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2024年3月

2024年3月31日 (日)

島根旅行 2日目ー1 足立美術館へ

昨夜は22:00に寝て、6:15起床。よく寝られたのですが、普段朝寝坊のせいか起きるのはつらかったです。疲れはありません。
7:10~7:50 朝食
バイキングです。和食、洋食と種類は豊富でした。それにもかかわらず私のは寂しいお皿です。

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どうやら16日からダイア改正のようです。

早く早くと急がせる主人に従って8:58発に乗るために8:30にホテル出発。5分で着きます。ところがダイヤ改正で58分発の特急八雲は9:05発になっていました。ナガーイ待ち時間。
9:05→9:26安来 美術館行きシャトルバスは出
たばかり。次は40分発です。

10:10頃着きました。入り口左手「歓迎の庭」と題されたお庭です。松が多い。

 

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足立美術館
設立者、足立全康氏は1899年 現 安来市古川町の生まれ。小学校卒業後稼業を手伝い、14歳のとき安来港に炭を大八車を引くいていく仕事につきます。そのとき途中で炭を売ることを思いつき、その代金が車引き
の賃金より多かったことから商売の道に進むことにしました。
裸一貫のたたき上げで様々な事業をなす傍ら、好きだった横山大観の絵を集め、それをおさめるために1970年にこの美術館を建てたそうです。
大観の絵とともに庭園もまた一服の絵である、という考えのもと、美しく造られたお庭が有名です。

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お庭以外は撮ってはいけないことになっています。順路だけ撮ったつもりですが、少し写ってしまいました。漆器の展示を観ながら進みます。

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入り口から進んで右手を観ると「枯山水庭」。
ここは同じバスでいらした方たちがまず立ち止まるところなので、結構ごった返していました。後で来ると全く人がいません。少し時間をずらした方がよかったようです。この日は庭園が良く見られる場所には少し人がたまっているところもありましたが、絵の会場はかなり閑散としていました。

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生の額絵

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二つの巨石群

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遠くに「鶴亀(きかく)の滝」 横山大観の「那智の滝」をイメージしているそうです。24033005

「苔庭」
杉苔を主体にした庭園。樹木は全て斜めに植えられている。山の斜面に植わっていたものだからだそうです。

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この十三重の塔は1339年の刻銘文があります。石橋がいいです。24033008

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記憶があいまいなのですが、 魯山人館へ行く通路の横だったと思います。24033009

ともかくお庭を観ていきます。
この蹲のある場所はどこだかはっきりしないのですが、向こうには 喫茶室「大観」 がみえています。

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「池庭」

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この飛び石を渡って歩けるといいのに。

「白砂青松庭」

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奥が白砂青松

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でも、私は石の方が面白い。滝から水が流れおちて池へと続いています。
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蹲があり、その奥に光悦垣が見えています。お茶室があるのでしょうか。大きな飛び石もいい感じです。池の右端の三角の石は佐治石といって鳥取県の石だそうです。
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途中に生の掛け軸といって、細長くくりぬいたところからお庭を眺められる工夫がしてあるところがありました

お庭を見終わったところで二階に上がって絵を観ました。すいていました。
広くて細長いお部屋です。
横山大観の絵が圧倒的に多かったです。私は日本画に疎く横山大観もしばらく前に観た「生々流転」を覚えている程度。それで、墨絵でない鮮やかな色彩の絵もあるので驚きました。

写真は撮れません。重いのは困るので小さなカタログを買いました。
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大観「紅葉」

↓ 右は 上村松園「娘深雪」その左は 魯山人の「椿鉢」経が30㎝くらいある大きなものでとてもみごとでした。

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大観「無我」 清水操「夏の日」 いずれも部分無我は絵葉書も買いました。

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大観「春風秋雨」

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これは海の青がとてもきれいだったのです。

橋本関雪は名前を知っているだけでしたので、こういう絵を描く人だったのだ、と興味深く見ました。京都、銀閣寺のそばに 家があり美術館になっていてお庭がすてきだそうで一度いってみたいと思っていましたので。

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気に入った絵の前でだけ足を止める、という状態でみましたので、11:30にはほぼ観終わり、大観というレストランへ。混まないうちに、と思ったのですが、結局その後も混み合うことはなく窓際の席で少しゆっくりしていても大丈夫でした。

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池庭を眺めながら、ビーフカレーと紅茶をいただきました。

 

さあ、ショップへ(買い物大好き人間)。選んでいるうちに「魯山人館」へ行っていないことに気が付き、あわてて走りました。気がついてよかったです。すばらしかったです。入口に大きな「椿鉢」(上の表紙写真に小さく写っています)
作品は染付けあり、織部風あり、金襴のものなど色々あって楽しめました。 
なんとか13:00のバスに乗れました。

ほぼ3時間の滞在でした。超有名庭園ですから、一度は見ておきたいと思っていきましたが、メインの枯山水庭、あまりにもきれいに整えられていて、面白みに欠ける気がしました。サツキのこんもり刈りや松は好みでないのです。
石組み、石橋、蹲などは好きでした。
帰りのシャトルバスはすいていました。運転手さんによると、紅葉の時期は一番混んで6500人くらい来るそうです。そうなると、もう写真も撮れないそうです。
このあと和鋼博物館に行きましたが、写真が多くなりすぎたので、ここで切ります。

 

2024年3月28日 (木)

友とランチ

3月25日 何十年ぶりかで、高校時代の友達とランチしました。
私は体調が心配で一人で東京まで出かける自信がなくて横浜に来てもらいました。

12月に行ったベイ・シェラトンが便利に使えると思ったからです。
12:30の予約で、12:00にJR改札口待ち合わせ。ところが私は大遅刻、バスがなかなか来なくて、電車もタッチの差で乗れなくて、乗る前にスイカが降車記録がありません、という表示で切符を買って乗ることになったということもありました。電話で遅刻連絡、12:15頃着いて彼女に会うことが出来ました。 
昔から美人だったのですが、いまだ容色ず、私の顔はすっかりかわってしまったのに。 

シェラトンへはともかく西口方向に段差(短いエスカレーター)をこえてダイアモンド地下街をまっすぐ奥に進めばいいのです。
予約時刻前には入れました。ただ、お席が、、、。折角はるばるきていただいたので、ベイ・ビューがよかったのですが、ビルしか見えないお席です。11:30の開店時に入るべきでした。それでなければ13:00で第一陣が引き上げた後。 

ともかくあれやこれや話が弾みました。おもに旅の話。

彼女はモロッコから帰っていらしたばかり。お元気でコロナ明けとともに海外旅行再開。次ももう二つ予定がはいっているそうです。(開業医のご主人を助けてお忙しく、ずっと旅行どころではなかった方です) 
旅ならまかせて、とばかり話が弾みました。

前回と同じエレガンスランチです。

飲み物はこの前のワインが?で 彼女がアルコール度数がひくいほうがいいということで生ビールの小、私もそれにしました。
オードブル:ノルゥエー産サーモンの軽いスモーク 新玉ねぎのヴルーテとブロッコリーのムース

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スープ: ホワイトアスパラガスのポタージュ カプチーノ仕立て
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魚料理: 玄界灘産的鯛のムニエル 焦がしバターのソース 筍と白菜のプレゼ 緑の葉はうるい
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肉料理: ニュージーランド産牛フィレ肉のローストと季節の野菜
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デザート: クレームダンジュ マンゴーとパパイヤのエキゾチックソース
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これに飲み物、私は紅茶にしました。

どれも美味しかったです。量も控えめで残す量が少なくてすんで気が楽でした。おしゃべりしながらゆっくりいただいたので、私たちが最後になりました。 
14:20頃 終わって外に出ると廊下の椅子に若い女性が大勢。
14:30からのアフタヌーンティを待っている方たちでした。人気のよいです。やはり駅が近いということもあるのでしょうか。春休み入りしたところということもあるのかもしれません。

まだしゃべり足りません。この前のように1階までおりてラウンジでゆっくり座っておしゃべり。飲み物の注文もとりにきません。そのまま16:00過ぎまでおしゃべりを続けて、そろそろ出ることにしました。

駅にむかって歩いて、もう大丈夫ということでおわかれして私は相鉄のほうに行きました。
FOOD&TAIME ISETANに行く予定です。

既にご存じの方も多いでしょうけれど、私は最近、千駄木越塚のコンビーフが美味しいという評判をきいたのです。
お肉についてはKIKUKO様がよく利用なさるのでお店の名前だけはしっていて横浜にあることも承知していたのですが、実際に行くのは初めてです。
行くと、お弁当やらおつまみ詰め合わせ、とかいろいろあって目移りします。とりあえず、当初の目的のコンビーフ(400g、と少々分量が多い)といつでも使えるとレトルトのビーフシチューを買いました。 

家に帰って教えてもらった妹に電話すると「お弁当もお肉が柔らかくておいしいし、おつまみセットも色々はいっていていいし、この前はコロッケを買ったけれど、これも美味しかった」とのこと。食材は生活クラブ一辺倒ですが、メニューもマンネリ化しています。ときにはこういうお店で買い物をするのもいいかな、と思いました。
食が細いのに、買ったり、レストランに行くことは大好きなのです。

コンビーフは暖かいごはんにのせるのがいいうそうで、それとマッシュポテトもつくってそれに混ぜました。
ずっとコンビーフを買っていないので、野崎や明治との味の違いはわかりませんが、おいしかったです。
(写真、撮り忘れでお店のホームページから借用)

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そういうわけでいい一日でした。
忘れるといけないので旅日記の間にはさんでしまいましたが、また旅日記に戻ります。

2024年3月27日 (水)

島根旅行 1日目ー2 神社巡り

熊野大社の次は 神魂(かもす)神社です。大社造りが垣根にさえぎられることなく見られる、ということで何としても行きたかった神社です。

神魂神社 15:05~15:20


本殿は、現存する日本最古の大社造りです。天穂日命の子孫の出雲国造が住んだと伝わる場所です。

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神社の創建は平安時代ですが、現存する本殿は1346年建立です。
ネットで検索して石の階段が厳しいな、と思っていたところ、横の坂道を車で上がっていったので、ラクでした。

本殿にむかって左手の方に上がりました。山側に境内社をみながら進むと本殿が見えてきます。

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永年月、風雨にさらされた古寂びた様子が非常によくて、暫く動けませんでした。厳粛というべきでしょうか、心にズーンとくる感じがしました。
ここは先代が亡くなられた後、女性の神主さんになったのですが、非常に厳しい方だそうです。今はそれほどでもなくなったそうですが、車で上がったあの道も車では以前はあがらせてはもらえなかったとか。写真も正面からは撮ってはいけない、と言われました。そういうわけで拝殿の中などものぞきませんでした。

ただあとで主人は正面の階段を歩いて降りてふりかえって撮った写真はあります。
拝殿が見えています。

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この手水舎でななく手水鉢もいい感じのようです。本来はここから入ります。この階段の先を右に曲がると上の写真になります。

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木造鳥居もいい感じのようですが、実は私はこれらを見ていません。帰りに主人があの石段をおりて写真を撮ってきたのです。私は車で坂道のほうからおりましたから。

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さて本殿、拝殿に戻ります。

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内そぎで、女千木になっています。

大社造り、本殿は掘っ立て柱といって礎石などがなく、直接地面に柱をたてているのですが、どうやら全体が石で固められているようにも見えます。高床式、妻入りで屋根は栃葺き。

大社造りの本殿内部は田の字型になっていて二種類あります。(図はウイキから拝借)
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柱9本全部撮ることは難しい。

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神魂神社は女造りで右図です。(出雲大社は男造りです)女神を祀ってあると女造りで女千木になります。内部は畳敷きだそうです。

↓反対側から

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神紋は 二重亀甲に有 分解すると十月、神有り月。ここも周りを雲が飾っておます。
屋根の上の横棒を鰹木、というそうです。ここには三本あります。ふつう男神を祀る場合が奇数なのですが。
正面入り口の本殿、向かって左の扉は「月の扉」、右の扉は「日の扉」とよばれ、それぞれ満月と太陽が昇る舞楽の図が扉内側に描かれていて扉は祭礼の日には開けられるため、舞楽の図を見ることができるそうです。

貴布祢稲荷両神社本殿 1356年建立 これは重要文化財に指定されています。写真がピンボケ。

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御釜宮
天穂日命(あめのほひのみこと)が高天原からのってきた、と言われる釜が置かれているそうです。いつもなら絶対のぞきにいくところですが、神主さんが怖い、という話でしたので、無作法はいけないと近寄りませんでした。

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ここで写真を拡大してみると、アラっ、売店があったのね!気が付きませんでした。そういえばこの日行ったところどこも神社案内のパンフレットを貰っていません!私は御朱印集めをしていないし、お守りも特にかわいいものがありそうな時意外は買わないので売店にはいかないのですが、失敗でした。

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本殿の周りをうろうろしていて向こうを見ませんでした。

でもこの地方独特の大社造りをしっかりみることができたので、よしとしました。
深い気持ちになる、非常に雰囲気のいい神社です。お薦めです。

さあ、次に行きましょう。主人は階段を下りる、というので私は車で下に降りました。

15:20~15:28 移動

八重垣神社 15:28~15:50
【公式】八重垣神社 (yaegakijinja.or.jp)

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入り口手前に夫婦椿がありました。稲田姫が二本の椿を植えたところ、地上で一体となったので夫婦の契りの象徴とされているそうです。

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上記ホームページの紹介から

高天原から出雲の斐の川上に降り立った素盞嗚尊は、老夫婦(脚摩乳、手摩乳)と稲田姫が泣いている様を御覧になられ、八岐大蛇を退治し、稲田姫の命を御救いになったのです。
この時、素盞嗚尊は、斐の川上から七里離れた佐草の郷"佐久佐女の森(奥の院)"に、大杉を中心に『八重垣』を造り、稲田姫を御隠しになりました。八岐大蛇を御退治になった素盞嗚尊は、ご両親の脚摩乳、手摩乳の御許しを得て夫婦となり、この佐草の地に宮造りされ、御夫婦の宮居とし縁結びの道をおひらきになられたのです。

随神門から拝殿をみる。

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狛犬がほっそりしています。来待石(きまちいし)。砂岩なので風化したということもあるらしいです。
この来待石は宍道湖あたりで採れる石で(御留石」として松平直正公は藩外への持ち出しを禁止していたほど重要視していたそうです。

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本殿は全体像がよく見えませんが、横から見ると、大社造り、ということはわかります。

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神紋は二重亀甲に花剣菱、女千木 鰹木は三本
主祭神は素戔嗚尊だが、稲田姫命も祭られています。

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脚摩乳神社(あしなずち・稲田姫の父親)男千木になっています。と伊勢宮

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手摩乳神社(てなずち・稲田姫の母親)女千木になっています。と貴布禰神社

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「八雲立つ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を」

写真右手奥から鏡の池に行くことができます。今更「恋占い」でもあるまいし、と戻ることにしました。大失策はここで宝物館に入らなかったこと。後から調べると、

かつては神官のみが拝謁できた本殿内の壁画は、寛平五年(八百九十三年)、平安時代の宮廷画家・巨勢金岡の筆と伝えられ、板絵三面に素盞嗚尊、稲田姫命、天照大神、市杵嶋姫命、脚摩乳命、手摩乳命の六神像が描かれています。古色蒼然、雄渾な筆力は、神社建築史上類例のない貴重な壁画と推賞され、国の重要文化財の指定(昭和三十四年)を受けました。現在は宝物収蔵庫で保存・公開しています。
(13世紀ごろ作成されたらしいです)

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非常に残念です。気が付かないまま駐車場に戻りましたが、主人は折角だから鏡の池もみておく、といいます。下の駐車場の近くだから、と車に乗って下の駐車場へ。

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境内奥地の佐久佐女の森は、素盞嗚尊が八岐大蛇を御退治になる際、稲田姫を難からお救いになった場所です。森の大杉の周囲に「八重垣」を造り、稲田姫をお隠しになりました。「八重垣」とは、稲田姫命をお守りした八つの垣根で、大垣、中垣、万垣、西垣、万定垣、北垣、袖垣、秘弥垣と呼ばれ、今も一部地名などに残っています。この森を、かの文豪・小泉八雲は「神秘の森」と称しました。身隠神事が執り行なわれる「夫婦杉」、縁結び占いの「鏡の池」も、この森の中にあります。

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占い用紙に百円か十円硬貨をのせてお祈りします。用紙が早く沈む(15分内)だと遅い(30分以上)だと縁が遅いと言われ、又近くで沈むと身近な人と、遠くで沈むと遠方の人と結ばれると言われています。
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稲田姫命が八岐大蛇の難を避けるため、八重垣にお隠れになった時に飲料水とし、また御姿をお写しになられた池と伝えられています。稲田姫命の御霊魂が深く滲透した池は、ご縁の遅速を占う池として知られ、池の奥には稲田姫命をお祀りする「天鏡神社」が鎮座しています。

やはり若い女性が多いですね。なかなか沈まないものが多いようです。

16:00頃出発。

16:10頃ホテル帰着。エクセルホテル東急

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運転手さんにおすすめのお寿司屋さんを聞いておきました。ワンメーターで行けますよ、ということでした。ひとやすみして6時少し前に車を頼んで出かけました。

呉竹鮨
感動的においしかったです!

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私はごはんは少なめにお願いしました。それでも一口ではいただけません。たべにくそうなのをみていて切りましょうか?とどれも半分に切って下さっていただきやすかったです。

のどぐろの握りは初めてです。あぶりで塩を振ってあるのをいただきました。どれもネタが新鮮。久留米で頂いて以来のおいしさ。横浜では以前時々行っていたところがある時、行ってまずかったので、それ以後久しくお寿司屋さんに行っていません

お酒のことを書き忘れていました。

地酒を、とお願いしたら出てきたのが、月山と玉鋼。私はお酒はお猪口に一杯ですが、ここでいただいたお酒は非常においしかったです。
すっきり、少し辛口でミネラルというか、フルーティというのでしょうか?キレがありするっと飲めてしまう、これまで飲んだことのないお酒で非常においしかったのです。帰りに月山を二本、空港で買って帰りました。
月山といっても山形県ではありません。会社は安来の月山富田城近くらしいです。

大満足で戻りました。

8047歩 普段殆ど家から出ないのに、倒れませんでした。

2024年3月24日 (日)

島根旅行 1日目ー1 松江市内神社巡り

6:00 起床
7:21 バス 
京急線は最近のダイア改正で朝の羽田行き急行がなくなって特急か普通。羽田に行くには途中特急に乗り換えれば少しは早くいけるのですが、座れない可能性大なので普通に乗りました。急行なら45分で行けるのですが普通では1時間かかります。
7:49発に乗り羽田に着いたのは8:50頃。
JAL利用なので第一ターミナルの出発ロビーへ
朝食がまだなので空弁でお弁当をゲット。

ともかく先に保安検査を抜けておこう、とチェックインして、列に並び出発ゲートへ
15番ゲート、遠いのです。
キャリーを引っ張りながら歩いているうちに気持ちが悪くなってきました。もう倒れそうになりながらよたよた9:35到着 
私は少し急いで(といっても普通の人並みの速さで)歩くとすぐ息切れがして気持ちが悪くなるのです。でも5分位休んでいると回復します。
すぐ搭乗時刻になりました。もうひと電車遅く乗るつもりだったのですが、次では間に合わないところでした。 

羽田9:55→11:20出雲

今回もマイル利用です。もう飛行機の旅もないかと、初めてJクラスにしてみました。普通席よりずっとゆったりしていてラクでした。

10:30 晴れているので富士山がきれいに見えました。

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お弁当タイム
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出雲は九州に行くのにくらべて時間がかかりません、あらっ、もう?という感じで着きました。

11:24 

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バスで松江に向かいます。私はバスのところでまっていて 主人が切符をかいにいったのですが、出雲に行くのだと勘違いして出雲行の切符を買ってきてしまい、払い戻しをしてあらたに購入、バスは乗りそうな人が全員来てから出発します。 

11:45頃→12:15頃松江駅
ホテルは エクセル東急松江 駅からは広い道路を渡らなければなりません。信号待ちがあるので5分くらいかかります。

12:30頃 チェックイン。 といってもまだお部屋には入れないので、キャリーを預かってもらいます。
ホールの椅子のあるところはフロントからは見えない位置なので、それをいいことにそこで朝の残りをいただいてお昼ご飯にしました。

今日は神社巡りをする予定です。出雲といえば大国主命、しかし高田崇文さんの小説からすると素戔嗚尊を祀ってある方が多いらしいのです。その関連の神社をいくつか回ってみます。神社の造りに関心のある私にとっては大社造りを間近に見たい、という気持ちがあります。これらをバスでまわれなくもないのですが、体力を考えて観光タクシーを数日前に予約しました。13:30の予約です。それまでここでゆっくりさせていただきました。

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12:20 車が来ました。「もう一つそれほど遠くないから案内させてください」と連れていかれたのが 黄泉比良坂(よもつひらさか)でした。13:45
高田崇文さんの『鬼棲む国出雲』ではここでの殺人事件が幕開けでした。
横の揖屋神社で働く巫女さんがここで殺されるのです。
道中のお話では運転手さんは勿論この小説をお読みでした。

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系図中央緑の文字で大国主神、その妻スセリヒメの父親が素戔嗚尊となっています。

駐車場から少しだけ坂を上がります。

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神話では、イザナギ命が先立った最愛の妻イザナミ命を慕い、黄泉比良坂を通って黄泉の国を訪ねて行きます。ところが変わり果てたイザナミ命の姿に驚いたイザナギ命は、黄泉の軍勢を振り切り、命からがら現世に戻ってきます。その時イザナギ命が黄泉の国への入り口をふさいだのが、千引の岩(ちびきのいわ)であるとされています。

亡き妻に会いたくて黄泉の国に下る、振り返ってはならない。どこかで聞いたような、そうです。オルフェウスとエウリディーチェです。こちらはギリシャ神話ですから、この方が原型?それとも洋の東西を問わず人が考えることは同じだということでしょうか?ギリシャ神話の方がロマンティックですが。

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あの世とこの世の境です。もっとおどろおどろした場所かと思っていましたが(小説では殺人現場でしたし)お天気がいいせいか、怖さは感じませんでした。現在はパワー・スポットとして知られているそうです。
横奥に見える箱は 天国への手紙 のポストです。配達されるのでしょうか?
ここ、案内してくださってよかったです。

10分くらい眺めて、次は熊野大社です。着くまでに20分余りかかりました。

熊野大社 出雲大社と並んで出雲一宮です。14:17~14:50

火の発祥の神社として「日本火出初之社(ひのもとひでぞめのやしろ)」とも呼ばれ、創建は神代といわれています。初めてその名が文献に現れたのが『日本書紀』(720年)で、『出雲國風土記』(733年)にも「熊野大神の社坐す」と記されていて当時は熊野山(現・天狗山)に社があったことが分かっています。

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朱塗りの八雲橋を渡って、

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隋神門 1886年、1928年に改築
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おお、出雲は大注連縄なのですね。

振り返って 狛犬 下の小さな屋根のところは手水舎 
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舞殿
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拝殿 奥の本殿には素戔嗚尊が祀られています。

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奥の本殿の屋根の上の千木(×印のようなもの)が外そぎになっています。男千木(おちぎ)
紋は亀甲に大の字 横は雲をアレンジしているのでしょうか?八雲たつの国ですから。

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稲田神社 素戔嗚尊の妻である稲田姫を祀っています。

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伊邪那美神社 母である伊邪那美を祀っています。素戔嗚尊は妻と母親に囲まれていらっしゃる、というわけです。
これは? 大社造りではありませんか。ただ小規模なので階段の位置が中央、とか少し違ってはいます。
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千木の上端が水平になっています。つまり内そぎになっているので 女千木。(めちぎ)

稲荷神社もありました。鳥居が赤いのは魔除けらしいです。

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この神社で重要なのはここです。鑚火殿
神社のホームページより

萱葺きの屋根に四方の壁は檜の皮で覆われ、竹でできた縁がめぐらされています。
鑚火祭の舞台となる場所であり、燧杵・燧臼が保管されています。
又、出雲國造の「火継式」に使われます。
この建物は大正4年(1915)に鑚火祭が熊野大社で行われるようになったことから
翌年氏子により建てられました。
他の神社では見ることの出来ない当社特有の建物であります。
現在の物は平成3年に奉新建されたものです。

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鑚火(きりび)祭
この日は、出雲大社の宮司が「古伝新嘗祭」に使用する燧臼、燧杵を受け取るために熊野大社を訪れます。この燧臼、燧杵を毎年熊野大社から授けることになっています。
この授け渡す儀を「亀太夫神事」と呼ばれ、出雲大社が納める餅の出来ばえについて苦情を口やかましく言い立てる変わった神事です。
その後出雲大社の宮司によって「百番の舞」が舞われます。このとき伶人によって琴板という楽器を打ち鳴らしながら神楽歌を歌います。
前半半分は「アアアア、ウンウン」ととなえ、後半半分は「皇神を良き日にまつりし明日よりは、あけの衣を褻衣にせん」と歌います。
「百番の舞」が終わると國造が退出し、神事が終わります

これは毎年10月15日に行われ、大勢人が集まって賑わうそうです。

この後二か所まわりましたが、長くなりましたので一度ここで切ります。

2024年3月22日 (金)

島根旅行 プロローグ

3月15日(金)~19日(火)4泊5日の島根旅行をしました。

学生時代、かれこれ60年前、友人と3人で山陰地方を旅行したことがあります。
多分当時は足立美術館はできていなかったのでしょう。ここには行っていません。 
天橋立、鳥取砂丘から松江、出雲、益田、萩、津和野、秋吉台まで 多分一週間くらいかけていったと思います。もう断片的にしか覚えていません。出雲大社、神社はいいわ、とは横眼にながめて灯台の方に行った気がします。

しかし最近芽生えた古代への関心を満たすためにも出雲の地はしっかり見たい気がしてきました。主人はまだ島根県にはいったことがありません。

何回かお世話になったことのある旅行会社では現在も講師付きで出雲古代遺跡や神社巡りのツアーを出しています。でもそこまで丹念に廻らなくても、それに古代中心だと松江の城下町は入っていません。
矢張り個人旅行がよさそうです。体力に自信がないのですが、ともかく行ってみましょう。ということで計画を立てました。

松江にある小泉八雲旧居は昔いきました。だだっぴろく埃っぽい道に面した小さな住まいで今更、とおもったのですがGoogleストリートビューで見るとビックリ、とてもきれいな武家屋敷通りになっています。これ再訪決定。

またちょっとトンデモ本かともおもったのですが、出雲の神社フィールドワークということで出雲の地と殺人事件を絡めた小説を2冊、少し前に読みました。素戔嗚尊の八岐大蛇退治に、たたら製鉄を重ねています。
(トンデモ本なんて失礼な書き方をしましたが、タクシーの運転手さんによるとよく調べて書いてありますよ、とのことでした)。この本の影響も手伝っていよいよ出雲行きたさが増しました。

市販のガイドブックよりずっと頼りになるのが先達の旅ブログ。
kikuko様の 八十路の独り旅 から、2018年の安来から嵐山へ と2022年3月の出雲の旅 を何度も何度も読ませていただきました。
この通りの旅をしたいと思うような完璧な行程です。

高田崇文さんの小説を読んだせいか、出雲といえば、大国主命よりも大蛇退治の素戔嗚尊が重要に思えてきました。
この八岐大蛇は「蹈鞴」と関係があるらしい。
踏鞴製鉄、中国山地では良質の砂鉄が採れ、古くから製鉄が盛んな土地です。この蹈鞴に関連するところを観たい。
蹈鞴関連の地として奥出雲の鉄師御三家のどれかには行きたかったのですが、非常に残念なことに一つは曜日が合わず、後ひとつ絲原記念館は修復中で3月末日まで閉館です。(奥出雲を入れると日程が非常にタイトになり、あと一日必要です)
代わりに和鋼博物館にいくことにしました。

私は神社建築に興味があるので大社造りを間近で見たい、出雲大社は垣根で囲われて全体の姿がみられないらしいので、囲いなしで見られる神社を探してそこへいくことにしました。

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古墳にも興味があり、このあたりに多い 四隅突出型墳墓もみたい。

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ということでプランを練りました。

15日(金)
 羽田→出雲空港→松江 神社巡り 松江泊り
16日(土)
 松江→安来 足立美術館→松江 時間があれば市内観光 松江泊り
17日(日)
 松江市内観光→午後 出雲→西谷墳墓群・出雲弥生の森博物館 出雲泊まり
18日(月)
 出雲→出雲大社 古代出雲歴史博物館 日御崎神社 出雲泊まり
18日(火)
 出雲→出雲文化伝承館→雲州平田→出雲→出雲空港→羽田

非常に満足度の高い旅でした。少しずつ詳細を綴っていきます。

 

2024年3月13日 (水)

ご無沙汰しております

三月も半ばというのに、まだ寒い日が続いてずっと家の中に閉じこもっております。

毎日テレビを見て、本はどれもこれも中途半端に投げ出して特にに書くこともないまま、blog空白期間が続いております。

外出もしていないので ベランダのお花なんぞご披露いたします。 

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といっても まだあまり咲いていないのですが。フリージアもあとひといき

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ブルーベリー、ピンボケになってしまいました。

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ときどき体調のよくないことを書くせいか、ご心配くださるかたもいらしてこれはいけない、書き始めたのですがと、特記することもないのです。なまけです。 短歌10首の提出で落ち着かない日を過ごしたあとは、そろそろ旅行の支度を、と旅関連の本を読んだりネットで検索を探したりの日々です。

体は確実におとろえていきますから、何とか行けるうちに気になるところには行っておきたいと思っています。

今日はとりあえず生存しております、というところで。

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