北関東(埼玉・群馬)の旅 1日目―2 (さきたま古墳群続き)
11:15 博物館を出て古墳公園に向かいます。
信号を渡ると小さな古墳、愛宕山古墳です。
全く予期していなかったのですが、桜の季節、少し散り初めていましたが、見事でした。
左、桜の木が三本たっているところが丸墓山古墳 右、少しなだらかなスロープが見えているところが稲荷山古墳
古墳の上に上がれるのはこの二つです。
丸墓山古墳は高さ17.2m、日本最大級の円墳だそうです。階段がきびしそうなのでのぼりませんでした。高いだけに眺めはよさそうです。
ここは石田三成が忍城攻めの時、陣を張った場所です。古墳左斜面に見える階段の下に続く道が石田堤で利根川の水を引いて水攻めにしたのですが、城はおちなかったそうです。
ツツジの植え込みは小円墳の場所を表しています。
桜の木の奥に見えるのが 稲荷山古墳です。中央、扇を開いたような木の向こうに階段が見えます。この前方部の階段を上ります。左の上に茶色いのが見えるところが後円部です。
階段は土、石で丸太が土留におかれているものです。前日が雨でしたがぬかるんではいません。ただし つかまりながら上がった方が安全です。手すりは太いロープで軍手をはめてつかまりました。高さ、10.4 m
前方部から後円部を見ています。
後円部から前方部を、右は丸墓山古墳
後円部頂上には お墓の位置がマークされていました。
河原石で作った埋葬施設 右手にうっすら金色の帯が見えています。
この人物が ヲワケ と言うことになります。電磁波探査によると、礫槨とは別に中心的埋葬施設が先に造営され、後にその縁者である礫槨の主が埋葬されたと考えられるそうです。ヲワケは有力豪族の一員ではあっても首長ではなかったようです。
↓四枚上の写真で輪郭だけがしるされたところ
丸墓山と反対側には将軍山古墳が見えています。円筒埴輪が周りにおかれています。
おりて将軍山に向かいます。
こちらは菜の花がまぶしいばかりです。
将軍山古墳
回り込むと前方部に作られた古墳展示館が見えました。
史跡博物館の入場券で入れます。
内部は説明パネル、発掘品は史跡博物館に展示されているので写真のみ、二階に石室模型がありました。
ここは石室模型以外みるものはないので10分もかかりません。
戻ります。
一番大きな二子山古墳です。全長132.2 m むさしの国最大の古墳。6世紀前半。
534年、武蔵国造職を巡って争いがありました。笠原使主と同族の小杵が争ったのですが、二子山古墳を使主、丸は加山を小杵の墓とする説があるそうです。
この古墳群のある場所は荒川と利根川に挟まれたところです。昔は川筋が違っていてもっと古墳に近かったそうです。
万葉集に
埼玉の津に居る船の風を疾み綱は絶ゆとも言な絶えそね
と言う歌があります。
この歌にある埼玉の津も古墳に近い場所だったかもしれなくて、その交易にたずさわった人がこれらの古墳の主かもしれないそうです。
左から 丸墓山古墳、稲荷山古墳、裾だけ見えているのが 将軍山古墳です。
春休み最後を楽しむ家族連れも多かったです。左手に見えている階段が稲荷山への登り口。
桜と菜の花満開で幸せな気分になれた公園でした。
愛宕山古墳を過ぎたところの信号まで戻ってきたところで12:40
バスは 12:55ですから食事の時間はありません。逃すと次は1時間後です。途中飴はなめましたが。
バス停は信号のすぐそば、循環バスで停留所は一か所です。
バス停で途中会釈を交わした女性ともう一人女性と一緒になって少しおしゃべり。古墳と言うよりお花見目的だそうです。
バスは行田駅行、次の停留所は忍城、お一人はそこで降りられました。
行田駅前も閑散としていて食事はできそうにないのでそのまま 13:31発の電車で倉賀野へ
倉賀野で群馬県立歴史博物館に行きましたが、それは次回に。
« 北関東(埼玉・群馬)の旅 1日目―1(さきたま古墳群) | トップページ | 北関東(埼玉・群馬)の旅 1日目ー3 (綿貫観音山古墳と群馬県立歴史博物館) »
「北関東(埼玉・群馬)の旅」カテゴリの記事
- 北関東(埼玉・群馬)の旅 2日目ー3(高麗神社)(2022.04.20)
- 北関東(埼玉・群馬)の旅 2日目ー2 かみつけの里博物館(2022.04.18)
- 北関東(埼玉・群馬)の旅 2日目―1 (八幡観音塚古墳)(2022.04.16)
- 北関東(埼玉・群馬)の旅 1日目―4 (群馬県立歴史博物館続き)(2022.04.14)
- 北関東(埼玉・群馬)の旅 1日目ー3 (綿貫観音山古墳と群馬県立歴史博物館)(2022.04.13)
« 北関東(埼玉・群馬)の旅 1日目―1(さきたま古墳群) | トップページ | 北関東(埼玉・群馬)の旅 1日目ー3 (綿貫観音山古墳と群馬県立歴史博物館) »
コメント