北関東(埼玉・群馬)の旅 1日目―1(さきたま古墳群)
4月5日
ショルダーバッグとトートを手に出発。予定通り横浜8:34発東京・上野ライナー乗車。予定通りでなかったのは混み具合。座れなくてドアの方を向いてたっていましたが、川崎で座れました。東京駅を過ぎるとぐんと乗客は減ります。
10:10吹上着、まごまごしながら改札口へ
北口に下りました。ここでタクシーに乗れるはずです。ところが人っ子一人居ない駅前広場にタクシーはとまっていません。
グーグルマップではタクシー乗り場があることになっていてストリートビューではタクシーも映っているのですが、標識なし、タクシーもみえません。向こうに続く一本道が見えるだけ。そこまで行くとバス停、その前に何台もタクシーはとまっていますが、運転手はいません。どうしよう、うろうろウロウロ。広場に戻ったり、、、。スマホでタクシー会社を検索しようとしたところへ、やっと一台現れました。
そういうわけで 10:25乗車、10:33博物館到着 1700円
埼玉県立さきたま史跡の博物館(大人200円)9:00~16:30(入場は16:00)夏期は17:00まで 月曜休み
埼玉県立さきたま史跡の博物館 (spec.ed.jp)
埼玉(さきたま)古墳群と呼ばれる古墳群があり、そこで発掘されたものが展示されている場所です。
埼玉古墳群は5世紀後半から7世紀中ごろにかけて大型古墳が造られました。前方後円墳8基、大型円墳1基、それに小円墳がいくつかです。それらからの発掘品がこの博物館に展示されているのです。
先ずトートバッグを預けようとしたのですが、なんとコインロッカーはないのです。まあ、軽いから持って歩けますけれど。
発掘品は一括して国宝に指定されています。
国宝展示室に入ります。写真はOKです。ただし、ガラスにカメラレンズを密着させないこと、平置きされているものについてはカメラを落としてガラスを割るといけないから横から写せ、と結構うるさいです。少し離れてなら上からでも大丈夫でした。
ここの一番の宝物は国宝に指定されている「金錯銘鉄剣」です。
稲荷山古墳から発掘された鉄剣の保存処理中に、細い溝が刻まれ金の針金を埋め込んだ金象嵌の存在が確認されたのです。
表
表 裏 表上部拡大
(表)
辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比
(裏)
其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也
解釈が一致しているわけではないそうですが、
辛亥の年7年に記す。ヲワケの臣。上祖(かみつおや)、名はオホヒコ。其の児(名は)タカリのスクネ。其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名はタカヒ(ハ)シワケ。其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハテヒ。
其の児、名はカサヒ(ハ)ヨ。其の児、名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と為り、奉持し来たり今に至る。ワカタケ(キ)ル(ロ)の大王の寺、シキの宮に在る時、吾、天下を左治し、此の百錬の利刀を作らしめ、吾が奉事の根源を記すなり。
ここでポイントになるのは辛亥年と獲加多支鹵大王、他の発掘品から60年に一度巡ってくる辛亥年は479年。この大王が倭の五王の一人、倭王武である雄略天皇である可能性が高いそうです。(雄略天皇はオオハツセノワカタケと呼ばれていた)
雄略天皇実在の有力な考古学的実証となっています。
杖刀人とは刀を杖着く人、ということで身分の高い人の護衛につく人のこと。ヲワケは護衛隊長だったと解釈でき、このころ官人制度のもとになる「人制」がすでにできあがっていた、ということになります。
稲荷山古墳後円部墳頂の竪穴式埋葬施設が二つあり、一つは盗掘されていましたが、もう一つは未盗掘で上に揚げた鉄剣も出てきました。
そのほかに鏡、武具、馬具、装身具などがでてきました。
帯金具
日本では帯金具が出土することは珍しく舶載品と思われています。
翡翠のまがたま 糸魚川で翡翠がとれました。
写真がピンボケです。
同型鏡、同じ鋳型からつくられたもの。ヤマト王権が入手したものを各地の豪族に従属の見返りとして配ったものと考えられています。
馬は財力と権威の象徴でしたから、きらびやかに飾られました。
これではわかりにくいので 翌日行った観音塚資料館のパネルから
左は f字型鏡板付轡
土器と須恵器
埴輪
:円筒埴輪 墳丘に楯なら部られて、飾りや、邪悪なものから古墳を守る結界のはたらき
:形象埴輪 墳頂や、造り出し、中堤などに並べられて儀礼の場面をあらわします。
右は琴を弾く男子
将軍山古墳からの出土品
将軍山古墳は6世紀中葉に造られた片袖式横穴式石室を持っています。横穴式は竪穴式とちがって後から人をまた葬ることが出来ます。朝鮮半島由来のものです。埋葬品は新羅のものもありますが、伽耶からきたものが多いです。
銅碗、馬冑、蛇行状鉄器などは伽耶からもたらされたもの。
馬冑 国内では3例しか発見されていません。新羅からも出るが加耶地域からもでます。
舶載品と考えられます。
蛇行状鉄器 下図のように馬に旗竿をとりつけるもの。
奥の山古墳から出土した 須恵器(子持ち壺)
博物館をみてガイドブックを買ってから古墳公園に向かいました。
(このページの説明はガイドブックとカルチャーセンターの講座のレジュメを参考にしました)
古墳公園は次回に
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コメント
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kikuko様
おはずかしいことに 稲荷山鉄剣を知ったのも最近のことです。
これまで日本史に関心がなかったので、すべてにわか勉強です。
馬をあれほど飾り立てて、、、馬は喜んではいないとおもうのですが。
新しい知識が多すぎてお粗末な頭はもうパンクしそうです。
吹上駅ではタクシーの数が多くないのかもしれません。検索をかけると近くのタクシー会社は出てきますので、しばらく様子をみて来ないようならお電話なされば大丈夫だと思います。
行田駅からのバスもありますが、タクシーなら博物館前横付けですから楽ではあります。
投稿: yk | 2022年4月10日 (日) 23時44分
稲荷山鉄剣が出土したときの東アジアの古代史界隈の興奮ぶりを懐かしく思い出しました。一度は現地に行かなくてはと思いながら、まだ果たせておりません。タクシーをうまく確保できたら行けそうですね。
「其の児の名は」でつないでいくのは、まさに騎馬民族の習わしだと息巻いていた大家がおられました。農耕民族なら、のちの時代になりますが、名乗るときは「我こそは武蔵国〇〇荘の住人」のように地縁だそうで。ご紹介いただいた出土品から見ても騎馬文化であることは歴然としていますよね。
完璧なレポートを拝見し、続編を心待ちにしています。
投稿: kikuko | 2022年4月10日 (日) 16時30分