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2024年4月 1日 (月)

島根旅行 2日目ー2 和鋼博物館

13:20 安来駅に戻って来ました。まさに動きだそうとしているとしているバスは、聞くと和鋼博物館に行くといいます。飛び乗りました。

窓の外に見えた駅前のモニュメント(13:24)
安来港は北前船の寄港地でした。ここから鉄が積み出されました。

24033101弘文

中国山地は良質の砂鉄と豊かな森林資源に恵まれ、古くからたたら製鉄が盛んな地帯でした。オロチ伝説も司馬遼太郎によると、山中に住む砂鉄採り集団の明かりで、彼らはときに女性を襲ったこともあるからだろう、といった意味のことを書いていました。高田崇文によると斐伊川が鉄分を含んで赤いところから、これが八岐大蛇で、氾濫をおこして人を飲み込んだ、あるいは氾濫をしずめるために人身御供として娘を投げ入れたことによる、となっています。
いずれにしろ、古くから砂鉄が採れることは知しられていたのです。

和鋼博物館 (13:27) 美術館を出て30分足らずで来られました。美術館でお昼をすませておいて正解でした。駅前でお店を探すとなるともっと時間がかかったでしょう。
ほんの数分ですが、車窓から中の海を眺めながらいくのは気持ちがよかったです。

島根県というとまず思い浮かぶのは出雲大社、足立美術館、松江城下町、温泉でしょうか。しかし古くからの地場産業(?)であるたたら製鉄も忘れてなりません。本当は鉄師の住む屋敷や博物館がある奥出雲に行きたかったのですが、公共通機関利用は非常に不便。おまけに16日からダイヤ改正、ということで検索するたびに、列車の時刻が違うのであきらめました。私のようにすぐ息があがってハアハアいう人間は高くついてもタクシーでまわってもらうことを考えた方が良かった、と昨日のタクシーの運転手さんの話から思いました。
その代わり、というわけではありませんが、ここを見学箇所に入れました。主人は金属工学の人間です。

和鋼とは、近代以前日本でおこなわれてきた砂鉄を原料に木炭を燃料として「たたら」で生産された鋼のことです。
この製鉄法はいまのところ、6世紀までさかのぼることが確認されています。
中国地方でも古代から中世、近世と時代を追って盛んになってきましたが、それは良質の砂鉄と豊富な森林資源に恵まれたからです。
どういう人達がこの仕事を担ったのかは記されていません。古代に関する私の持つ唯一の参考書である『渡来系移住民』には主に畿内の鍛冶場についてかかれていて、伯耆はあっても出雲については言及されていません。でも日本海を隔てて朝鮮半島は近いですから、畿内のように最初は韓鍛(からたぬち)と言われる渡来人に頼っていたのではないか?という気がします。(司馬遼太郎もそう書いています)

ドームの上、舟でしょうか? 植わっている木は桂の木らしいです。

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前庭には鉧(けら)が置かれていました。鉧とはタタラの炉床にできた鉄塊で、炉をこわして引き出します。重量は2.5tから3.5t。

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銑(ずく):流し銑、製鉄炉の湯地口からながれでたもの、鉧銑は鉧を破砕した時に出る銑で、いずれも鋳物も材料や、包丁鉄の原料に使用。炭素1%以上のもの。

中に入るとまずビデオで「蹈鞴(たたら)製鉄」の様子を見ることになります。
別の部屋でミニチュアで作業の過程が見られました。

鉧押し出し法は三昼夜連続で行われます。が、その前に炉を構築します。
展示室に模型で説明されていました。

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鋼の良否は築炉によって決まります。「一釜、二土、三村下」と言われ、釜作りと土の選定が決め手。
釜下の土は高温にさらされ浸食されながら溶媒材として働き、化学反応を生じてノロ(鉄滓)を生成、排出しながら鉧をそだてるのです。 
土の選定は重要で、村下(むらげ)と呼ばれる技師長格の人が選びます。花崗岩が風化したもので珪酸が適当量で適度な耐火性と鉱滓を造る性質をもつことが必要、また不純物も少ないことが条件。
きっと昔はこういうことをカンと経験でみきわめたのでしょうね。

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炉に木炭を入れふいごで送風 天秤鞴(ふいご)
天秤鞴は元禄時代に発明されました。↓ これは一人踏み鞴ヤグラ天秤
です。(明治24年製)

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木炭も焼き方に秘伝があります。還元炎を得るために重要ならしいです。
鉧押し出し法は一回に三昼夜連続して行われ、これに必要な木炭の量は約12トン。
これを生産する森林面積は1ha。江戸時代後期は年間60回操業され、かつ、タタラに適した樹木の樹齢は30年以上とされるので、一か所で継続するには1800haの森林面積が確保される必要があります。
たたら経営者はまさに山林王でした。
司馬遼太郎の『砂鉄のみち』にも大山林地主田部氏のことがでてきました。

そうして作りあげた炉でまず木炭を入れその後、木炭と砂鉄を30分おきに投入。熱い炎に巻かれながらの作業はとても大変そうです。眼をだめにする人が多かったということも頷けます。
砂鉄:中国山地で採取される砂鉄は真砂砂鉄と赤目砂鉄があります。真砂砂鉄は酸性の花崗岩、花崗班岩、黒雲母岩などを母岩として磁鉄鉱系を主成分とする砂鉄で、不純物の少ないすぐれたものですが、赤目系に比べて含有量が0.5 から
2%と低く、融点が高くて使いにくいそうです。ここでは真砂砂鉄を使っていました。

蹈鞴とは野ダタラ(露天製鉄、山の中で自然の風を利用)のころは精錬炉をいい、中世に屋内精錬に移行すると、建物、高殿をタタラといいます。タタラという名はタタール人からきたといわれ、技法が中央アジアから伝わったからだそうです。
↓高殿  タタラや金属の仕事に従事する職種の守護神が金屋子神。はっきりしませんが右の絵の上の方

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木炭を燃料として砂鉄を還元、溶融し炉壁を浸食してノロ(鉄滓)を生成、排出しながら徐々に大きな鉄塊(鉧)に成長させます。村下は燃え上がる炎の色や送風巻穴からの炉内観察、ノロの出方、炉壁から聞こえる砂鉄の溶ける音、炉内を通る風の音などにより、絶えず炉況を診断し、鉧の成長を見守ります。70時間の操業により、炉がかなり浸食され、これ以上は炉が耐用できない、と判断されると、送風を停止して操業を終了、炉を崩して鉧塊をひきだします。

鉧の断面

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ピンクの部分が 玉鋼。他、右のピンクの下は 銑(炭素1,7 %以上含有し、均質なもの)
玉鋼一級品は純度が極めて高く、最上の日本刀材料で50年を経過しても、美しい金属的な光を発しています。

山土に微量に含まれる砂鉄を採取する方法として、中国山地では鉄穴流し(かんなながし)という方法が宝暦年間からとられてきました。
採取した砂鉄母岩を、あらかじめ設けた水路(井手)に流し込む、ここを押し流される間に粉砕され、土砂と砂鉄は分離され順次下流に送られ、水を混ぜて軽い土砂を比重の差で砂鉄と分けて流しながら、純度を上げていき最終的には80%以上の砂鉄純度にしました。

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多量の土砂が下流に流出するために農業用灌漑用水に悪影響を与えることから一時、禁止されもしましたが、農閑期の秋から春に行うことにし、農民にとってこの仕事することは冬場の良い収入源になったそうです。
今はここが棚田になっています。

出雲は近世の後半には日本の鉄生産の80%を占めたといわれます。しかし明治になってタタラ製鉄は質的にすぐれたものであっても量産に向かないため、近代製鉄法の普及によって衰退。

そこで 現在の(株)プロテリアル安木工場(日立金属系列)となる会社を設立、良質の砂鉄を原料とし、最新の技術を取り入質の高い鉄鋼を生産することになります。
ヤスキハガネは工具鋼、刃物鋼、ベアリング材、電子機器の分野などの製品など多種多様な用途に使用されています。

また戦後完全に途絶えてしまった伝統的たたらの技術を残すため、奥出雲で年二回程度、湿気の少ない冬に操業されています。生産された玉鋼は全国の刀匠約250名に分与され、作刀技術の伝承が図られています。 

入り口ホールには観覧者が実際に使用できる 鞴が置かれています。

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主人がやってみましたが、4,
5回踏んだだけで大変だ、と降りてきました。
左右二枚のしま板を踏みます。1時間続け、2時間休むという交替作業でした。この作業者を番子といいます。替わりばんこ、という言葉はここからきたそうです。

最期にショップをのぞきました。よく切れそうな包丁がならんでいましたが、まあ、必要はない、と買わず展示ガイドだけ買って博物館を後にしました。
勉強になって、楽しかったです。(学ぶは楽しい、です)
目の前にバス停、ここはターミナルだから本数は多いといわれた通り、バスはすぐ乗れました。
安来駅のホームからプロテリアル安来工場が見えました。

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安来14:45→15:09松江
途中、荒島駅を過ぎたところで、古代出雲王陵の丘入り口が見えました。造山古墳がありますが、私たちは明日出雲市駅近くの古墳にいくつもりなので、ここには行きませんでした。
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松江について、まだ時間があるので、少しでも市内を観ておこうと、タクシーでお城までいきましたが、写真も多くなってきましたので次回にします。

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コメント

kikuo様
kikuko様の2回にわたる出雲の旅に刺激されての学生時代以来の再訪でした。あの頃は色々旅した一つでしかありませんでしたが、最近芽生えた古代への関心のせいか、今回は非常に心躍る旅でした。
和鋼博物館は面白かったです。私は銅の精錬所のある島に生まれ小学校2年まで住んでいました。 四国本土に出かけて夕方戻るとき船から薄暗い中、鍰と呼ばれる真っ赤に燃えて海へ流れ落ちるドロドロしたものを見たことをよく覚えています。それと重なってビデオが非常に面白かったのです。展示品は少ないのですが、歴史も面白く足立美術館よりこちらの方が来られてよかった、と思ったほどです。
奥出雲にいけなかったことはとても残念です。絲原家の庭園もすばらしそうですね。二か所ちゃんと回られて、さすが旅のベテラン!とうなりました。私は先に航空券をとってしまったせいか、日程的に無理で涙をのみました。
出雲は古代が現前する不思議な地域ですね。いってよかったと嬉しく思っています。

 安来に行ったときに和銅博物館に寄りたかったのですが、休館日で望みが果たせなかったことが残念でなりません。そのかわり雨の中をお寺巡りをいたしました。出雲って、とても不思議な地域ですね。神話や伝承を含めて、こころ惹かれるものがあります。絲原家にも金屋子神が祀られていたのを思い出して、1年前の旅を懐かしんでいます。
 足立美術館については、同じような感想を持ちました。あまりにも整いすぎています。先日、テレビで足立美術館と桂離宮の庭師の方のドキュメントを拝見しましたが、かなり方向性が違うように思いました。アメリカの庭園誌のランキングの発表を固唾をのんで待ち受けておられるご様子は、さぞかしプレッシャーが多いことと同情してしまいました。

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