修善寺へ 1日目 その2
15:20頃お部屋を出ました。赤マークのところがお部屋ですからつり橋を渡って本館入り口に行かなくても直接通りに出られます。どうやらこの通りがメインストリートのようです。
修善寺でどうしても行っておきたいところは頼家をまつってある指月殿です。
修善寺の観光名所はどこもホテルからゆっくり歩いても10分以内の距離です。

橋を渡ります。川を挟んで色々あるせいか、橋が多く、どれも真っ赤に塗られています。

坂道といっても短いものでした。
この石段は 少々歩きにくかったです。ここは道を曲がってきてすぐ上にいけるようになっていたので あがりましたが、もう少し進むと切石でできた上がりやすい階段があり、帰りはそちらから降りました。

ここから行くとちょっとした広場があり、指月殿の側面が見えていました。年月を感じさせる建物です。

指月殿 看板の説明より
この地で非業の最期を遂げた鎌倉幕府二代将軍頼家の冥福を祈り、母北条政子が建立したもので、伊豆最古の木造建築といわれている。指月とは経典を意味し、禅家が愛用している不立文字を解く言葉である。建立のさい、政子が寄進した宋版大蔵経は、大半が散逸し僅か八巻しか残っていない。そのうち「放光般若波羅蜜多経」の第23巻が静岡県指定文化財となっている。本尊の釈迦牟尼像は、寄木造りで高さ203センチ、持ち物のないはずの釈迦像が右手に蓮の花を持っているのが特徴である。「指月殿」の扁額の実物は、宋の名僧一寧一山の署といわれ、修禅寺本堂に保存されている。


頼家について (WIKI丸写し)
父・頼朝の死により18歳で家督を相続し、鎌倉幕府の第2代鎌倉殿、更に3年半後に征夷大将軍となる。母方の北条氏を中心として十三人制がしかれ、頼家の独断は抑えられたとされるが、当事者である北条氏の史書の記録のみでしか確認できていない。
合議制成立の3年後に頼家は重病に陥ったとされ、頼家の後ろ盾である比企氏と、弟の実朝を担ぐ北条氏との対立が起こり、北条氏一派の攻撃により比企氏は滅亡した。頼家は将軍職を剥奪され、伊豆国修善寺に幽閉された後、暗殺された。頼家追放により、北条氏が鎌倉幕府の実権を握ることになる。
「鎌倉殿の十三人」では悪者扱いでしたから、そうかと思っていたのですが、京都の建仁寺について調べていた時、建仁二年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立された、ということを知り、意外の感を持ち、あしざまに言われるような人ではないのかと思った記憶があります。
義家は乳母父が比企能員。弟の実朝は北条氏。歴史に疎いのですから簡単に言い切っていいものかどうかわかりませんが、結局は比企対北条、両者の主導権争いの犠牲者ではなかったのか、という気がするのです。そう考えると頼家が哀れで墓前で手を合わせたくもなります。享年23歳(満21歳)ですよ!あの一族の野望のためにどれだけ多くの人が殺されたことか!
政子にしても、どうなんでしょう。死においやっておいて御堂を建てても、どうなるものでもなし。
頼家の墓

十三士の墓
これは、源頼家の家来13人が、源頼家が殺害された6日後に反乱を企てたのですが挙兵前に発見されてしまい、誅殺されたととも、殉死したとも伝わっています。

戻ることにします。
橋をわたるところで独鈷の湯が見えたので寄ってみました。
独鈷の湯 (静岡県観光案内より)現在はいることはできません(足湯もダメ)。

大同2年(807)、修善寺を訪れた空海(弘法大師)は桂川で病気の父の身体を洗う少年の孝行の心に打たれ、持っていた仏具(独鈷杵)で川の岩を打ち霊泉湧き出させた。その湯につかったところ父親の病気はたちまち癒え、温泉療法が広まった伝わる。現在も自然石をしようしており、修善寺温泉の象徴的存在。修善寺温泉は伊豆最古の温泉。
この後 禅寺、日枝神社を観て宿にもどりましたが、そのことは次回に。
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kikuko様
修善寺物語って タイトルだけはきいたことがあるような? といった程度で全く内容は知りませんでした。WIKIでざっと中身を読みました。悲運の貴公子として多くの人涙を誘ったのでしょうね。
今このお芝居が上演されればぜひみてみたいです。
調べてみると修禅寺の宝物館には頼家の肖像画や頼家の面もあるようなので、行かなかったことが悔やまれます。なんとなく気分転換、と下調べなしに出かけてしまったのです。
独鈷の湯、 台風で増水したのでしょうか。 桂川ってあの狩野川の支流なのですね。
狩野川台風を思い出します。
投稿: yk | 2023年11月 6日 (月) 00時33分
私の世代は、学芸会の定番が岡本綺堂作『修禅寺物語』でした。供養塔の後ろにひっそりと建つ五輪塔のお墓がいかにも悲運の貴公子の墓らしいですね。独鈷の湯は、2004年の台風で流されて、2007年の夏に下見に行ったときは土台しか残っていませんでしたが、10月末の同窓会の時は再建されていたのに、いまは入れないのですね。
16年前のアルバムを見ながら、感慨にふけっています。
投稿: kikuko | 2023年11月 5日 (日) 17時15分