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2024年4月16日 (火)

島根旅行 4日目ー1 島根県立古代出雲歴史博物館その1

3月18日(月)
旅行4日目の今日は出雲大社に出かける予定です。

6:30過ぎに朝食レストランへ。

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出雲大社へは電車でもバスでも行けますが、電車だと乗り換えが必要なのでバスで行きます。
8:30発 9:05博物館前着

建物の設計は槇文彦氏。コンセプトとして建築の主張を抑えるために面と線を簡素に表し、素材も鉄とガラスというシンプルな組み合わせになっており、壁面の鋼(茶色、コールテン鋼といって錆をさびで防ぐという方法で考えられた耐候性鋼)は古代のたたら製鉄、ガラスは現代性をそれぞれ象徴する役割も担い、古代と現代の融合という意味合いもあるそうです。

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↓あの白いポールが建っているところを進むと入り口です。銅鐸をアレンジしたであろうマークがコールテン鋼に映えています。

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下図右の赤三角からはいって ギャラリーを進むと受付です。ここで料金をはらって 

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中央ロビーに入ると、平成12年にに発見されて新聞紙上をにぎわせた宇豆柱と心御柱(模造品)が展示されていました。

調査の結果、1248年造営の本殿の柱、と考えられることがわかりました。
1本の直径が1.35mのスギ材を3本組にしたもので、さしわたし約3mもあります。柱を埋めた穴には一抱えもあるような大きな石がぎっしり詰めてありました。

心御柱(複製品)
今、出雲大社宝物殿(行くのを忘れた!)の写真をみていたら、そこに実物がありました。

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宇豆柱

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左側、白くうつっているのは布バッグの映り込みです。

柱の配置や構造は千家国造家に伝わる金輪御造営差図に描かれたものとよく似ているそうです。
神魂神社などの柱を思い出して、これだけの柱が支える本殿っていったいどのようなものだったのか?柱間隔が狭いので広さが広いものとは考えられません。高さがあると、支えもしっかりしたものでなければならなかったので高い建物だったことが想定されます。
970年に書かれた『口遊』に大きさの順は雲太、和二、京三とありますそれぞれ出雲大社、大和東大寺大仏殿、京の大極殿 とあります。
記録されただけでも高層神殿は1248年までに6回転倒しています。

5人の学者によるこの鎌倉時代の想定模型が並んでいました。
神社には 高さ16丈説が伝わっていることを奥二つは積極的にとりいれています。

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その横には、平安時代の10分の1模型。kikuko様のブログで見ていたので大きな驚きはなかったのですが、矢張りすごいです。実際は高さ16丈(48m)と考えられることから造られています。

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奥に見えるのは1881~1953年まで本殿の屋根を飾っていた千木と鰹木。千木の長さは8.3mだそうです。

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弥生土器(鳥取県 稲吉角田遺跡)に刻まれた絵画

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太陽、舟をこぐ鳥装の人々、木 鹿(私のとった写真にはありません)、高床建物などが描かれています。神まつりの場を描いたものでしょうか。舟が向かおうとする高床の建物は長い柱とはしごをもち、出雲大社のはるかな源流を忍ばせます。(買ってきた展示ガイドの解説より)穀物倉庫かもしれないのに、、、。(独り言)壱岐では高い建物に物見やぐらがありました。

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神社の形式(大社造り、八幡造り、神明造り、等々)について模型で説明してあるところもありました。(全種類制覇しよう!)写真が多すぎなので省略です。 

建て方の説明ヴィデオも観ました。(腰かけられるいい機会)

『出雲国風土記』713年完成、現存する風土記の中で唯一ほぼ完全な状態であるが、そこにしるされたことをもとに当時の生活を再現してあるスペースがありました。

入海の宴と歌垣 原題でいえば、合コンの場だったらしいです。

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朝酌促戸(あさくみのせと)の市

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次のスペース、一体これは?ずらり銅剣です。
入り口に国宝・荒神谷青銅器と国宝加茂岩倉銅鐸を展示中。本日はすべて 実物です。とありました。 

*荒神谷 銅剣358 銅鐸6 銅鉾16  *岩倉 銅鐸39 を展示中だそうです。

銅剣 一瞬、遠目にはピアノの鍵盤みたい、とおもってしまいました。

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 中国や朝鮮半島の材料を用いて出雲で制作された可能性があるとされています。

これらが まとめて埋められていたのです。(荒神谷遺跡)
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近くに銅鐸もまとめて埋められていました。この整然とした置かれ方、矢張り貴重なものなのでとても丁寧に扱われたということをし示ているように思えます。
弥生時代の祭器であり、集団が結束するシンボルであったとみられる青銅器がこのようにまとめて埋められていたのはなぜか?理由として考えれているのは
 ①保管説
 ②隠匿説
 ③地鎮説  地の神へのささげもの
 ④境界説  邪気や悪鬼を払うため、自分たちの土地の境にうめたもの
などですが、いずれの説も決め手を欠いています。
青銅器が急速に使われなくなっていった背景には青銅器を使わない新たなまつりや、新しいシンボルの出現が関係していた可能性が高いと考えられます。
昨日行った出雲弥生の森博物館では青銅器のまつりのあと、四隅突出型墳墓がつくられるようになった、と考えられていました。

銅鐸の展示も素晴らしかったです。表面に彫物があるのが面白くてとても興味深く見ました。
加茂岩倉遺跡で発見された銅鐸

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吊り手に×の刻印のある銅鐸

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人の顔が彫られている

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海亀が描かれているもの

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シカが描かれている

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これは素晴らしい! 描かれた弥生絵画 というタイトルが付けられていました。

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鹿、イノシシと考えられる四つ足の動物

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裏面はかなり緑青がふいていますが、トンボです。

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このように狭い場所に小さいものは大きいものの中入れ子のようにして納められていました。

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聖なるまつりのベル(荒神谷遺跡 銅鐸 弥生時代)
銅鐸は朝鮮半島でつかわれていた小型のベルをもとに弥生時代の日本で発達したマツリの道具として考えられています。

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おお、大刀の展示もありました。私は紋様好きなので柄頭のデザインを目を凝らしてみました。

なお ガイド本の解説によると、大刀と太刀は違うそうです。
*時代  大刀は弥生時代末から古墳時代  太刀は平安時代から室町時代の刃の長さ2尺以上のもの
*刀身の形 大刀は刀身に反りがない、 太刀は刀身が反り返っている
*身につけ方 大刀は杖を突くように立てる持ち方と刃を下に向け越しに吊り下げるやり方、太刀は刃を下に向け横向きに越しに吊り下げる方法に限定されています。

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 左 獅噛環頭太刀 (安来市 仏山古墳 複製品)
 右 金銅装獅噛環頭大刀(松江市 御崎山古墳)

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倭風大刀

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手前は 金銅装頭堆大刀(こんどうそうかぶつちのたち 古墳時代後期7世紀)
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ここまできたところで写真が多くなりすぎたことに気が付きました。中途半端ですが、いったん切ります。

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