2日目 つづきです。西海岸を行きます。ルート↓

岬のマリア像を遠望して美しい海岸線を走ったあと

トンネルに入りしばらく行くと

天草ロザリオ館駐車場、丘の上に大江教会が見えます。
来る前にこの真っ白な教会を写真で見たときは何だか安っぽい感じがしたのですが、実際に現地で見上げると周囲に溶け込んでなかなかいい感じでした。
予定ではこのロザリオ館に入ることになっていたのですが、もう時間がないとのことで「カットさせてください」と言われました。そうして車で教会のすぐ真下まで上がって行きました。(大型バスは下に停めなければいけないようです)

このすぐ下に車を停めて歩いていきました。

上がりながら横を見ると遠くに入り江が見えました。

教会横の墓地。長方形の墓碑の上に十字架、まわりに灯籠が立てられ、仏教風とキリスト教風が混ざっているような感じがしました。
↓拡大してみると、左の灯籠の上は 百合?型のようにも見えますが、ほかの灯籠は擬宝珠のようなものが付いています。御線香をあげる台のようなものまであります。


大江教会
1873年、キリスト教禁止令の高札が撤廃。
長崎神の島の漁師、西政吉が大江村にやってきて、話をしてそれを聞いた道田嘉吉が入信、その後数人が長崎に渡り洗礼を受け、彼らを中心に信仰共同体ができ、旧切支丹を探すことから始めて、教会はしだいに成長していったのです。
1877年には初代司祭としてマルマン神父が着任し、1879年に簡素な教会が建てられました。
1892年 ルドビコ・ガルニエ神父が着任。
ガルニエ神父は約49年間大江教会の主任司祭を務めました(最初の35年間は崎津教会の司祭も兼任)。
神父はここに新しい教会を建てるため、質素な食事ををし、里帰り(フランスへの)のために支給されるお金も帰国せずにためて今ある教会を建てました。
設計・施工は崎津教会と同じ鉄川与助です。教会は1932年起工、翌年完成しました。
コンクリート造り、天井は折り上げ天上です。(船底天井ともいう)
柔らかいオレンジ色の天井、明るく気持ちが晴れやかになる色合いです。
デジャビュ、五島列島の「中ノ浦教会」に雰囲気がとてもよく似ています。こちらの方は誰が作ったのかわかっていないそうです。もう一つ鉄川与助作の作で五島列島にある折り上げ天井を持つ教会は「半泊教会」。とても質素な教会でしたが祈りの場にふさわしい清らかな感じのする教会でした。(2017年、五島列島旅行のおりに訪ねました)
教会に入ると、パーッと明るくはれやかな空間が広がります。あとから入っていらした女性の二人連れは「わあ、きれい」と歓声をあげていらっしゃいました。思わずそう声を上げたくなるような美しさです。

何だか少女趣味な感じに見えますが、横幅のある教会でゆったり落ち着いた美しさでした。
ガルニエ神父様は教会堂に美しく清らかな天上の世界を再現なさりたかったのでしょうか。
『街道をゆく』で、崎津教会について書かれているところに「教会のなかに入ると、大江教会もそうであったが、畳が敷かれている」とあるので、もとは畳敷きだったということになります。
ここも後ろから拝見するだけで前方には進めません。
いらしたシスターが「ご説明しましょうか」お二人の女性はお話をおききになっていらっしゃいましたが、私たちは船の時間もあるのでお話は伺わないで、おかれていた絵葉書を買って献金をして出ました。
運転手さんに「横にまわってルルドの聖母の所からおりてきてください。そこで待っていますから」といわれていました。
そこで「ルルドの聖母」の矢印を探して石段を下りました。帰ってから知ったのですが「吉井勇」の歌碑があったのだそうで、見なかったことがちょっと残念に思っています。
吉井勇、北原白秋、木下杢太郎、平野万里らは与謝野鉄幹に連れられて五人で1907年、北九州を旅行したのですが、その一つの目的はここでガルニエ神父に会うことだったそうです。この旅のことを五人が書いた紀行文が「五足の靴」。また白秋は『邪宗門』を書きました。(『邪宗門』は青空文庫で読めますが、ちょっと苦手で読むのをやめました)
教会横には ガルニエ神父像

ガルニエ神父様はフランスのル・ピュイのお生まれ、とあります。ル・ピュイは93年の初ロマネスクの旅で訪れた町です。大聖堂の他にサン・ミシェル・デ・ギーユと言う岩山の上にも教会がありました。あの頃はあの石段を苦もなく上れたことを懐かしく思い出しました。
大聖堂には黒マリア。又「熱病の石」という病気治癒の黒い石もあります。
生まれ故郷のあの奇岩の町、ル・ピュイに一度も帰ることなく、異国で伝道と奉仕の生活をなさったことに改めて感銘を覚えました。
階段を下りると

上の方を拡大すると

享年82歳。生前、お墓には石一つ置くだけでよい、それよりお金は信者のために使うよう、と言われたそうですが、信者たちとしては建てずにすませるわけにはいかなかったのでしょう。
その横に下りていくと「ルルドの聖母」
1858年、ルルドの14歳の少女ベルナデットが薪を拾いに行ったとき聖母マリアが現れてお告げに従って(マッサビルの洞窟の)地面を掘ると水がわき、その水によって病気が治る奇跡が起きました。そのため、現在もルルドの町には病人が引きも切らずやってきています。
私は2014年に行きました。車いすの行列、きっと病院巡りのはてにここまでやってきたのでしょう。でも本当に治るのかどうか、見ていてつらくなる光景でした。車いすでぐったりした人や担架にのせられた人の群れを思い出すせいかルルドの洞窟はあまり好きではありません。
お寺が素晴らしいお庭を造るように、キリスト教会の庭造りのモチーフがルルドの洞窟ととらえればいいのでしょうか。
やはりルルドの奇跡にあやかろうというのでしょうか、マリアの立つ洞窟があちこちに作られるようになりました。日本では五島列島の 井持浦教会が有名です。崎津教会のように簡単なものは他でもみたことがあります。
この大江教会の洞窟は石組みが立派でした。

滝石組み、といいたくなります。とても大きな石が使われています。

11:05 教会を後にしました。
教会を遠望 (車の中からなので ぼんやりしています。

サンセットラインという海岸沿いの道を走りました。この海は天草灘です。
波が少し出ているような、、、。「さきほど鬼池に電話をしてみましたが、フェリーは出ているそうですよ」と運転手さん。

11:39 富岡城の真下にきました。タクシー観光のコースには入っていなかったのですが、最終地を鬼池に変更したついでにとおり道だからと、富岡城が見えるところにもよってほしいと頼んでいたのです(追加で3000円増しでした)
富岡城はは砂嘴でつながった陸繋島にあります。
ここはその砂嘴を渡って城の真下、袋池の前です。

本渡での戦いの後、天草四郎達はこの富岡城を攻めました。
関ヶ原の戦いで東軍に付き、功績のあった唐津城主寺沢宏高は天草郡を与えられ、ここに城を築いて城代を置いていたのです。1637年11月19日と22日に一揆勢は猛攻撃をかけたのですが、城は落ちず、江戸から討伐軍が来るとの報を知り島原に渡ることにしてここをひきました。
元の城はなく、現在見えている建物はビジターセンターだそうです。
戻って鬼池港に向かいます。しばらく走ると「天草四郎乗船之地」という石碑が見えました。

富岡城を攻めおおせることが出来ず、ここから島原半島に渡ったのです。
ところで船は12:30出発 13:00についてすぐ向こうでタクシーに乗ります。昼食は船ですませる以外にないので、途中のコンビニでとめてもらって急いでお茶とおにぎりを買い込みました。(普段食べるチャンスがないせいかコンビニのおにぎりって買いたくなるのです)
この時かなり風が強く車のドアをあけるのに苦労しました。
12:00少し過ぎに鬼池フェリーターミナルに着きました。先に私が下りると、おりたとたん目についたのが 欠航中 の看板。
ガーン。「大変、欠航よ!」私が叫ぶと、主人はすぐタクシーの運転手さんに待つように言いました。
運転手さんもおりてきて一緒にフェリーの待合室に入ります。係の人がでてきて「11:30が最後で今日はもう船は出ないのですよ」と気の毒そうにおっしゃいます。運転手さんが電話をかけてくださったすぐ後に欠航が決まったようなのです。
離れ島の悪夢再び、です。以前五島列島では台風にあって、予定の教会に行けず一泊余分に泊まることになったことがあるのです。雨の心配ばかりしていて風のことは気にかけていなかったので、しばし茫然自失。
島旅はこういうリスクがつきものだと改めて思いました。
「もう富岡から長崎行も、熊本から島原行も欠航が決定しています」「熊本から少し離れたところから出る島原行で4時過ぎに出る分はまだ欠航のしらせがきていませんが」といろいろなフェリーの時刻表が出ている冊子を持ってきてくださいました。「電話番号も出ていますからきいてみるといいかもしれません」
昨日天草へ来たあのバスは動いているそうです。橋は二本あるので大丈夫だそうです。しかたがないのでタクシーで本渡バスセンター(町の中心)まで行ってもらうことにしました。
車の中から予約しているタクシーの会社とホテルにキャンセルのお電話をしました。欠航のせいか、ハイ分かりました、でおわりでした。
このまま天草に泊ったとしても、一応見るべきところは見たし、寒い中歩き回る気にもなれないし、明日朝フェリーが出る保証もないわけです。
まずは島を出ることとしました。
バスセンターに着いたのは12:40頃。気の毒がってくださっている運転手さんとわかれて、待合室へ。
次の熊本行は14:00発です。
とりあえずおにぎりを食べました。こんなことなら買わなくてもお店はそばにあったのに、と言いながら。
個人旅行ではいつもお昼がプアです。
主人は「今日の内に長崎に行こう、その方が明日すぐ見物できていい」と言います。まあ、それが妥当でしょう。同意しました。非常に残念ですが、原城址に行くことは断念せざるをえません。
何時に長崎に着けるのか調べることとホテルの予約がまずすべきことです。
スマホの出番です。
ホテルは三本目の電話でとれました。長崎駅西口1分のヒルトンです。
バスは熊本駅到着が16:24ですから17:02の新幹線に乗れます。それで新鳥栖と言う所へ行き鳥栖駅で長崎本線の特急に乗り換えれば19:30頃長崎に着けることが分かりました。5時間半の移動です。
定刻にバスが来ました。今回は化粧室付きの新車です。

相変わらずのどんよりした空を茫然と眺めながら過ごしました。

バスが新しくて気持ちのよいのが救いでした。座席の間隔も広いようで、窓ガラスも大きいです。
16時24分 定刻通り、熊本駅前に着きました。Googleマップでは工事中の様子がうつっていてよくわからなかったのですが、綺麗に整備されていて、駅はすぐ向こうに見えました。
券売機では乗り継ぎ切符の買い方がわかりません。すぐ奥に緑の窓口を見つけました。長崎に行きたいことを告げると、年よりとみてか「座席指定にしましょうね」「混んでいますか?」「それほどではありませんが、並んでは座れないかもしれませんよ」まあまあ、出費のかさむこと。
まだ少し時間があるので、向かい側のショッピングセンターのようなところでお弁当を物色。ピンとくるものがなかったので、長崎に着いてでいいかと買わずにホームへ。
新幹線はすいていましたが、自由席は満席なのか、連結部分に立っている方がいました。
座席は2-2でゆったりしています。熊本~新鳥栖は新幹線さくらで25分です。
新幹線、新鳥栖駅から在来線、鳥栖駅への移動が心配でしたが、窓口の人に新幹線の出口をでるとそこが在来線の入口です、と言われていましたが、まさにその通りで駅構内を長々移動とか、ましてや一度外に出る必要もありませんでした。
ただ長崎方面への乗り場ホームは跨線橋を渡ることにはなりましたが。
新幹線駅に着いてから在来線発車までは15分、ホームで10分以上待っている間が寒かったです。
特急かもめは乗った車両の後方が自由席、前方が指定席でした。後方はほぼ満席、前方はガラガラでした。これには1時間43分乗ります(時間がかかりすぎ!)。
新幹線と違って車内は暗く、座席間隔も狭いです。外はもう真っ暗で、旅の寂しさがひしひし(オーバーですが)。
長崎にはまだ新幹線は通ってないようです。
そうそう、もう遠い昔のようですが、崎津で「杉ようかん」を買ったことを思い出しました。甘いものは慰めになります。 おなかもすいてきましたし。早速バッグの中をゴソゴソ。ようかん、といっても実際はおもちでした。中に漉し餡がはいっていました。あとはひたすら時計とにらめっこ。
19:25長崎駅到着です。
西口を出ると道路を隔てて斜め前が長崎ヒルトン。
ホテル一階はベルボーイのデスクがあるだけです。すぐ係の人が近づいてきて、キャリーをもって、エレベーターに案内され一緒に二階のフロントに行きました。宿泊手続きをして一緒に9階のお部屋に。
このホテルは先月開業したばかりだそうです。お部屋のドアはシールで封印されていました。
ロビーもモダンでステキでしたが、お部屋もステキです。(後から気がついたのですが、奥に本来ならあるはずの椅子テーブルセットがありませんでした)


不思議なつくりでお部屋の中に洗面台?バスルームの扉はガラスで中が見えます。後で疑問解決。この洗面台と寝室部分を仕切るように板戸をひきだせて廊下とバスルームも引き戸で仕切ることが出来るようになっていました。
何ともお洒落。二人とも、やはり高級ホテルはいいわね、と大満足。
ところで、ぎりぎり滑り込みだったせいか、ホテル内レストランはどこも満席だそうで、外に出る以外にありません。おまけにこの辺りは夜8時には閉めるお店が多いそうです。そうしてこの西口と言うのは何もないところでお店は東口です。駅上にもレストランはあるそうですが、東口に回らなければなりません。
工事中でう回路を行くようになっていました。階段をあがるようなことはないものの、寒い中、かなり歩きました。アミュプラザと言うのが駅上商店街のようです。
エレベータ―でレストランのある5階に行きました。もう20時です。
折角の長崎、おいしいものをいただきたい。本来ならば島原でまた海鮮三昧だったはずですから。
でもここは?家族が買い物帰りに寄っていく、という雰囲気のお店ばかりです。
見ているうちに、どんどんラストオーダーの声が聞こえてきます。大体:15がラストオーダーの所が多く、もう入れてはいただけません。
主人は 刺身、と言います。一つのお店は宴会なのか、賑やかな声がきこえてきます。これはだめです。
お寿司屋さん? 回転ずしですが、仕方がありません
20:20 すし活、に入りました。
さほど込み合ってはいません。
回転はしていますが、殆どまわっていなくてオーダーをするとそれを運んでくる方式です。
主人はまずビールと刺身盛り合わせ、其の後日本酒。
私はおもいつくままに、大トロ、雲丹、いくら、穴子、
20:30 ラストオーダーです、といわれてヒラメを注文しました。主人は握り3種盛りを。

大トロ、おいしかったです。うっかりシャリを半分に、と頼むのを忘れたので、ほかはどれも一つずつしかいただけませんでした。穴子は固かったです。
21:00近くにお店を出ました。アミュプラザのほかのフロアはもう閉店で、エレベーターでおりたところが入った所と違っていました。大きく迂回して又変な通路を歩いてホテルに戻りました。
こうして大変な一日は終わりました。(10104歩)
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