北関東(埼玉・群馬)の旅 2日目―1 (八幡観音塚古墳)
5時過ぎに起床。昨日は非常に疲れて、場合によっては今日の午後の予定は省略して高崎から湘南新宿ラインでまっすぐ帰ろうかとも考えていましたが、杞憂でした。疲れはとれています。
6時30分 2階におりて朝食
ごはん、パン、お味噌汁、サラダなどは各自ビュッフェからとりテーブルに座ると朝食セットがはこばれてきます。
お味噌汁はとりませんでした。
7:00にはお部屋に戻り、7:42頃 お部屋を出て、駅へ。
ホテルフロントは2階ですからそのまま出て2階を進み駅中央通路を東口から西口へ。西口近く左手にコインロッカーがあることは昨日確認済みです。(大きく縦長の看板が出ています)400円。ホテルに預けられるはずですが、歩きと時間の節約のため、ここに入れることに決めていました。
差し込み鍵式ではないので少し迷って、駅を出ると左手にバス乗り場の案内板。ネットでも調べていましたが、もう一度確認、観音塚古墳にいくには1番の少林山線です。
8:02発 丁度8:00につきました。このあたりのバスはどこも小型で席数は15くらい?です。200円。スイカは使えません。7,8人乗っていました。
↑駅をでてすぐのあたり
乗っていた人たちは4停留所くらいで次々下りていき、途中、一人また乗ってきて、おりてまた一人、最終的にはあと一人くらいでした。
少林山線 というのは少林山達磨寺を通る路線ということのようです。市街を出ると田園風景、川沿いを走ったかと思うと山の中へ。お寺にはいかず少林山入口というところは通りました。40分ほど乗って観音塚考古資料館前へ。
8:42着が少し早く9:40より前には着いていました。
バスは裏手に着きます。回っていくと9:00開館を前にしてお掃除中。
「先に古墳をみてきたら、どうですか?」「安全ですか?」「住宅地の中ですから大丈夫ですよ。丁度人が行きますから一緒にどうぞ」というわけで年配の男性の後をついていきました。
位置的には資料館の裏手の山、といったかんじです、5分とかかりません。
住宅地の奥、突き当りの石垣の上が古墳です。
突き当たって右に石段、左に坂道があり 「係の方は坂道のほうがいいでしょう」と左の方へ 坂道は石壁に沿う形であり柵はありません。幅1メートルくらいですが半分は土におおわれています。あの高さですからたいしたことはありません。上は草ぼうぼうです。
八幡観音塚古墳
ぽっかり口をあけているのが石室入口です。扉もなくいつでも自由にはいることができます。それでいたずらなどされていないか、毎朝あの方が点検されているのです。強力な懐中電灯で照らしながらですから、おかげでしっかりみることができました。
石ころで少々歩きにくかったです。
奥が玄室
石は55~60トンもある巨石です。この地域でこれまでの最大は観音山の22トンです。これまでの技術力では到底つくれません。巨石使用石室があるのは飛鳥周辺地域であることとから、この地域との強いつながりがあると考えられています。
たてられていた案内板から
あの土嚢をおいてあるところから上に上がれますよ、といわれたのであがってみました。
石の小さな祠みたいなものがありました。
資料館に戻ってくると9時はすぎていましたから、入館できました。
観音塚考古資料館 入館料は100円ですが、65歳以上は無料でした。(月曜定休 午前9時から午後4時まで)
発掘品が展示されていましたが、銅碗、承台付き銅碗は複製品となっていました。昨日行った県立博物館にあるのがホンモノのようです。
金ぴかの複製品
銀装鶏頭冠頭太刀
そのほか耳輪、馬具類などもありました。
竃の模型 竃というのは朝鮮からもたらされたものだったのです。
古墳時代の食事
頂いたパンフレットから
観音塚古墳が築かれた6世紀末前後は前方後円墳築造の最終段階にあたる時期で、各地の豪族が、ヤマト政権の直接支配下に組み込まれた時代といえます。こうした背景のなかで、観音塚古墳にかかわる豪族が巨大な前方後円墳と横穴式石室を築造し、豪華で豊富な副葬品を石室内に納めていた事実は大きな意味を持ちます。ヤマト政権が東国支配を強化していこうとする過程で、観音塚古墳にかかわる豪族が重要な役割を担う存在とみなされ、厚遇されていたことがうかがわれるのです。
一部屋だけで展示品はあまり多くないので15分もすれば見終わりました。そこでタクシーをよぶことにしました。ところが 市内からくるので20分かかるというのです。しかたがないのでもう一度眺めて待ちました。
多分9:50頃タクシーに乗ったと思います。かみつけの里博物館に向かいます。(呼び出し料金がかかったので3200円)
この近くに長瀞西遺跡と古墳があります。車で通れば見えるはず、と思ったのですが、それらしいものは見えませんでした。
長瀞西遺跡について 高崎市のサイトの説明
剣崎長瀞西遺跡の古墳や竪穴住居跡からは、東日本で初めて見つかった金製の垂飾付耳飾や日本最古級の轡(くつわ:馬具のこと)を装着したまま埋葬された馬の骨、そして当時の倭国(日本)で使われていなかった韓国風の土器など、古墳時代の渡来人の存在を思わせる数々の遺物が発見されました。これらの遺物から、剣崎長瀞西遺跡は古墳時代の渡来人が住んだ村であると考えられています。
馬飼育に携わった渡来人の存在が推測されているのです。
かみつけの里博物館は次回に
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