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2023年9月

2023年9月30日 (土)

奥志賀へ 1 長野県立美術館(東山魁夷館)

新型コロナが5類へと移行して日がたつにつれ、罹患の心配が後退したのか、海外へお出かけになる方も増えているようです。お友達もお二人お出かけになります。私はもう海外は卒業。(負け惜しみではなく)未練はありません。体がいうことをきいてくれなくなっているのです。でも気分転換にどこかへ出かけたい気持ちはあります。
せっせと観光するのは無理、ということで、高原のリゾートホテルに泊まりに行くことにしました。
旅行会社のパンフレットを見ているうちに昔行ったスイスの山のホテルに似た造りのホテルを見つけました。
奥志賀グランフェニックスというホテルです。
ツアーではハイキングをするようです。でも私は歩けないので、個人で行くことにしました。長野駅までホテルのシャトルバスのお迎えがあるので、団体旅行でなくても簡単に行けます。

観光なしのつもりでしたが、折角長野に行くのですから、県立美術館で東山魁夷の絵はぜひ見たい、それでシャトルバスのお迎え時刻よりかなり早めに行くことにしました。 

9月26日(火)

7:00家を出て7:09バス  9:30 東京駅着
10:24発のチケットを取っていたが早すぎたので、窓口で変更してもらって9:56発かがやき523に乗ることにしました。
9:56→11:13長野。 上野の次に大宮に泊まると次はもう長野。座席は三人がけのところを窓際と通路側というとり方にしました。真ん中はよほど混まない限り座る人は来ないはずなのでラクでいいのです。
朝主人は普通に朝食をとってきたのですが、私はフルーツだけ。車内で朝食がわりにカロリーメイトを一本。

長野駅改札口は一つ、出たすぐ左にコインロッカーがありました。キャリー用は一つ500円。京都では1000円です!
朝食がいい加減でしたから、はやめですがお昼。やはりお蕎麦です。 
駅に平行してMIDORIというレストランや県の名産品を売っていいるお店の入ったビルがあります。

その3階で みよ田 というお店に入りました。

てんぷらなどはいらないので巴せいろ、という、たれが三種類のものにしました。

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たれが ゴマ汁、とろろ、おろしの三種類、お蕎麦もこしがあってとてもおいしかったです。
ここで出された冷やしそば茶がおいしかったので帰りに一箱求めました。 
結局、帰りもここに入って同じものを頂きました。この写真は帰りに撮ったものです。

おなかもいっぱいになったところで、外に出て、、、バスもあるらしいのですが、タクシーで県立美術館に向かいました。最後は小高い丘のようなところにあがっていったので、バス停がどこか知りませんが、タクシーにして正解だったような気がしました。(1800円)

長野県立美術館 東山魁夷館 (12:26から 13:00)

時間の制約もあるので、東山魁夷館だけにしました。特別展として池田満寿夫展をやっていましたがパス。

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本当は御射鹿池の向こうを走る白い馬の絵(タイトルは緑響く)がみたかったのですが、別の期間(第一期)の展示で観ることはできませんでした。第Ⅳ期の白馬の森、もすてきです。

東山魁夷というと、どこか夢の中で見たような景色を思い浮かべるのですが、油絵をめざしたこともあったそうで、絵具をもり上げた様なタッチ、はっきりした色使いの作品も多かったです。

他に来館者は一組だけ、その方ともどこかでわかれてずっと二人でした。 

買ってきた画集

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表紙の絵は「夕星」1999年 これも実にいいです。実物が観たいところです。

気になった作品を少し画集からお借りして

「山谿秋色」1932年

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「静唱」1981年 もう少しあおみを帯びた色でした。うっとりするような美しさでした。

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「秋思」1988年 これもすてきでした。

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「静かな町」1971年

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このほかアブストラクトな作品もありました。夢で見たような景色だけでなく色々こころみていたのですね。

調べてみると、カスパー・ダーヴィット・フリードリッヒを日本に紹介したのが東山魁夷だそうです。フリードリッヒの方が昏くて重く寂しいですが、どこか似た雰囲気もあるかもしれません。

この美術館、建物も素敵です。
見終わった先にあったロビー。 東山魁夷館は谷口吉生設計

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今回見られなかった作品を観に絶対また長野に来よう!と思いました。

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魁夷館を出ると右手に善光寺

こちらが本館

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うっとりと素敵な絵をながめて過ごした後は「折角だから善光寺も行こう」

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善光寺は次回に

 

2023年9月21日 (木)

この頃『覇王の家』

この前ブログアップして以来読んだ本は司馬遼太郎の『覇王の家』のみです。このところ華流ドラマにはまってしまって、ひねもすパソコンの前に座っております。50話を4日くらいでみたこともあり、もう時空の感覚がおかしくなってしまうほど。

逆に言うとそれだけ日本のドラマが私には面白くないということです。若者向けはいくつもありますが、今更ですものね。
鳴り物入り?ではじまったVIVANTも、いきなり砂漠から始まって訳の分からないうちに、、、。私は堺雅人さんのあのちょっと高いトーンの声が苦手なのです。倍返しの時はあまり違和感は感じられなかったのですが、、、。私は音に敏感なのです。

ということで華流。(韓流の歴史ものはもう見つくしました)
近いけれど遠い国の昔々の話ですから空を飛ぼうが、水の上を歩こうがすべて許せます。五胡十六国、北魏あたりの時代。歴史地図など広げて楽しんでおります。

読書の方は

覇王の家』司馬遼太郎著 新潮文庫

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「100分de名著」という番組はみていないのですが、ついでにテキストも買ってしまいました。ところがこのテキストを読んでしまうと私などがこの本についてあれこれ書くなんてとんでもない、という気がして書かずにいたのですが、blog空白期間も長いので、とりあえず読みました、ということだけでも書いておこうとパソコンを開いたわけです。

私は 司馬遼太郎の作品は『街道を行く』シリーズを何冊か読んだことがあるだけです。読み始めてすぐ語り口が『街道を行く』と同じなのに気が付きました。語り手が正面に出ているのです。私の見たこの場所はこうだった、と話しているような感じで語っているのです。

話は家康より八代前の松平家初代が三河の奥地に定着したころから始まり、ほぼ小牧・長久手の戦いまで(ここは面白かった)。上洛してほしい秀吉がじりじりしているところから飛んで、最期の時を語って終わりです。

家康の人となり、支える三河衆についての記述がなるほど、後年天下を取れる下地はここにあったのだと納得させられました。

家康はなかなかはっきりものを言いません。

臨済寺住持、太原雪斎は≪天才でないものは己の知を張りださず、ひとのよきものを学び、それによって生涯粗漏のなきことのみを考えてゆくべきものだ≫と説いています。→人質として子供時代長くすごしたことが力になっているのですね。

三河という地は京風公家文化を取り入れている今川と商業の尾張の間にあって中世的なところだ、と書いています。
≪後進地帯で、国人が質朴で、困苦に耐え、利害より情義を重んずるという点で利口者の多い尾張衆と比べて極めて異質。若殿が人質としてとらわれて行ったことは、この酷薄な乱世のなかでは珍しいほどに強固な主従関係、というよりもはや共同の情緒をもつ集団をつくりあげて行ったことに、大いに役立っている。≫
この小集団の性格が、のちに徳川家の性格になり、その家が運のめぐりで天下をとり、三百年間日本国を支配したため、日本人そのものの後天的性格にさまざまな影響をのこすはめになったのは、奇妙というほかない。 ふむふむ。

本はなかなか面白かったのでずっとみるのをやめていた「どうする家康」をこの前見てみました。

びっくり、美少年が中年になり(多少タヌキ風?)山田裕貴いや本多忠勝がパパになっていました!

井伊直政は美少年のまま。人質として送られていた秀吉の母が舐めんばかりにかわいがっていて笑わせられました。

久しぶりの大河、楽しみました。

 

2023年9月 8日 (金)

映画「エリザベート 1878」

昨日(7日)みなとみらいまで映画を観に行ってきました。助かったことに曇り空で、涼しいとはいえないまでも暑さを感じなくてすむ日でした。

観たのはエリザベート 1878 あの欧州宮廷一の美貌を誇ったという女性の話です。超期待!

 

エリザベート 1878

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エリザベート40歳の1年を描いた作品、ということです。美貌のはずのエリザベート

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これを演じているのが

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40歳となって美貌の衰えを気にかけている、とは言え日本人感覚では美人の部類ではないです。

原題は「Corsage」コルセットです。

映画はコルセットをギリギリと締め付けるところから始まります。「もっともっと」何センチ(インチかも)かはかり、また体重も記します。

「我が勤めは帝国の命運の支配、君の務めは象徴だろう」と皇帝。皇后はひたすら美しくあれ、望まれるのは美貌のみ。 

ハプスブルク帝国が最後の輝きを放っていた19世紀末、「シシィ」の愛称で親しまれ、ヨーロッパ宮廷一の美貌と謳われたオーストリア皇妃エリザベート。1877年のクリスマス・イヴに40歳の誕生日を迎えた彼女は、コルセットをきつく締め、世間のイメージを維持するために奮闘するも、厳格で形式的な公務にますます窮屈さを覚えていく。老いに向き合い、皇妃を縛り付ける「コルセット」や皇室の厳格な伝統、そして世間の理想像から自由になることをこころに決め、、、(チラシの解説より)

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1878年、40歳のエリザベートは美貌だけが求められる立場に反発するかのように、イギリスへバイエルンへ旅をし、馬の指導員と親しくなったり、バイエルンのかのルードヴィッヒと懇ろになったり、と奔放な生活を続け、あいまに精神病院を慰問もします。不安定な心の現れでしょうか。
かなりあからさまな描写もありますが締め付けへの反発かもしれません。
美のアイコンではなく人間性をもとめた一女性としてのエリザベートを描いた作品としては評価できると思いましたが、正直いって好みの作品ではありませんでした。

2023年9月 3日 (日)

『蹴れ、彦五郎』 

2,3週間前の新聞に作家の今村祥吾さんが書店のオーナーになられた、という記事を読んで以前『塞王の楯』という小説が面白しろかったことを思い出して二冊買ってみました。

蹴れ、彦五郎』 今村祥吾著 祥伝社

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蹴鞠のまりをイメージしたのか雅な感じのする表紙です。

短編集です。
数字は漢数字なのですが、〇付きにはならないのでアラビア数字にしてしまいました。

①蹴れ、彦五郎 (今川氏真)
 桶狭間での父の急死を受け、彦五郎氏真は駿河今川氏の当主となった。だが、落日はすぐそこにーー家臣だった松平元康(徳川家康)は離反、甲斐武田からも圧迫され、性質である相模北条氏の娘、早川殿とともに転々と落ち行く日々。そんななかにも救いはあった。氏真は近江の寺で出会った童子たちの師となり、ある希望を抱く。しかし無常にも、天下をその掌中に収めつつあった織田信長は、氏真と心通わせた子らを叛乱の縁者として殺してしまう。蹴鞠の名手であり、歌をことなく愛した男が見せた最後の心意気とは、、、(帯の紹介より)

②黄金 (織田秀信、信長の孫で昔、三法師とよばれていた人物)

③三人目の人形師 (生き人形作りの三名人、ホラーっぽくて気持ちが悪い) 

④瞬きの城 (太田道灌と、みのひとつだになき、、の山吹の里の伝説の女性との話)

⑤青鬼の涙 (鯖江藩何代目藩主・間部詮勝)

⑥山茶花の人 (由良勝三郎景隆と新発田重家)

⑦晴れのち月 (信玄の嫡男・義信と月音)

⑧狐の城 (北条氏規)

三人目の人形師は 全くタイプの違う話ですが、ほかはどちらかというと歴史の表舞台にはあまり出てこない武将の話でした。
①はどうしても大河ドラマの溝端淳平さんの顔が浮かんできてしまうのですが、あの狂気は見られず、いい晩年を過ごしたようで安心しました。 

特に心ひかれたのは⑦の「晴れのち月」
晴信(信玄)の息子というと諏訪御寮人とのあいだの子である勝頼しか思い浮かばないのですが、嫡男は太郎義信。数々の武勲をたてたのですが、父晴信に嫌われてしまいます。(晴信の愛したのは勝頼で、義信を廃嫡して勝頼を跡取りとした)。
この短編は15歳で今川義元の娘、月音との結婚から、謀反の疑いをもたれ、甲府東光寺に幽閉され30歳で亡くなるまでの話です。謀反の疑いで離縁されても義信を信じてその死まで月音は甲府を去りませんでした。相手を信じ切るこういう純愛もあったのでしょうね。

⑥、⑧ 何を守るか、武士としての矜持というものを感じさせる内容でよかったです。

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