京都 1日目ー1 仁和寺
去年と同じ8時29分発の新幹線にのるのに去年は7時7分発のバスに乗ったのに、今回は22分発になってしまって、新横浜のホームに着いたときは発車までに3分もありませんでした。
朝食抜きでしたから車内販売でおむすび弁当とお茶

10:21 京都駅着
すぐタクシーでホテルへ。荷物を預けて河原町三条のバス乗り場へ。ホテルはC乗り場の上の通りに面しています。

H乗り場10番のバス(ちなみにH乗り場のすぐ先に地下鉄市役所前乗り場はありその先が御池通り、三条通り加茂川を渡ったところに京阪電車の駅)
11:07発のバスが遅れて22分にきたのでそれに乗りました。(27分発に乗るつもりでした)
11:22→12:02 御室仁和寺着 バスは三門前の道路の向こう側に前に着きます。(帰りのバス停は仁和寺の石碑が建っている横)
仁和寺はお坊さんが何か(正確には足鼎)に頭を突っ込んで抜けなくなった話(徒然草53段)で有名ですが、なかなか見どころのあるお寺のようです。
御室仁和寺
888年(仁和4年)宇多天皇によって建立された寺院で譲位後落飾して仁和寺に入寺,第一世宇多法皇となり以後、1867年(慶應年)第三十世純仁法親王の還俗まで住職の多くは天皇家から迎えられたことから門跡寺院として知られています。
下写真に見えるように塀に白い5本の筋がはいっているのが門跡寺院のあかしなのですが、現在では門跡寺院でなくても筋が入っている塀を見かけます。
二王門
正面に建つ門。高さは18.7mで重層、入母屋造、本瓦葺。門正面の左右に阿吽の二王像、後面には唐獅子像を安置します。同時期に建立された知恩院三門、南禅寺三門が禅宗様の三門であったのに対し、平安時代の伝統を引く和様で統一されています。
和洋、禅宗様の違いがよくわからないので去年春撮った知恩院の三門の写真を拾い出してきました。(南禅寺は4日目に行くので)

↓ 知恩院三門

大きな違いは軒下の飾り。仁和寺は普通に柱に一つずつ持ち送りが付ていますが、知恩院はこれがぎっしり、詰組というそうですが、とても装飾的になっています。これが二つの様式の大きな違いだそうです。
仁和寺の二王門、なかなかすっきりしていていいなと思いました。
境内図
先ず全体をざっと見ることにして金堂を目指します。(ここは無料です)

勅使門
大正2年(1913年)竣工。設計は京都府技師であった亀岡末吉。檜皮葺屋根の四脚唐門で前後を唐破風、左右の屋根を入母屋造としています。また、鳳凰の尾羽根や牡丹唐草、宝相華唐草文様や幾何学紋様等素晴らしいです。
奥は御所庭園、南庭です。

中門
伽藍中心部に向かう入口ともいえる門。切妻造・本瓦葺・柱間三間の八脚門で、向かって左側に西方天、右側に東方天を安置します。もともとピンクではなく朱塗りが色落ちしてしまったようです。

さらに進むと左手に 御室さくら
丈が低く、下方から枝がはっていて普通の桜らしくない独特な樹形です。

右手には五重塔が見えました。
寛永21年(1644年)建立。塔身32.7m、総高36.18m。東寺の五重塔と同様に、上層から下層にかけて各層の幅にあまり差が見られない姿が特徴的です。
塔内部には大日如来、その周りに無量寿如来など四方仏が安置されているらしいのですが、そばまでは行きませんでした。

さらに進んで階段をあがると 金堂
レンズに雨粒がついていたようです。雨は小降りで、でも傘はさしたほうがいいな、という程度でした。
仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂。慶長年間造営の御所 内裏紫宸殿を寛永年間(1624〜43)に移築したものです。現存する最古の紫宸殿であり、当時の宮殿建築を伝える建築物として、国宝に指定されています。堂内は四天王像や梵天像も安置され、壁面には浄土図や観音図などが極彩色で描かれているそうです。

これはさすが、美しいと思いました。

向背の手前に「亀瓦」がのっています(亀ではなく獅子の顔に見えるのですが)。亀の上に立っているのは仙人・黄石公(こうせきこう)という兵法の祖だそうです。
金堂の右手には 経蔵 下のQRコードで経蔵の内部が見られます。


金銅から左手に行くと 鐘楼
鐘はみえない造りです。楼は楼閣の意味 ゴージャスです。

私はこの辺でもういい、と金堂前に戻りましたが主人は先まで行きました。(もともと金堂だけは見ておこう、という程度の気持ちでしたから)
水掛不動尊

九所明神 本殿、左右殿
九所明神本殿(中殿)左殿・右殿は、鎌倉時代(1212年)に境内南より遷宮した記録が残っています。八幡三神をはじめとして賀茂、日吉など合わせて九座の明神が祀られています。
建物は寛永年間(1624~1643年)の再建で、社前の織部型石燈籠(キリシタン燈籠)は1644年建立。(これは見たかったな)

御影堂
鐘楼の西に位置し弘法大師像、宇多法皇像、仁和寺第2世性信親王像を安置します。慶長年間造営の内裏 清涼殿の一部を賜り、寛永年間に再建されたもので、蔀戸の金具なども清涼殿のものを利用しています。
約10m四方の檜皮葺小堂

観音堂
入母屋造、本瓦葺で前後に向拝が付き、軒までの高さの高い建物です。本尊は千手観音菩薩で、脇侍として不動明王・降三世明王、その周りには二十八部衆が安置され、須弥壇の背後や壁面、柱などには、白衣観音をはじめ仏・高僧などが極彩色で描かれていますが内部は通常非公開。

12:50頃一度お寺を出て前の蕎麦屋さんでお昼にしました。

写真を撮り忘れて少し食べかけです。私は 天ぷらなしのただのざるそば。
ゆっくり休んで(13:30~14:15) 御所庭園を拝見しました。

本坊表門を抜けて御殿入口へ

靴を脱いで上がって白書院へ向かいます。白書院は1887年に焼失したため1890年に建てられたものです。
南庭

白書院襖絵 1937年に福永晴帆が描いたもの


右近の橘、左近の桜(奥) 勅使門と二王門が見えています。
黒書院は残念ながら修復中でした。
途中のお庭

宸殿
儀式や式典に使用される御殿の中心建物で、寛永年間に御所から下賜された常御殿がその役割を果たしていましたが、明治20年(1887年)に焼失。現在は大正3年(1914年)竣工されたもの。御所の紫宸殿と同様に檜皮葺、入母屋造。内部は三室からなり、襖絵や壁などの絵は全て原在泉(1849〜1916)の手によるもので、四季の風物をはじめ、牡丹・雁などが見事に描かれています。(お寺の解説より)


ところで入口に?

ところがまさに今日(10月26日)ここで対局があったのです!


手振れなので小さくしましたが向かって左の部屋で、奥に藤井竜王が座っています。
北庭
宸殿の北側にあることから北庭と呼ばれ、南庭とは対照的な池泉式の雅な庭園です。斜面を利用した滝組に池泉を配し、築山に飛濤亭、その奥には中門や五重塔を望む事が出来ます。庭の制作年は不明ですが、元禄3年(1690年)には加来道意ら、明治〜大正期には七代目小川治兵衛によって整備され現在に至ります。(お寺の解説より)

左手やや上の建物は 霊明殿



↓中央が出島 そのすぐ左奥が滝石組み

渡り廊下を行き

霊明殿へ 御所でただ一つの仏殿

そこから北庭を見下ろす

元来た道を戻ります。宸殿の蔀戸

これで仁和寺の観光は終わりでバス停に向かいました。この後妙心寺に行きましたがそれが次回に
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kikuko様
以前、「仁和寺と御室派のみほとけ展」に触れられていらしたことは記憶していますが、 探せませんでした。 ネットで東博の展覧会案内まだを見ることができました。
仏像はスルーときめこんで霊宝館にもよりませんでした。
でも東博の主な出品作品を見ると、千手観音や馬頭観音など私にも興味深く観られるものもあって、食わず嫌いはダメだなと痛感いたしました。
仁和寺を訪れたあとだと余計関心をもってみられそうです。
東博も時々、チェックしなければ。
kikuko様は 京都国立博物館もチェックなさっていらっしゃるのですね。私はまだまだ勉強がたりないことを痛感しております。
仁和寺1泊100万円は驚きです。ま、お金の使い道に困っている方もいらっしゃるのですね。
投稿: yk | 2022年10月29日 (土) 13時12分
仁和寺について忘れがたいのは2018年に1月から3月にかけて東博で開催された「仁和寺と御室派のみほとけ」展です。早々と行きましたら、平成館の前に大行列ができていて、厳寒のなか入場するのに1時間以上かかりましたが、門外不出の名宝が並んでいました。
あまり意識していなかった御室派の寺院の展示も中身が濃くて、その後、河内の金剛寺・葛井寺・道明寺、安芸宮島の大聖院などに行く動機にもなりました。
お写真を拝見すると、私が拝観したときは、修理中だった観音堂が美しく蘇っていますね。仁和寺の門前にホテルを建てる計画があるそうで、反対運動も起きているとか。それとは別に1泊朝食つきで100万円の宿坊も話題を呼びましたよね。仁和寺は檀家がないので、お寺の維持が大変なようです。
投稿: kikuko | 2022年10月28日 (金) 22時28分