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2022年11月 8日 (火)

京都 3日目―1 大徳寺(龍源院・瑞峯院)

10月19日(水)
今日は京都秋の特別公開で大徳寺の聚光院の拝観を予約してあります。
11:00の予約ですのでその前に去年行かなかった通常公開の龍源院と瑞峯院を拝観する予定です。
午後は相国寺承天閣美術館と長谷川等伯ゆかりの本法寺に行くつもりです。 

7:00には食堂に降りていきました。昨日と同じお席でお隣も昨日と同じ方(アメリカ人?ご夫婦)でした。金曜日までずっと同じでした。
今日はトーストセットにして目玉焼きとソーセージを抜いてもらいました。普段、私はトースト二分の一枚なのですが、そこまでは言えませんでした。

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8:30過ぎにホテルを出てバス乗り場へ 大徳寺行はFとH乗り場からの2系統あります。 

8:51 早く来たF乗り場の205番バスで大徳寺前9:21着
龍源院はバス通りである北大路通りに面した南門から入ります。そのまま直進して信号を渡ってさらに進めばいいのです。
外の通りをあるいて総門から入るより南門から参道を進む道の方が気持ちがいいです。

大徳寺塔頭配置図
これは瑞峯院でいただいたパンフレットに載せられていた図ですので瑞峯院に行く道順が示されていますが、まず南門に近い龍源院(この図では竜になっています)から拝観しました。

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距離感が出るのはグーグルマップですね。

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朝が早いせいか他に参拝者の姿の見えない参道を進みます。空は真っ青。いいお天気ですが、お庭を見るには薄曇りくらいで 影のできない日がいいのですけれど。

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龍源院 (9:27~9:52)
1502年 能登の領主・畠山義元公、九州の都総督・大友義長公(宗麟の祖父)らが創建

表門 四脚門切妻造り、檜皮葺き
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拝観受付へ
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室内に種子島銃 と 秀吉、家康が対局した四方蒔絵の碁盤と碁筒が展示されていました。

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碁筒にはそれぞれ葵の御紋と桐の御紋

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お庭拝見

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書院からみせていただきました。

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「達磨」図は狩野探幽筆

観る目は全くありませんが、いいと思いました。

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滹沱底(こだてい) 阿吽の石庭

真ん中の石が吽の石
阿・吽の石は 聚楽第の基礎石だそうです。

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担雪井 創建当時より現存している野井戸

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そのお隣の方丈前庭には 一枝担  この名は開祖東溪禅師の室号、霊山一枝之軒からきているそうです。

奥に蓬莱山、手前、苔の上に亀島、右に鶴島を配していて白い砂が大海原をあらわしています。
蓬莱山とは仙人の住む不老長寿の吉祥の島。

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方向を少し変えて
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室内を見ると(カメラ不可とは書いてありませんでした)
筆者不詳の「波と龍」図。なんと右手に龍があったはずなのに撮り忘れ 江戸初期
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如拙(退蔵院の瓢鮎図を描いた画家)門下周文の弟子だった等春の書いた列仙の図 室町時代
この時は(室内は入れない)ざっと見ただけでしたが、今見ると結構楽しい絵です。

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方丈裏の竜吟庭に回っていくと、横に開祖堂がありました。
開祖・東溪禅師の塔所で昭和の唐様建築

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竜吟庭 
室町時代特有の三尊石組からなる須弥山形式の枯山水庭園で相阿弥の作と伝えられています。杉苔が大海原を石組みが陸地を表しています。
相阿弥は室町時代の絵師、鑑定家、連歌師で作庭も行いました。

お天気がよすぎて日影と日向がくっきり分かれて見づらい写真になりました。
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中央の高い石が須弥山をあらわしていてその前、半分日影になっている平たい石が遥拝石。
左隅、木の根本に三尊石
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一枝担は座って拝見したのですが、ここはこの日差しですから立ったままでした。でも座って撮るべきでした。当時もお部屋から座って眺めたはずですから。そうすれば石の高さもでて石組みの良さがより分かったのにと残念。

まわってくると、日本で最も小さい石庭である 東滴壺
板石が置かれた円い波紋は一滴の水が滴り落ちる姿を示しています。一滴の水が小川となり大河となり、ついには大海となる様に、一滴の大切さ、一滴がそのまま大海につながっていることを表現しています。

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9:52 龍源院を出てぐるっと回って瑞峯院に向かいます。

****

瑞峯院 9:59~10:28

キリシタン大名として知られる大友宗麟公により天文年間(1532~55年)に創建。
大友義鎮は22歳の時に得度を受け宗麟と改め、瑞峯院殿瑞峯宗麟居士という法名から寺号を瑞峯院としました。

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唐門

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方丈(1535年建造)、唐門、表門とともに室町時代の禅宗方丈建築の遺構をとどめる貴重なものです。

ここから入って
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方丈へ渡り
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方丈を回るように拝見しました。お庭は方丈の前と後ろにあり、どちらも重森三玲作庭です(1961年)。

方丈前 独座庭
寺号、瑞峯をテーマにした蓬莱山式庭園。中国の禅僧百条禅師が、独座大雄峰と呼
唱された禅語からとられた銘です。
蛾々たる蓬莱山の山岳から半島になり、大海に絶え間なく荒波に、打ち寄せもまれながらも雄
々と独座している、大自然の活動を現わしているそうです。

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蓬莱山の石組が見事だと思いました。

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方向をかえて見ると手前の石がとても薄いことに気がつきます。左の石の連なりは半島を表しているようです。

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右の方に目をやると

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この辺りだと波は穏やかなのでしょうか。高低差があまりありません。

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飛び石は餘慶庵へといざないます。

方丈室内
開祖大満国師の木像が祀られています。

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美男であらせられます!

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額は後奈良天皇の宸筆

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茶室餘慶庵は表千家八代目啄斎宗匠好みの席の写しです。 入れません
ところでこの路地

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↑垣根が衝立のように隠している灯籠が見えます。

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ここまで来てふりかえるべきでしたが、この上に餘慶庵の名前が記されていたりしてそちらに気をとられていたのでしょう。(それにしても、たたきにぽたぽた石が多すぎ!)

↓これを見てないのです。これは絵葉書(左側の廊下を歩いたのです)。
事前の調査で知っていたのに!バカ、バカ。もしかしたら木が邪魔をして見えなかったかもしれませんが。
夜、ホテルで絵葉書を見て気が狂いそうでした。真剣に翌日行くことを考えましたが、とりあえずスマホでブログチェック。一週間前にいらした先達の記事にもないことから、見えなかったと思うことにしました。でも絶対、次に京都に行く時は確認しに行くつもりです。
小さな手水鉢みたいなのが気になるのです。彫られているのは?臼杵で観たマリア観音に似ているかもしれない、と。

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この路地も元は青石を敷き詰め一木一草もなく立手水鉢を置いただけの斬新なものだったそうですが、近年こういう姿にされたそうです。

ここを回ると方丈裏
閑眠庭
「閑眠高臥して青山に対す」の禅語による銘

このお庭はキリシタン大名大友宗麟の市波十字架が隠されていることで有名です。

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砂の斜めの筋が十字架の縦方向です。縦四つ横三つの石で十字架が構成されています。

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相客は一組でした。
中央縦が十字架の長い方。私は予習してっておりましたが、↓この方向からみ見た石の並びと宗麟がキリシタン大名だったことから、気づく人がどれだけいるか?なんて三玲は遊んだのでは?とも思いました。  

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独座庭とは対照的な穏やかな眠りを誘うようなお庭です。表裏、対にした妙味でしょうか。

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この右の柱の所をまがると茶室 安勝軒
表千家第12代惺斎(せいさい)の好みだそうです。

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そろそろ戻りましょう。坪庭がありました。

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織部灯籠(キリシタン灯籠)です!拡大してみました。

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10:29ここを出ました。少し時間がありますが聚光院に向かいます。

写真が多くなりすぎですので、ここで切ります。

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