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2024年4月19日 (金)

島根旅行 4日目ー2 出雲歴史博物館その2 日御崎神社

3月18日(月) 出雲歴史博物館続き
装飾大刀を見ているところでした。

日本列島に鉄製の武器が伝えられたのは弥生時代中期以降。

金銅装双龍環頭大刀(安来市かわらけ谷横穴墓群6~7世紀)

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柄頭部分に獅子や龍、鳳凰などをデザインした環頭大刀は朝鮮半島から持ち込まれ、のちに国産化された大刀といわれ、渡来系氏族として知られた蘇我氏とのかかわりが強いと言われています。(説明版から。蘇我氏は渡来系だったということでしょうか)
7番 双龍環頭太刀 8番 三塁環頭大刀 9番 単龍環頭大刀 右二つは双龍環頭大刀

鉄製の工具もありました。↓左から3番目は針です。尊右は錐。

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銅鏡もありました。
青銅器が村のまつりで役目を終えた頃、新たに銅鏡が用いられるようになったのです。
三角縁神獣鏡(神社古墳出土 3世紀)
説明には「卑弥呼の鏡か?」というキャプションがありました。景初3年は卑弥呼が魏に使いを送り、銅鏡100枚を受け取った年だからです。でもこれがその一枚かどうかの証拠はありません。

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景初三年(西暦239年)という銘文があります。(いちばん内側の円、左横に、三年ははっきり見えると思います)
慌てて、これまで群馬や東博で見た銅鏡を確認しましたが、こういう銘のはいった鏡はありませんでした。

↓中国大陸の青銅器 特に書かれてはいなかったので、日本の古墳からの出土品ではないでしょう。

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下中央は斧、その上は鐘、横は鈴付柄頭 右端は 銅鼓

帯飾り(漢 紀元前3世紀から3世紀)細かいのに立体感のある文様に見入りました。

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その他埴輪や横穴式古墳の石室模型などありましたが、ざっと見終わった主人が10:20頃「もう休もう」と言ってきたので、二階のカフェに行きました。朝が早かったので、そろそろおなかもすいてきていたのです。 
ランチタイムは11:00かららしく、すいていました。庭を眺めながらぜんざいをいただきました。24041804

一休みの後もう少し展示を見るつもりでしたが、一度座ると根が生えてしまってこれ以上ねばるのはみっともないと思えるほど長く座っていました。

この博物館、出雲大社の模型、青銅器コレクション等素晴らしいものがありました。 
残念なことに
私が最近とても関心を持っている古代の日本と朝鮮半島との交流関係を示すものが殆どありませんでした。
海流の関係もあるかもしれないのですが、近いのです。九州経由よりもっと直に人の往来があり、モノも伝えられて来たはずなのに。移住民の住居跡などは見つかっていないのかもしれません。


次の予定は12:00のバスで日御岬神社です。

始発ではないので「早くいかないと座れないよ」の声にせかされてショップをざっとみて展示ガイドだけ買って出ました。
正門前のバス停までは10分?ほど。

バスは8分遅れ、かなりの人が乗り込みましたが、早く並んだので余裕で座れました。全員日御崎までいくのかと思ったら、途中で次々おりて最終的にはかなりすいていました。

30分くらい乗っていましたが、海辺を走るのでとても気持ちのよいドライブでした。

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私は終点より前の神社前で降りましたが、主人は終点の灯台まで行く、と言うので私は先に神社に行きました。

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日御御崎神社の観光(参拝と書けないところが、どうも?なのですが)所要時間は地図を眺めて高低差もありそうだから1時間以上はかかると踏んでいました。帰りのバスは14:20発。これを逃すと16:00までありません。(そのときによって変わると思いますから、いらっしゃる方は必ず確認なさってください。タクシーはありません)
調べると灯台と神社の中間あたりに、生うに丼を食べさせるお店があることが分かり、早めにタクシー行ってそこで、、、と考えていたのですが、博物館の時間を短くはできないので諦めていました。
結論から言うと、灯台から神社への道は舗装された下り一方の道だったそうで神社見物は30分あればよく、バスで行っても充分食事の時間がとれたのです
(今でも悔しい、涙、、、ただお店の混雑時は無理かもしれません)。

神社はバス停からすぐです。

日御崎神社
「出雲国風土記」に
は美佐伎社「延喜式」には「御崎社」として登場する古い神社。
現在の社殿は1635年、三代将軍家光の命により造営が始まり、1644年遷宮。その後修理を重ねながら現在に至っています。山陰においては出雲大社に次ぐ大社とされています。日光東照宮を模した権現造り。

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楼門
両側につらなる回廊もすてきでした。

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楼門から本殿(拝殿)を望む 手前両側は門客人社

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本殿は 日沉宮(ひしずみのみや)とよばれ天照大神を祀っています。
奥が本殿です。天照大神を祀っていますが男千木になっています。

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日沉宮(ひしずみのみや)という名称は日の出に象徴される天照と日没の夕日を結びつける、出雲独自の視点を反映したもので、江戸時代までには日沉宮=日の沈む聖地に祀られた宮、というイメージが根付ていたようです。

この階段をあがって神の宮に行きます。見えているのが拝殿です。

24041810_20240419105901

こちらは素戔嗚尊を祀っています。

出雲の国造りをした素戔嗚尊が、根の国(黄泉国)より「吾が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と柏の葉を投げて占ったところ、柏葉は風に舞いこの神社背後の「隠ヶ丘」に止まったということです。
その後素戔嗚尊の五世の孫、天葺根命がこの地に素戔嗚尊を奉斎したといわれています。

 

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拝殿だけで 本殿が撮れていませんここは。階段をあがったところにあり、狭くてあまり後ろにひけなかったのです。それにしてもなんとか本殿をちゃんと撮っておくべきでした。
ルール違反とは思いましたが、グーグルストリートビューで写真を切り取りました。一段上にあがれば写真が採れたようです。寒くて固まっていて、、、だめでしたね。

素戔嗚尊をまつってあるのに千木が横に切れている、つまり女千木なんですよね。
横から見ると寄棟造りの屋根、本殿と拝殿を幣殿でつなぐ権現造り、ということがよく分かります。

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この日は良く晴れているのに冷たい風が吹いて日に焼けたくはなし、日陰は寒いし、で日向で太陽に背をむけるようにして 主人がくるのを待っていて、あまり写真をとらなかったようです。
そこそこ人はいましたが静かで、寒くさえなければもっと気持ちよく過ごせたと思います。

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十九摂末舎と奥は宝庫

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13:15頃主人がやってきました。

灯台の写真 
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帰りの道が楽だったことを聞いて私も行って、、、ああ、うに丼、と思いました。

見ていなかった奥の稲荷神社

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降りるときはこちらから、回廊がめぐらされてなかなかよかったです。

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御崎の端の神社なんて、と少々侮っていましたが、出雲大社に次ぐ神社だけあって立派なものでした。

暫く境内をぶらぶらしていましたが、「海辺へ行こう」というので数分歩いて海岸へ

右手に経島 (ふみじま)
かつてはここに日沈宮があり948年に現在地に遷座。今も神社の聖域で上陸禁止だそうです。

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寒くて震えながらバスを待ちました。

次は出雲大社です。

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