『大使とその妻』水村美苗著
水村美苗さんの新作が出たことを新聞広告で知って早速注文しました。
ここのとところミステリーばかりで、いわゆる文芸書というのでしょうか、そういったジャンルのものにこれは?というものをみつけられなかったものですから飛びついたというわけです。
『大使とその妻』水村美苗著 新潮社
ケヴィンという日本に住むアメリカ人男性が語り手です。
裕福な家庭に育ち祖父の信託財産があるため、生活のために働く必要がない人間だそうです。
家族の中で違和感を持ち日本文学専攻であったため日本に暮らすようになっています。
普段は東京に住んでいますが、夏を過ごすために信州追分に小屋と称する小さな家を持っています。
かなり人里離れた場所で、まわりには他に別荘などない場所ですが、小川をへだてたところに一軒だけあります。
昨今の事情(熊・強盗)からするとちょっと危険な気がしますが、そういう心配はないのか一人で付近を歩き回っています)。
唯一の隣家に住人夫婦がやってきます。鬱陶しい気持をもってはいたものの気になって覗きに行ってしまいます。
その家には月見台というべきテラスがあり、そこで和服姿の夫人が笛を吹き、能を舞う姿をみて惹かれて行ったのです。
姿勢が良くほっそりして美しい夫人に惹かれていますが、ケヴィンは同性愛者(露わな表現で好きではないのですが、本書ではこう書かれています)ですから夫がいないときでも家を訪ねていくようになっていきます。
その佇まいから京都の旧家の出かと推察していたのですが、ブラジル出身、つまり日系ブラジル人であることを知ります。
そうして数奇ともいえる彼女の半生が語られます。
ブラジルって昔日本から移住していった人が多かった国だということは知っていましたが、移民という言葉が一種差別用語であるとは知りませんでした。暮らしが立ち行かなくなり海を渡った人達、ということだからでしょうか。
後に夫人,貴子を育てることになる山根夫婦は妻も元教員で底辺の人ではないけれど現状に安住してはいられない性格から、船に乗ったのが1933年。その船に同じ島根県出身で12歳の健吾が叔父とともに乗っていて話をするようになります。
その縁で後ブラジルで娘の貴子を山根夫婦に預けることになります。
当時の日本人社会を揺るがしたある事件にかかわることになったため娘を手元においておくことができなくなったからです。 美しい気品のある娘でした。その娘を「ちゃんとした日本人に育ててほしい」と頼んでいったのです。
健吾はいうなれば「口減らし」として少年の頃ブラジル行の船に乗せられたわけですが、日本に対して憧憬の念のようなものを抱いていたのでしょうか? 当時のスター、原節子のような美しく気品のある女性に娘が育ってほしかったのです。
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私は知りませんでしたが、お能を習わせる、ということはかなり一般的なことだったようです。
修理工をしながら健吾も山根夫婦に預ける前から貴子にお能を習わせていました。
主人の両親は能を舞ったりしていました。主人の会社ではテニスクラブがあるようにお能のクラブもあったそうです。主人も入ろうと思ったのですが、流派が違う(宝生流ではなく会社は金春流)ので入らなかったとか。
私の両親は加賀金沢(加賀宝生流というのがあるそうです)の出身ですが、特に父は昔流が嫌いでいち早く(当時社宅では一番早かった)ピアノを買って列車で一時間かかる町までピアノを習わせに行かせていたくらいでしたから、私はお能とは無縁に育ちましたので、ちょっと奇異に感じました。
出てきたので、あらっと思ったのは飲んでいるウイスキーがブッシュミルズとグレンフィディックだったことです。
グレンフィディックはスコットランドのウイスキーでイギリスツアーで醸造所に行ったことがあります。懐かしいー。
ブッシュミルズはアイルランドのウイスキー。北のはて、ジャイアンツコーズウエーの近くに醸造所があります。日本ではあまり手に入らないウイスキーです。あっても10年物、10年ではさほどではないそうですが、19年となると実に美味しいそうです。海外旅行のお土産に買って大事に抱えて帰ったことがあります(私はウイスキーのような強いお酒は飲めません)。
作者は言葉にはとても気を使っていらっしゃる方だと思いますが、一つ、それでもって、という言葉を使っているところがあって気になりました。(どの文脈で誰が、ということは覚えていないのですが)女学校時代この言葉を使っている方が一人いらしたことを思い出したのです。おうちはお商売をなさっていらっしゃる方でした。それで下町言葉?東京方言?という認識があったのです。私は使ったことがありません。
貴子たちの山荘を蓬生と名付けていること、その周辺の景色、ところどころに挟まれている和歌などなかなか雰囲気がってよかったです。私も人生の最期をこのようなコンクリートの箱ではなく自然に囲まれてくらせたら、と思いました。まあ病気を考えると、今のところがいいのでしょうけれど。
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kikuko様
強盗、恐ろしいですね。我が家はマンションですから、大丈夫だろうとは思っていますが。
近頃話題になっている強盗は見られることも気にしいほどの堂々ぶりらしいですから、ともかく入り込まれないように、またいざという時のためにスマホは手放さない方がよさそうですね。
お目の調子が良くないとか、白内障というわけでもないのでしょうか?
お能が一般的なものだったということは これを読んで初めて知りました。
中禅寺湖はもそうですが、11月の予定の秋田もcancellしなけれならなくなりそうです。角館近くの10室しかない予約のとりにくいお宿がとれているのですもの。ともかくカテーテル治療で体力が回復できることが頼みです。
投稿: yk | 2024年10月19日 (土) 19時14分
気楽な独り暮らしを謳歌しておりましたが、頻発する強盗のニュースに不安を感じています。狭い庭の手入れも負担ですし・・・。目の具合がよくなくて、読書もままなりません。
父方の祖父が宝生流の謡曲を趣味としていて、何かイベントがあると、必ず聴かされるので、いささかトラウマ気味でした。母方の祖母は鼓をを打つ人でしたが、無理やり聴かせることはなかったためか、ポンという響きが懐かしく思えます。
中禅寺湖のホテルのキャンセルは残念でしたね。でも私よりずっとお若いのですから、まだまだ機会はおありでしょう。あまりの暑さに外出を最小限にしておりましたら、すっかり足腰が衰えて、独り旅はろそろ終了かもしれません。
投稿: kikuko | 2024年10月18日 (金) 20時44分