京都 2日目ー1 天龍寺、弘源寺
10月18日(火)
6:00 起床
7:00 朝食に降りていきました。
このホテルは朝食メニュー5種類から選べるようになっていて追加してももよければ減らすことも自由です。この朝食スタイルもホテルをここにに決めた理由の一つです。連泊でもマンネリにならないからです。

モンブラントーストにしてパンは半分、目玉焼きは無しにとお願いしました。
少々寂しいお皿になりましたが、でもソーセージも余分でした。

見ると両側ともガイジン(白人)ご夫婦。見渡すとかなり外国人客がいます。東洋系はわかりませんが町を歩いていても白人観光客がかなり目につきました。
今日の予定は 天龍寺→松尾大社(軽くお昼)→桂離宮
9時20分過ぎにお部屋を出ました。地下鉄にのるために代わら末通りを歩いていると 外国人ツアー客たちがsuitcaseを引いてあるいています。この辺りホテルが多いのですが、ホテル前には大型観光バスが停められなくて、停められる市役所前まで歩かなけらばならないのです。6月の私たちのツアーと同じです。

8:33→9:18
地下鉄で太秦天神川まで行き、嵐電に乗り換えて終点嵐山まで行きます。
さすが名だたる観光名所、駅構内も観光客大歓迎仕様です。(外国人向けでしょうか)
奥の化野念仏寺から祇王寺、落柿舎、二尊院などには二度行ったことがありますが、天龍寺は行った記憶がありません。

嵐山駅前、通りを渡ると天龍寺はすぐです。門前に外国人ツアー客(お食事の時左隣だったご夫妻もいらっしゃいました)の一団。
ツアー客はマスク着用、個人客の中にはノーマスクも
天龍寺 (9:24~10:45)
京都五山の第一位
1339年吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために足利尊氏が夢窓国師を開山として創建。夢窓国師は堂塔建立の資金調達のために「天龍寺船」による中国・元との貿易を進言。莫大な利益を得て1343年にはほぼ七堂伽藍が整いました。その後 8回も火災に見舞われ、現代の堂宇の多くが明治期の再建となっています。

勅使門

四脚門。慶長年間に建てられた御所・明照院の門を1641年にに現在地に移築伏見城の門を御所に移築されたともいわれています。寺内最古の建物です。
進んでいくとまず目にするのは選佛場と書かれた法堂です。ここに 加山又造画伯の八方睨みの龍の天井があります。
なおこのお寺は法堂(500円)本堂(300円)庭園(500円)それぞれ参拝券が必要です。
法堂

ここはカメラ禁止だったそうなのですが、うっかり撮ってしまいました。それを載せるのもはばかれますので、配られたチラシから。描かれたのは1997年。

天井(縦10.6m 横12.6m)に厚さ3cmの杉板159枚を張り合わせ全面に漆を塗り、さらに白土を塗った上に直径9mの二重円相内に直接墨色で躍動する見事な八方睨みの龍が描かれている。(ホームページ解説より)
妙心寺に較べて新しいだけあってクリアでしたが、逆に有難みが、、、。
あらためて庫裡から入ります。入口の石庭が見事です。

庫裡の衝立

夢窓疎石と言えば関東人は瑞泉寺(鎌倉)を思い浮かべてしまうのですが、ずいぶん旅をされているのですね。

庫裡から大方丈の裏に回ると素晴らしい庭園が目の前に広がっています。

曹源池庭園です。
夢窓疎石作庭によるもので、名称の由来は疎石が池の泥をあげたときに「曹源一滴」と書いた石碑が現れたことによります。
山々を借景とした池泉回遊式庭園です。のびやかにひろがり大変きもちのよい眺めでした。
向かって右に出島、左手右の紅葉のところも出島になっています。左背後は嵐山。

この庭園で有名なのが写真右奥の龍門漠
龍門漠とは中国の故事「登龍門」を表したもの、鯉が滝を登りきると龍に変わる(精進すれば成功する)ことの象徴。
鯉魚石は6月に朽木の興聖寺で観たように普通は滝の下に据えるのですが、ここでは滝の中ほどに置かれています。鯉が龍に変わる瞬間をあらわしているのだそうです。(烏賀陽百合著「しかけに感動する京都銘庭園」による)

各石が何を表すかの解説はガーデンガイドからの情報です。石橋は薄い板石三枚で出来ています。
石橋は日本庭園における最古の例だそうです。



大方丈の東西を仕切る襖の雲龍の絵は昭和32年に物外道人によって描かれたもの。物外道人とは若狭物外といい、明治20年秋田県に生まれ、東京芸術学校を卒業後、山元春拳に弟子入りするも自ら絶縁し、富岡鉄斎門下の山田介堂に学んだ富岡鉄斎唯一の孫弟子。ガラスに外の景色が映りこんでいます。

小方丈から渡り廊下で多宝殿に行くことができます。かなりあがりそうなので主人だけが行き、私は階段下で待ちました。


多宝殿
後醍醐天皇の尊像が祀られています。

庭には

5分ほどで戻ってきましたが、その間私は下で辺りを眺めています。
お茶室が見えています。池へと注ぐ流れがきれいでした。


この辺りで庭園におりました。眺める方向が変わるとまた違って見えたり、室内からは見えなかったところも見られました。

細い石橋でつながれた亀島、恐くて渡れそうにないほど狭い橋です。


そろそろ移動の時間です。しつこく最後にもう一枚。

庭園を出て、駅に向かって境内を歩いていくと左側に塔頭が並んでいました。
珍しい入口です。このような形を来福門というようです。中国スタイルです。
水摺福壽大辨天
お隣は 弘源寺 ここは秋季特別拝観とあります。今10:50。バスは11:09の予定です。いそいで入ってみることにしました。
弘源寺

「永享元年(1429)室町幕府の管領であった細川持之公が、天龍寺の開山である夢窓国師の法孫にあたる玉岫禅師を開山に迎え創建し、持之公の院号をもって弘源寺の寺号としました」とお寺の案内にありました。
室内は 写真不可、お庭は撮っていいそうです。
お庭は「虎嘯の庭」
虎嘯(こしょう)とは、「龍吟雲起、虎嘯風生」(龍吟じて雲起こり、虎嘯きて風生ず)と言う語句から名付けられております。この出典は『碧巌録九十九則』によるもので、「龍吟」は枯れ枝の間を抜ける風の音を表し、「虎嘯」は大地より涌出る朗々たる響きを表す、すなわち禅の悟りの境涯を表しています。 嵐山を借景にした枯山水庭園が、春の桜、秋の紅葉と調和する景色は嵐山屈指です。(お寺の案内による)
残念ながらガラス越しです。
10月30日の BS 12 京都浪漫 によりますと、奥左は三尊石を表し、白砂は苦界。奥が彼岸、手前の苔は此岸をあらわすそうです。



なかなかいい感じのお庭でしたが、ガラス越しでは写真がうまくとれません。この平たい石が大会を漂う舟のようでいいです。
入る時に頂いたパンフレットの写真を追加しておきます。

裏側にもお庭がありました。

竹内栖鳳ゆかりのお寺らしく彼の絵がたくさんかけられていましたが写真は撮れませんでした。
ざっとみて外に出ました。
参道わきに毘沙門堂 (この時 11:09)

11:09 無事バスに乗ることができました。
バスの中で気がついたのですが、これで三か所のお寺をまわったのですが、あまりお線香の匂いがしなかったような、、、。あまりお寺になじみはないのですが、これまで知っているお寺は、本堂に絢爛たる大がかりな祭壇があって天井からもシャンデリアではないですが色々ぶらさがっていたのですが、そういうお部屋は見なかったような、、、。
仁和寺はホームページを見るとそういうお部屋はありそうですが、妙心寺と天龍寺は法堂に大がかりではない祭壇がありましたがゴージャスなものではありませんでした。禅宗だからなのでしょうか?
次の松尾大社は次回です。
« 京都 1日目ー2 妙心寺 | トップページ | 京都2日目ー2 松尾大社 »
「2022年秋 京都の旅」カテゴリの記事
- 京都 5日目―3 六波羅蜜寺→建仁寺(2022.11.23)
- 京都 5日目ー2 河井寛次郎記念館(2022.11.21)
- 京都 5日目―1 一休寺 ランチ(2022.11.21)
- 京都 4日目ー5 (青蓮院 夕食)(2022.11.19)
- 京都 3日目ー4 昼食 永観堂(2022.11.17)


コメント