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2021年12月 5日 (日)

福岡県へ 2日目ー2(秋月市内観光)

素敵なお宿、チェックアウトをするのが残念でした。

ノンビリしているうちに10:00近くなってしまいました。

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朝食前、私を探して主人は日限地蔵院へ行ったそうです。

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9:50 秋月散策開始です。

ところでで秋月という町は?

大蔵姓秋月氏の祖とされる種雄は1203年に鎌倉幕府より秋月庄を賜り、その地名にちなんで秋月姓としその後400年近く秋月の古処山城を本城として朝倉地方を領有していました。
(秋月博物館で頂いたチラシによると、後漢霊帝の子孫、とありました)
最も勢力を広げ、筑前制覇に近付いたのが第16代当主秋月種実、しかし全国統一をめざす織田信長の命をうけ、秀吉がやって来ます。岩石城の落城により降伏。名器である茶入れ「楢柴肩衝」を献上、秋月家の存続は許されたのですが日向高鍋に減移封されました。
その後小早川隆景の時代を経て(1587年には黒田長政、長政の叔父、直之は受洗している)黒田長政が1600年に入国すると、叔父の直之(官兵衛の弟)は秋月に1万2千石を与えられました。
1623年初代福岡藩主黒田長政の遺言により、長政三男黒田長興に秋月周辺の五万石が分与され、支藩秋月藩が誕生します。
江戸時代後期、7代藩主の死後、当時の日向高鍋藩主の次男幸三郎が跡を継ぎます。
幸三郎は黒田家の血も受け継いでいました。この人物が秋月藩中興の祖と言われる黒田長舒(1765~1807)です。

この藩主の時代に眼鏡橋が造られました。緒方春朔や儒学者・原古処がいた時代で、これらを扱っているのが葉室麟の『秋月記』です。

話が前後しますが、
1570年、秋月で種実に修道士ルイス・デ・アルメイダは会い、説教をすることを許されます。10日間の滞在で24名が受洗、其の後も洗礼を受ける人が続き、秋月氏の領内には1581年には700人のキリシタンが、翌年には860人に信者がふえていたそうです。教会も秋月には建てられましたが、場所がどこかは特定できていません。
秋月におけるキリスト教布教については帚木蓬生の『守教』に詳しく作品化されています。
このキリシタン関係の品々が秋月博物館にある、ということをkikuko様が書いていらしたので是非とも博物館で確認したい、と言うのがこの町に来た理由の一つです。

街全体が国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

城下町として栄え歴史的建造物の残る秋月は筑前の小京都とも呼ばれています。

めざすは博物館です。
途中にあるはずの
古心寺は黒田藩の菩提寺ですが、行き方が分からず通り過ぎ横の浄覚寺を眺めて進みます。

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この通りは全くひとけがありません。国道322(秋月街道)にぶつかります。秋月のメインストリートでバス道です。

左折し秋月街道をバス一停留所分進んで右折 杉の馬場に入ります。

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種痘と言うとジェンナーを思い浮かべますが、ジェンナーより6年早く藩医、緒方春朔が発明したのです。

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この橋を渡ると 杉の馬場

昔このあたりに大きな杉の木があったことにちなむ名。ここは藩主の御成り道であり、両側には土塀を巡らした武家屋敷が建ち並んでいたそうです。

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秋月の町は武家ゾーンと町人ゾーンがわかれていて、黒い線で示した右側がおおよそ武家ゾーンです。(旧田代家住宅のあたりはいい加減です。また武家ゾーンが右半分全てというわけでもありません。)このように分かれていた、ということを簡単に示しただけです。

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橋をわたってすぐ右手、上写真の白い建物は 秋月美術館
その向かいには秋月博物館
藩校であった稽古館跡に建てられています。

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秋月博物館 
丁度 秋月種実展をやっていました。しかし、甲冑や刀などの展示には目もくれず、キリシタン関連の展示物を探しました。 

ありました!切支丹灯篭、織部灯籠ともいわれるそうです。(↓ホームぺージから)

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竿上部の丸く膨らむ形状は十字架、中央部のローマ字様の意匠はラテン語pater(父)またはfilus(子)を、下部の人物像はイエス・キリストや修道士を意匠化したものではないかとする。出土したとされる場所は「興膳屋敷」と伝承が残り、戦国末期~江戸初期、キリシタン商人として名高い米次(コスメ)興膳の屋敷地である。
と説明版にありました。曼殊院でもキリシタン灯籠をみましたが、こちらの方がキリシタンらしく見えます。曼殊院も傘がまるみをおびているのは同じです。
コスメ興膳は『守教』でおなじみで、おお、と思いました。。

実はこの灯籠ともう一枚写真は撮りました。そばに写真禁止のサインはありませんでしたから。でも撮ってから心配になって主人に受付にききにいってもらいました。やはりだめでしたが、、、。絵葉書もないようです。図録もないのですが、かわりに秋月についての説明がある本をすすめられて購入。それに写真はでているのですが、不許複製と書かれています。それで悪いのは承知の上一枚だけ載せてしまいます。いわいの郷でも翌日行く九州国立博物館でも写真OKだったのに、解せないからです。

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他はザザーッとみて、外に出ました。 

お隣の奥まったところは秋月藩上級藩士、戸波半九郎屋敷跡です。塀があるので塀越しに見るだけです。私はこの程度の坂でもつらいのでサボりました。この町はあらゆるところ、きれいな水が流れています。

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主人が撮った写真です。

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さらに杉の馬場を進みます。

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瓦坂です。土砂の流失をふせぐためらしいです。

さらに進むと 
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長屋門 
江戸時代に建造され、建てられた当初の位置に残る唯一の史跡。正しくは内馬場裏御門。かつては側室や家族の住むひと構えの屋敷(奥御殿)があり、この門はその通用門でした。

このあたりになるとぐっと人が多くなってきました。少し進むと

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階段を上がると黒門があります。


黒門 秋月城の大手門として、城の前面掘割にある瓦坂の奥、右側にたっていたものです。明治13年、秋月黒田藩藩祖である黒田長興公を祀る垂裕神社の参道に移築されています。

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門をくぐって振り返る。ここが一番の紅葉の名所です。

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もう少し階段を上がりました。

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しかし、さらに階段は続きます。上がっている方の中に四つん這いになって上がっていらっしゃる方が見えたので私はやめてここで待ちました。

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垂裕神社です。

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長興没後200年を記念して長興を祭神とする神社創設を目指し、1859年、京都の吉田家より神号「垂裕明神」を賜り、1864年秋月城内の梅園御殿に勧請、明治8年、現在の神社が落成しました。

おりてきたところでそのまま横に回ると

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あの急な階段ではなくこちらをまわっておりてくることもできたようです。

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さて、次は武家屋敷を見に行きます。写真が多くなってきたので今回はここまでにします。

 

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コメント

aiai様
装飾古墳を見る旅、さぞかし素晴らしかったことでしょう。期間限定でなければ中には入れないようですね。 岩戸山古墳のある八女古墳群にも装飾古墳はあるそうですが中には入れないようです。
秋月は 杉の馬場は人が多くて、ざわついていましたが、そこを外れるととても静かで落ち着いたいい町でした。旅館もよかったですし、お天気に恵まれ、紅葉もう美しく思い出に残る町です。
今村教会はなんとか間に合いました。 行きにくい場所ですから、ツアーの空き時間に、と言うのは少しむりかもしれません。
マイレージ消化の意味もあって、個人旅行をしました。自由に行きたい場所に行ける利点はあるのですが、地方は公共交通機関が利用しにくく、又 適当な昼食の場所が見つけにくいなど、ツアーにはない苦労がありました。

私は、ある旅行者の「九州装飾古墳を巡る旅」というツアーに参加して、福岡、熊本に残る6世紀の装飾古墳群を何か所か観る旅に出かけました。4泊5日で、その最後の日に秋月散策という日が設けられていました。私も「守教」と「秋月記」を読んでおりましたので、古墳と秋月が両方見られると喜んで参加したのです。秋月の町並みは、江戸の気配も残っており、YKさまのブログにある通りで、しみじみと歩きました。残念なことに自由時間が短くて今村天主堂に行くことは叶いませんでした。それが唯一の心残りです。でも一人で行く勇気は無いので、団体旅行の制約の中で、秋月だけでも歩けたので満足致しました。YKさまのブログで詳しく説明して頂き再確認できました。ありがとうございます。

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