここも通常非公開

1346年創建 
地蔵堂の地蔵菩薩像は体内に小野小町に寄せられた艶書がおさめられているということから玉章地蔵ともいわれています。
また幕末・鳥羽伏見の戦いのさいに長州藩の陣がおかれていたことから、殉死者の菩提所ともなっています。

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いくつもの塔頭の横を通って、

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臥雲橋が見えてきました。

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橋の途中から通天橋が見えました。のちほどこの橋も渡ります。

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橋を渡ってもうしばらく歩きます。気持ちの良い道でしたが、緩い坂で私にはこたえました。 

14:02 日下門 バスをおりてゆっくり歩いて15分ほどかかったことになります。

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東福寺(14:02~雪舟寺に含めて15:40)
有名な作庭家、重森三鈴氏の造ったお庭があることで有名で、ここに来ることは何年来かの夢でした。

臨済宗大本山 東福寺 -日本最古の最大級の伽藍- (tofukuji.jp)

鎌倉時代の創建。 
ときの関白藤原(九條)道家が(東)大寺と興(福)寺から一字づつとって九條家の菩提寺として1236年から19年かけて都最大の伽藍を造営したのです。

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日下門の横にあった案内板

  

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奥が仏殿、右は禅堂、奥左手で入場券を買います。通天橋と方丈庭園のセット券(1000円)

先ず通天橋へ

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橋を渡るとどんどんのぼっていきます。結構息が切れました。

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のぼりつめりと奥が 開山堂 です。ところが横の普門院が修復中で お庭(枯山水)が半分見えません。


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残念でした。

おりてきて通天橋の途中、境内に出られるようになっているところでちょっと出てみました。主人は 洗玉澗 と呼ばれる渓谷におりていきました。

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三ノ橋川です。「紅葉するときれいだろうな」と主人は嘆息頻り。私は青もみじもさわやかでいいと思いましたけれど。

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上方にみえているのは通天橋です。

橋から戻って左手に行くと方丈です。↓庫裡から入ります。

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国指定名勝 東福寺本坊庭園 | 拝観および境内のご案内 | 東福寺 日本最古の最大級の伽藍 (tofukuji.jp)

写真が多くなってきましたので 今回は途中ですが、ここで閉じます。

 

2021年10月28日 (木)

京都2021年秋 1-2 智積院

道路を渡って智積院にはいります。

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奥に見えるのが下図⑳の冠木門です。

智積院 (12:00~13:00)

智積院は真言宗智山派の総本山で全国に3千の末寺を持つそうです。真言宗は弘法大師によってひらかれましたが、平安末期に廃れ、たのですが、後鳥羽上皇の信任を得た興教大師が紀州根来寺に置いて再興。1585年、秀吉によって焼き払われました。しかし、秀吉が1615年鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲寺を智積院住職に寄進「五百仏山根来寺智積院」として現在に至っています。

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このお寺は長谷川等伯の障壁画(国宝)で有名です。

私は日本画についての知識は皆無です。旅行前に葉室麟の『乾山晩愁』という短編集で「等伯慕影」を読んだだけです。能登七尾の出身で、越前朝倉藩の家臣が鷹を献上する一行に加わり、甲斐におもむき信玄の肖像画を描きます。その時碁石金を下賜されたのですが、それが他の武士の妬みの的となり、命からがらのがれて妻とともに京に出た、ということが書かれていました。
狩野派全盛期。永徳は四歳年下です。仕事の奪い合いになっていましたが、首尾よく智積院の仕事を受けることが出来ました。永徳の作品はそのほとんどが消失したのですが、等伯の絵は残っています。 

⑬で入場料を払って⓸の収蔵庫に入ります。チケットを買うとき「まだ人出はあまりないですね」「いいえ、土日は多くなりました。外人も。外人はマスクをしないので困ります」とのことでした。

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入口は何?という感じですが、中は(お寺の中?の)お部屋になっています。障壁画の前に低い柵があるのですが、それが少し鑑賞の妨げになりました。勿論カメラ禁止です。少し退色したかんじでしたが、迫力があって息をのむほどすばらしかったです。

等伯筆 楓図 (写真はホームぺージから)

息子久蔵が 26歳で亡くなった後描かれたそうです。

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等伯の息子久蔵筆 桜図 久蔵25歳の時の絵です。

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美しい絵です。久蔵は狩野派によって毒殺された、と言う説もあるそうですが、「等伯慕影」では、酒におぼれ病死と言うことになっています。他にも三人の男子がいたのですが、久蔵ほどの腕はなく長谷川派は衰退します。 
   
等伯筆「松に秋草図」

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私はこれもいいと思いました。

収蔵庫を出て③の講堂から⑤の大書院へ  利休好みの庭園を観に行きます。

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奥が講堂です。

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ぐるっと回ってあがります。大書院には等伯の絵の複製が描かれています。まぶしいほどの金色、描かれた当時はこのように金ぴかだったのでしょうか。ちょっと落ち着きません。

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楓図、桜図を背にお庭を眺めます。

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このモコモコした小さな繁みがどうかなあ、これが利休好み?私好みではありません。

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大書院のお隣は宸殿です。ぐるっとまわります。

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狭い場所にも石組みがありました。

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ここを出るともう1時です。広大の寺でまだ観るべき場所もありそうでしたが、おなかがすきました。㉒の宿坊智積院会館のレストランで昼食です。

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これは主人のとった天ぷらそば。私はてんぷらなしのただの ざるそば。ここのお蕎麦、しっかりしていておいしかったです。

終わって門を出たところのバス停へ。すぐバスはきて乗って数分で東福寺バス停につきました。
東福寺は次回にします。

2021年10月26日 (火)

京都2021年秋 1-1養源院

10月18日  5:35起床
東海道新幹線、新横浜8:29発に乗るために7:09発のバスで最寄り駅に向かい順調に東神奈川駅まできました。
駅で新横浜駅へのホームに降りるとき、階段で躊躇しているうちに主人は先に降りてしまいました。(主人は大抵こういう場面ではキャリーを持ってくれるのですが、、、、)私はキャリーをもってどうしよう、と思っていると駅員さんが「向こうにエレベーターがありますよ」「でも主人が、、、」「大丈夫ですよ、連絡します」というのでエレベータ―でおりて、スマホで電話。主人は駅員さんにいわれてエレベータ―にむかってきていたようでしたが、、。結局すぐ出会たのですが、スマホを出すとき切符を落としたらしいのです。新横浜で探しても見つかりません。切符を買ったときの領収書は一緒に切符入れに入っています。それをみせたのですが「とりあえずあらたに切符は買ってください、出てきたら、払い戻します」
列に並んで8300円也で新たに切符を買って(特急券はまだ出してなかったのでありました)入場。ウーン。(念のため帰りに聞きましたが、切符の届け物はなかったとのことでした)

そういうわけでかなり時間ぎりぎりでホームに到着。朝食抜きでしたから、キオスクでおにぎりとお茶を買ったところで丁度 列車が来ました。
おにぎりを食べて葉室麟の『乾山晩愁』という短編集から一篇読んだところで10:23京都駅。
今日のホテルは駅上のグランヴィア。新幹線の改札(こちらは八条口)を出て、短めのエスカレーターを上がると南北通路で伊勢丹の向かい側にあるホテル入口へ。ところが、ところがフロントは横の細い通路を延々と歩くのです。駅上、つまり線路の上を端から端まで歩く感じです。やっと到着。荷物を預けます。
バス、タクシー乗り場はすぐ近くのエスカレーターを下りると目の前でした。(こちらは烏丸口)

今日は養源院、智積院、東福寺に行くつもりです。バスはD乗り場ということは調べてあります。横に案内係の人がいたのでスイカが使えるかどうか確認、OKです。京都ではバス、地下鉄ともスイカ、パスもが使えて便利でした。

 

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11時にはバスに乗っていました。博物館三十三間堂前まで十分?です。 

養源院は三十三間堂のお向かいにあります。

養源院
1594年浅井長政の菩提を弔うために長政長女である淀殿の願いによって秀吉により建てられたが焼失。1621年、妹のお江(徳川秀忠正室)により再建。養源院という名前は長政の法号。 

以来、徳川家の菩提所で、歴代将軍の位牌をまつるお寺です。豊臣家、徳川家和合の寺とも称しています。
このお寺は伏見城から持ってきた天井と俵屋宗達の杉戸絵があることで有名です。

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写真左端の壁に白象の写真が見えています。

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右手に三十三間堂が見えています。

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門を入ると長い参道(と言ってもいいのでしょうね)青紅葉がきれいでした。 

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中に入ります。中では解説をしてくださいます。カメラ禁止です。本堂前の廊下が鴬張りでキュキュッとなります。

本堂前の廊下の天井は黒いところや赤茶色のところがあります。血天井、伏見城の戦い(1600年)で豊臣方に打ち取られる前に自刃した徳川方の兵士らの血で染まった廊下を天井にあげて残しているのです。(本堂は伏見城の遺構)
廊下の突き当りの杉戸には俵屋宗達による二頭の白象の絵(1621年)。象というものをみたことはあるのではないか、とのことですが、デフォルメされているようで迫力がありました。写真は買ってきた冊子から

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振り返ると二頭の麒麟の絵。(波と麒麟の図)躍動感があって、これもいいな、と思いました。

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 牡丹の間 この金泥に牡丹の絵は狩野山楽筆です。

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他に宗達の松の絵もありました。宗達の絵はダイナミックで好みです。

ここを出て、左に進むと南大門(三十三間堂の)。出て右手の壁は 太閤壁

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南大門は1600年 豊臣秀頼によって建てられました。もともと秀吉が奈良の東大寺に真似て建てた方広寺の南大門で、それに連なる(出て右手の)太閤塀は方広寺の南限を示しているそうです。 

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観光客は誰もいません。近所の住民のゴミ集積所になっていました!!

この通りは塩小路です。門を出て左に進むと東大路通りにぶつかり、少し左に行って信号を渡ると智積院です。

智積院は次回に 

2021年10月23日 (土)

京都 2021年秋 01

10月18日から4泊5日で京都に行ってきました。
春に滋賀・京都ツアーに出かけ、そうだ、人がまだ多くないこの時期こそ京都だ、とおもったのです。
密を避けることが第一です。それで紅葉の11月ではなく10月に決めました。
春、坂本では西教寺に行かなかったことが残念でしたし、日吉大社の造りもしっかりみたかったので一日坂本にも行くことにしました。主人が「坂本に行くのなら比叡山にも行こう」と言います。大阪に住む娘に話すと一日京都まで会いに行く、と言います。ワンちゃん連れなので坂本行の日に会うことにしました。
ホテルは行先に合わせて替えることにしました。 

行程表

18日 横浜→京都(駅上のホテル・グランヴィア宿泊)ホテルに荷物を預けて→養源院→智積院→東福寺(伏見大社)→ホテル

19日 ホテル→JRで坂本→ 西教寺→ 日吉大社(東本宮のみ)→(滋賀員門跡)→比叡山延暦寺→京都
 ホテル移動 西鉄ソラリア三条鴨川へ

20日 ホテル→修学院離宮(主人) 真如堂(私)→曼殊院で合流→圓光寺→ 詩仙堂→青蓮院→ホテル

21日 ホテル→太秦広隆寺→木島坐天照魂神社→大徳寺(黄梅院など)→ホテル

22日 徒歩観光の日 ホテル→白川筋→ 祇園新橋→八坂神社→石塀小路→高台寺→圓徳院→一念坂→二寧坂→産寧坂→清水寺→(河井寛次郎記念館)→ホテルで荷物をピックアップして 京都駅へ

時間があれば、と組み込んでおいた場所は時間はあったのですが、足がいうことをきいてくれなかったので全て取りやめました(線で消したところ)。やっと一日4000歩の人が連日15000歩は歩いたのですから、もう上出来です。

坂本でお昼に一雨来ましたが、丁度ランチタイムでしたので影響はなく、薄曇りがおおかったのですが、傘の必要がなくて助かりました。ただ気温の低さをあまくみていて寒さに震えました。

京都ではスイカ、パスもがつかえたのでバスや地下鉄に乗るのに助かりました。
困ったのは中心部を離れるとランチの場所がないことでした。同じ地域を一日で、と言うより午前、午後に分けて一度食事のしやすい場所に戻るというプランにすべきでした。あるはずのところがコロナ禍のためまだお店を閉じていたのです。
然しおかげで真如堂、広隆寺などほどんど人がいなくて、すがすがしい気持ちで散策できました。 

今日はとりあえず、日程表だけ、これからゆっくり写真をのせて行きます。 

2021年10月16日 (土)

散歩

10月に入ってやっと涼しくなりウォーキングを再開しました。4か月全く歩いていませんでしたから 数日間は膝もふにゃふにゃしていて歩くのもおぼつかない感じでした。すこしずつ筋肉もついてきたようで、近所周り3000歩から4000歩だったのを今日やっとこども植物園と少し児童遊園地で6000歩達成です。
途中少し雨が当たりました。そのせいか、土曜日なのに殆ど人はいません。マスクなしで歩けました。

季節は移って 柿園で

実り豊です。 

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バラ園では秋薔薇が満開 これだけ咲いていれば人でごったがえすところですが、マスクなしで歩けてよかったです。 

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バラ園の上は野草園です。

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サクラタデ 5ミリくらいの可憐なお花

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↓これには名札がありませんでした。

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このあとまだ歩けそうでしたので、児童遊園地にも行きましたが、雨あがりのせいか、やぶ蚊が多くて、写真を撮るどころではありませんでした。でも確実に体力はもどっているようで、少し安心しました。

2021年10月 9日 (土)

デスクチェア

デスクチェアを買い換えました。

別に壊れたわけではないのですが、ある日主人が座って「これは座りにくい、新しいのを一緒に買いに行こう」と言いだしたのです。別に必要は感じていなかったのですが、買っていいのなら、と心が動き始めました。 

使用中(もう粗大ごみに出しましたが)の椅子

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10年くらい使用、古びていますが、まだ使えます。ただ確かに座り心地はよくないのです。高さ調節ももうききません。

主人はわりに最近デスクチェアを買い換えて非常に気にいって私にもいいものを使わせたいのです。でも主人が薦めるのは私の好みではなくさらに小柄な私に合いそうもないのです。

主人のはよくある背中がネット状でヘッドレストもついていてレバーを操作して体重をかけると背が倒れるタイプです。けれど私の身長では頭がヘッドレストのところに届かないし、体重が軽すぎてもたれても背は倒れません。(なさけないことに新幹線等も私はなかなかリクライニングできないのです)

椅子といってすぐ頭に浮かぶのは、去年テレビの「ノースライト」というドラマで見たブルーノ・タウトの椅子です。

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あれが欲しい!去年も探したのですが、今回も検索、同じものは売っていません。
でも椅子を買っていいなら何か探そう、やはりリビングやダイニングセットを買った飛騨の家具が頭がに浮かびます。
条件は木だけで布等張っていないことと、腕が付いていることです。食卓椅子でしばらく代用したのですが、腕がないと居眠りしたとき危ないのです。

これなら妥協できる、と思ったのがこれです。(カタログ写真から)

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あとでよくよくみてみると、これってウインザータイプをモダンにしたものではないかと気が付きました。だから気にいったようです。
でも、考えました。まず座の高さ、私のデスクは高さがたかいのです。その上パソコンがデスクトップですから、少しイスは高めにしたほうがいいのです。これではクッションで調節、ということになります。さらに回転しないと腕があるだけ机の前から出にくいはずです。しかし、こういうタイプもありました。

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これなら高さ調節可能で回転するので立ち上がるときにも便利です。でも姿が美しくない。ブルーノ・タウトからはあまりにも遠い。
どちらにするか、悩みに悩みました。実物をみて座ってみたい、でもこの会社は注文生産で実物を置いてあるところはないのだそうです。やはり実用性を第一とすべきでしょう。
木の材質は選べます。ウオルナットに決めて注文してしまいました。

待つこと一か月、今日、届きました。

さっそく座ってみました。びっくり、座り心地がいいのです。我が家の食卓椅子と座面は同じですが、背の傾きが少し違います。同じ飛騨の家具でも,ダイニングセットは キツツキマーク 今度のはシラカワという会社です(どういうものか 旭川工房、北海道でつくっているのでしょうか?)

そうして背中は丁度真ん中の背骨があたるところが抜けていて背中全体の当たり具合が気持ちがいいのです。この椅子、アタリでした。

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それにみかけも、大体上から見るせいか脚は気になりません。腕もとてもおきやすいのです。   

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今😊です。座面には手持ちの薄いクッションをおいていますが、丁度生活クラブでムートンのクッションを扱っていたのでそれのブラウンを注文したところです。
ますますパソコンの前座り込み人間になりそうです。

 

『見知らぬ人』エリ-・グリフィス著

帯に「この犯人は見抜けない」と書かれたミステリ―を読みました。
少し前の新聞の「○○が薦める文庫この新刊」欄に出ていて気になっていた一冊です。ホラーっぽいサスペンス、最初はとまどいましたが、そのうちとりこになって一気読みでした。 

見知らぬ人』エリー・グリフィス著 創元推理文庫

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新聞にはこの表紙写真が出ていて、まず興味がそそられました。いかにも貴族の館が寄宿学校になったような。でも今は公立学校です。もしかして幽霊屋敷?
クレア・キャシディはタルガース校(総合中学)の英語教師。5年前に離婚し現在15歳の娘と暮らしています。
クレアはヴィクトリア朝作家ホランドについての本を書いています。このタルガース校の旧館はホランドハウスとよばれていて作家ホランドの屋敷でした。亡くなったホランドの奥さんの幽霊がでるとか!
クレアは創作クラスも教えていて、そこではホランドの怪談『見知らぬ人』をテキストに使ったりもしています。

タルガース校の英語教師でクレアともなかのいいエラが殺されました。死体のそばには「地獄はからだ、悪魔どもが総出で押し寄せてきた」と書かれた紙が落ちていました。これはシェイクスピアのテンペストに出てくる言葉で『見知らぬ人』にも出てきます。ゾワゾワします。

物語は『見知らぬ人』の短編を少しずつ挟みながら、この殺人を巡ってクレアや娘、学校関係者、警官等の動きをそれぞれ語り手を変えながら進んでいきます。事件とは直接関係はないそれぞれの個人的事情もまじえながら。クレアは日記をつけているのですが、あるとき数日ぶりに開いてみると他人の筆跡で「ハロー、クレアあなたはわたしを知らない」という書き込みを見つけます。だれが? ゾワゾワです。
そうでなくても間に挟まれるホランドの小説が怖い。といってもむごたらしい、というわけではないので大丈夫、読み進められました。  

クレアたちが住んでいるのは、サセックスです。チチェスター、スティング、ショアハムなどロマネスクの教会巡りをしようと、地図で辿ったところ、結局行けなかったのですけれど。そういうことで 場所的な関心もあって余計興味深く読みました。

この犯人は見抜けない!とあるので 余計犯人捜しをしたくなり、あのひと、このひと、疑いながら読みました。
最後の最後まで犯人は分かりませんでした。最後ゾクゾクしました。思いがけない人が犯人。
面白いですよ、この小説。

2021年10月 4日 (月)

映画「オフィシャル・シークレット」

イラク戦争をとめようとしたある女性の衝撃の実話、というキャッチフレーズのついた映画をアマゾンプライムで観ました。

去年8月に公開されたのですが、コロナ禍で観には行けなかったものです。 

オフィシャル・シークレット」  (officialsecret-movie.com)

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上記公式ホームページの内容紹介から
2003年1月。英国の諜報機関GCHQ(政府通信本部)で働くキャサリン・ガン(キーラ・ナイトレイ)はある日、米国の諜報機関NSA(国家安全保障局)から送られたメールを見て愕然とする。英米がイラク侵攻を強行するため、国連安全保障理事会のメンバーに対するスパイ活動を指示するものだった。その内容に憤りを感じたキャサリンは、元同僚の友人を訪ね、マスコミにリークしたいと相談する。
2週間後、メールの内容が英国「オブザーバー」紙の一面を飾った。マーティン・ブライト記者(マット・スミス)の勇気ある告発記事だった。
英国の諜報機関GCHQでは、リークした犯人探しが始まり、職員一人一人への執拗な取り調べが繰り返された。キャサリンは、自分の仕事仲間にまで尋問が及ぶ状況に耐えきれず、自ら「リークしたのは自分だ」と名乗り出る。
しかし、キャサリンの告発も虚しく、イラク侵攻は開始され、キャサリンは起訴される。
キャサリンを救おうと人権派弁護士ベン・エマーソン(レイフ・ファインズ)らが立ち上がった。政府内の取材をするなかで、キャサリンの無実を確信していくが、相手は政府、簡単に勝てる相手ではない。
2004年2月25日、裁判が始まった。果たして、キャサリンは有罪か、それとも無罪か。しかし、驚きの結末が待っていた。

イラクが大量破壊兵器を隠し持っているとして米英が起こした戦争、結局兵器は見つからず多大な人的被害とイラクという国の荒廃をもたらしたあの戦争。この戦争を起こすための情報操作をイギリスに依頼する通信を読んで、これはマスコミに知らせて戦争を防がなければ、と考えて行動した女性がいた、という事実、これを私は知りませんでした。

キャサリンが勤めるチェルトナムのGCHQ、2006年の旅行でこの建物の横を通りました。コッツゥオルズというイギリスでも最も美しい田舎に、ぶっそうなものがあるなあ、と思ったのですが、世界中の電波をここで拾っているのです。

2001年9月11日、同時多発テロ事件が発生して以降、米国政府はテロへの報復感情からフセイン大統領が大量破壊兵器を開発していると喧伝し、イラク戦争開戦に向けあらゆる手段を講じていた。米国と共同歩調を取る英国の諜報機関GCHQ(政府通信本部)に勤務するキャサリン・ガンはある日、米国の諜報機関NSA(国家安全保障局)から、驚くべきメールを受け取る。イラクを攻撃するための違法な工作活動を促すそのメールに彼女は強い憤りを感じ、メールをマスコミにリークする。しかし、彼女の危険な賭けも虚しく、イラク戦争は開戦し、キャサリンは公務秘密法違反で起訴された。

NSAからのメールをコピーして反戦活動家に送ります。
その時はおかしい!と思ってしたことですが、だんだん怖くなります。
コピーは新聞にのります。GCHQ内での犯人捜し。同僚が疑われるのに耐えられず名乗り出て捕まります。
然し戦争は始まってしまいます。
訪ねてきた同僚は「みんな本心はあなたと同じ、私は正しいことをしなかった」と言います。

人権派の辣腕弁護士を紹介されます。

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尾行が付いたり、夫のクルド系トルコ人が強制退去されそうになったりもして、つらい日々を過ごします。。

既に戦争は始まり、批判も多いので罪を認めれば情状酌量で半年くらいで出てこられる、と言われますが、それでは前科が付いてしまいます。無罪を主張して戦うことを希望します。
秘密厳守を誓っていますが、それは政府に対してではなく、国民に対してである、無謀な戦争をとめようとしたのだ、と主張します。

秘密保持契約を破っても無罪を主張できる手はないか、そこで考えたのは戦争の違法性を示すことです。

そうして迎えた裁判 緊張しきった表情のキャサリン。

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    (イギリスって今も裁判のときには鬘をかぶるのですね!)

この結果まで書いてしまっては ネタバレすぎますから書きません。

その弁護士を演ずるのはレイフ・ファインズ。
ここのところ続けてレイフ・ファインズを観ています。「時の面影」の発掘者、「愛を読むひと」の成人後のマイケルそうしてこの弁護士。異なったキャラクターを演じ分けていて さすが、です。

キャサリンを演じているのはキーラ・ナイトレイ。時に弱気にもになりながらも強い意思を持つ女性を演じていて素敵でした。

夫のヤシャルを演じたのはアダム・バクリ「オマールの壁」に出ていた俳優です。(「オマールの壁」はパレスティナで壁を越えて恋人に会いに行く青年の話です。)

ブッシュ大統領やブレア首相、パウエル長官など当時の映像も挟まれます。まずは戦争ありきだったイラク進攻、軍需産業側の要請も言われています。ブレア首相、、そうそう今朝の新聞にはタックスヘイブン疑惑も報じられていました。

結局 生物兵器も見つからず、多くの命が失われ、生きて国に戻った兵士たちのなかにはトラウマに悩まされる人も多かったと言われています。

見ごたえのある映画でした。お薦めです。

どうも、このページの調子がわるくて いつもなら余白を短くすることができるのですが、今日はだめで、余白が長いおかしなものになってしまいました。


























































































































 

 

 

 

 

2021年10月 1日 (金)

映画「愛を読む人」と『朗読者』

アメリカ・ドラマ「メア・オブ・イーストタウン」を見て、もう少しケイト・ウィンスレットの出る映画をみたいな、と思って、ユーネクストで検索すると「愛を読むひと」が出てきました。公開された時非常に話題になったのに、まだ観ていないことに気が付いて、早速みてみました。軽い気持ちでみはじめたのですが、簡単には離れられない映画でした。
そこで原作は読んだはずですが、忘れてしまっているので改めて読みました。
両方とも既に語り尽くされているので今さら、ですが、このブログは私の備忘録ですので、おもいついたことを
書きとめておきます。気がついたことを脈絡なく書き留めてしまったので読みにくいと思います。

愛を読むひと映画『愛を読むひと』| 公式ページ | CineRack(シネラック)

  2008年に造られた映画です。

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映画の原題も小説と同じ「朗読者」です。日本語のタイトルは「愛を読むひと」です。どうなんでしょうね。

ネットで見つけた チラシから

1958年ドイツ、15歳の少年マイケルは年上の女性ハンナと激しい恋に落ちる。ある日、ハンナは本の朗読を頼み、子供のようにその物語に聞き入った。以来、朗読は2人の間で繰り返され愛はより深まるが、突然彼女は姿を消してしまう・・・・・8年後法学生となったマイケルが傍聴した裁判で見たのは戦時中の罪に問われるハンナだった。彼女はある秘密を守るために不当な証言を受け入れてしまう。唯一、その秘密を知るマイケルは彼女を救えるはずだった。 しかし

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   (これが二人のもっとも輝かしい思い出かもしれない)

映画は原作にかなり沿ってはいますが、語りて(マイケル、本ではミヒャエル)の心の動きなど細かいところは本の方がよくわかります。違うところもあります。

映画に加えられていて、映像としては、いいなと思ったのはこの自転車旅行で途中、ハンナが消えたと思ったら教会にいた場面です。座ってコーラスを聴いていたのですが、そのときのハンナの表情。
後の伏線としてあえていれたのでしょうけれど、あの戦時中の事件を思い出し、亡くなった人のことを考えているのでしょうか、涙ぐみ複雑な思いをみせていました。自転車を競争のように走らせているときとは違って急に老け込んだような姿、視線が定まらず魂が抜けたような、、。ケイト・ウィンスレットはさすが、です。うまいなと思いました。
しかし、原作では教会に行ったという記述はなく、原作からするとこの時点でハンナは燃える教会の扉を開けなかったことが咎められることになろうとは思っていなかったはずです。
映画ではラスト、この教会の墓地に葬むられたハンナのお墓にマイケルが娘といき、15歳の時に出会ったハンナとことを話す場面でおわりますが、絵としてはとても印象的でした。

 

ハンナの失踪、その前からマイケルはハンナとの関係を他人に話したい、と思いながらも話すことが出来ず、そのことを負い目と言うかむしろハンナに対する裏切りと自分をせめていました。ハンナが突然消えた、自分を捨てたことにより混乱の時期を過ごしたのち、思いは心の底に押し込めたまま、明るく傲慢に振る舞い大学の法学部に進学します。

ちょうどナチの戦犯に対する裁判が行われている時期でした。傍聴に行った裁判でハンナを見つけたのです。強制収容所の看守!だったのです。この際の反応は映画と原作では違っています。映画ではショックに打ちのめされているのですが、このほうが分かりやすいからでしょう。本では感覚が麻痺したようになってしまっています。
裁判で、ハンナは正しくふるまおうとし、自分に不正が加えられたと思われる箇所では反論し、正しい主張や告発がなされていると思われる箇所では罪状を認めます。(態度としてはとても正直で真摯に公判に向きあっています)


この裁判の場面を映画で見ているとき2013年(この映画が作られたのより後です)に観た「ハンナ・アーレント」という映画を思い出しました。アイヒマン裁判です。アーレントはアイヒマンを
悪魔的な人物ではなく凡庸な小役人、と評しました。そうして裁判全体をベングリオンの政治ショーであると。たしかにそうだったのです。イスラエルに中東からの移民が増えてくると国民統合のために「ホロコースト神話」を形成する必要があり、その契機となったのがアイヒマン裁判でしたから。

ハンナを含む看守たちの裁判も(もちろん裁かれる必要があるのですが)ショーといえないまでも、茶番。
ハンナはスケープゴートです。丁寧に調べればわかったこともあるでしょうに(ハンナときめつけず、他の人たちの筆跡も調べることにすれば分かったはずです)。ハンナは文盲である事実を隠したくて、書きもしない書類を書いた、と嘘をつかざるを得なかったのです。
映画では教会で生き残った女性がイスラエルからドイツに来ていますが、原作では裁判官たちがイスラエルに出向き、法的な仕事と観光を結び付ける旅行をしてきた、と書かれています。!!!

傍聴しているうちに、マイケルはハンナが文盲であったことに気が付くのですがそのことを恥じてハンナは隠したかったのです。文盲の事実を知っているマイケルとしてはどうすべきか?

相談相手も映画では教授、原作では哲学者である父親です。具体的なことは伏せて、相談します。
父は「他人がよいと思うことを自分自身がよいと思うことより、上位に置くべき理由はまったく認めないね」
しかし、こうも言います。「ある人にとって何がいいことかわかっていて、その人がそのことに目を開こうとしないなら、目を開かせる努力をする必要はあるよ」

マイケルはハンナの犯罪を理解すると同時に裁きたいと思うのですが、うまくいきません。
結局ハンナに会いに行くことはためらわれ、裁判長に会いに行ったものの、
肝心な話はできずじまい。

結果ハンナだけが終身刑になります。

8年後、あるきっかけで『オデユッセイア』を読み、昔ハンナに読んであげたことを思い出し、朗読してテープに収めます。次々読んであげた本をそれからそうでない本までも。それらを刑務所にいるハンナに送り続けるのです。

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        (本が見つからないので古本を買いました)

そうして4年後、ハンナから手紙を受け取ることになります。
映画ではここが丁寧に描かれています。聞いた本と同じ本を図書室から借り出して照らし合わせて、まずtheという文字を知ります。
小さく「ザ」とつぶやく、まるで、ヘレン・ケラーの「ウォーター」のようです。
それまでの人生でなぜハンナは字を学ばなかったのか、私は不思議でした。
考えてみると日本語は五十音の文字を知っていればとりあえず読んで書くことはできます。五十音という表音文字はとても便利です。英語そのほかの言葉はアルファベットをいくつか組み合わせてつくられ、あるオンが一通りの表し方とは限りません。 
昔、あまりにもスペリングがダメな生徒たちにカフィー(coffee)が正しく綴れれば点をあげる、といったところ、それぞれkauphy,kofiとか全員バラバラで正しいものはなかった、という笑い話を聞いたことがあります。独習はむずかしいものだったのでしょう。

日本語は五十音を覚えれば大丈夫。漢字はむずかしいですが、はっきりとおぼえているわけではないのですが、戦前の本て漢字にフリガナがついていたような気がします。

字が読めることはハンナにとって嬉しい、誇らしいことだったのです。然しこれはパンドラの箱を開けるにも等しい結果をもたらします。本が読めるようになると、すぐハンナは強制収容所についてのと本を借り出します。

ハンナは恩赦が認められ、18年で出獄できることになったのですが、その出獄当日の朝、首を吊って死んでしまいます。 
マイケルがハンナの独房に行くと、ナチの犠牲者の本やハンナ・アーレントのアイヒマン裁判についてのレポートまでありました。
ハンナは刑務所できちんとしていて周囲にも権威あるものと認められ人望も厚かったのに、数年前から、清潔を保つこともせず、肥満して匂うようになったそうです。収容所関連の本を読んで自分の罪を悟ったからと思われます。
出獄一週間前マイケルはハンナに会いに行っています。
ハンナの期待と喜び、でもマイケルの表情がハンナの期待したものとは違っていたのでしょう。ハンナの顔から生気が消えます。ハンナは自分が赦されることのない罪を犯したことを自覚したのですが、罪もろともマイケルに受け入れてほしかったのでしょう。しかし、マイケルはカセットテープを送りながらも手紙は書こうとしませんでした。全人間的にハンナを受け入れようとはしなかったのです。
映画の邦題「愛を読むひと」のなんとむなしいこと!
映画ではハンナのおずおずとした期待と落胆がしっかり描かれていて、後の自殺が繋がりやすくなっていると思いました。
刑務所以外に居場所がないと確信したハンナは死ぬしかなかったのです。(アイヒマンが死刑になったように自分も死刑に値する、と思ったのかもしれません)

死後ハンナの残したお金を渡しに、ニューヨークに住む教会の火事で生き残った娘の家を訪ねます。
原作では特に大きな屋敷などとは書かれていないのですが、映画ではモダンな広い屋敷です。帰りに見ると家の前には長ーいロールスロイスと思われる車がとまっています。
ホロコーストを逃れて超リッチな生活を営むユダヤ人と、多分貧しいが故の文盲から、より重い刑を科せられたハンナとの対比が見せつけられます。
映画では整形したような表情を消したユダヤ人の顔が印象的でした。絶対に彼らを許さない、と言ったこわばった顔つき、でも空き缶を大事に握りしめる様子に人間としての情がないわけではない、ということも示しているようにも思えました。

 

しかしこの超リッチなユダヤ人をみていると、今のイスラエル国家の在り方に考えがいってしまいます。
ヨルダン川西岸の入植地、国際法違反です。(それなのに、トランプ前大統領は国際法違反とはみなさない、なんて言ってしまったのです)自分たちが家を追われてつらい思いをしたのに、なぜパレスティナ人に同じ思いをさせるのか、納得がいきません。

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『アンネの日記』を読んだのは中学時代「栄光への脱出」を観たのは高校時代、其の後ホロコーストを扱った映画は数多く作られました。ナチス進攻前は豊な幸せな生活を営んでいたのが一変してしまったけれど、苦労の末幸せを取り戻した、という内容が殆どです。
気の毒なユダヤ人!
ところが(深く読んだわけではないのですが)以前読んだときは『朗読者』は「えっ、ちょっと違うな」という印象でした。
被害者のユダヤ人ではなく加害者たるドイツ人に焦点が当てられています。それも加害者ハンナは加害者と言うには気の毒過ぎるのです。ホロコースト問題 どこにいったの?という印象だった気がします。

今回はもう少し丁寧に読みました。映画は愛の物語が主題のようですが、原作は戦後世代(なんとシュリンクは私と同じ 1944年生まれです)は親の世代が引き起こしたナチスの犯罪に対してどう向き合うか、ということがテーマのように思われます。身の毛のよだつような犯罪者ドイツ人、しかし自分たちは違う、と若者たちは親世代を糾弾しようとしています。ところがマイケルの父親はその批判を受けなければならないような人間ではありません。愛する親、しかしこの親世代はナチズムに加担しないまでも容認した、ということで責めを負うべきだとされているのです。ハンナ(実際に手をくだしたのですが)は その親世代をシンボライズしたものとして捕らえることもできるように思いました。ハンナを愛したことが罪なのか?と問うことは親世代を容認するのか否かということにつながる、というふうに読み変えることもできるように思えたのです。

少し調べてみますと、シュリンクのこの作品は欧米では批判的にとられているそうです。ハンナは選択肢のない状況で囚人にアウシュビッツ行きを命じなければいけなかった、など犯罪性を弱めるような記述があること、等々。むしろドイツ人も犠牲者だと思わせようとしている、と批判されているそうです。難しいです。組織の末端の人間があの状況においてそれは人倫の道に悖ることです、と言えるのかどうか。法律そのものについても、時代によって法律が変わるとどちらの方によって裁くのか?問題が複雑すぎて私の頭ではついていけそうにありません。

ただ、思ったのは、これはドイツという直接関係のない国の出来事だけれど、ひるがえって我が国はどうだったか、ということについても考えなければではないか、ということです。ちょっとしんどいです。  

 

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