北関東(埼玉・群馬)の旅 1日目ー3 (綿貫観音山古墳と群馬県立歴史博物館)
行田13:31→14:12倉賀野
駅のキオスクはシャッターが下りています。結局お昼抜きでした。カロリーメイトくらい持ってくるべきでした。
進行方向左側に下ります。嬉しいことにタクシーは3台ほどとまっていました。バスは14:46発がありますが、古墳も見たいし、時間も節約したいのでタクシーに乗りました。(古墳は博物館からはなれていて徒歩20分はかかります)
綿貫観音山古墳 (14:29)
前方後円墳、長さ97m、後円部の高さ9.4 m。後円部に横穴式石室の入口が見えています。6世紀後半に造られたもの。
横穴式はこのあたりでは6世紀になって造られるようになったもので、元は高句麗、それが伽耶や百済をとおして日本に伝わってきたもので、竪穴式だと一人しか葬れないが、横穴式だと後からもいれることができるそうです。
未盗掘でした。発掘品はこれから行く博物館におさめられていて一括して国宝に指定されています。
個人の場合は現地で申し込めば石室内も見ることができるようです。
【ぐんま電子申請受付システム】手続き申込:手続き説明 (s-kantan.jp)
私は車から降りて外側から写真をとっただけで、先を急ぎました。
群馬県立歴史博物館。県立公園群馬の森内にあります。公園入口でタクシーをおりました。(1950円)14:30
門の横にあった自動販売機でミルクティーを買ってホッと一息。公園内を6分くらい歩いて近代美術館(6月まで休館)の先の博物館へ。あの人達も中には入らず結局広い館内一人だけでした!
群馬歴史博物館(14:47~16:30)
博物館概要 | 群馬県立歴史博物館 (pref.gunma.jp)
月曜定休(9:30~17:00)入場料 300円
ここは無料のロッカーがありました。
綿貫観音山古墳から発掘された品々を展示してある国宝展示室と群馬県の原始時代から現代までの色々をが展示されています。
まず入ったのが国宝展示室です。綿貫観音山古墳からの」出土品が展示されています。
この出土品についてはカルチャーのオンライン講座で10日ほど前に習ったところです。その実物が見られるのですから非常に興奮しました。カメラOKです。
先ず目に入るのが形象埴輪の大集合。壁際の展示台には他の副葬品のかずかず。
埴輪の展示に工夫をこらしているようでした。小学生などに、古墳時代に興味をもってもらうという目的もあるのではないか、と推察しています。
後ろ側 背中についているまるいものは鏡だそうです。
振り分けが見の男性は鈴付き大帯から(帯だけではなく裾にも鈴がついている)また武装する男子は冑の形から、被葬者である豪族をあらわしていると考えられます。配置場所から葬礼への参列をあらわしているともとれるそうです。
関心があるのは副葬品です。
銅水瓶 高さ31.3 cm 蓋に落下止めのピンセット状のものが付いています。(発見時は蓋をした状態)日本にはないものでこれとよく似たものは北斉の庫狄廻洛(562年没)の墓から出ています。
美しい形だと思いました。
突起付き冑 国内では4例しかみつかっていません。高句麗の影響を受けて成立した冠帽付冑が大伽耶地域を中心に流行したとみられ、それの退化したものと考えられ舶載品とみられています。別に頰当もありました。
(左)獣帯鏡23.4cm (右)神獣鏡 12.3cm(二神六獣鏡)
獣帯鏡は韓国 武寧王陵(百済)の鏡と同型鏡(すでにあるものを粘土で写し取って造られた踏み返し鏡)、遺体の頭部におかれていました。 小さい方は遺体の足元。
なお朝鮮半島南部では銅鏡使用が根づいていなくて日本列島からの搬入品であることが指摘されているそうです。
上に見えている金色のちいさいものは半球型飾り金具、衣に縫いつけられるスパンコールのような飾り
大刀
銅三塁環頭大刀(柄の先に丸い環がつく太刀を環頭大刀と言う)国内には40例ある。三塁環頭大刀は新羅の王権を象徴するものです。
これは技術の高さから舶載品と考えられています。(ただし、金跳咏氏は 三塁と言うモチーフの起源は新羅だが造られたのは日本とみています)
(上三枚の写真) 上)銀錯龍文捩り環頭大刀 倭の伝統的な大刀
銀象嵌龍文の施された大刀は全国で5例あるのみ
下)金銀装頭椎(かぶつち)大刀
柄頭が握りこぶしのような形の大刀、倭系の刀造りに朝鮮半島の意匠、金属加工技術を受容することによって生まれた装飾大刀で最上位層の者だけがもつことを許されたものです。
金銅鈴付大帯
金銅大帯は 全国に3例。このうち鈴が付くものはこの綿貫観音山のものだけです。朝鮮半島では全くみられないものだそうです。
馬具類
鉄地金銅張鞍金具 倭で製作された可能性が高い
金銅心葉形杏葉 心葉形とはハート型のこと
忍冬唐草文の透かし彫りで 高句麗、新羅起源
金銅環状鏡板付轡 通常は鉄製なので金銅性は希少。
金銅花弁型雲珠 花弁型装飾と鈴を持つ雲珠・辻金具
国内で製作された可能性が高い
金銅歩揺付雲珠・辻金具(馬の尻繋などへとりつけたらしい)高句麗・新羅地域で多く作られ、6世紀前半の伽耶地域でもでています。
奥)木芯鉄板張壺鐙 手前)鉄壺鐙 舶載品と考えられています
もう疲れてきましたのでちょっとずるをして買ってきた図録からまとめて
↓須恵器など 左は轡です。
少しだけふれましたが、この綿貫観音山古墳からの出土品から中国大陸や朝鮮半島とのつながりが明白です。
例がほかにないものもあることから、被葬者がヤマト王権を介さない独自の外交ルートをもっていた可能性が考えられるそうです。
なお図録の解説には 被葬者自身と被葬者を輩出した地域集団が、長く朝鮮半島や大陸との交渉に関与し、近畿地域の政治権力からその功績をみとめられてきたことを示している(銅鏡の授与などから?)と書かれています。
綿貫観音山の副葬品はこれでおしまい、素晴らしくて立ち去りがたかったのですが、次の部屋に移りました。それは次回
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