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2022年11月 3日 (木)

京都 2日目ー3 桂離宮

松尾大社駅を予定を早めて13:49発の電車に乗ることにしました。ところがこの駅、階上駅ですがエスカレーター無し。階段をあがるのにくたびれてしまって、桂離宮を1時間歩けるのかどうか不安になりましたが、ともかく2駅、6分で桂駅に着きました。東口が近いのに、西口方向に向かってしまったようです。歩道橋の上からしばらく景色を眺めてタクシーで桂離宮へ。

桂離宮参観についてはネット(あるいは往復はがき)からの予約が必要。3か月前から受付(例えば今日は11月2日ですから 2月末日までの日が申し込めます)。うっかりして8月8日になりましたが人数はまだ余裕がありました(確か9人残っていました)。3日後、抽選の結果「参観許可」のメールがきました。余裕があったのはまだコロナ終焉の見通しが立たず旅割も発表されていない時期だからのようです。今見ると1月はもう殆ど満員です。当日受付枠があるようですので、何日間か京都に滞在する場合はお天気を見ながら当日枠をねらうのも手かもしれません。  

14:22 既に15:00の回を待ってる方がいらっしゃいます。左のテントは当日受付ですが、本日は終了となっていました。

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しばしときを過ごして14:40、柵が開けられました。

桂離宮

桂離宮は後陽成天皇の弟、八条の宮初代智仁(としひと)親王により、宮家の別荘として創建。

智仁親王は秀吉の猶子となったが、鶴松が生まれたため解約。
後陽成天皇は次の天皇に、とのぞんだが周囲の反対により天皇にはならず秀吉により八条宮家が創設されました。
幼少より文武百般に秀で、細川幽斎から古今伝授を受け、後進の歌人の育成にもあたりました。
17世紀初頭にこの桂村の地を得て1615年ごろ山荘を造営。
没後、荒廃に帰していたのを子の智忠親王は加賀の前田利恒の息女富姫と結婚して財政的裏付けができたため、山荘を復興。新御殿、月波楼、松琴亭、賞花亭、笑意軒等を増築、池や庭園にも手を加えて今日あるような姿に整えました(1662年頃)。
火災などにあわなかったため当時のままの姿が今に残されています。

なお曼殊院を一乗寺に移して整えた良尚入道親王は智忠の弟です。 

参観者休所へ案内されます。あわてて許可書を探しだすべくスマホを操作しましたが、許可書はなくてもマイナンバーカードだけで大丈夫で参観料各1000円を払って休所へ。説明ビデオなどありましたが、売店へ。(何か買わないと気が済まない人間で今回は各お寺でお守りやストラップ等を購入)青と白の市松模様の襖を七宝で表したストラップを買ってしまいました。青・白でなく赤・白もありましたが、ここは青でしょう。実際の襖はもう少し水色に近いです。

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ここにはお手洗いもあります。かなりの人数の方がいらしたのですが2組に分かれ先発隊は10分前に(多分20人を2組に分けたのだと思います)出発。私たち10人は15:00ジャストに出発しました。
意外にも若い方が殆どで70代は私たちだけ、外で待っていらっしゃる方(先発隊)も皆さん私よりお若かったです。

敷地は付属地も含めて6万9千㎡あまり。回遊式庭園と数寄屋風の純日本風建築物で構成されています。小堀遠州は直接には関与していないということですが(忙しかったことや、八条宮は豊臣方、遠州は徳川方という事情があったように葉室麟の『孤蓬の人』には書かれています)遠州の影響を受けていると言われています。 

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案内してくださったのは若い女性。とても感じのいい方でした。最後部に少し離れて見え隠れしながら男性係員が付いてきています。

参観者休所を出て
↓霰こぼし、とよばれる延段(石張りの通路)です。表面の平らな小さな石を敷き詰めるのですが、全体に平になるよう下の土を調整しなければならない、とても手間のかかる技法です。
これは後水尾天皇の行幸のさい、雨の後輿を担ぐ人の草履が泥土に染まることを防ぐためであったと伝えられています。

霰こぼしの面積は283㎡で1㎡あたり450~500個の石が使用されています。黒色、縦長で上端が平らな石が使用されています。現在では希少で一つも無くさないよう気を付けています。漆喰等を使わず土に石材を打ち込むだけです。縦長に使うことで土中で石がしっかりとかみ合い、固定されます。一人前の職人でも1日あたり20~30㎠角程度の施工量で とても今季のいる仕事だそうです。


奥はあとのお楽しみで松が隠しています。

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曲がってすぐ土橋を渡ります。橋の向こう側が見えませんが太鼓橋になっています。

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そのまま行幸道をまっすぐ進むと行幸門
茅葺切妻屋根を棈(あべまき)という自然木の皮付き丸太が支えています。
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向こうは表門、桂離宮の正門です。はっきりしませんが板戸で豪華なものには見えません。普段は使わないそうです。
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少し戻って左折。霰こぼし、の道から横に入ります。写真手前は紅葉山

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飛び石伝いに行くと外腰掛 (15:12)
「座ってください」といわれたので多くの方が座られ、写真をるチャンスがなかったので配られたパンフレットから拝借。
茅葺寄棟造りの屋根を皮付き丸太で支えるだけの吹き放しで、雪隠(お手洗い)がついています。松琴亭の待合腰掛です。

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飛び石は次第に大きくなって

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手前には、自然石と切石を配した行の延段。向かいは薩摩島津家から献上された蘇鉄山。
延段の美しさも魅力の一つでした。

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桂離宮には魅力的な石灯篭が多かったです。

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横には 二重枡形の手水鉢

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(く)の字形の石は遠州好みらしい。
外腰掛を出て進むと小さな流れがあります。

鼓の滝、高さ20㎝の落差

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傍らに織部灯籠
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浜道
奥に上写真の灯籠、その横に見える石橋を渡ってきています。手前にも織部灯籠 州浜には岬灯籠
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見ている景色は  天の橋立の左奥に松琴亭
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よみとりにくいですが屋根の妻に「琴松」(松琴)の扁額が見えます。御陽成天皇の宸筆で、銘は拾遺集巻八雑上の「琴の音に峯の松風通ふらし、、、」からとられています。

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松琴亭に渡る石橋、多分これが一番幅が狭かった(60㎝くらい?)と思います。滑らないように中央は石を粗く叩いています。橋の両端には橋挟み石を置いて景観を整えるとともに注意をうながしています。ネットで情報を得たときは心配でしたが、気がついたら渡り終わっていました。雨で濡れていたりしたら要注意です。
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松琴亭から 天橋立を見ると(15:25)
天橋立。智仁親王妃常照院は宮津藩主京極高知の息女であることから妃への愛情のあらわれともみられているようです。
手前左は手水鉢です。
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松琴亭は桂離宮でももっとも格の高い茅葺入母屋造りの茶室。

躙り口の奥は三畳台目の本格的な茶室。
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これも遠州好み
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桂離宮と言えばこの青と白の市松模様の襖です!
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竃構え
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眺めもいいですが、敷石も楽しい。奥の黒い屋根の建物はは月波楼、その左は古書院で現在修復中でした。

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15:28?ここを出て中島に渡ります。

1時間の行程でここで丁度半分。写真が多くなってきたので一度ここで切ります。

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2022年秋 京都の旅」カテゴリの記事

コメント

kikuko様
抽選ってあったのでしょうか?早くに申し込んで空きがあれば先着順かと思っていました。去年、修学院離宮も難なく取れましたし。
ともかくお天気が第一。雨で傘をさしてでは?二度目三度目なら写真はやめて目で楽しむことに徹すれば 風情があっていいかもしれませんが。
次回に丁寧に写真をのせましたが、私としては難所と思ったちょっとした山道があります。
難所と思ったのは私だけのようで他の人はひょいひょい上がっていらっしゃいました。(主人もそう思ったようで私を振り返ることなくさっさと行ってしまいました!)
あの石橋は、水面からの距離があまりないからか怖くはなくて前の人に続いてさっと渡れてしまいました。大丈夫です! 

桂離宮はこれまでご縁がありませんでした。実は10月の奈良・京都の旅に際して申し込んだのですが、見事に抽選に外れました。いま行っておかないと一生行けないと執念でやっと当たったのが1月9日15時です。何があるかわかりませんが、行く気満々で、大いに参考にさせていただいています。
 幅60cmの石橋が恐怖。夢に出てきそうです。

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