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2023年10月

2023年10月31日 (火)

『ラスト・トライアル』ロバート・ベイリー著

何か面白い探偵小説はないかしら?と物色、少し前に読んだ『嘘と聖域』が面白かったことを思い出して同じ作者の小説を買ってみました。アタリ!で巻を置く能わずの面白さでした。

ラスト・トライアル』ロバート・ベイリー著  小学館文庫

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帯にあるようにこれはベイリーのプロフェッサーシリーズの3冊目。この前読んだのはそれに続くボー・シリーズ。順序が逆なうえ、この『ラスト・トライアル』はシリーズ3作目なので、前の事件を知っていることが前提ではあるのですが、無視して読みました。それでもとても楽しめました。
登場人物は『嘘と聖域』と重なっています。一番の違いは本作の弁護士役である、トム・マクマートリー元教授がまだ生きていて最後の事件だという所です。末期癌の痛みに耐えながら調査、弁護をすすめます。

舞台はアラバマ州、いわゆるディープサウスです。銃に執着が強く、自分でも銃を持ち、銃規制には断固反対しているところです。女性も自分用の銃を持っているのです。無法者が横行する町、といったイメージがあります。

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船着き場で銃による死体が発見されます。そこにはウィルマ・ニュートンの指紋が付いた銃、それに衣服に唾液(鑑定の結果ウィルマのものと分かる)。ウィルマはもう犯人と決まったようなものです。

次の日、マクマートリーが事務所に戻ると女の子が待っています。ウィルマの娘、ローリー・アンです。母の弁護をして、と必死に頼む少女の目をみて、勝ちめはなさそうな事件だけれど、引き受けてしまいます。
殺されたジャック・ウィリーストーンはトラック運送会社の経営者。高額の死亡保険金が掛けられていました。その受取人は?現在の妻のほかに前妻とその自閉症の息子がいます。現在の妻キャサリンの父親も有力者ですが、、、。

保険金がかかわるからでしょうね。マクマートリー側は命を狙われます。ま、南部ですからね。ほんとにアメリカ的!って思ってしまいました。
マクマートリーは元アラバマ大学の法学教授でこのあたりの検事、判事たちは殆ど教え子。その人たちを相手取って裁判に挑むことになります。

マクマートリーは妻を亡くし「悲しみも人生の一部」と心のに痛みを負い、また自分自身の死もそう遠くないことを知りつつで渾身の力を振り絞って事件に当たります。帯にもあるように≪胸アツ»です。

まあ、色々ありますが、すべて省略。

結末の意外さにも驚かされます。そうして裁判って?弁護士は被疑者が犯人でないことを示すことができればいいのであって、犯人をあげる必要はないのですね。 

面白かったです。次作を読みたかったのですが、次は怖そうなのでやめにしました。『嘘と聖域』の次の作の翻訳を待ちます。
それにしてもアメリカのミステリーってヨーロッパとはどこか雰囲気が違いますね。歴史からくる重みのなさでしょうか? 欠点とは思いません。これはこれで好きです。

2023年10月27日 (金)

『藩邸差配役日日控』 砂原浩太朗著

昔は日本の時代小説など、と見向きもしなかったのですが、最近はわりに読むようになりました。作品にもよりますが、しっとりしていて気持ちが休まるものが多いのです。年のせいでしょうか。

そういうもののなかでも砂原浩太朗の作品は気に入っています。今年出たのは短編集でした。 

藩邸差配役日日控』砂原浩太朗著 文芸春秋

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帯にある『高瀬庄左衛門御留書』も『黛家の兄弟』もあと文庫で『いのちがけ』も読みました。

今回は長編ではなく、五編の短編からなる短編連作の形をとっていました。
帯の内容紹介より

里村五郎兵衛は、神宮寺藩江戸藩邸差配役を務めている。陰で≪なんでも屋»と揶揄されている差配役には、藩邸内の揉め事が大小問わず持ち込まれ、里村は 対応に追われる毎日。
そんななか、桜見物に行った若君が行方知れずになった、という報せが。すぐさま探索に向かおうとする里村だったが、江戸家老に「無理に見つけずともよい」と謎めいた言葉を投げかけられ、、、。                         

若君を探せなら納得がいきますが、奥方の愛猫探しまで、、。藩御用の商人を誰にするかの入札、妖しい魅力を持つ女中の話、それにお城ではお決まりともいえる、権力争い。激する心を抑え、五郎兵衛は処理していきます。

そうして最後の章「秋江賦」。五郎兵衛に託されていた秘められたあることが明らかになります。
うーん。うならされました。

砂原浩太朗、また読みたいです。秋の夜、こういう優しい、しっとりと落ち着いた話を読むのもいいものです。

2023年10月26日 (木)

『トリック』ベルクマン著

何かいい本ないかと、クレストブックスをチェック、星の数とコメントを参考にして購入してあった本を読みました。

トリック』 ベルクマン著 新潮クレストブックス

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老奇術師と10歳の少年の話です。

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20世紀の初頭、プラハの貧しいラビの家庭が語られるところから始まります。(プラハ!懐かしい、ユダヤ人墓地も覚えています。)やがて戦争、そうしてなかなか子供に恵まれなかった夫婦に子供が生まれます。父親がだれか?
ともかく上の階に住む錠前師が子供モシェ(モーゼ)をかわいがります。モシェが15歳になった
ある日錠前師は彼をサーカスに連れて行ってくれます。そこでモシェはサーカスの女の子(ペルシャのアリアナ姫)に恋してしまうのです。

一方21世紀のアメリカ、ロサンジェルス。もうすぐ11歳になるマックスは非常に不安でした。どうもダッドとマムが離婚しそうだからです。そういう時に古いレコードを見つけます。〈サバティーニ 最大のトリック〉とタイトルにあります。色々な魔法の中に「永遠の愛の魔法」というのがありました。ダッドとマムが離婚しないような魔法!ところがレコードをかけても そこに傷がついていて聴くことができません。そこでマックスはサバティーニを探すことにします。

物語は細かく章が分かれていて交互にサバティーニことモシェ(サバティーニは芸名)とマックスの話が語られていきます。

モシェはサーカスを追って(というかユリアナ姫を追って)いき結局サーカスにはいってマジシャンになりヨーロッパ中を廻ります。そうしてヒトラーの登場です。ユダヤ人ですから結局は収容所行き。体が丈夫なので生きのびて戦後アメリカに渡りマジシャンとして大成功をおさめたようです。

どちらかというと私はサバティーニの話より、マックスのナイーブさがかわいくて読み進めていきました。マックスの両親もユダヤ人でたまに会うおばあちゃんはキャンプから救い出された話をしょっちゅうします、トランクの話を。
皆ろくにちゃんとはきいていないのですが。

レコードをきくことができないのでマックスはサバティーニを探すことにします。
見つけました。(ロサンジェルスにいたなんて、でき過ぎ)
そうして、、、。トランクの奇跡!  

三分の二くらいまではマックスの可愛さで読み続けられたような気がします(あの時代のヨーロッパを生きたユダヤ人の話の方が変化に富んではいるのですが)。
もうやめてもいいかな、でも折角買ったのだから、一応最後まで読もう、、、、
最後で面白くなりました。

ハートウォーミングな物語でした。

それにしてもガザはどうなるのか?複雑な思いがしています。
国家となると化け物です。

****

今日のティータイムは久しぶりにチャヤのモンブランです。

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2023年10月22日 (日)

『海への巡礼』岡本勝人著

タイトルや紹介に海、とあるとすぐ反応してしまいます。数週間前、新聞に紹介されていた本を読み終えました。

海への巡礼』 岡本勝人著 左右者

寡聞にしてこの著者は知りませんでした。1954年生まれ、詩人、文芸評論家だそうです。

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海にまつわるエッセイ集、と軽い気持ちで読み始めました。
1はモン・サンミシェルと題して主にノルマンディ、ブルターニュの話です。
ああ、ノルマンディ、ブルターニュ!海外旅行はもうおしまい、未練はないはずでしたが、でもブルターニュは行きたい。痛切な思いにかられます。
プルースト、マンディヤルグ、アンドレ・ブルトンなどのことが語られます。

いったい人は結局、海のほかにどこへ行くというのか。行くべきところが、どこかほかにあるのか。言葉の河であれ、音の河であれ、生の河であれ、行くものであり、流れるものであれば、きっとそれはひそかに海へつづき、海を目指しているのではあるまいか。行き着くべきところはつねに海。「略」海はその時あらゆる聖なるものの手前そして彼方にある〈アルケー=テロス〉である。そしてそれだからこそ、あらゆる〈海に行くこと〉は必然的に巡礼に似るのだ。(小林康夫「Ⅱ海の心理ー言語物質論」『光のオペラ』(本書より引用しました。引用してはいけないようでしたら消します)

場所は真鶴へ、日本にもどったところで、宋への船を造ったけれど失敗した実朝に思いをいたすところもありました。さらにニューヨークヘボストンへヴェネツィアへ。
ヴェネツィアでは折角行ったのに著者はトルチェッロ島でサンタ・マリア・アッスンタ教会でモザイク画を昼休みのため観ることが出来なかったそうです。(ちゃんと調べて行かなくては!私は観ました。読みながら素敵だったヴェネツィアを思い出しました)、沖縄、ここではシャーマンの話がでてきます、、、。柳田國男、折口信夫、、、。

 
白い風の棲みついた

 少年の肺の奥から
 ゆっくりと小舟が漕ぎだされる
 ここで姿を消し
 ここにまたもどってくるために
 
 だれかの胸の埠頭でまだ荒れている
 うごかない夜のとうめいな海
 
 
(松本邦吉「序詩」『航海術』『本書より、引用不可
でしたら消します)

最後にまたフランスに戻ってパリのヘミングウェイについて語られます。文章の引用や詩を挟みながら。

 もし君が幸運にも
 青年時代にパリに住んだとすれば
 きみが残りの人生をどこで過ごそうとも
 パリは君についてまわる
 なぜならパリは
 移動祝祭日だからだ  (本書より引用、引用不可でしたら消します)
 ある友へ アーネスト・ヘミングウェイ 1950年(『移動祝祭日』福田陸太郎訳)

娘と行ったパリ、ツアーで友人と歩いたパリを思い浮かべながら読みました。私はヘミングウェイではなくレマルクの『凱旋門』で ≪戦争が終わったらフーケで会おう、ジョルジュサンク側?それとも、、、≫が気になっていて、フーケでお食事もしました。
パリ大好き人間だったようですがヘミングウェイについてはパンプローナ(彼は闘牛好きだった)の行きつけのカフェが印象に残っています。

でもこの本、そんな旅の思い出に浸っていられるほど読みやすい本ではないのです。
筆が進むにしたがってお気楽旅エッセイとは程遠い文芸評論ともいうべき様相を呈していきます。
レヴィ・ストロースにも多くをさかれていますが、私はとおりすぎただけ。そのほかシュールレアリスト達も。
少しだけ夢中になった時期もありました。でもああいう作家たちを今も読み継いでいる人がいるのだなあ、と何だか不思議な気がしました。私にとっては過去の人なのに。

読んでよかったと思ったのは単に海が好き、という気持ちが分析されて意味付けされていったことです。どのようにかは、ここでは書きませんが。

この本、一般的とはいえないかもしれません。

****

本とは関係ありませんが、今日、7回目のコロナワクチンを受けに行きました。『堤未果のショック・ドクトリン』を読んでもうやめようと思っていたのですが、まだ感染者はいるのにマスク無しが増えて、矢張り老人は自衛すべき、と幸いこれまで殆ど副反応もなかったので受けることにしたのです。

少し離れた所の初めての医院でしたが、予診票のチェックだけでさっと打たれて15分経つかたたないかで、さあ帰っていいですよ。拍子抜けするほど簡単に終わってしまいました。

2023年10月17日 (火)

映画「福田村事件」

昨日16日は コロナ以後初めてジャックアンドベティに映画を観に行ってきました。

ずっと気になっていた「福田村事件」を観るためです。
重そうとためらう気持ちもありましたが、知っておくべきだという思い、それに出演する俳優陣がいいことにも後押しされました。
今年は関東大震災が起こって100年になる年です。関東大震災はまだ私たちの周囲では経験したことがある人がいるものとしては最大の被害をもたらした地震です。その際、単に地震や二次災害としての火事だけでなく、人災ともいえる、恐ろしい事件も起こっていたのです。

大震災の時、朝鮮人が井戸に毒をいれた、などというデマが流れたということは知識としてもっていましたが、具体的なことは何も知りません。
この映画は大震災後の不安の中〈朝鮮人が襲ってくる〉と不安におびえた村人が香川県から来た薬売りの一行を惨殺した、という事件を扱ったものです。

福田村事件 映画『福田村事件』公式サイト (fukudamura1923.jp)

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1923年、澤田智一は教師をしていた日本統治下の京城(現・ソウル)を離れ、妻の静子とともに故郷の千葉県福田村に帰ってくる。澤田は日本軍が朝鮮で犯した虐殺事件の目撃者であったが、静子にもその事実を隠していた。その年の9月1日、関東地方を大地震が襲う。多くの人びとが大混乱となり、流言飛語が飛び交う9月6日、香川から関東へやってきた沼部新助率いる行商団15名は次の地に向かうために利根川の渡し場に向かう。沼部と渡し守の小さな口論に端を発した行き違いにより、興奮した村民の集団心理に火がつき、後に歴史に葬られる大虐殺が起こってしまう。

沢田夫妻が帰ってきた村の、人々様子が丁寧に描かれていきます。虐げられる嫁、舅に慰められる嫁、威張る警察官、もう軍人でもないのに軍服姿でのさばる人たち、少し離れた存在である船頭(一時、話題になった東出昌大、なかなかよかった)。
そういう中で静子(田中麗奈)は田舎では見られない洋服姿で軽やかに散歩します。智一(井浦新)は頼まれても教職にはつこうとせず、なれない畑仕事をします。京城でなにかあったらしいです。井浦新(とてもよかった)は言葉を発しなくても背中だけで語れる人だと思っています。

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四年前の朝鮮での出来事のため、智一の中では時がとまってしまったのです。その理由がわからない静子のもどかしい気持ち。二人の間はうまくいっていないようです。(静子は朝鮮にある国策会社の重役の娘、日本に帰ってきた理由が銀座若松のあんみつが食べたいから、ですって。ああ、私も食べたい!)静子は育ちからもくるのでしょうか、臆することなく率直に自分の考えを述べ、大胆ともいえる行動をします。智一はそういう静子をみているだけ。「あなたはいつも見ているだけで何もしない」となじります。

村長(警察官も村長も皆澤田の昔の友達)は大学出で大正デモクラシーの影響を受けた人で何とか理想を追求しようとはしている人です。

9月1日東京から少し離れているこの村も地震が襲います。
そうして鮮人(朝鮮人の蔑称だそうです)が集団で襲ってくる、朝鮮人が略奪や放火をした、といううわさが飛び交います。村では自警団が組織され、竹やり、鍬、鋤などを手に人々が集まってきます。

一方四国の香川県を出発した、女子供を含めた総勢15人行商団,がいます。団長格は沼部新助(永山瑛太)。
彼らは えた と呼ばれる被差別部落の人たちです。妊婦もいる中、助け合いながら気も晴れ晴れと楽しそうに旅をして、今利根川を渡ってやってきました。

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〈朝鮮人が襲ってくる〉元軍人たちは、村人を守る、といきまいて折あしくやってきた行商団を、彼らこそ悪をもたらす朝鮮人だと決めつけ、朝鮮人なら発音できないと思われる言葉をいわせて試します。日本人ですから、ちゃんと発音できるのですが。
その時新助はその挑発にはのらず「朝鮮人だったら殺してええんか」と叫びます。えた(こういう言葉は使いたくないのですが、映画の中では自分たちのことをこう言っていました)と呼ばれる人だからこそ朝鮮人と差別されることの理不尽さ痛みが分かるのだとおもいます。強烈な一言でした。しかし真っ先に殺されます。手製の竹やりや刀(サーベル?)で突き刺す、切りつけるなどの暴行におよび15人の内9人が殺されました。

なすすべもない村長 右端は止めようとする船頭

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当時の村の人々の描写(どこにもある普通のまあ、因習的ともいえる村で起こった出来事であることを表したのだと思います)、主要登場人物など背景もよく描けていてよくできた映画だ(なまいきないいかたですね)と思いました。

現在、一応理性、良識を備えた人々は差別意識を持っていない、あるいは持ってはならないと自戒していると思います。
でもどうでしょう。一応5類移行でフタをしてしまった、新型コロナ。
流行の兆しが見え罹患をおそれ心配していた頃、地方の小さな村では患者を出してしまった家は村八分状態だったと聞きます。娘が都会からもどってきた、というだけでもその家とは交際を断つ、ということも起きたと聞いています。
朝鮮人が襲ってくる、が病原菌が襲ってくるに変わっただけです。これはデマではなく事実ですが、かかった家をつまはじきする、ということとはどこか通じるものを感じます。

公式ホームページの大森監督の言葉 

こうしてヒトは群れる生きものになった。つまり社会性。だからこそこの地球でここまで繫栄した。でも群れには副作用がある。イワシやハトが典型だが、多くの個体がひとつの生きもののように動く。だってみんながてんでばらばらに動いていたら、群れは意味を失う。特に不安や恐怖を感じたとき、群れは同質であることを求めながら、異質なものを見つけて攻撃し排除しようとする。
この場合の異質は、極論すれば何でもよい。髪や肌の色。国籍。民族。信仰。そして言葉。多数派は少数派を標的とする。こうして虐殺や戦争が起きる。悪意などないままに。善人が善人を殺す。人類の歴史はこの過ちの繰り返しだ。だからこそ知らなくてはならない。凝視しなくてはならない

間違いをおこさないためにしっかり心に刻んでおきたい言葉だと思います。

 

2023年10月12日 (木)

映画「ロストキング」

昨日(10日)桜木町まで映画を観に行ってきました。一介の主婦がリチャード三世の遺骨を探し当てたという実話をもとにした映画です。

リチャード三世、せむしで極悪非道と言われた王です。ずっと大昔、シェイクスピアの芝居を観たことがあります。どなただったか忘れましたけれど、歌舞伎役者がリチャード三世に扮していて奮闘して戦死した場面、全力で動き回っていたせいか、死んだはずなのに息がはずんで、でっぷりしたおなかが激しく上下していて、苦笑したことを思い出しました。

そうそう、アルパチーノの「リチャードを探せ」という映画もありました。『時の娘』という小説も読んだ記憶が。
リチャード三世、正当に評価されていないのではないか?という疑問がもたれている王
のようです。

「ロストキング 500年越しの運命」
映画「ロスト・キング -500年越しの運命-」公式サイト – 9月22日公開予定 (culture-pub.jp)

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中年の働く女性であるフィリパ・ラングレーは持病の筋痛性脳脊髄炎 のためか仕事では正当にされていません。夫は別の女性の元に走り、離婚。
そういう鬱屈した気持ちをかかえながら、子供のお供でシェイクスピアの「リチャード三世」を観に行きます。
身体の不具合のために悪者と描かれているリチャードの姿に憤慨。
体の不調を理由に不当な評価を受けている自分の姿と重ねあわせたのか、リチャード三世について勉強し始めます。
リチャード三世は勇敢で忠誠心にあふれ、敬虔で正義感の強い人だった、という記述も見つけます。
「リカーディアン」という、リチャード三世はシェイクスピア劇で言われるような極悪非道な人間ではなかった、とするファン俱楽部のようなものもあり、そこにフィリパも入会。
そこでリチャード三世のお墓に行きたい、というとお墓はない、レスターの川に投げ込まれた、と言われているのだそうです。正当
な王がそのような扱いを受けるはずはない、とフィリパは調べ始めます。

そうして墓はレスターの大聖堂のそば、グレイフライヤーズ修道院跡地と特定、発掘をすることにします。現在は駐車場になっています。発掘には多大な費用が掛かります。レスター大学の支持が得られました。しかし発掘されたあかつきには、フィリパの場所の特定などの研究は無視され、大学のものとされるのですが、、、。在野の研究者の悲劇!でも結局彼女の力は認められたようです。

主な舞台はフィリパの住むエジンバラ。エジンバラには30年前に行ったことがあります。チラシにも写っているエジンバラ城にも行きました。 懐かしい!
リチャード三世が戦って亡くなったボズワースの平原の緩やかな緑の丘。ああ、これぞイギリス、
映像もすてきでイギリス好きにはたまらない映画でした。

ものすごく感銘を受けた、というほどではないのですが、気持ちよく映画を観終えることが出来ました。
気持ちがいいので、すぐ家には帰らず高島屋へ。私は夕方になるにつれて元気がでてくるのです。

遅いお昼 小食なので、いつもおそば、天ぷらとかはつけません。
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いい気分ついでにカットソー、スカート、口紅など私としては買いまくり。出かけるあてもないのに。

口紅はこれまで旅行の際空港の免税店で買っていました。もう海外に行かなくなって久しく、最後の旅行で買ったものも短くなってきたのです。でもお値段にびっくり、一本5千円!なんて。(いつもピンク系とオレンジ系の2本買います)以前は2500円くらいだったはずなのに。

恥ずかしくなるようなかわいらしさ。

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いい一日でした。

2023年10月 7日 (土)

『緑の天幕』

リュドミラ・ウリツカヤの『緑の天幕』を読みました。

この本は去年、読もうと思ったちょうどそのときにロシアのウクライナ侵攻が始まりました。
ウリツカヤ女史が侵攻に反対なのはもちろん察せられたのですが、ロシアに関するもの全てが厭わしく本を注文する気になれませんでした。

‥‥ウクライナでの戦争はまだまだ続きそうですが、今やっと読む気になりました。

取り寄せた本はなんと700ページを超える分厚いもの。ズシリと重いのですが、奥志賀に持っていきました。高原の風にふかれながら読書を楽しむためにでかけるのですから。でも場所が変わると集中が難しく、三分の一も読めませんでした。帰って、日記書きもあって、昨日やっと読み終わりました。間があいたせいか、登場人物の関係がわからなくなって、あちこちひっくりかえしながらでしたが、読みでがありました。すごい本です。

緑の天幕』リュドミラ・ウリツカヤ著 新潮クレストブックス 

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1953年、スターリンが亡くなりました。これはヨシフ・スターリンが亡くなった日の朝から、1996年詩人ヨシフ・ブロツキーが亡くなった日までのモスクワに住む三人の少年と友達の三人の少女たち、そうしてその周辺の人たちのいわば群像劇のような物語です。

ウリツカヤ女史は1943年生まれ、つまり彼女の小学校時代から50代までの社会状況が書き込まれていることになります。
私は44年生まれなので同世代です。安保闘争(まだ高校時代でした)などもありましたが、大変なのは子育てくらい、日本では多分、当局から睨まれるような恐ろしい思いをする人はなかったでしょう。

物語はスターリンが亡くなった日の朝の三人の少女、タマーラ、ガーリャ、オーリャの描写から始まります。
しかし物語は当初この少女たちは出てこず、三人の少年の話が展開していきます。

1950年代、小学校でのっぽのイリヤ、ユダヤ人の赤毛のミーハ、ピアニストを目指すサーニャは仲良しになります。ミーハは孤児で親類をたらいまわしにされていて、イリヤも婚外子で貧乏、サーニャは父親はいないのですが、母親と祖母と住んでおり、裕福です。二人はよくサーニャの家にいくのですが、祖母のアンナは彼らを快く受け入れ、子供たちを音楽会などにも連れて行きます。特にミーハはお気に入り。詩を書く文学少年のミーハはこの家に入り浸って、次々と本を読みます。
六年生になった時、新しくやってきた担任のシェンゲリ先生はロシア語担当。いつも詩を読み、毎週、希望者を文学散歩に連れ出します。子供たちは文学の世界に目を開かれ、のびのびと育つ、幸せな学校時代です。
イリヤは父親に譲られたカメラがお気に入り、どこにいくにもカメラを持っていき記録係です。
サーニャはある事故で手に怪我をしてピアニストへの道はあきらめなければならなくなるのですが、音楽学を勉強することになります。
1954年、男女共学が導入され、少女たちが同じ学校にやってきます。
1957年 卒業。

このころから光ではなく影がみられるようになります。シェンゲリ先生は元教え子カーチャと結婚した、ということで学校を追われることになります。
兵役があるのですが、学生は免除になるということで、みんな必死で勉強します。ユダヤ人は文学部に入れない、ということでミーハは教育大学へ。
ミーハは外国語大学。さらに音楽を勉強します。イリヤはレニングラード(ペテルスブルグ)映画技術大学をめざしていたのですが、入試の日がモスクワの青年学生祭典の開会式としって、これを逃すまいと試験を受けずにもどってきてしまうのです。

幸せな小学校(中等学校というのでしょうか)時代と違って、自分が正しいと考えたことを述べるのをためらわない人間に育った彼らにとっては理不尽な状況に直面します。

体制に批判的な人間は徹底的に締め付けられる時代です。
小説としてもいよいよ佳境に入り、本を手放すことが出来なくなります。

生理学者となったタマーラや音楽学者になったサーニャは体制とは無関係な場所にいるので無事で友達の面倒を見る側に回ります。ユダヤ人はイスラエルに脱出する人も多かったようです。

意図的にあるいは意図的ではなく体制に反する活動をするイリヤ、オーリャ、ミーハを中心に物語は展開します。

ミーハに起こったことと言ったら、、、。素朴で誠実で愚鈍な、、、お馬鹿さん、ここは妥協してうまく切り抜けなさいよ、と言いたくなりました。でも若いのですねえ。

細かいことを書くのはやめにしましょう。

この小説はプロローグとエピローグを含めて32の短編からなり、時系列通りにはなっていません。タイトルの「緑の天幕」は中ほどにあり、オーリャの物語です。魅力的な一章でした。

著者は「イマーゴ」をタイトルにしようと考えていたそうです。「イマーゴ」はミーハの物語です。イマーゴとはイメージのことですが、ここでは生物学用語で「成虫、成体」という意味だそうです。しかし、この社会(ソヴィエト)にいるのは幼虫や未成熟のものたちばかり。

なりをひそめていたら、いつか何とかなる、、いえ、なりをひそめない人がいたからこそソ連崩壊が起こったのでしょうけれど。

この政権は出口を与えてはくれない。彼らは常に、名誉と良心を持つ者たちを打ち負かすのだ。

この小説には、この政権の下、真正面からぶつかってしまって砕けた人、上手くすり抜けた人、政権とは抵触しない世界に生きた人など様々な人々が描き出されています。

物語の最後は1996年。場所はニュヨーク。
サーニャとリーザ(祖母と祖父がいとこ同士、二人は子供のころから一緒にピアノを習っていた仲良しで、リーザは今ピアニストとして世界中を演奏旅行してまわっていて、サーニャはニューヨークの音楽院で教えている)が詩人ブロツキーを訪ねたところで終わっています。
静かな世界です。
ここでベートーヴェンのピアノソナタ32番のことが語られていました。私はこの2楽章のアリエッタが大好き。あらためてCDを探し出してかけながら書いています。

***

今、ウクライナ侵攻という暴挙に出たロシアで、心ある国民はどうしているのでしょうか?
ウリツカヤ女史が心配でしたが、今ドイツに住んでいらっしゃるようです。

この本お薦めです!

 

2023年10月 2日 (月)

奥志賀へ 4 奥志賀~帰宅

3日目 10月8日(木)

昨日と同様7:30~朝食 別の部屋で和朝食もあるのですが、量の加減ができる洋食ビュッフェにしました。
イタリアンレストラン・ステラ・アルピーナ 写真向かって右に窓。芝生の緑、ブナの白い幹がみえてきもちがいい。

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とったのは昨日とほとんど同じです。今日は和食が多いのかこちらは人数が少なめです。 

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8時過ぎにお部屋に戻りました。階段を少し上るだけですが、疲れてしまって、矢張り10月末のツアーは無理、と観念しました。
私は朝がともかく体が動かないのです。今日(10月2日)月末の東北旅行キャンセルのお電話をしてしまいました。残念です。

このホテルはチェックアウトが12:00でシャトルバスは12:30発ですから朝ゆっくりできるのが嬉しいです。
10:15から荷物整理をすることにして、休憩&読書。
10:15から30分くらいかけてゆっくりパッキング。結構お土産を買い込んだので二つのキャリーがぎっしり満杯になりました。分厚い私の持ってきた本は別の手提げに(新幹線車内でも読むために)。

片付けが終わったところで、最後にホテルの周りを散歩することにしました。
正面玄関とは反対側が良かったよ、と主人が言うので、そちら側を見たかったのです。

その出口に向かう途中、ラウンジ発見。

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ここで本を読めばよかった!

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外に出ました。

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ホテル右下の白っぽいブラインドがおりているところがレストランです。

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時折日が差しました。

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こちら側の入り口。

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12:00 チェックアウトをすませてロビーの椅子に腰かけて出発を待ちます。

予定では長野に着いたら、荷物を預けてすぐ小布施に行くことになっていました。
でも主人は乗り気でなく、私もだんだん、もういいか、という気になってきて、行くのはやめにすることにしました。有名な栗のお菓子は長野駅で買えますから。北斎の絵にもあまり関心がないですし。

12:20過ぎ、車が玄関前に。9人乗りで9人乗りました。満席です。

このホテル、ホスピタリティがいい、というのでしょうか、スタッフの方々も気持ちのよい方たちで、さすが皇族方もお泊りになられるホテルだけはあると思いました。

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帰りは下りのせいかスピードを出しているようでした。

途中かなり霧がでて白い靄の中を走りました。危険なほど深い霧ではありません。
早くつくかとおもったのですが、駅に近づくにつれて少し渋滞。13:50頃には着いていたかもしれません。

駅へ入って、とりあえず緑の窓口へ。
新幹線の切符は余裕で買えるかと思っていたのですが、満席に近く当然二人並んで空いているところはなく、やっと通路側の前後の席をみつけることができました。

切符を手に入れて次は 昼食。

来るときのお蕎麦がおいしかったので、MIDORI3階の「みよ田」に行って 巴そば。

おなかがいっぱいになったところで2階におりてお土産物屋さんに。

矢張り小布施堂の栗かのこは買いたい、小さな栗ようかんも。行列ができるという極上モンブランもお店ではあるそうですが、お持ち帰り用もありました。日持ちがしない、というので1個だけ買いました。保冷袋に入れてお持ち帰りです。
あれこれ迷って、甘いものをいくつか買っているうちに発車時刻が近づいてきました。

はくたか566号 15:22→16:52東京駅

列車内ではおとなしく読書。マスクはつけている人もいない人も。ほぼ満席ですから私たちはつけていました。

横須賀線で帰ることにしました。座れそうにないので1列車見送りましたが、東京駅始発ではないことに気が付いて贅沢とは思いながらグリーン券を買いました。

最寄り駅でお弁当を買ってタクシーで我が家へ。

お弁当のあとはモンブラン。もう数年来私はケーキを丸ごと1つは無理になっているので、いつも半分です。これも半分いただきました。外側のお素麺状のものはクリ餡だけ、お砂糖もいれていないようで栗そのもの。中はスポンジと生クリーム、これは甘くしてあります。美味しかったです。軽くて、これなら1個丸ごといただけそうでした。

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買ってきたもの。

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はちみつ好きなので、あれば必ず買います。林檎ジャムは家で簡単に作れる(既に生活クラブで紅玉を注文済み)のですが、 信州に来たのだから、と一応買いました。

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あちこち見て回るのではなく、滞在するためだけに行った旅でした。情けないことに急激に体力がおちてきていて、もうこういうリゾートホテルや温泉でゆっくりするような旅行しかできなくなったようです。

それにしてもこのホテル、お部屋がゆったり広くて周りの景色ものびやかで気持ちのいいこと。また絶対行きたいところです。ただ主人は熊を心配していて、ブナ林をノンビリ散歩するのは心配だ、と言っています。ツアーなどで大人数ならそういう心配はないのでしょうけれど。 (4844歩)
旅行記完

2023年10月 1日 (日)

奥志賀へ 3 グランフェニックス滞在

10月27日(水)曇り

6:00 起床

7:30~8:10 朝食
朝食レストランは昨日の夕食と同じです。案内ではセットメニューになっていましたが、行ってみるとビュッフェでした。小食の私にはこの方が気が楽です。でもスプーンを忘れた、ジュースも、と行ったり来たりしていると疲れてしまいました。

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パンの横につけてあるのは「栗ジャム」。どんなものかと思ってとったのですが、栗のくだいたものに、クリ餡をからませたもので、とても甘くてお食事には、どうかと思いました。

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お部屋に戻って一休み。

ベランダから。 さきほどまで2,30人のグループが二組。ツアーでしょうか。重装備して山の方に向かって歩いていきました。奥の茶色のサイロみたいな建物はリフト乗り場。間の奥に小さく屋根が見えているのが「森の音楽堂」

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主人は9:00からのホテル主催の2時間半ほどの奥志賀渓谷トレッキングに出かけました。
他に参加者がいなくて一人だけだったそうです。近ごろ熊がでて釣り人が襲われた、という話をきくので心配していました。7,8月はホテルの庭まできたそうですが、9月になってからは見ません、と言われましたが。 
腰に鈴をつけて案内人はスプレーも持っていたそうです。

私は持ってきたリュドミラ・ウリツカヤの『緑の天幕』を読み始めました。700ページ以上もある分厚い本で重くて手に持つのにくたびれました。折角だから高原の冷気にふれたい、とベランダで。

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そのうちお茶が飲みたくなり、つまむものも欲しくてショップへ
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外が冷えてきたので室内でつまみながら読み続けました。この蕎麦くるみ、甘すぎず、おいしかったです。ついつい手が伸びて食べすぎ!

そうこうしているうちに主人が帰ってきました。熊には襲われなかったようです!
大滝は見られなかったけれど三段の滝とハーモニカ滝を見たそうです。
撮ってきた写真を数枚。

熊が剥した跡

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三段の滝

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ハーモニカ滝

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このあたりはグリーンタフとよばれる緑色凝灰岩の上を水が流れています。

12:45分ごろお昼を食べにレストラン階へ

カレーにしました。主人はビールも。最後の方になって写真撮り忘れに気が付きました。

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お部屋に戻って一休みしてから二人で近くを散策。用心のためホテルで熊対策用鈴をお借りしてベルトにつけました。

ホテルを背に左方向へ

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この道はこの先急に下りになるのでやめてホテルの方へ引き返しました。

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ホテルを背に右手、お部屋のベランダから見えていたところへ向かいます。

りんどうの丘(夏頃は一面りんどうのお花畑らしいです)

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森の音楽堂 小澤征爾氏のアドバイスをもとに1991年に建てられたものだそうです。

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ぐるっと回りをひとまわり。屋外に座り心地のよいソファが置かれていました。しばし休憩。

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この静けさはやはりここまで来ないと味わえないのでしょうね。いいところです。

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ホテルに戻ります。

1時間弱、外にいました。この後ショップに行ってお買い物。
お部屋で読書、テレビ、主人は大浴場へ

18:30 お食事 今日は和食レストランも開いているので、どうですか?といわれましたが和食だとコースがきまっていて 少なく、ということができないのでやはりイタリアンにしました。

そのせいかイタリアンレストラン内は人数がとても少なかったです。
私はやはりアラカルトで前菜、パスタ、デザートです。主人はコース。ワインは昨日と同じシャブリにしました。

前菜は二人とも同じです。

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私は今日はポルチーニのクリームパスタにしました。美味しかったです。でも残念、半分くらいしかおなかに入りませんでした。前菜でかなりおなかがいっぱいになってしまうのです。

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主人のメインは アクアパッツア

少しだけ見えているオリーブオイル、これをパンにつけて頂きました。パンもおいしかったのですが、このオリーブオイルの香りが良くてとてもおいしかったです。ショップにあれば買って帰りたかったのですが、おいてないそうです。シチリア産だそうです。

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私 デザートはチョコレートアイスにしました。

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コースのデザート

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このホテルのお食事は全体的に分量が多めな気がしました。元気なスキー客が多いのでしょうか。

美味しくて満足してお部屋に戻りました。

少し読書、入浴。(3865歩)

奥志賀へ 2 善光寺~ホテル

美術館を出るとすぐ善光寺です。長野で善光寺、はあまりにもベタですが、美術館のお隣ですから、ご挨拶です。
善光寺へは一度来た、というより立ち寄ったことがあります。
学生時代 今もあるのかどうか学生村、というものがありました。信州など各地に学生を長期間、安く民家にとめてくださる村があったのです。食事は(公民館みたいなところだったような)集まって全員でいただきます。
大学4年の時、卒論を書くため、と称してそういう村の一つ、鬼無里村の学生村に友人と滞在したことがあります。その後、水芭蕉の群生地があることで鬼無里も少し知られるようになった場所ですが、当時はただ、面白い名前の村、というだけでした。長野からかなり山奥に入ったところです。
その帰りに折角だから、とこのお寺に寄りました。行ったという記憶だけです。

牛ではなく、今回は絵に引かれての善光寺参りです。

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一茶などの句碑があるところを通り、本堂堂を迂回して、授与所(つまりは土産物屋)で一応お守りを買って、山門から仲見世通り、仁王門のところでタクシーを拾って駅へ向かいました(来た時のタクシーの運転手さんにあらかじめタクシーの拾える場所を聞いておきました)。

お参りというより通り抜けただけです。それに順路が逆です。でもこの方が下りですから体にはやさしいです。

善光寺

特に前もって調べては行きませんでした。
1400年の歴史を持つお寺だそうですが草創期のことはよくわからないそうです。無宗派のお寺というのも珍しい気がします。

通っただけで中に入ったりはしませんでした。帰ってお寺のホームページを見てしっかり中もみておけばよかった、とおもいましたが、まあ、またの機会、ということで外観写真のみです。

句碑 

春風や 牛に惹かれて 善光寺    開帳に 逢ふや 雀も親子連 一茶

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生きて仰ぐ 空の高さよ 赤蜻蛉  漱石

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本堂 (国宝)1707年建立

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鐘楼 

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経蔵(重油文化財)1759年建立 
中に八角形の輪蔵があるそうです。そばまではいきませんでしたが、入場料を払えば入ることはできるようです。

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山門 1750年建立

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山門の前に大香炉

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六地蔵

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仲見世通り 奥が仁王門

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仁王門の右手前にタクシー乗り場。ここで客待ちのタクシーにすぐ乗ることができて駅へ(帰りは 1700円)

駅には13:45に着きました。もう少しゆっくりすればよかった!

MIDORIビルでお土産物の下見をして時間をつぶしました。
ホテルからのお迎えシャトルにのせていただくためには新幹線改札口前に14:30にはいる必要があります。
お一人見えない、とかでしばらく待ちましたが、電話をしてもお出にならないようで、出発することになりました。もう一組のご夫婦と4人で
した。
13:38出発。市街地を抜けてしばらくすると千曲川を左に見ながら走りました。

だんだん上っていきます。
志賀高原、発哺には大学の山小屋がありましたし、子供たちが通った幼稚園は某女子大付属でその大学も寮をもっていましたので、数組の母子連れで遊びに行ったこともあり、懐かしい場所です。

もう50年いや60年近く前、湯田中まで列車で行き、そこからはバスだったような気がします。丸池とかいくつか池のあるあたり、食堂が一軒あるだけで何もなかったのに今はホテルが沢山建って、とても賑やかで昔の山の中、という雰囲気は全くありません。
学生時代はゴンドラに乗って上の方へ行ったり、ひたすら歩いて池巡りをしたり、ああ懐かしい。

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15:42 ここも団体客がリュックをしょって列をなして歩いていました。
手摺が曲がっているのは雪の重みによるものだそうです。

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蓮池あたりを過ぎるともう本当に山の中、

16:00少し過ぎにホテル到着

グランフェニックス奥志賀(この写真は翌日撮ったもの)

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三階の角部屋です。私はお籠りして本を読んで過ごすつもりなので、目を上げれば山が見えるようにちょっと贅沢して二方向に窓のある角部屋を選びました。

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しっかりリビングスペースがあるのがいいです。ここで本を読んで過ごすつもりです。

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ベランダからの眺め。
奥志賀、とはよく言ったもの。ずいぶん奥地に分け入ってきたな、というか感じでしたが、今はここまで来ないと高原の静けさ、爽やかさは味わえないでしょう。

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お茶を入れて一息ついて、

夕食は18:30にお願いしてありますので、その間に、と主人は大浴場(ここは温泉ではない)に行きました。

私は読書

18:30 レストランへ (一応お着換えはして、パンプスも持ってきています)

私は小食でコースは重過ぎるのでアラカルト、主人はエコノミーコース(肉か魚のどちらかを選択)

私は前菜とパスタとデザートを注文。
主人はメインはお魚にするのでワインは久しぶりにシャブリ。これがすっきり軽めで美味しかったのです!

前菜 普通に単品で注文すると二人分の分量だそうですが、半分(コースと同じ分量)にしていただけました。

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私は手長海老のパスタ

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主人のコースのパスタ

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魚料理

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デザート

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私のは 写真撮り忘れ、杏子タルトにブドウがついていました。

コーヒー、紅茶 カップがクラッシックでいい。

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20時頃お部屋に戻りました。レストランは二階で出たすぐに階段があり、そこをあがるとお部屋はすぐです。
手摺も素敵です。

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少し飲んだので45分くらいたってからお部屋のお風呂。このお部屋は洗面室の奥にトイレ、横にお風呂、でもちろんそれぞれドア付きですから、入浴中にもう一人が洗面台を使うことができます。

22:00頃 寝ました。 (9256歩)

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