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2022年11月14日 (月)

京都 4日目ー1 南禅寺・金地院

10月20日(木)
今日は南禅寺を中心に永観堂と青蓮院に行く予定です。昼食は順正、夕食はスコルピオーネ祇園を予約してあります。

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朝食 ヘルシーサラダにしてみました。サラダの量を半分にしてもらいましたが、やはり残してしまいました。

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南禅寺へは地下鉄で行きました。
8:30頃ホテルを出て市役所前の駅から乗りました。駅への下り口は河原町通り本能寺を過ぎたところにあるのが便利。ここが一番改札口に近いようでした。乗れば蹴上駅まで3駅5分です。金地院に行くにはバスよりも地下鉄で蹴上駅から行くのが近いです。

8:50には蹴上で地上に出ていました。すがすがしい郊外の朝です。

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少し進むと「ねじりまんぽ」というおかしな名前のトンネルがありました。
案内板の説明
まんぽ、というのはトンネルを意味する古い言葉で「ねじりのあるトンネル」という意味になります。上部にあるインクライン(傾斜鉄道)と斜めに交わる道路に合わせ、トンネルも斜めに掘られるとともに強度を確保する観点から、内壁の煉瓦を螺旋状に積む工法がとられています。 
南禅寺近道ですが、最初に行く金地院は特にこちらからが近いです。

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出て振り返ります。石垣がものすごい巨岩。横を水が流れています。南禅寺は水が豊かなところのようで、どこでも水音が聞こえました。

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トンネルを抜けてまっすぐ進み、突き当たって左に折れます。

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東照宮門

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金地院には徳川家康の命による三つの東照宮の内の一つがあります。

東照宮門を過ぎると金地院入口です。

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金地院の内部の案内は9:30からですから、それまで先に庭を拝見する予定で9:00着をめざしました。3分前の到着です。

金地院 (9:00~10:10)(8:30には開いているようですが、御確認を)

頂いたパンフレットから
応永年間に大業和尚が足利義持の帰依を得て北山に開創した禅寺です。
慶長の初め以心崇伝和尚が南禅寺塔頭に移建し今日に至っています。
以心崇伝(1569~1633年)は徳川家康・秀忠・家光の三代にわたって親任され、天下僧録師司として社寺のことを掌握した人物です。
黒衣の宰相とも呼ばれたほど畏怖尊敬を一身に集め、
十万石の格式、また御三家につぐ席次と江戸城内に屋敷地を与えられるという破格の待遇を受けました。

***
奥が庫裡、右手に拝観受付

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案内板の順路に従って進みました。途中少し上り坂ですが、ゆっくり写真を撮りながらでも20分足らずで回れました。

明智門 天正十年明智光秀が母の菩提のため、黄金千枚を寄進して大徳寺に建立したものを明治初年、金地院に移しました。

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弁天池
右奥に後で見る鶴島が見えています。大きさがよくわかります。

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池を右に見ながら進みます。誰もいません。

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東照宮
家康の遺髪と念持仏を奉戴して寛永五年造営。葉室麟『孤蓬のひと』によると、小堀遠州が設計図を書いているようです。

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天井の鳴龍は狩野探幽筆、三十六歌仙の額は土佐光起の筆、歌は青蓮院宮尊純親王の御筆跡だそうです。
鳴龍、頑張ってもここまでしか撮れませんでした。

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拝殿・石ノ間・本殿という造りは京都に遺る唯一の権現造り。

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横から見ると屋根がM字型に見える八幡造り(道後や宇佐で見ました)と似ていますが、八幡造りは前、後ろとも本殿。権現造りは拝殿と本殿になっています。

階段を下りると

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開山堂
崇伝和尚の塔所 後水尾天皇の勅額 と 十六羅漢像 が置かれています。

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戻ってきました。

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方丈前にきました。
全景を撮り忘れた、というか撮れなかったので絵葉書から

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頂いたパンフレットから

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方丈はパンフレットによると慶長十六年(1611年)、崇伝長老が伏見桃山城の一部を徳川家光より賜り移建したものとありますが、ウイキによると移転の痕も見られず時代的にも合わないことから、実際は崇伝によって寛永四年(1627年)に建立されたものとみられる、とありました。

この縁側に腰掛けてお庭を拝見。
寛永7年(1630年)小堀遠州の作(遠州作は多いが、確実に遠州が手がけたと言えるのはここだけだそうです)。
庭師は賢庭。去年行った圓徳院のお庭も作った人です。山水河原者といって、河原に住むいわば賎民がいるのですが、彼らは井戸掘りを行い地中の石を掘り出すことにたけています。石を扱うのが上手で賢庭のような優れた庭師もでました。
こういう人たちを大事にしたのは世俗を超越した存在である天皇だったそうです。当時「紫衣事件」(僧侶の任命権を幕府のものにしたことに対して後水尾天皇が叛旗を翻した)という朝廷と幕府の対立する事件があり、天皇に大事にされた賢庭が崇伝の庭を作るはずはなかったのですが、それを遠州がうまくさばいたことが『孤蓬の人』に出ていました。

鶴亀の庭

横長で一枚におさめられないので 絵葉書から

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左から 亀島 蓬莱石組み(手前に遥拝石) 鶴島
全面の白砂は宝船を表すととも海洋を表すそうです。また群仙島を象る石を点在させています。

 
亀島 背中に白骨のような木(柏槇)が生えています。作った時からこのような状態だったそうです。

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蓬莱石組みと遥拝石
奥が遠山石 手前の三石が三尊石
灯籠は織部灯籠です。灯籠左手前の三角石は近江富士
畳五畳分くらいの広さのある遥拝石。実際にここで跪くのではなく祭壇のように使われた、とあとで案内の方に説明されました。奥は白砂ではなく栗石が使われています。

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鶴島
向かって左、横に伸びる石が鶴首石
 
先が割れているのが短いけれど嘴をあらわしています。鶴首石の横の立石が羽石とお寺の説明版にありました。みかたによってはその右、手前と奥の二つの石が羽のようにも見えます。

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非常に迫力のある鶴島・亀島です。亀ははいずりだしそうです。気に入りました。

待っている間に額縁写真を

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右手の通行止めを外して入れていただきました。ぼんやり鶴の間がみえています。狩野探幽と言われますが実際は探幽指揮のもと、狩野信正が描いたとされています。パネルは等伯の猿猴捉月図

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9:30 係の女性がいらしたので方丈に上がります。特別拝観をお願いしたのはあと一人。物静かな男性で、三人で案内していただきました。荷物はロッカーに。やはりカメラノーです。(写真は全て絵葉書から)

お部屋の中まで入って間近に見ることができました。

私が気にいったのは等伯筆 「猿猴捉月図」

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猿が樹上より水中に映る月影をつかまえようとしている絵です。水に映る月を捕ろうとしますが、枝が折れて溺れてしまうらしいです。身のほどをわきまえよ、ということらしいです。

かわいいです。

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輪郭線を書かずに細い筆で毛を描き込んでいます。モフモフ感がありました。

海北友松のカラスの絵(真筆)もあり、これも印象的だったのですが、絵葉書には入っていません。ネットで調べると

(2ページ目)富岡佳子さんが訪ねる「ときめく、京都」に触れるベストスポット五選 | Web eclat | 50代女性のためのファッション、ビューティ、ライフスタイル最新情報 (hpplus.jp)に写真が出ていました。

上段の間 老松図は狩野探幽画

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茶室 八窓席
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寛永四年 小堀遠州作。三畳台目の席で京都名三席の一つ。
ここで全部は見えませんが窓は六つあります。八窓の内あとの二つは亭主と客の心の窓だそうです。

ほぼ30分で見終わりました。室内まで入れましたし、人数も3人。ゆっくり心ゆくまで見ることができました。きのうの聚光院とは大違いです。あらかじめ電話 075-771-3511 で申し込んでおいて是非とも!

10:10頃出て南禅寺方丈に向かいました。写真が多くなりましたので続きは次回  

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コメント

kikuko様
金地院は受付でいえばフリでもはいれるそうですが、希望者が多い場合もあるからあらかじめお電話をしておくとよいという情報でしたので、お電話をしておきました。 秋の特別展のような面倒な手続きは必要ありません。いいものを所有しているのに、もったいぶった所がなくて感じがよかったです。
裏山も東照宮をごらんにならないおつもりなら 省略して両側途中までになさってもいいのではないかと思います。桂離宮は別格として、今回見たお庭のなかでは一番すばらしかったです。
金地院は10万石で凄い、と思いましたが、浜松(湖西市)の本興寺も 10万石なのですね。
実は 24,25日 一泊で浜松に行ってきました。 ところが 突然のひざ痛と不正脈発作で2日目が殆どだめでしたが、大変な努力をしてナントカ龍潭寺は見てきました。京都にまけない素晴らしいお庭だと思いました。
遠州流のお庭ということですが、横広で巨石を配して池はあるものの、やはり遠州風かなと思わせられました。(なにをもって遠州流というのか知らないのですが私なりの感想として)。
今度こそ、旅日記もう少し早くアップしたいと思っています。  

 重森三玲庭園美術館の館長さんが金地院の庭園をお勧めでした。天授庵と併せて訪ねたいと思っていますが、ひょいっと入れるところではなさそうですね。金地院崇伝は「黒衣の宰相」と呼ばれ、家康のブレーンとして辣腕を振るいますので、なんとなく敬遠していました。キリスト教禁教令を起草したり、「紫衣事件」で沢庵和尚を出羽上山に配流したり、毀誉褒貶の多い方だという印象です。

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