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2023年5月

2023年5月30日 (火)

『疑念』J.L.ホルスト著

aiai様が教えてくださった北欧ミステリーを読みました。

寡聞にして、この作者を知らなかったのですが、ノルウエイの作家で名だたる賞受賞している方だそうです。
一気読みの面白さでした。

疑念』 ヨルン・リーエル・ホルスト著 小学館文庫

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これは ホルスト作の未解決事件四部作の最後の作品だそうです。
休暇中のラルヴィク署のヴィスティング警部の家に差出人不明の郵便物が届きます。たんに 数字とアルファベットが何文字かだけですがヴィスティンぐはそれをみて事件の番号と判断、この事件を調べなおします。

また近所では火事が二度に渡って起こり、焼け跡から遺体が発見されますされます。 他殺?

示唆されてきた事件は1999年に起きた少女暴行殺害事件です。犯人は確定し禁固刑を受けて既に刑に服していたのですが、最近出所しています。
ほどなく次の手紙が来て書かれた数字とアルファベットからその2年後に起きた少女暴行殺害事件が浮かび上がります。
ヴィスティングは他の署の刑事の助けも借りて事件を洗い直し始めます。
緻密に丁寧に、得られた事実にすぐ飛びつかず色々な方向から吟味して捜査を続けます。

事件当時と現在の捜査、それに現在進行中の火事のことも交じって語られ、警部の娘や孫も登場。こういう事件では小さな女の子のかわいらしさが心を暖かくしてくれていいですね。
人名がごちゃごちゃになりながらも面白くて一気読み。aiai様、教えてくださってありがとうございました。

著者は元警察の上級調査官で現役時代、1999年に捜査に当たった少女殺害事件があり、当時は証拠不十分なまま容疑者は釈放。しかし2015年、最新の手法によってDNA型鑑定がやり直された結果、ホルストが14年前に逮捕した男が再起訴されて刑が確定した事件があるのですが、それを元に構想されたそうです。

もう一冊くらいはこの作家のものを読んでみようかと思います。でも暴行事件はいやですね。

***

ところで今日は私の誕生日、79歳。
なんと今朝また2か月ぶりくらいに不整脈でつらい思いをしました。まず頭痛、片頭痛みたいなのではなく頭の内圧が高まったと思われるような痛み、耳の下から顎の骨の痛み、そうして不規則な心臓の打ち方。胸も苦しい。寝床の中で動けない状態でしたが、1時間くらいして起き上がってお薬を飲み、その後1時間くらいして何とか収まりました。その後も本調子ではなく夕方まで殆ど動かずに過ごしました。本を読んだり、テレビを観たりは大丈夫なのです。ナマケ病ですね。
昨日6回目のワクチンを打ちました。それが引き金、というわけではないと思いますが。
八十路の独り旅、というブログを読ませていただいておりますが、私は八十路の旅は出来そうにないな、という気がしてきました。  

2023年5月28日 (日)

『光を灯す男たち』エマ・ストークス著

1900年12月アウター・ヘブリディーズ諸島にある、アイリーン・モアという島の灯台から3人の灯台守が失踪した、という事件があったそうです。この事件から着想された小説、というのを読みました。

舞台はコーンウォール半島の先端、ランズエンド。ランズエンド沖の孤島にあるメイデンロック灯台で1972年に起きた事件ということになっています。
ランズエンドには2006年に行ったことがあります。荒涼とした場所ですが、とてもすてきなところでした。
 (Googleストリートビューから、2006年当時とあまり変わっていないようです)

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当時の旅日記を見直し、グーグルマップを開いて時にストリートビューもしながら読みました。


旅路はるか~2006年イギリスへの旅 (xrea.com) (7日目その1)

光を灯す男たち』エマ・トークス著 新潮クレストブックス

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消えたのは主任のアーサーとビル、ヴィンセントの三人。アーサーとビルは既婚者でそれぞれ妻のヘレン、ジェニーがいて、ヴィンセントにはミシェルという彼女がいます。

事件の起こった1972年の20年後にある冒険小説家がこの事件について書こうと妻たちを訪ねます。 

72年と92年をいったりきたりしながら話は進められます。

残された妻たち、ヘレンはランズエンドを去ってバースに住んでいます。もともとバースの人でした。
事件の背後に何があったのか?「秘密保持にもう疲れました」という手紙をジェニーに書いています。
ビルとジェニー夫婦には子供もいて、92年には孫もいます。幼馴染と結婚した二人。
犯罪歴のあるヴィンセントが悪者にしたてあげられているようで、今なお彼を愛しているミシェルは憤慨しています。  

小説家の訪問を受けて話す表向きの話とは別に語られるそれぞれの本音。

灯台会社トライデントからは緘口令が敷かれていて三人に弔慰金が毎年支払われている様です。
何かあるな、

72年の灯台での三人、 
ヴィンセントはどうやら刑務所に入っていたことがあるようです。そうして秘密のものを隠し持ってきています。
ビルとジェーン、夫婦間の齟齬も明かされます。
アーサー、人間的には非常に出来た人のようです、でも妻以外に誰か思う人がいる?

丁寧な風景描写、人間描写の中に読み過ごしてはいけない何かを潜ませているようです。

文芸作品として読み進めているうちに、これはミステリーでは?それぞれ何か秘密をかかえていてそれが何か気になってくると、もう読むのをやめられません。
はたからみればその程度で悩むのかと思われるようなことも当人にとっては心の負担です。
哀しい出来事も明かされます。

そうしてどのようにして三人は消えたのか?まあこれについての感想は書かないことにします。

あいまいな書き方で申し訳ありませんが、ミステリーですからご容赦を。
これも、読んでよかった、の一冊でした。

2023年5月26日 (金)

『過ちの雨が止む』 アレン・エスキンス著

しばらく前に読んだ『償いの雪が降る』の続編を読みました。
いかにもアメリカ的、面白くて一気読みでした。

過ちの雨が止む』 アレン・エスキンス著 創元推理文庫

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前作では、ジョー・タルバートは大学生でしたが、今作では既に大学を卒業してAP通信社に勤めています。自閉症の弟ジェレミーとガールフレンドのライラと同居しており、ライラは司法試験を受ける準備中です。

ところが、ライラの司法試験まであと7日という日、ジョーの書いた記事により名誉を棄損されたという訴えを受けてしまいます。そういう事実はない、記事は捏造だというのです。記事が事実だと証明するためにはある人の証言が必要なのですが、そうするとその人物の人生は崩壊してしまいます。だからといって、ここで失業するわけにはいかない。

奈落の底に突き落とされたような気分のジョー

その翌日編集長から「キャスペン郡でジョー・タルバートという男が殺されたという事件があるけれどあなたの父親じゃない?」と言われ、父親に全く面識はないけれど社に居づらいジョーはそのキャスペン郡に行き調査を始めます。

ジョーの母親はアル中、薬中でどうしようもない毒親でその母からジェレミーを奪うようにして下宿につれてきて面倒をみているのですが、父親はまたそれに勝るとも劣らないどうしようもないワルのようです。
その町にいってみても殺されてよかったと思わない人間はいないほどです。
事件の調査をしながら出会う町の人々の人間模様がうまく描かれています。
ジョーには妹がいた!母親は大農場主の娘だ、莫大な遺産が?

用心棒という職歴も持つジョーは結構腕にものをいわせる傾向にあります。満身創痍になりながら真相に迫るジョー。

一気読みしてティータイム

スコーンにデボンシャーでもコーニッシュでもない中沢のクロテッドクリームと自家製(ベランダ特産)のブルーベリージャムをのせました。 

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実はアイホンを11プロから14プロに機種変更しました。写真撮りすぎで容量がいっぱいになってしまって削除してももう入いらなさそうでしたので。既に3年たっていて買い替え時でもありました。
カメラ性能もアップしたはずなのですが、どうでしょう。
これまでの写真と変わりはないですね。
景色を撮りにでかけたいものです。

次はコーンウォール舞台をにした小説を読む予定です。

2023年5月23日 (火)

『哀惜』 アン・クリーブス

シェットランドの四季を描いたシリーズが終わり続きも出ましたが、どこまで読んだのか、覚えていないので困っていましたら、新シリーズが出た、ということで買いました。
なんと今度はデヴォンが舞台だというのです。デヴォン州はコーンウォール半島の中央部です。
以前、コーンウォール半島の先端、ランズ・エンドまで行ったことがあります。
コーンウォール半島、とても風光明媚なところでした。
そうしてクロッテッドクリーム、日本と違ってさすが本場のものは、出来立てでねっとり甘くミルクの香りのする濃厚なクリームでスコーンにつけていただくのが定番ですが、現地では他のケーキにも添えられてきました。デヴォンではデヴォンシャークリーム、コーンウォールではコーニッシュクリームと名前を変えます。ああ、もう我慢できません。現地ほどの味はないものの早速、生活クラブでスコーンセットを注文してしまいました。

話がそれました。朝日新聞のおすすめ新刊文庫の欄に紹介されていたミステリーです。

哀惜』 アン・クリーブス著 ハヤカワ文庫

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デヴォンといっても舞台はノース・デヴォン、ウェールズ側です。
地図の上部、バーンスタブルから海側の湿地帯に起こった事件です。他の黄色い星は以前の旅行で行った場所、残念ながらバーンスタブル近辺には行っていません。

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表紙カバー袖の内容紹介から

イギリス南西部の町ノース・デヴォンの海岸で死体が発見された。捜査を行うマシュー・ヴェンは、被害者は近頃町へやってきたサイモンというアルコール依存症の男で、マシューの夫が運営する複合施設でボランティアをしていたことを知る。交通事故で子供を死なせたことで、心に病をかかえながらも、立ち直ろうとしていた彼を殺したのは何者なのか?

バーンスタブル署の警部マシュー・ヴェンは厳格派の教会(よくわからないのですが、そういうのがあるようです)の熱心な信者の両親のもとに育ったのですが、教義に疑問を抱き、あるとき決然と教会から離れると宣言します。そのため親とは絶縁状態になっています。そうして同性のジョナサンと夫婦として暮らしています。
夫のジョナサンはウッドヤードセンター(学習障害を抱えた成人のデイケアセンターでありアートセンターでありカフェもある町の人々の集う複合施設)の責任者をしている陽気な男です。
殺されたサイモンはこの施設でボランティアとして時々働いていて、施設の理事長の娘キャズと招聘芸術家のギャビーの住む家に居候しています。
事件を捜査しているうちに施設に通う学習障害の女性が行方不明になります、、、。
このセンターに関係のある人間が被害にあっている、ジョナサンのかかわっているセンターなのが気になりながらヴェンは捜査をすすめます。
徐々に明らかになってくる被害者サイモンの実像だけでなく、シングルマザーの部長刑事、厳格派の教会関係者、ダウン症の女性、彼女を気遣う老いた父親、夫の強い支配のもとにある女性など地域に生きる様々な人間が描き出されていきます。
季節は明確に示されていませんが、陽光きらめく夏ではなさそうです。
表紙の写真のようにトーンは暗いですが、これはヴェンの内省的な性格からくるものかもしれません。
ダウン症のルーシーの無垢な率直さが救いに思われもしました。

上手く感想が書けなくて申し訳ないのですが私としてはおすすめの一冊です。

シリーズものでもう次作は出版されているそうで翻訳が待たれます。

2023年5月22日 (月)

四国旅行 4日目ー2 栗林公園~瀬戸大橋

5月11日(木)続き

栗林公園 (14:05~15:10)

栗林公園は国の特別名勝に指定されていて、日本三名園には入ってはいませんが、それに勝るとも劣らないといわれている庭園です。小学校の修学旅行で来たことはあるのですが、すでに忘却の彼方です。でも懐かしさはおぼえます。

16世紀後半には地元豪族・佐藤氏の小さな庭でしたが、1631年頃にこの地を治めた生駒家の家臣・西嶋八兵衛(にしじまはちべえ)によって手掛けられた治水工事により、広大な庭園の基礎が築かれました。庭造りは1642年から高松を治めることになった初代高松藩主・松平頼重(よりしげ)にも引き継がれ、100年以上経た1745年、5代藩主・頼恭(よりたか)の時代に完成。以来、歴代藩主が修築を重ね、明治維新に至るまでの228年間、高松松平家の下屋敷として使用されていました。(香川県 うどん県旅ネットより)

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紫が実際に歩いたルート(見どころは南庭と言われています)

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入り口から涵翠池(かんすいち)まで説明を受けながら一緒に歩いて解散・自由散策となりました。
栗林公園といいますが、多いのは松です。

最初にぶつかる中央の丸いところ

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枝ぶりのよい松が続きます。北湖

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この位置からでは、牡丹も獅子もわかりません。

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回遊式庭園は「一歩一景」の魅力があるといわれるそうですが、まさにその通り。

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掬月亭が見えてきました。

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涵翠池(かんすいち)

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鳳尾塢(ほうびう)
ソテツの葉が鳳凰の葉に似ているところからつけられた名前。薩摩藩主から贈られた琉球産で300年以上たっています。

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ここで解散です。
掬月亭を回り込むように進みます。時間があればゆっくりお抹茶をいただきたいところです。

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こちらは南湖です。

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楓岸

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天女島

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迎春橋

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偃月橋

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吹上 栗林公園の水源で江戸時代には水が吹き上がっていたそうです。今は井戸を掘ってくみあげているそうです。

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ここから少し上って飛来峰に行きました。私にはきつくてずっと心臓バクバクでした。

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飛来峰からの眺め、ここから偃月橋を望む景色が一番、と言われています。

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カメラが違うと色味が違います。

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真正面に見えるのが 根上がり五葉松です。

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ここに上がってもう私は疲れてしまいました。ゆっくり出口に向かうことにしました。

主人は芙蓉峰に上がって景色を見ることにして別れました。
芙蓉峰からは紫雲山をバックに北湖が眺められます。

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入った時は1時間もないなんて、と不満でしたが、この日の私の体力ではもうこれで限界でした。

お手洗いの前にベンチがありましたのでしばらく休んでいるうちに主人がきたので、バスへ。出発まで7,8分ありました。目の前にお土産物屋さんがあったのですが、行く気力がなく、結局香川県のものは何も買わずじまいでした。

15:10出発 これは予定で実際の出発はもう少し早かったと思います。
瀬戸大橋は高松から渡ると思っていましたが、乗り口は坂出を過ぎたところでした。

瀬戸大橋 
1978年着工、1988年全線完成。
1955年に起きた紫雲丸事故がきっかけで本州と四国を最初はトンネルでその後橋で結ぶという計画が立てられたそうです。この事故で、当時の私と同じ年齢の修学旅行中の小学生が大勢亡くなりました。事故当時私は四国に住んでいたせいもあって非常なショックを受けたことを思い出しました。
57年に東京に引っ越したのですが「東京に住める」という嬉しさより「もう船に乗らなくて済む」という安堵感の方が大きかったくらいでした。

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私は進行方向右側に座っていました。

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主人は左側にす座っていて、そちらの方が島がいくつも見えていました。

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15:46 もう対岸です。短くて物足りませんでした。

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子供の頃四国に住んでいて両親の郷里は金沢でしたから、色々な方法で本土に渡りました。親も楽しみたかったのかもしれませんが子供たちを楽しませたかったのでしょう。帰省自体が家族旅行でした。
宇高連絡船は勿論、今治から尾道に行って尾道を見物したこともあれば、大阪まで船中一泊して宝塚をみたこともありました。本州連絡橋もなければ飛行機もない時代、長旅の苦労はあったと思いますが、楽しみもあったのです。

多分、16:40くらいに岡山駅に着いたと思います。17:40集合まで自由時間。夕食は車中ということで、お弁当を買い、ベンチをみつけて座って待ちました。岡山、といえばキビ団子、小さいのを一箱買いました。

17:52~20:47 新幹線
岡山、新横浜間が3時間かからないなんて、新幹線も早くなったものです。グリーン車はおてふきが配られることと、こまめにゴミ回収をしてくださるところが普通車との違いです。

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京都の老舗弁当と比べてはだめですね。

22時ごろ家にたどり着きました。スルーしたところも多かったですが、初日の体調を考えるとよくぞ無事帰ってこられたもの、と感謝しています。
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買ったものはタオル以外は全て食べ物、はちみつ、柚子ジャム、お菓子を各地のもの色々。お菓子は10日間かけてやっと消化しきったところです。

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もう少しお菓子はありますが、写真が多すぎですのでこのくらいにしておきます。

旅行記完

2023年5月21日 (日)

四国旅行 4日目ー1 高知市~かずら橋~大歩危~昼食(郷屋敷)

4月11日(木)

今日は最終日で少々忙しいです。
宿~かずら橋~大歩危~高松(昼食)~栗林公園~(瀬戸大橋)~岡山 新幹線乗車

朝食は 7:00からビュッフェ

8:10出発
車窓から 今日もいいお天気です。高知城 を横に見ながら走りました。

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南国らしいヤシの木並木

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高知駅前 土佐勤王党三志士の像 (武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎)

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8:27 にはもう山の中に入っています。

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吉野川です。

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いくつもトンネルを抜け、ぐんぐん山を上っていき、そのうちまた下り始めました。いよいよ秘境「祖谷のかずら橋」です。
平家伝説も残る秘境、祖谷渓、期待が高まります。

かずら橋 (国指定重要有形民俗文化財)
バスの中での説明
*長さ45m、幅2m 水面からの高さ14m
*ワイアを通していてかずらは6t使っている。
*ここでかずらを栽培しているがうまく育たないので現在はどこか忘れましたが国有林から買っているようなことを言っていました。
*3年に一度架け替える
*一回 1700万円かかる
*5,6人が作業するが後継者はいる。

9:27 さあ到着!
ところがびっくりびっくり、着いたところは広い大駐車場、そうして大きな建物に入ります。ショッピングモールです。
秘境のはずなのに!!
秘境と言われると誰しも行ってみたくなる、というわけでしょうか、ここは一大観光地なのです。もう秘境ではないのです。
拍子抜けしてしまいました。

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「これから坂を下りていきます。怖い人は一足だけのせて引き返してもいいですよ」
坂はおりたら、上がらなくてはいけない、だめだ!私は断念することにしました。
でも見るだけは見ておきたい、ところが結構急な坂道を下らなければなりませんでした。
仕方がない、見える場所まで行きました。川は吉野川の支流、祖谷渓。

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かずら橋に平行してコンクリートの橋がかかっています。そのうえから眺めました。ここまで来たのだから、渡ろうかしらと思いましたが、渡るにはさらにもう少しくだることになるので、やはりやめてしばらく眺めてからショッピングモールに戻りました。
橋の袂にあった碑

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の袂から左に行くと「琵琶の滝」があるので見たかったのですが、そこも坂を下りるようになっていたのでやめにしました。ショッピングモールにはベンチがあります。

待っているうちに団体さんが二組やってきました。どちらも3、40人の大集団です。私たちのグループはもうわたり終わったころでしょう。あとで聞くと殆ど自分たちのグループだけだったようです。他にいないのでゆっくり(本当は立ち止まったり写真を撮ったりしてはいけないらしい)流れを見たりしながら渡れたそうです。

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また外人が来ると揺らすのだそうですが、外人もいなかったことからもタイミングが良かったようです。

(プライヴァシーに配慮した結果おかしな写真になりました)床板、というより間隔をあけて角木をおいているだけで、これは怖い。

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結構足元はすきまがあって下の流れは見えたそうで「あなたは無理だったね」と言われました。 

琵琶滝へも急な坂道だったそうです。 

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10:20 出発
いろは坂を上って下って 大歩危へ

途中、安徳天皇の御殿医だった堀川内記の屋敷辺りを通りました。この地の伝説では安徳天皇は壇ノ浦で亡くなったのではなく生きながらえてこの地に住んだそうです。

大歩危駅を下に見ました。 
昔家族旅行でこの大歩危駅にも停車、急流を見たことを覚えています。
ただ土讃線で多度津から高知まで百いくつかのトンネルがあり、蒸気機関車の時代ですから、窓を開けたり、閉めたりが忙しくタイミングが合わないと、黒煙が車内に舞い込んで大変でした。今となっては懐かしい思い出です。

妖怪の里 なぜだかわからなかったのでホームページからの用

徳島県三好市山城町、ここには大歩危・小歩危と呼ばれる名勝地があり豊かな自然に囲まれた場所です。
目に鮮やかな四季の移ろいが昔と変わらぬ光景として楽しめる山城町には数多くの妖怪伝承がやはり昔と変わらぬ姿のまま語り継がれています。 
それは山城町には平地がほとんど無く、地滑り地帯でもあるため時代が変わっても自然の厳しさと危険な
場所であることに変わりが無かったからではないかと言われています。 
危険な崖や淵、細くて暗い山道、多発する自然災害。そのようなモノから身を守るため、また自然の尊さ
を親から子へと伝えるためにそこへ現れる妖怪の話しをしながら危険な場所へ近付いたり山の神を荒らしたりしてはいけないと言うことを暗に諭しました。

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大歩危 (10:37~11:00)国の天然記念物

* 山が迫ってきれいなところをホギと言っていた。それがなまって ほけ(歩危)。
* 1,2億年前は海の底だったが地殻変動で上がってきた(長瀞と同じ)
大歩危峡まんなか というショッピングセンターでしばらく休憩、ここから渓谷がみえました。 
川は吉野川で遊覧船も出ています。
大歩危展望所 という2階建てくらいのものががありましたが私は上がりませんでした。

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11:00 出発 

吉野川沿いを走りました。

11:24頃の景色

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4年間に松山から徳島に行くとき、吉野川に沿って走りましたが、今回も一部その時と同じ道路を走ったようです。

11:51~12:10 豊浜サービス・エリアで休憩

さすがもう買い物意欲はなかったです。(讃岐うどんならスーパーで買える!)

12:27 丸亀はうちわ生産で有名なのだそうです。今ネット検索してみるとすてきなうちわが沢山。これは買いたかったです。でも売っている場所にはいかなかった。12:41

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12:40ごろ高松に近づくと屋島が見えてきました。昔はやっつあったそうです。
私は小学校時代を愛媛県で過ごしましたから修学旅行で金毘羅さん、屋島、栗林公園は行ったことがあります。もう殆ど覚えていませんが。

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郷屋敷 (昼食レストラン) 12:55~13:45

お昼は讃岐うどんです。なかなか風格のあるレストランでした(高松中心部からは少しはなれたところにありました)。

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このあとおうどんがでてきました。三段重ねに少しずつはいっていました。何杯でもお変わりができます。男性はあと二皿くらいは召し上がっていらっしゃいました。私は一皿でもうおなかがいっぱい。

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お庭もきれいに造られていました。

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人を消したのでおかしな写真になってしまいました。

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13:45 ~14:02 バス移動して栗林公園へ
写真が多くなりそうですので一度ここで切ります。

2023年5月19日 (金)

四国旅行 2日目ー2 四万十~桂浜~高知市内

4月10日(水)続き

四万十の、ゆーいんぐ四万十で小休憩。休憩のたびに皆さん、そして私も何かしら買いこみます。野菜・柑橘類も売っていますが大荷物になるので大体お菓子類です。

13:50~14:58 バス

このあたり(土佐市を過ぎたあたり)は二重屋根の家が多い、といわれて写真を撮ろうとしたがなかなかぴったりのが撮れませんでした。

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海沿いの道を走りました。

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このあたりはウミガメがいるそうです。

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(カメラの設定で日時表示にしてあります。フォトショップで消したものもありますが、走っているときはむしろ時刻から場所も推定できるので消さないことにしました。)

14:58桂浜駐車場着 

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階段をあがるとすぐ海の見えるテラス台地。そこから海を眺めて

小道を行き坂本龍馬像のあるところへ(逆光!)

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ここで少し説明を聞いて15:45までフリータイム
龍馬像の横から左手を眺めています。主人はこの階段から砂浜におりて右手奥の龍王岬に行きます。

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私は先ほどのテラス台地に戻って海を眺めながら待つことにしました。

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あの神社を目指して行ったわけです。今日は少し波が高くて(海岸線近くによると、すぐ注意されたそうです)海がゴーゴー鳴っていてやっと太平洋!の感動を味わいました。逆巻く波(いうのは ちょっとオーバー)を観ながらですから待っていても退屈ではありませんでした。

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神社よりもう一段上まで行けたそうです。

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帰りにきれいな小石を拾ってきました。

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大町桂月碑 大町桂月(1869~1925年)は高知市出身の文人
碑の裏には
「見よや見よ みな月のみのかつら浜 海のおもよりいづる月かげ」の詩が刻まれているそうです。

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15:45出発

途中、チラリとはりまや橋が見えました。
坊さん、簪買うをみた」は安政二年、実際あった話でそう遠い昔ではないのだそうです。五台山竹林寺の純信というお坊さんがお馬さんという女性に恋をして簪を贈ろうとして買ったことから二人の関係が発覚したのだそうです。「よさこい」というのは逢引するのは夜密かにだから「夜さ来い」なのだそうです。その後二人はそれぞれ別の地にやられ、ふたりとも別の人と結婚したそうです。(江戸時代ならもしかしたら打ち首?生きて別の人と幸せに暮らせたとしたらよかったと思いました。)

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16;15 ホテル(三翠園)到着
いかにも格式の高そうな門構えです。

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また和室です。きれいで気持ちはよかったのですが、立ったり座ったりに疲れます。

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このホテルの建つ辺り一体は土佐藩主ゆかりの地だそうで、早速敷地拝見といきました。

16:25から17:10
土佐藩下屋敷跡に建つホテルで大門横にある長屋は国の重要文化財の指定を受けています。
門お右の小さな入り口が長屋入り口です。

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旧山内家下屋敷長屋展

この長屋は山内容堂が1864年に家臣7人の多敷地を召し上げて下屋敷(散田邸)を設けた際同時に建てられた、と推定されるそうです。

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ここを出ると、主人は近くを歩いてくるというので私はホテル敷地内の庭園を観ることにしました。主人は2,30年前仕事で 何回か高知に来たことがあって懐かしかったようです。私も中学にはいったころでしょうか?そろそろ転勤で四国にはもういなくなるから、と家族旅行で高知に来たことがあります。
鏡川

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鏡川のほとりに泊まり、桂浜にも行ったのですが、もう殆ど覚えていません。

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向こうに見えている立札

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山内神社の容堂公像(主人が撮りました)

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いいな、と思う石がいくつも置かれていました。

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先に戻ってきてお茶の支度をしているうちに主人がもどってきたのでお菓子をいただいて、主人は温泉へ
18:30~ 夕食 今回も大部屋で夫婦ごとに間隔を開けたテーブルで(和室ですが椅子式)

皿鉢風料理 本日のお造り 鰹のたたき
食前酒 柚子酒
前菜 季節の前菜三種盛り
鍋物 軍鶏鍋
焼き物 長太郎貝酒粕焼き
油もの 白姫海老の天ぷら
台もの 土佐和牛腕肉ロースト
凌ぎ 田舎寿司
蒸物 筍まんじゅう餡かけ
食事 白米
香物 三種盛り
椀物 吸い物
甘味 わらびもちプリン

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ラップがかかったままですが

主人はビールとお酒は「司牡丹」を注文してご機嫌で頂いておりました。ちなみに私は鰹を一切れ頂いただけです。

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長太郎貝、グラタンでした。おいしかったです。

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後から運ばれてきたものの殆どを写真に撮るのを忘れています。

お部屋に戻って、私は温泉にいかないでお部屋のお風呂
バスタブがとても大きくて洗い場があるのでお湯はきれいなまま、一人だけ入って栓を抜くのがもったいなかったです。
この洗い場も台があって使いやすかったです。

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6213歩

2023年5月18日 (木)

四国旅行 3日目ー1 足摺温泉郷~足摺岬~四万十川

5月10日(水)
経の予定は 足摺岬~四万十川遊覧~桂浜~高知市内宿泊

5:15頃  日の出がみられるかと早起きしましたが、日が昇るのはちょうど山の向こうで見られませんでした。
今朝も静かな海です。およそ太平洋の荒波が打ち寄せる、という状態ではありません。

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6:30頃 今日もいいお天気です。

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7:00 ~ 朝食

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9:00出発の予定でしたが、全員が乗車すればバスを出すのでこの日は8:50くらいに出発したと思います。

5,6分で足摺岬駐車場に着きました。
広場には 中浜万次郎像 昨日ここに来る途中(半島の中ほどに中村という地区がある)に中浜万次郎生家のそばを通りました。

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9:00~9:30 岬をガイドさんと散策
ここから、2分くらい遊歩道を行くと展望台
足摺岬灯台 四国最南端(一般的には、正確に言うと別の場所だそうですが)です。

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反対側の崖

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ずっと見ていたいけれど、少し散策しました。
椿のトンネルを抜けていきます。

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このあたりはやぶ椿が自生していて2月ごろは見事だそうです。

地獄の穴、大師の爪掻き石、大師一夜建立ならずの華表、亀呼び場、ゆるぎ石、等々、足摺七不思議というおもに弘法大師にまつわるいわれのある場所を説明されながら歩きました。

 

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田宮虎彦の記念碑がありました。

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「砕け散る荒波の飛沫が崖肌の巨巌いちめんに雨のように降りそそいでいた」と彫られています。
足摺岬にきたのだ、という実感がわいてきました。

ここを過ぎると、車道に出て目の前が金剛福寺です。

金剛福寺 

四国88か所の内 38番目の札所

寺伝によると822年に空海が開創

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この階段をあがったところでまだ先にも階段があり、ちょうど横にベンチもあったところから、私はここで待っていることにしました。全く予備知識がなかったのですが、主人が撮ってきた写真をみて、またウイキなどを読むと、やはり頑張っていくべきだった、と思いました。建物は新しいものが多そうです。規模の大きなお寺のようです。

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左奥が本堂

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9:50~11:10 バス

足摺半島は昨日の道を戻りました。逆方向から見る海の景色

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10:45 海岸を離れて山の方に進んでいます。この川は四万十川ではく 並んで走る別の川だったような気がします。がし

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11:10 乗り場に到着

最初にお手洗いにいったのですが、暗くて(あとから電気があることが分かった)湿っぽくて怖くて、、。

四万十川屋形船なっとく 11:10~12:00
バスをおりて少し船着き場までくだるのですが、バスに着いたところの家の壁に、白いっプレートがはられていました。あの青い線まで平成17年9月、台風14号の時水がきたそうです。四万十川は上流にダムがないせいでしょうか?氾濫することがよくあるそうです。

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長いベンチ式の座席です。

既にテーブルには弁当がおかれていました。
四万十川ではウナギがとれるそうで、一切れだけはいっていました。

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お弁当をいただき、説明を聞きながら外を眺めました。
 説明
*上流にダムがないから魚は200種類以上いる。
*シラスウナギ、冬とって全国に売る。
*青のり 一晩に50センチ以上のびる。
*8月半ば蛍がとぶ 鮎解禁
*夏 火振り漁(昔はかがり火、今は電気で照らして水中の網に追い込む)
*秋、スズキがくだってくる。
*12月1日 落ち鮎解禁
*四万十の由来はいろいろあるが、その一つにアイヌ語でシマンタは美しい、という意味だが、そこから来たという説
*50年代NHKで紹介されて四万十川ブームになった
*清流の定義、人の手が加えられていない、
*仁淀川、桂川のほうが水はきれい

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向こうに見えるのが沈下橋
先日の雨で水嵩がましているので橋の下を潜り抜けはしないで、そばまで行って引き返しました。
沈下橋とは、川が増水したとき水の下に沈んでも被害が大きくならないように橋に手摺のをつけず単純な構造にしてある橋のことです。よけいなものがついていないので流れてきたものがひっかかって壊れたりしにくいのです。四万十川は暴れ川なので沈下橋が多いそうです。

充分、水はきれいだと思いましたが、数日前の雨で水はきれいでなくなった、本当はもっと透き通っているのだと、船長さんはおっしゃっていました。

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大自然の中の遊覧船、50分くらいでしたが気持ちが良かったです。(去年の十石船よりずっと楽しかったです)

12:10頃出発

13:25~13:45 ゆーいんぐ四万十(四万十町)で休憩
続きは次回に

 

四国旅行 2日目ー2 大洲~足摺温泉郷

5月9日(火)大洲市内観光続き

臥龍山荘(12:38~13:25)臥龍山荘|愛媛県大洲市 (garyusanso.jp)

この地は肱川を望む景勝の地で大洲藩第3代藩主加藤安恒公が愛し、その後も代々の藩主の遊賞の地でしたが、明治以降は廃れていました。
それを木蝋蝋貿易で財を成した河内寅次郎が1897年に購入、構想10年、施工に4年をかけて造り上げたのがこの臥龍山荘です。

ネットで拾った苑内図 左上のところから入りました。

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先ず門をくぐったところの石積み壁が面白いです。石臼もはめ込まれています。

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ここから建物に入るのですが、その敷石(延段)が素敵です。これは切り石と自然石がまざっているので、行の延段 というのでしょうか。

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最初に入ったのは 臥龍院 です。(靴は脱ぎます)
茅葺寄棟の平屋で当時の名工の手を借りもっとも力を注いで建てられたものです。

まずは「清吹の間」
北側で夏用の部屋です。天上は二重張りになっています。 

欄間:四方向に四季を表す彫り物が施されています。

神棚の下は春 桜の花に筏 ねじりのある曲木はいちの木

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夏 水玉

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秋 菊水

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冬は撮り忘れ?この窓なのですが、こちら側か反対側から撮ったのかもう忘れています。
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お隣(庭に面した側)の 壱是(いっし)の間

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書院造り 左は少し形が違う気がしますが華頂窓  違い棚
桂離宮を参考に造られたそうです。

畳をあげて能舞台としても使われます。それで床下には音響効果をよくするため備前焼のツボが置かれています。

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床柱は杉の四方糸柾、長押は杉の磨き半丸太、障子戸、天井板には春日杉の中杢を使用するなどの工夫が見られます。

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雨の跳ね返りを防ぐために小石が敷き詰められています。

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くの字型の沓脱石、これは遠州好み?桂離宮でも見ました。

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この丸窓も桂離宮、笑意軒を思いだします。

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仏間

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続いて 霞月の間 へ

京都大徳寺玉林院の霞床の席に案を得ています。違い棚を霞に見たて、掛け軸には富士山が描かれており、丸窓の奥には仏間があり蝋燭の明かりが灯されると月明かりのようになり、月に霞で霞月の間というわけです。右手の襖もあえて鼠色で薄暮を表現し引手にはコウモリの細工が施されています。壁の一部を塗り残し、荒れた農家の風情を表し、さびさびの表現がされています。(ホームページから)

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和紙で仕上げた天井、床柱を省いた通し落とし掛け、縁側廊下には仙台松の一枚板が使用され(写真撮り忘れ)、時雨高欄など、細やかな細工が施されています

 

靴をはいてお庭に出ます。細長くて庭園というより通路ですが、変わった灯籠も置かれ、何より敷石が面白いのです。

下写真、井戸の横の丸い石は、てまり石とおっしゃっていたような、、、。これは大阪の大富豪、淀屋から手に入れたものだそうです。石臼を薄く切ったような石も多かったです。

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石灯籠の傘の部分の白いものは ぼたん苔 非常に生育が遅く珍しいもの(ふつうはここまで育つのに100年かかるが、ここは条件がよいので、7、80年)

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向こうに見えるのは知止庵

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延段が意匠に飛んでいて楽しくて、下を向いて写真を撮り続けました。

この大霰こぼし?長楕円の石をいれて、いい感じです。

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不老庵です。

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崖の上に乗り出すように懸け造りで建てられています。楓が植えられています。青紅葉が爽やかで気持ちのいい光景でした。

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臥龍淵を眼下に見る崖の上に懸り造りに建てられた数寄屋造りで、庵そのものを船に見立てて作られており、天井は竹網代一枚張りを船底の形のような形にしてあります。対岸の冨士山右端から月が昇り、天井に反射して部屋を明るくする巧妙な趣向が施されています。床には2間幅の仙台松の1枚板を使用し、2間の曲がり竹を落とし掛けにし、違い棚をつけない簡潔な仕上がりです。(靴を脱ぐのが面倒で上がりませんでした。そういうわけで床の写真が撮れていません。残念!)

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入口縁続きに大徳寺庵孤篷庵に見るような素朴な意匠の茶室があり、外に出て裏に廻ると生きた槇の木を使った「捨て柱」が見られます。これは建築当時、懸り造りの基準に使われたもので建てられています。

マキの木も支えになっています。右端 蹲らしいのですが、横に何故か舟石が置かれています。

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戻ります。先ほど通り過ぎた知止庵 もと浴室だったのをお茶室に改造しました。

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潜龍洞 氷室です。

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臥龍院までもどってきました。茅葺屋根がとても深いです。

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臥龍山荘の存在はこれまで知りませんでしたが、じつに素晴らしかったです。お茶に詳しい方だともっと感動したでしょう。見学者は私たちだけでした。ここをコースにいれるなんてセンスがいいと思いました。

帰りは職人街を通って道の駅に戻りました。

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道の駅で小休憩して

13:40 出発

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宇和島 真珠の養殖がさかんだそうです。

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15:10~15:30 道の駅みしょうミックで小休憩

トイレストップで道の駅にとまると、何かしら買ってしまいます。

いくつもトンネルを抜けましたが、これから少し行くとずっと海岸線を走ります。ずっと海がみられて幸せでした。

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17:00頃 今夜の宿 足摺国際観光ホテルに着きました。
夕食までの間に主人は温泉にはいりにいきました。私は窓辺で海を眺めていました。ゴーゴ水の音はするので海の波かとおもったら、どこかに急流があるようでした。本当は潮騒をききながら眠りに着きたかったのですが、べたなぎの海でした。

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お天気がいいので海の色が本当にきれい。

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18:30から夕食 多すぎです!
食前酒 高知産果実のリキュール
前菜 バイ貝の煮つけ
御凌ぎ 浅利の炊き込みご飯
お造り 旬の魚の二種盛り
陶板焼き ヒオウギ貝、野菜添え
酢の物 カツオのタタキ、特製ポン酢かけ
冷物 四万十ポークの冷しゃぶサラダ
替り鉢 冷やし素麺
焼き物 土佐和牛サイコロステーキ
蓋物 四万十ウナギの茶わん蒸し
吸物 烏賊のつみれすまし汁
香物 二種盛り
果物

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お肉もおいしかったのですが、一個しかおなかにはいりませんでした。

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夕食のあと、9時から星空観測をしますから希望者は屋上へ、ということで出かけてみました。

もうびっくり、素晴らしい星空でした。横浜あたりですと、星は白っぽくしか見えません。ところがここでは星は黄色いのです。大感激!!
私は白内障の手術をしたおかげで目がよく見えるようになっています。教えられなくても北斗七星はすぐわかりました!

ふたご座とか春の大三角形(おとめ座のスピカ、牛飼い座のアルクトウールス、しし座のレグルス)なども教えていただきました。スマホに星座アプリをダウンロード(無料)しておくといいそうです。

波の音はきこえなかったけれど、幸せな気持ちで眠りに着くことができました。

(6209歩)

 

2023年5月15日 (月)

四国旅行 2日目ー1 松山~大洲

5月9日(火)
予定 松山(松山城)→大洲(昼食、市内散策、臥龍山荘見学)→足摺温泉郷(泊)

ぐっすりよく眠れました。体調は万全とは言い難いですが、良くなってきています。

6:30から朝食 バイキング
食後、主人は「坂の上の雲」の秋山好古のお墓を見に行く、と言って出かけました。でもみつからなくて圓満寺と宝厳寺という一遍上人誕生地だったというお寺に行きついたそうです。

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ホテルそば(道後温泉本館前)の 坊ちゃんの碑

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8:20 出発10分足らずで松山城近くの駐車場着。駐車場から5分くらい歩いて城山に上がるロープウエイ乗り口へ

松山城
ロープウェイで上に上がると、そこからはゆるゆる坂道を上って天守閣へ向かいます。お城は4年前に来て天守閣にも上がっていますからロープウェイをあがったところで私は待つことにしました。都合よくベンチもあります。その予定で文庫本も持ってきています。

矢張り上がらず待っている別のツアーの方がいらっしゃいました。目があったので、しばらくおしゃべり。「心臓が悪くて、、」と私と同じです。その方はカテーテル・アブレーションをなさったそうです。でもやはり具合は悪く、そのうえ腎臓もダメで歩けないそうです。道後温泉に行ってみたいと娘さんに連れてきていただいたのだとのこと。

9:45頃 主人が戻ってきました。天守閣には入らなかったそうです。写真は沢山撮ってきていましたが、以前(2019年12月四国旅行)のとダブルので一枚だけ載せます。 

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ここにいてもしかたがないので下でお店でものぞきましょう、と今度はリフトで下りました。

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ロープウェイ乗り場入り口に「坊ちゃんとマドンナの像」。最近できたようで、4年前には見ませんでした。

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10:30 出発 伊予市あたりで海が見えました。

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その後内陸に入り、内子を経て大洲に到着
内子は木蝋の生産で有名です。大洲と同様内子も古い街並みを残しています。

11:20頃 大洲の昼食レストラン「たる井」前到着

11:20~12:10 昼食

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大洲の郷土料理だそうです。右上は佐妻汁で麦味噌を出しで溶いたもので中に鯛のすり身が入っているそうです。ごはん(麦ごはんでした)の上に糸こんにゃく・しいたけ・小葱などを載せてさつま(佐妻)汁をかけていただきます。なかなかおいしかったです。 

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少しバス移動して肱川を渡るとき大洲城が見えました。

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少しバスで移動、道の駅「あさもや」で現地ガイドと待ち合わせ。ガイドさんと徒歩観光 (赤丸のところから歩き始めました)

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大洲といえば、朝ドラ「おはなはん」です。大洲は戦災をうけていないので江戸時代から明治の街並みが残っており小京都と呼ばれています。

「あさもや」を出て「おはなはん通り」を歩きます。お化粧直しをされて真っ白白。片側にはきれいな流れがありました。

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振り返って

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必要に応じておろしてベンチまたは物置台につかう「がったり床几」がここにもありました。古い商家にはよくあるようですね。

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「東京ラブストーリー」というドラマで使われたポストだそうです。

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肱川では「鵜飼」が行われるそうです。

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NIPPONIA ホテル、全国展開している古民家ホテルだそうです。ここではお化粧直しをしないで、わざと壁も落ちたままにしています。

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ここから少し行くと肱川をのぞむ位置に「臥龍山荘」という明治時代に建てられた山荘があります。

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臥龍山荘は写真が多くなりそうですので一度ここで切ります。

2023年5月14日 (日)

四国旅行 1日目 しまなみ海道経由 道後温泉へ

5月8日(月)
出発はゆっくりめで新横浜駅発10:48発です。いつもなら朝食は車内ですが、今回は時間があるので普通に家ですませ、洗濯もして9時ごろ家を出ました。
胸が重苦しく、ほんの少し歩いても息があがり、気分は最悪です。タクシーを予約しようとしましたが、だめで結局バスで行きました。バス停から私鉄駅まで少し坂道でそれが私にはつらいのです。主人が二つキャリーを引いていきます。

なんとか新横浜駅には20分くらい前には着きました。列車に乗って座ってしまえば何ともありません。グリーン車は少しゆったりめです。持ってきた推理小説を読んで過ごしました。昼食は車内で各自すませるように、とのことでしたが、なかなか車内販売が来ません。待ちくたびれてバッグに常備のカロリーメイトを食べたころきました。私はカロリーメイト一本でもう充分です。主人はカツサンドとコーヒーを買ってお昼です。

途中、列車が止まりました。姫路辺りで何かあったようです。結局20分遅延して福山駅に14:25頃着きました。

駅から少し離れたところにバスが停まっています。福山(広島県)は「薔薇の町」だそうで、至る所に薔薇が植えられていました。薔薇のアーチなどもあったのですが、バスへと急いでいたので撮る時間がありませんでした。

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14:40頃出発
15:07 いよいよ、しまなみ海道です。

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15:16 穏やかな美しい海

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15:30 生口島と大三島をむすぶ多々羅大橋の中央、広島県と愛媛県の県境を通過

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上の地図で瀬戸内海国立公園の文字があるところが伯方島、塩で有名です。

またこのあたりは村上水軍の城もあります。

15:38の景色 穏やかな美しい海に浮かぶ島々、うっとりです。

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大島に入ります。大島は石で有名。

16:00頃 大島の亀老山展望台着。

バスをおりてまず50段くらい階段をあがると売店・トイレと見晴台。そのあと100段くらい上がると展望台。私は50段で疲れたので売店前で待つことにしました。お店の方が椅子を出してくださいました。5、6分休んで海を見に柵近くに移動。

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故郷を眺めました。70年ぶりです。

展望台までいった主人が撮った写真です。来島海峡大橋(第一、第二、第三とあります)

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16:30出発

来島海峡 あまり大きくはありませんが渦ができていました。

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16:42 そろそろ出口です。向こうの町は今治市

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16:44

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四国に入ってから松山へは海岸通りではなく山の中を抜けました。この方が近道だそうです。いくつもトンネルを抜けました。バスの中で色々ガイドさんのお話がありました。このあたりは弘法大師が歩かれたところだそうです。このあたりで「おだいしさま」というと弘法大師のことをいい、色々なエピソードをはなされました。水が出ただの野宿した時の布団の話とか。 

途中美しいダム湖(石出川ダム白鷺湖)の横を通りました。(17:28)

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17:42 道後温泉本館前にあるホテル駐車場到着

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宿泊するのはこの左横の茶波瑠

17:55 お部屋 和室です。

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お菓子をいただいて一休み

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18:30~19:15 
ホテルのすぐ近くのアーケード街にショッピングに出かけました。私は夕方になるといつも体調は回復するのです。
お土産用にタルトを買って、タオルやを探しました。前回来た時に、他にはない柄のタオルをみつけたので、また買いたかったのです。そのお店がなかなか見つからなくてあきらめて帰りかけたときにやっと見つけました。「伊織」というお店です。

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これは↓ 青色のも買いました。

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このお店は楽しい柄があるので迷います。ネットで調べると全国展開しているお店で東京にも店舗があり、またインターネットでも買えることが分かってほっとしました。もう一度松山、はないですから。

 

19:30からホテルで夕食

それぞれ夫婦で座ります。今回は一度も大テーブルを皆で囲むというのがありませんでした。まずビールと日本酒を注文します。

お料理

右手前が アスパラガスと自家製チーズ 発酵ソースかけ
蛤の和だし汁ジュレ 愛媛県産宇和島真鯛お造り 壱番醤油
菜の花と蛍烏賊のオレンジグレモラータ 松山鶏のパテ・ド・カンパーニュ 

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反対側から撮ったほうがおいしそうに見えます。この鯛のお刺身、非常においしかったです。

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春野菜のポタージュ 鮮魚の道明寺蒸し パセリオイル (これも美味!)23051402

 

愛媛県産宇和島真鯛のフリール 蓬と蕗のジェノベーゼ 23051403

ここでお口直しとして 東方美人オリエンタルビューティー
グラスに入ったほうじ茶みたいなものでした(写真無)

松山鶏の低温調理 シャルキュティエール風 吟醸ソース
私はパス。写真撮り忘れに気付いて途中で撮りました。

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茶波瑠特製鯛めし 浅利の若竹とカツオのコンソメ 香の物23051404

デザート 玉露のアラモード フランボワーズのサブレ

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コーヒーまたは焙じ茶

ここのお料理、とてもおいしかったです。パスしたものもありましたが、全体的に軽めなのもよかったです。

20:40頃お部屋に引き上げました。 
酔いがさめるのを待って私はお部屋のお風呂。主人は温泉に行きました。

6,496歩 

2023年5月13日 (土)

四国旅行 プロローグ

5月8日から3泊4日で四国一周ツアーに行ってきました。

むかし、田宮虎彦の『足摺岬』を読んで以来ずっと足摺岬に行ってみたいと思い続けていました。もう本の内容もおぼえていないのですが、行きたい思いだけが残っていたのです。

個人で行くことを検討したこともあります。
ところが足摺岬って遠いのです。高知空港から高知市に出て電車。それから路線バスでずいぶんと時間がかかります。そうして戻ってきても高知市でほかにこれと言って見たいところは思いつきません。子供の頃家族旅行で行って龍河洞などは見ています。

私が時々お世話になるいくつかの旅行会社のツアーではたまに足摺岬に行くものがあるのですが、宿泊はしません。私は泊まりたいのです。

それが二月ごろでしたか、新聞に足摺岬に泊まるツアーが出ていました。利用したことはありませんがクラブツーリズムという会社です。その会社のホームページを開いて新聞広告とは別ですが、これなら、というツアーを見つけました。大人数ではなさそうですが、なんと夫婦旅というもので、女性二人組でもダメなのだそうです。(今回は8組16人でした)。

私は足摺岬さえ行ければ他はどうでもよかったのですが、各県一つは有名観光地がはいっていて、あら、ここにも行けるのならいいわ、と思える内容です。四国・本土間は瀬戸内海を橋で渡ります。飛行機で直接松山に行ってしまうより海がみられる、これも嬉しい、というわけで申し込み決定。

往復とも新幹線はグリーン車利用です。なんと贅沢な!

行程は(バスルートのみ、右のほうの星印は以前行った大塚美術館、鳴門の渦です。) 
→福山→しまなみ海道(大島・亀老山展望台)→道後温泉(泊)→松山城→大洲→足摺温泉郷(泊)→足摺岬→四万十川遊覧→桂浜→高知市(泊)→かずら橋→大歩危→栗林公園→瀬戸大橋→岡山→ 

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見る場所の少ない弾丸ツアーという印象ですが、専用車を利用する旅行会社のツアーでなければ組めないコースです。降りて歩かされるより車窓から景色を楽しむ方がラクなのでこれでよし、です。途中1時間、1時間半ごとくらいにある「道の駅」で休憩しながらの移動でした。 

出発当日、私の体調は最悪、主人に旅行ではなく病院に行った方がいいのではないか、と言われるほど気分が悪くヨロヨロ状態でした。パスして座って待っている箇所もいくつかありましたが気になっていたお庭などはしっかり見て回りました。
無理を承知の旅でしたが、お天気に恵まれて輝く青い海を眺められ、サプライズの楽しみもあり、行ってよかった!の旅でした。

これから少しずつ旅日記を書いていきます。  

 

2023年5月 5日 (金)

『影の王』 アマザ・メンギステ著

素晴らしい小説を読みました。エチオピアの物語です。

エチオピア、アフリカ大陸の高原の国、アベベ選手というはだしのランナーがいた国、アフリカ最古の独立国でハイレ・セラシュエ皇帝がいた国、そうしてロマネスク教会ファンにとっては、非常に特徴的な教会建築を持つ国です。

エチオピアについて知っていることはこれだけ、そのエチオピアの物語をエチオピア出身の作家が描いた小説。先日新聞に評が出ていました。
エチオピアはそう遠くない昔にイタリアに侵攻されたそうですが、その時の戦いの話のようです。
まずは表紙の絵に惹かれ即注文しました。
旅日記や美術館その他で読むのはしばらく後になりましたが、読み始めるとぐいぐい引き込まれました。

影の王』 アマザ・メンギステ著 粟飯原文子訳 早川書房 

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表紙袖の内容紹介から
1935年、エチオピア。
孤児の少女ヒルトは、貴族のキダネとアステル夫妻の家で使用人になる。
ムッソリーニ率いるイタリア軍のエチオピア侵攻の足音が、近づくなか、キダネはハイレ・セラシェの軍隊を指揮するが、皇帝は早々と亡命してしまう。
希望を失った兵士たちを鼓舞するため、皇帝にそっくりな男が皇帝のふりをする。
彼の護衛に着いたヒルトは自らも武器を手にして祖国エチオピアのために闘うことを選ぶがー。

ヒルトの属するキダネとアステル夫妻の家の場面からはじまってキダネ率いる軍隊の話、それに敵対するイタリア人部隊のこと、またハイレ・セラシェ皇帝の様子が入り混じって語られていきます。

イタリアは過剰な人間を植民させる場としてエチオピアに侵攻しているわけですが、この支配・被支配、抑圧・被抑圧
の関係はキダネ夫妻とヒルトの関係にもありますし、キダネとアステル(男性と女性)との関係にもあります。

キダネが軍隊を率いて戦おうとしたとき、アステルは自分も戦おうと決心して女性たちを集めて回ります。負傷者の世話、食事の支度、などいわば後方支援の必要を感じただけではありません。自分たちも実際に闘おうとしていたのです。

それなのに、なんと皇帝は逃げ出してしまったのです。その時、無価値な人間という意味を持つ名のムヌムが皇帝に似ていることに気が付き、彼を皇帝の影武者に仕立てて人々を鼓舞し戦いに突き進むのです。

一方、カルロ大佐率いるイタリア軍には写真家エットレがいます。カルロの命ずるままに写真を撮ります。吊るされて死んでいく捕虜を、崖から突き落とされる捕虜を。エットレはユダヤ人です。イタリアに住む両親は多分もう収容所送りになっているでしょう。彼のところにも帰国命令が来ます。エットレは侵略者側でありながらユダヤ人という迫害される側の人でもあるのです。

皇帝は策がなく亡命してしまうのですが、恥じる気持ちはあるのです。そこで影武者の存在を知り、自分の方が偽物ではないかと考えたりもします。

細部が丁寧に語られていきます。それぞれの人の気持ちが語られるだけでなく、合唱として状況が述べられ鼓舞する部分もあります。ギリシャ悲劇のコロスのようです。 

丘の上から人間がもたらした破壊の後継をじっと眺めている。なにもかもがむき出しの状態。燃え盛る都市、炎の上がる山、廃墟と化した家、倒壊寸前の教会、焼け焦げた野原、煮えたぎる川、毒にまみれた土壌、倒れた木々、炸裂する爆弾、息を詰まらせる男たち、ばらばらになった死体、そして数えきれないほど大勢の軍服姿の兵士がするりと谷に入り込み、ライフルを撃ち、銃剣を振りまわし、声を張りあげるー若者たち、前進するのだ、おおわが祖国よ、、、、(231ページより)

ウクライナを思い浮かべてしまいます。でも彼らは他の国の助けを借りず、貧弱な武器で女性までも戦いにいどんだのです。女たちも銃をとって突き進みカルロの部隊を殲滅してしまうのです。

エットレは難を逃れます。その前に捕虜となっていたヒルトに写真や父からの大事な手紙の入った箱を託します。

闘いの場面は1941年皇帝帰還で終わります。

物語の冒頭は1974年、エチオピアでクーデターが起こり皇帝が廃位・処刑される日。その日、連絡を受けたヒルトは託された箱を持ちエットレを待つところから始まります。

ラストはそうして箱を渡して立ち去るところ、もうこれ以上書きませんが計算されつくした構成です。ドラマをみているようです。叙事詩というべきかもしれません。

圧倒されて声も出ないほど素晴らしい作品でした。

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