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2022年11月17日 (木)

京都 3日目ー4 昼食 永観堂

奇10月20日(木)続き

12時です。お昼です。南禅寺と言えば湯豆腐です。
南禅寺の湯豆腐については情けない思い出があります。
もう30年も前、娘と銀閣寺から哲学の道を歩いたのですが、歩き始めてすぐ雨が降り出したのです。
ここは歩き続けるしかありません。途中土砂降りになって靴の中まで雨が入り込み、ぐしゅぐしゅ状態。南禅寺に着いたら湯豆腐、と考えていたのですが、当時のお店は靴を脱いで入るようになっていて、入口でまで来てこの足では無理、とあきらめたのです。
南禅寺に来るのはそれ以来です。まあ、リベンジではありませんが。

この辺り、ざっとみても湯豆腐屋さん以外お食事処はないようです。ブログからの情報で「順正」がよさそうでしたので予約してあります。南禅寺から至近です。
中門を出て、どこかな?と思う間もなく見えてきました。

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昼食「順正」(12:05~13:10)
「 ゆどうふ優先予約は12時から13時の間にご案内いたします」ということになっています。
行くと、横の売店奥の床几にかけて待つよういわれましたが、座ったと思うとすぐ名前をよばれ、門からお庭を通ってお部屋へと案内されました。

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お庭が素晴らしいのです。

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お庭に近い側のお席はほぼ満席でしたが、間隔は充分にあります。

お料理は一番品数が少ない花コースにお願いしてあります(それでも私には多かったです)。
湯豆腐と湯葉が選べます。二人別にして湯葉と豆腐にしたのですが、
二人がどちらもいただけるようタレ等二人分づつ用意されました。

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豆乳、白和え、煮物、田楽、野菜天婦羅等がメニューでした。白和えが美味しくてこれまで家では作らなかったのですが、この旅行後からはよく作るようになりました。

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湯葉は、豆乳の表面に皺がよってきたら竹串で縁にそってはがしていくのです。これが面白くてたくさん頂いてしまってかなりおなかがいっぱいになりました。(豆乳は内鍋に深さ5ミリ?くらいの分量)

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田楽もおいしかったです。
てんぷら、きたすぐに写真を撮るのを忘れてしまって数が減っています。

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帰りにお庭をもう一枚、水がきれいで気持ちのよい眺めでした。

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13:10 ~13:35  ゆっくり歩いて永観堂に向かいました。
 南禅寺中門をくぐってすぐ左におれて進み、右に曲がりさらに左に進んで道なりに結構な距離を歩きました。 

永観堂(13:35~14:45)
863年、弘法大師の高弟・真紹僧都が、清和天皇から寺院建立の許可をもらい、禅林寺という名を賜りました。
禅林寺を大きく発展させたのは永観律師(1033~1111年)の時代です。そのためいつしか永観堂と呼ばれるようになりました。
南禅寺のところで出てきた亀山天皇の離宮はこの禅林寺が下宮だったということです。

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境内図

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まずは 釈迦堂へ
方丈・釈迦堂は室町時代の建立とされ、本格的な書院造り。6間からなり、それぞれが「松鳥図」「群仙図」等の華やかな襖絵でかざられていますが、室内撮影禁止でした。

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子の釈迦三尊像はそれほど大きくはありませんでした。
すごいのはこれの置かれた部屋両脇の壁に描かれた絵です。
怒涛渦巻く大河、青というかグレーの迫力のある鳴門海峡の大渦のような渦が描かれ、向かい合うのは全てを焼き尽くす炎ですが、黒い岩山に火山から赤い溶岩流がながれでて黄色い炎をあげている、という強烈な絵でした。
聚光院の青い滝の絵も驚きでしたが、あれは事前に知っていましたから「これね」という感じでしたが。こちらは予想していなかったので驚きでした。
ヨーロッパの教会が美術の宝庫だったように日本のお寺もそうなのだな、ということを今回の旅でいよいよ実感しました。
その時その時の芸術を取り込んでいるので、これもありなのでしょう。

でもヨーロッパの教会に廻廊・中庭はあっても日本ように景色を作った庭園はありません。

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小方丈西庭 

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釈迦堂西庭には勅使門と盛り砂
勅使はこの盛り砂を踏んで身を浄め乍ら進んだそうです。また昔は夜の月明りをこの砂に受けて明かりとしても利用したそうです。

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方丈南庭

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右手、この隠れている灯籠、形が面白いのに全体が見られなくて残念。

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方丈北庭

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場所をはっきりおぼえていないのですが、すきま利用?

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悲田梅
永観律師は境内の梅の木に身がなるのを待ちかねて、貧しい病人に施した、と言われいつしか「悲田梅)といわれるようになりました。
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多分 方丈を出て御影堂へ行く途中の渡り廊下

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御影堂は中に入れません。周りの廊下を歩くだけです。
今日も晴天
「もみじの永観堂」といいますが葉が緑の時もすがすがしくていいものです。

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見下ろすと、あれは多分 龍吐水 龍が木の影になっています。

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奥に阿弥陀堂へいくためのエレベータ―が見えています。階段ではなくこちらを利用して上に行きました。

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阿弥陀堂、中にはいれますが、写真不可です。

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みかえり阿弥陀像 (平安後期~鎌倉初期)77㎝ (絵葉書から)

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みかえり阿弥陀のいわれ  永観堂 ホームぺージから

永保2年(1082)、永観50歳のころである。2月15日払暁、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道していた。すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられた。永観は驚き、呆然と立ちつくしたという。この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、「永観、おそし」と声をかけられた。永観はその尊く慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われている。

正面から見ると、顔を背けていますが、右の方に回ると、丁度頭が見えるだけ窓があいていてお顔が見えるようになっていました。
演出のせいか、無信心者の私でも いいなと思ってしまいました。

降りるときは少し急ですが階段にしました。

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下り切った所右、崖側に水琴窟があったのです。帰って調べて気がついて、そのあたりが写っている写真を拡大して発見したのですが、これも悔しい見落としの一つ。

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この向こう側の登り階段が臥龍廊です。
私はここで待っていて主人だけ上がって行きました。

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上がって進むと奥にうっすら見えるのが 開山堂

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そこから見えるのが 多宝塔への入口(鳥居の横に階段)

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大体見終わったので、外に出ました。

勅使門、この門を入ると盛り砂があるというわけです。

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多宝塔を遠望

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放生池

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売店によって絵葉書をかったのですが、お線香の説明をきいて買ってしまいました。火が消えると見返り阿弥陀様が現れるのだそうです。まだ火をつけていないので、様子がわかりませんが。

先を急ぐので門の外に出てタクシーを捕まえました。青蓮院については次回に。

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