対馬・壱岐旅行 1日目ー1
5月15日(日)羽田→長崎→対馬
6:00 起床
6:10 部屋を出る。チェックアウトもフロントにあるスロットにお部屋のカードキーをさしこむだけです。1階に下りて9番のバス停に
6:22 ターミナルバス乗車 数分で第1ターミナルへ
タッチアンドゴーなので直接保安検査場へ。鋏がひっかかったが、OK。鋏は大きさによるらしいです。ここで6:35。
7:10 搭乗開始 座席は2-3-2 窓側2席をとっていましたが、雲が多くて下は殆ど見られませんでした。
9:29 着陸 対馬行きの飛行機は12:15発なのでビジネスラウンジアザレアで待つことにします。長崎の場合は飲食OKなので大村寿司(穴子入り)を買って入りました。ここではスープセット(500円、パン付き)も用意されていて主人はそれにしました。


途中で写真の撮り忘れに気がついたのでみっともない状態です。コーヒーなどは自由に飲めます。
本を読んだり景色を眺めながら出発時刻まで待ちました。
海好きなので、壱岐・対馬はずっと憧れでしたが、島の宿のバスタブなしがネックで行っていませんでした。
ところが去年にわかに日本古代史に興味が芽生えてその点からも壱岐・対馬はマストになりました。先延ばしにしていてかえってよかったわけです。宿もこの会社のツアーはバスタブ付きになっていました。
ツアー本体は伊丹から来ます。出発30分くらい前に添乗員さんにお電話。イヤホンガイドなどをいただいて搭乗は15分前くらい。ところが小さい飛行機なのでキャリーの寸法をはかられ、持ち込み不可となりました。預けさせられて座席に座ったとたん、すぐに動き始める、と言う状態でした。
長崎12:15→12:50対馬 近いのでベルトをはずしてよい時間は10分だけ。もちろんはずしませんでしたが。
プロペラ機です。

12:25頃

12:50 対馬空港

対馬、壱岐は朝鮮半島と九州を挟む対馬海峡をほぼ三等分する位置にある島です。(wiki から拝借)

縄文時代以前、下図のベージュの地域が陸地でした。白線が現在。大昔、日本海は小さな湖でした。(写真は後で行った対馬博物館の展示から)

最後の氷期が過ぎ、完新世(約1万年前から)になると、海面が上昇し、ほぼ現在の形に近い日本列島が誕生しています。対馬、五島列島もそのころ?隆起したとある記事をみつけたのですが、検索を重ねるうちにどこだったか分からなくなりました。大陸と地続きだった時期に人類も日本列島に渡来した可能性はあるが、その確実な証拠はみつかっていないそうです。

このツアーで行く場所は黄色の星マークの場所です。北部にはいきません。北端までは道中、他に見るものもなく深い森の中を2時間近く走るらしいです。
古代、ろくな舟もない時代に何故荒海を乗り越えて半島から日本に人がやってきたのか不思議でなりません。大海原に漕ぎ出すなんて怖くはなかったのではないでしょうか?せめて島影が見えれば、あそこまで行ってみたい、という気持ちがおきるかもしれません。それで逆に日本から朝鮮半島が目視できるかどうか、この目で確かめたいとおもっていました。
しかし韓国展望所からでもこの時期ではまず見えない、まれに秋、空気が澄み渡っているときにのみ見えるそうです。ただし夜にはプサンの灯りがみえるそうです。でも釜山からは対馬は暗いので夜はみえないそうです。
行っても見えそうにないのであきらめはつきました。
もしかしたら遠い御先祖様が歩いて行った場所としてDNA に組み込まれていてそれに突き動かされてやってきた?あれこれ 考えます。
小さな空港で預け荷物もすぐ出てきました。
バスに乗って出発です。本日のルート。ホテルは空港より南なのでのっていません。

バスガイドさん(あとで64歳と分かりましたが、とてもそうは見えませんでした)はベテラン。でもすぐにおっしゃいました。「対馬は古来ずっと日本です。韓国の領土だったことは一度もありません。私は対馬の生まれです。」後でまたもう一度このことをおっしゃっていました。韓国との距離は49.5km。今は反日とコロナで韓国からの観光客はいませんが、韓国の観光客の中には、ここは韓国だ、などと言う人もいたのかもしれません。でも魏志倭人伝にもかかれているのですからずっと日本なのは当然ですよね。
対馬は平戸藩に属していた関係で福岡県の方が近いのですが、長崎県です。細長い島で南北82㎞、東西18㎞、面積約700㎢(日本では第10位、本州などを除くと佐渡,奄美に次いで3位)。島の89%が山地。兎、タヌキ、サル、熊などは棲息していません。猪、鹿はいます。アキマドボタル(普通より大きい)つしまやまねこが有名。人口約3万人。
立て板に水のごとき説明を聞きながら進みます。
13:17 万関橋
明治34年に旧日本軍が掘った人工の瀬戸の上にかかる橋です。ロシアの南下政策をみて日本海で戦いの近いことを予想し、ここに運河を開鑿。水雷艇をここに隠しました。これがバルチック艦隊撃破の一翼をになったそうです。(対馬沖海戦)
当時の運河は幅約25m、深さ3m。その後ひろげられて現在は幅40m、深さ4.5 mです。

進行方向左

進行方向右

予定表にはないあそうベイパークの対州馬飼育場に行きました。13:20~
バスを停めたところから少し坂を下っていきます。
厩舎の中に入るには靴の裏も消毒します。
大陸から初めて日本に馬が入ったのは対馬。対州馬は日本在来種の一種。小型でありながら力が強く正確も温和だそうです。映画などでも乗りやすいので使われるとのことでした。背が低くて簡単に乗れそうでした。



バスに戻って、次に行ったのは西の漕手、これも予定表にはなかったのですが、歴史的に重要ではないかと私はリクエストをだしておきました。時間があれば、というご返事でした。でも行っていただけました。
西の漕手(にしのこいで)13:52~14:17
下の地図のようにここは小船越浦と西漕手浦が近い地狭部で、昔は間が160mだったそうです(ゼロが一つ足りないのでは? という気もしますが、いただいたパンフレットにはこう書いてあります)。それで荷物を陸に運びあげてうつして舟を乗り換えたそうです。

遣隋使が4回、遣唐使も4回、遣新羅使もここから出港したそうです(7世紀~9世紀)。国道にバスを停めて横の細い道を歩いていきます。途中は下り坂(ヤレヤレ、下れば帰りは上りです)。でもひんやりいい感じです。


この時間干潮で、満潮ならここまで水がきているそうです。(満潮でないのが残念!)

隆起してできた地形だそうです。

遣隋使、遣唐使船は2艘仕立てで1艘に付き120名。使いの他に通訳、料理人、絵師、大工なども乗っていたそうです。通常9、10月ごろここに着き天候などみて出て中国には1月1日に着く(中国とおっしゃっていましたが、謁見の場と言う意味かと思われます)ようにしていたそうです。
再びバス14:17~
和多都美神社(わたつみ)
主祭神は 彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと、山幸彦のこと)と 豊玉姫。
有名な海幸彦、山幸彦の話に出てくる人物です。海幸彦と山幸彦がある日道具を交換し、山幸彦は海に釣りに出かけるのですが、釣り針を失くしてしまいます。途方に暮れた山幸彦は親切な老人の指示にしたがって小舟で海神の宮殿に行きます。そこで豊玉姫命に出会い、結婚。三年の月日が経つうちにここに来た理由を思い出し、無事 釣り針を手に入れて陸に戻ります。
豊玉姫命との間に生まれたのが鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあわせずのみこと)で山幸彦は神武天皇の祖父にあたります。
ここの特徴は参道は海から続いているといえばいいのでしょうか。海の中に鳥居があるのです。ところが丁度干潮でしたので 鳥居は地上に出ていました。
坂を下りていくと鳥居が見えてきました。

潮が満ちてくるとこんな感じのようです。(対馬観光ページより)


神殿方向に向かいます。


ここには京都、太秦で見たような三本足の鳥居(三柱鳥居、みはしらとりい)があります。

神話の時代、三という数は縁起がいいとされていたそうです。

説明がなかったのでよくわかりませんが丸木舟のような舟がありました。




豊玉姫の墳墓に向かいます。ここからは有料ゾーンになります。
ここにも三柱鳥居があります。

その下には亀甲石。かつて 亀卜信じを行っていた場所だそうです。

樹々の間を少し進むと左手に鳥居がありました。
橋を渡ったところにあるあの木の下に墓石があります。

この橋はわたってもいいのですが、橋から先はカメラ禁止です。渡ってお参りをしました。

このまま進んでも帰れるらしかったのですが、私たちは元来た道を引き返しました。主人はひいた浜の方へ写真を撮りに行きました。

15:05過ぎバスで烏帽子岳にむかったのですが、写真が多くなったので次回にします。
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