最近のトラックバック

2026年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

« 浜松へ 2日目 気賀関所 龍潭寺 | トップページ | 映画「ザリガニの鳴くところ」 »

2022年12月 7日 (水)

映画「ある男」

12月2日 
久しぶりに映画を観てきました。新聞評でよさそう、と思ったからで、詳しい内容は知らず平野啓一郎の原作ということも知らないまま。

ある男

22120201

最初に出てくる場面、ルネ・マグリットの「複製禁止」という絵をみている、場面です。この絵は鏡を見ている男をえがいているのですが、鏡にも後ろ姿が映っているのです。背中ばかりで顔が見えない、いったいどんな人?非常に暗示的なショットです。

22120202

最近ではあまりみかけない小さな町の文具店。店に立っている女性は涙ぐんでいます。
彼女、里江は幼い子を亡くし離婚してもう一人の息子とこの実家に戻ってきているのです。
そこへスケッチブックを買いに来た男、谷口大祐、は多分涙ぐんでいる彼女が気になったのかもしれません。ちょっとした買い物を目的に店をよく訪れるようになり、親しくなって結婚。女の子も生まれて幸せな日々を過ごしているのですが、ある日事故で突然、亡くなってしまいます。

不仲だという谷口の実家に一周忌になって連絡をすると、大祐の兄なる人がやってきて遺影を見て「弟ではない」と言うのです。弟は行方不明だそうです。

22120301

「3年9カ月一体私は誰と暮らしていたのか」離婚の時お世話になった弁護士、城戸に調査を依頼します。

ありそうな話は殺してその人になりすましている、人殺しにはみえないけれど。
また他人の戸籍を買う、ということもあるが一体どういう理由で別人にならなければいけなかったのか?
谷口を名乗る男Xは一体何者なのか?

根気よく手がかりを求めて調べていくうちに里江の夫だった男の過去が明らかにされ、また本物の谷口大祐も探し出していく過程は謎解きの要素があって興味深くみました。(これ以上はネタバレになるので書きません) 

出てくる人間は社会的に恵まれた状況にあるいわば上層部といわば庶民、二つの階層に分かれるのですが、一様に上層部は人の痛みを解さず侮蔑的な言葉を吐き、庶民は一様に優しい(一人 刑務所にいる男を別として、しかし彼も自分は日本人として優位に立っていると思っている)という構造が気にはなりました。 
2時間という枠ではこうするしかなかったのかもしれません。

調査をする弁護士城戸の生まれ(在日三世)等も明かされ、嘲笑される様子も写されます。よく写される城戸の後ろ姿は、城戸自身にもまた自分はいったい何者なのか?という疑問が芽生えてきているようにも思わせられました。 

謎を追いながら語られていくのは、自分自身のせいではなく「与えられた条件」の元で生きていかなければならなかった人間の苦しみ、背負わされた条件から逃れて生きるためには他人になるほかはなかった人の哀しい話です。

レッテルを張られ、それに苦しむ人間像が明らかになるにつれ、城戸自身、自分にレッテルを張って生きてきたのではないか?そうしてこのレッテルをはがしたい、自分もまた別人になりたい気持ちがあることに気付くラストが秀逸。

里江親子の夫であり、父であった男への愛が救いです。 

テーマは重いですが、とてもいい映画でした。 

 

« 浜松へ 2日目 気賀関所 龍潭寺 | トップページ | 映画「ザリガニの鳴くところ」 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

aiai様
原作をすでにお読みになられてたのですね。
城戸の妻の両親、たしかに よくあるパターン、それに夫が仕事で忙しくてかまってくれないから浮気、というのも。 そもそも仕事で忙しいのなら体を気遣ったりするのが普通で浮気に奔るというのが理解に苦しみますけれど。
大祐がなんとしても別人になりたい気持ち、これは非常によくわかります。 そうしてそれを追っていくうちに自分にも今の自分を脱ぎ捨てたい気持ちがあることに気付くわけです。
しかし多分家柄的には不釣り合いな結婚をしている、妻は浮気をしているようだ、という理由付けが必要なのかどうか、その方が分りやすいですが、もう少し普遍性をもたせてもいいのではないか、という気もしました。でもそうすると切実度は低くなりそうです。
原作が読みたくなりました。


私もつい先日「ある男」を観てきました。すごく昔に原作を読んだ記憶があるのですが、細部を忘れていて、映画との違いを認識できておりません。弁護士の城戸が在日にルーツがあるとかいう設定が原作にあったかどうかすら覚えていないのです。自分の頭に自信がなくなりました。映画としては、地味ですが、良い映画という印象です。城戸の妻と両親の描き方が一面的であると思いました。「自分は何者であるか?」という問いは、答えが無いのかもしれません。そうですね、ラスト城戸がバーで発した言葉が意味深でした。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 浜松へ 2日目 気賀関所 龍潭寺 | トップページ | 映画「ザリガニの鳴くところ」 »