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2022年11月19日 (土)

京都 4日目ー5 (青蓮院 夕食)

10月20日(木)続き

永観堂から青蓮院へは5番のバスで行けるのですが、時間があまりないのでタクシーにしました。京都は初乗りが420円。道がわかりにくいところや、バス待ちの時間を考えて近距離でも何度か利用しましたが、運転手さんは嫌がらず行ってくれました。

青蓮院 (15:00~16:00)
青蓮院は門主が皇族または摂関家によって受け継がれてきたので青蓮院門跡とも呼ばれます。
起源は伝教大師最澄の比叡山にあった青蓮坊です。

門跡寺院として山を下ったのは平安時代末期、山をおりて青蓮院となって二代目の門主は鳥羽上皇の第七皇子覚快法親王。これ以降皇族や摂家の子弟が門主となる格式の高い寺院になりました。三代目の門主が今年の大河ドラマに時々出てくる慈円です。
この時、青蓮院はもっとも隆盛を極めました。
1893年に大火災が発生し殆どの建物が消失、その後復興されたものが現在の建物です。

天然記念物の大楠

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門を入り、参道を突き当たって左に行くと受付があります。

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受付でいただいた境内順路図

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先ず華頂殿から
客殿(白書院)
白書院とは檜の柾目で造られ漆など塗っていない素木のまま造られた書院をいうそうです。

三十六歌仙の額絵と木村英輝氏奉納の、蓮の襖絵(60面)があります。

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腰かけてしばし「相阿弥の庭」を眺めます。(伝相阿弥)

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太閤秀吉より賜ったと言われる一文字手水鉢

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小御所

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本堂の北側に建つ入母屋造桟瓦葺きの建物。当院所蔵の『門葉記』門主伝によると、平安時代末は門主の居間であった。後櫻町上皇が当院を仮御所としてお使いの際上皇もご使用になった建物である。但し明治に焼失した為、江戸中期の建物を移築している。(お寺のホームページより」

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本堂には青不動がまつられていたのですが、ここだけはカメラ禁止でした。
あとで 外から撮ったものです。

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戻ってきて宸殿

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入母屋造、桟瓦葺きの、寺内で最も大きな建物。徳川家康の孫である東福門院(後水尾天皇女御)の御所を移転。明治26年(1893年)に焼失後復興。
宸殿は門跡寺院特有のもので、主要な法要はここで行う。有縁の天皇及び歴代門主の御尊牌を祀る。宸殿前に右近の橘、左近の桜を配するのは、御歴代尊儀の在ます所の意味である。(ホームページから)
この建物は修復中で鉄パイプの足場で囲まれ外から見ると、なんとなく橘、桜は分かるがはっきりしないので写真は省略。

受付横まで戻って靴をはいてお庭に出ました。(もうお部屋には戻れません)

小さな門をくぐると「相阿弥の庭」
大石(二千貫に近い重さ)が龍の背にみえることから「龍心池」と呼ばれます。石橋は「跨龍橋」

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桂離宮にもあった「岬灯籠」が見えます。洗心滝というのがどこだかよくわかりません。もしかしたら右奥がそうなのかな?と考えてみましたが、間違っているかもしれません。 

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霧島の庭
小堀遠州作と伝えられる庭ですが、なんとなく通り過ぎてしまった感があります。霧島ツツジがうえられているので 霧島の庭と言います。

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茶室 好文亭
後桜町上皇が青蓮院を仮御所として御使用の際、お使いになったご学問所

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西方浄土の庭

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親鸞聖人像
親鸞は1181年9歳の時、慈円のもとで得度しました。
そのため青蓮院は天台宗ですが、浄土真宗の聖地にもなっています。

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歩いていくと自然と外に出るようになっていてもう中には戻れませんでした。

三条通に向かって歩いていくと途中に京都七口の一つ「粟田口」の標識がありました。

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神宮道のバス停でバスに乗るつもりでしたが丁度乗るべきバスが出るところ、タッチの差で乗れませんでした。次を待つより少し歩きましょう、と歩いて白川橋まできたところで明智光秀塚という標識をみつけたので白川沿いに少し歩いて見に行きました。

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光秀は自害したのですが、その首は粟田口で晒されて蹴上付近に塚がありました。江戸中期に卒塔婆がこの地に移され、光秀を弔う地になったと書かれた立て札がありました。
路地奥でなんだか気の毒になるような場所でした。

三条通に戻り、東山駅から市役所前まで地下鉄に乗ってホテルに帰りました。

夕食は18時半に祇園のスコルピオーネというイタリアンのお店を予約してあります。

徒歩15分くらいのはずなので18:10ごろホテルを出ました。ところがお店に気が付かずに通り過ぎてしまったようで、付近をうろうろ、近くで聞いて、お店にお電話して15分くらい遅刻してやっとたどり着きました。 

でも気持ちよく迎えていただきました。町屋改装のお店です。

ワインはメルローを注文

前菜 パルマ産生ハム ブラータチーズ シャインマスカット

なんと写真撮り忘れ プラータチーズ大好きなのに

スープ 黒トリュフ マッシュルーム  
久しぶりのトリフ。主人はヘンな匂い、というのですが、私は大好き

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パスタ  カラスミ オイルソース バベッティーニ
からすみも好きなのですが、少ししおからかったです。

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魚料理  太刀魚 茄子 ミモレットチーズ

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肉料理  鴨肉 ロースト
実は鴨肉って薄くスライスしたものしかいただいたことがなかったのですが、これは塊なのに柔らかくとてもおいしかったです。

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デザート

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普通にイタリアンですが、京野菜が添えられているところが、京都でしょうか。どれも美味しくて、このお店あたりでした。ホテルまで近いのですが、暗いのでまた迷うと大変、でタクシーをよんでもらってホテルに戻りました。

充実の一日でした。 17242歩

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