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2023年3月 5日 (日)

舞台「アンナ・カレーニナ」

3月3日 シアター・コクーンに「アンナ・カレーニナ」を観に行きました。

「鎌倉殿の十三人」を観ていて「宮沢りえ、上手くなった、舞台でも観たい」と思ったのです。2017年に「ワーニャ伯父さん」を観たときは、失礼ながら声に幅がない気がして今一つと思ってしまったのですが「、、十三人」のりくでは声に幅というか奥行きが出てとてもよかったのです。

ただこのところの体調不良、ブログアップが遅れていますが、28日から一泊で熱海に行きましたが、出発前にまた不整脈発作が起こってしまったのです。それでこの日家を出るときも心配で予防にお薬を飲んででかけたためもあってか、無事帰ってこられました。

アンナ・カレーニナ」上演台本・演出 フィリップ・ブーリン

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トルストイ原作の『アンナ・カレーニナ』読んだことがあったか、なかったか?漠然とこういう話、というのは知っていますが、行く前にネットであらすじを確認しておきました。

アンナはサンクトペテルブルグに政府高官である夫カレーニン(小日向文世)と息子セリョージャと住んでいますが、ある日、兄を訪ねてモスクワに行きます。列車ではヴロンフスカヤ伯爵夫人と親しくなります。
モスクワに着いたとき、母の伯爵夫人を迎えに来ていたヴロンスキー(渡邊圭祐)はアンナに強く惹かれます。アンナを迎えに来ていたのは兄のスティーヴァ(梶原善、十三人で暗殺者・善児の役)。
この時列車に轢かれた駅員が死亡する、という事件が起こり、不吉なものを感じさせられます(鉄道が敷設されてまもないころ、つまり鉄道は近代化の象徴でもあったのです)。

ステーヴァの浮気のため妻・ドリーとの関係がうまくいかなくなっているのをアンナは仲裁に来たのです。
ヴロンスキーは機会をつくってはアンナに近づきます。
ドリーの妹キティはヴロンスキーが好きなのですが、ふられてしまいます。
一方スティーヴァの友人リョーヴィン(浅香航大)はキティに想いを寄せていますが、キティはヴロンスキーが好きなのでふられてしまいます。失意のリョービンは領地の農場経営に力を注ぎます。

アンナ・カレーニナの話はアンナと夫カレーニン、ヴロンスキーの話だとばかり思っていましたが、スティーヴァとドリー、リョーヴィンとキティ三組の男女の話で構成されていました。

まだ暗い舞台を見るとどうやら子供部屋らしく、木馬やドールハウスが置かれていてその奥に二列に椅子が十客あまり並べられています。貴族の館らしい布張りのロココ(?)風のものです。
この椅子には前面で芝居をしていない出演者が腰かけています。出番待ちに座っているわけではなくギリシャ悲劇のコロスのようです。合唱はしませんが事件の見届け役のようです。
そうして向かって左手にはピアノがありヴィオラ、コントラバスの三人の奏者が開幕してまだ暗いうちから演奏を始めています。ふつうは舞台の下ですが、同じ舞台上です。
なかなか面白い舞台設定だと思いました。 

場面転換は明かりが落とされるだけでその間に出演者たちが椅子をもって走り回ったり、テーブルを引っ張ってきたりして基本の舞台設定は変わりません。

三組のトラブル、この口喧嘩が壮絶
ドリーが有名な「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」(この言葉通りだったかどうかは思い出せませんが)という台詞を言ってました。「自分は子供をたくさん産んでボロボロなのに、あなたは 、、。」ともうすごい剣幕で言いたい放題。そこでアンナは貞節のすばらしさをといて、、(この後の自分に起こることなどまだ想いもよらないのです)

ヴロンスキーと親しくになるにつれ夫が疎ましくなっていくアンナ、このカレーニンとアンナの二人の対話、面と向かって話ながら間で客席に向かって本心を打ち明ける、これがなかなかおかしい。しかしだんだん壮絶なケンカ、疎ましいばかりか毛嫌いし、憎みます。

一方、ヴロンスキーに失恋したキティはリョービンを受けい入れ、愛し合うようなり、結婚。二人の喧嘩はお互いの愛を確かめ合うようなもの。息子も生まれます。

アンナとヴロンスキー、二人の間柄はいわゆる不倫ですから周囲に受け入れられるはずではなく、ローマに住んだりしますが、矢張りロシアが恋しくなって戻ってきます。
アンナの出産、娘もアンナという名前を付けます。なお、カレーニンとヴロンスキーも名もは同アレクセイ。

二人が同じ名であり、母と娘も同じ名である、というところもポイントになっているようです。

三組の男女の話が早いテンポで入れ替わり立ち代わり演じられて、長い芝居(前半1時間45分、休憩のあと1時間40分)も飽きさせません。

周囲に受け入れられないアンナは夫との離婚に関してもためらうところがあります。ヴロンスキーが帰ってこないと、他の女性と一緒だったのでは?と疑心暗鬼になり、次第に心のバランスを失っていきます。

このあたりの狂気じみた凄まじさには圧倒されました。そうしてアンナのとった最後の行動。
しかしこれで舞台は終わりではなく最後の場面はお互い理解しあって幸せな家庭を築くリョービン・キティ夫婦。
「どの瞬間も疑いようもなく良い意味を持っている、おれたちにはそれを手に入れる力がある」大地に根付いて生きようとするリョービンはトルストイの分身ともいえる人物です。

見応えのある舞台でした。特にアンナ役の宮沢りえが素晴らしかったです。初めて知った恋にのめりこんでいき、夫に侮辱的な言葉を投げる驕慢なアンナ、
周囲の非難のうち、いよいよ多くヴロンスキーにもとめるようになり嫉妬に苦しむ、一方で夫のことを憎みたいけれど憎み切れたわけではなく、病気になったアンナは二人のアレクセイに「私はもう一人のアンナが怖いの、あなたと恋に落ちたアンナのことが いまここにいるのは本物のわたし、完全なわたし この私に必要なのは赦しだわ 赦して、赦して、わたしを赦して、、、」 赦しを求めるアンナ

これを演じきった宮沢りえ 華のある役者だとはおもっていましたが、実にすばらしかったです。

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熱度の高いアンナにたいして有能な管理らしく落ち着いて話す小日向文世もよかったです。

ヴロンスキーを演じた渡邊圭祐、宮沢理恵に貫録負け。すごい美男ですが武官です。体が華奢すぎます。堂々たるアンナに押されてしまっていました。

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リョービン役の浅香航大にしてもそうですが、近ごろの若い男優は背が高いけれど体が細過ぎの人が多いようです。テレビならいいけれど舞台では客席を向いてより、対話している横向きを見せることが多いわけですから体が薄くてはどうしても存在感が希薄になってしまうのです。その分、話術や動きでカバーできればいいのですけれど。浅香航大はよく頑張っていると思いました。
スティーヴァ役の梶原善もいい味出していましたが、時々言葉が聞き取りにくいときがありました。

素晴らしいお芝居でした。カーテンコールのときはスタンディング・オベーション

それにしても宮沢りえ、よかったです。十代の頃は美少女として名をはせ、色々週刊誌を賑わせた事件もあったように記憶していますが、それで埋もれてしまわず、努力してきたのだな、と改めて感嘆の思いで観ていました。

この役、向いていると思いました。次はマクベス夫人なんてどうかしら、なんて。

体に不安があり、東京まで一人で出かけるのもこわくなってきていますが、まだまだ生の舞台は見に行きたいと思いました。 

 

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