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文化・芸術

2023年12月19日 (火)

世田谷美術館へ 倉俣史郎展

一か月くらい前でしょうか、新聞に「倉俣史郎のデザイン」として薔薇の花を埋め込んだ透明な椅子が紹介されていました。
とてもすてきで、なんとか実物をみたいとおもったのですが、展示されている場所は世田谷美術館というこれまで行ったことのない美術館です。
一昨日(17日)は今日を境に寒くなるという予報でしたので、この日を逃すと行きにくくなる、と思いきって出かけました。
念入りに行き方をチェック。東急東横線の田園調布からバスがあるようでしたが、駅ホームからバス停までの所要時間がよく分かりません。迷うより本数のありそうな電車乗り継ぎの方がいいかと、京急から横浜で東横線に乗り換え電車で自由ヶ丘で大井町線に乗り換え二子玉川へ、そこで田園都市線に乗り換え用賀へというルートにしました。用賀からバスがあるのですが本数がすくないので、タクシーという予定です。 
電車四本です!乗り換えでエスカレーター、エレベーターの見つからない駅もあって、用賀に着くともうぐったり。
用賀駅のタクシー乗り場に行っても客待ちのタクシーはありません。暖かいはずと半コートで来たので寒いこと。そのうちお一人、私より若い女性がいらして「世田谷美術館にいくのだけれど、、、」おしゃべりしながら待ってしばらくしてやっと来たタクシーに相乗りして美術館へ。運転手さんが親切な方で最後に走った環八であそこが田園田園調布行きバス停、用賀行はそこ、と教えてくださいました。

美術館は公園の中にあります。公園入口で降ろされました。グーグルマップで大体は把握しているつもりですが、でもその方(なんと大阪からいらして、ここは初めてだそうですが)散歩道のような小径をさっさと歩いて行かれます。あたふた追いかけながらついてい行くとちゃんと美術館入り口まで迷わず到着。車中、道中あれこれでおしゃべりしたのですが、それは割愛。チケットを買ったところでお別れ。 
おしゃべりしながら歩く、という私の心臓には負担になることをしたせいかせいかもう疲労困憊。ショップ前の長椅子にどさりと座り込んで5分余り休憩。
家を出たのが12時頃でしたから、ここでもう14:00少し前です。先にお昼です。横の螺旋階段を下りるとカフェです。

セルフで先に支払いです。看板を眺めて(一応ネットでも調べていました)「ほうれん草とドライトマトのガレット」と紅茶を注文。紅茶をカウンターで受け取ってテーブルで待っているとガレットが運ばれ手きました。そば粉のクレープです。最後の海外旅行で最後、ボルドーでお昼に頂いたのがこのガレットだったのです。懐かしくてこれも楽しみにしていました。

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本当は真ん中に具がみえるように四方からおりたたんでいるスタイルが良かったのに。
ところでこれが切りにくくて、力を入れるとお皿からすっ飛びそうで、結構悪戦苦闘しながらいただきました。中にはたっぷりのクリームチーズとドライトマトとほうれん草。付け合わせのサラダが大量。このニ生のンジンが甘くてとてもおいしかったのです。私としては完食に近くクレープもサラダも85%はいただけました。
ここで満足して立ち上がりたくはなかったのですが、  

14:30 ~

美術館入り口hallには「ご自由にお座りください」と置くかれていたのが
≪ハウ・ハイ・ザ・ムーン»と名付けられた椅子
横の案内板によると
建築素材であるエキスパンド・メタルで構成された輪郭がそのまま構造となった倉俣史朗の代表作であり、デザイン史上でも重要な一脚。フォルムは伝統的なアームチェアだが、それまで家具に使われることがなかった素材を用いるこよで倉俣らしい「軽やかさ」や「儚さ」が表現されている。美術品のような雰囲気でありながら「椅子」として座る機能が確保されているところが倉俣の意図したところ。

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座っていいということなのでちょっとだけ腰かけてみました。ほんの数秒ですから、懸け心地がどうのこうのとはいえません。
この通路の先が特別展の会場です。

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倉俣史朗のデザイン | 世田谷美術館 SETAGAYA ART MUSEUM

チラシ

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チラシ裏

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最初の部屋の三作品だけはカメラOK.

ピクチャーウインドウも効果的です。美術館の建築そのものもいいと思いました。

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これから先はカメラ不可。
進むと、最初は透明なアクリルでできた、ひきだしや洋服ダンス。 

それから白い樹脂で出着た製品。オバケのような白い布をふわっと置いたような明かり、それから椅子類。

写真がないので 買ってきたクリアファイルの写真を載せます。  下は薔薇のモチーフがかわいくて買った飴とマスキングテープ

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ガラスのイスだけでなくテーブルもありました。テーブルの足に金属をいれたのも素敵でした。曲がった引き出しボックスも面白い。
黄色い背もたれの椅子は『椅子の椅子』いいえて妙というか、面白いです。安楽椅子に学習机の椅子をはめ込んだような椅子。 

ともかく「来てよかった!」と嬉しくなりながら見て回りました。

最期の部屋に例の椅子がありました。その近くにあったのがこの椅子。中に三枚の羽が封じ込められています。
(下二枚 美術館home pageからお借りしました)

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いよいよ
薔薇の造花がアクリルの中に封じ込められています。三脚ありましたが、一つは花の向きがちがっていました。

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ミス・ブランチの椅子」と名付けられています。 もしかして『欲望という名の電車』のブランチではないかしら? 
イメージに合います。嘘と虚飾にまみれて儚い夢の中に生きているような女性。
大昔、文学座公演で杉村春子が演じたのを観ました。今でもはっきり思い出せます。舞台向かって右手からすすっと出てきて辺りを見まわしながら気取った手つきで話始めるところ、浅丘ルリ子が演じた芝居もみました。浅丘ルリ子の方が容貌はあっているのですが芝居としては文学座の方がよかった、なんて思いながら椅子を観ました。
帰って調べてみるとやはり 欲望という、、、のブランチをイメージして作ったそうです。 

15:20 会場を出ました。日記らしきものもありましたが、それらは見ないで。

山種などとは違って高齢者は数人程度。若い人ばかり。日曜日のせいか、乳母車(館内OKのようです)を押したご夫婦、小学校低学年の子供を連れた人もいました。近くの方たちなのでしょうか。(調べてみると休日、夏休みなどは世田谷区内の小中学生無料とありました。)

庭には彫刻がいくつかおかれています。

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館内にも彫刻が置かれていました。

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建物そのものも素敵です。世田谷区、実にいい美術館を持っていますね。

15:50 美術館を後にしました。環八にあるバス停に着いたのが15:58。寒風吹きすさぶ(大げさですが)中、待ち続けバスは16:08に来ました(2分遅れ)。20分ほどして田園調布駅到着。やはり横浜からは田園調布からバス利用がいいようです。

買ってきたものの中で小箱に入った飴(京飴とありました)羽のようなものが浮いている模様が入った飴でした。甘くておいしい。箱がいいのです。この赤紫、なんともいえません。

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素敵な展覧会でしたよ。美術館の建物そのものも素敵です。

『倉俣史郎のデザインー記憶の中の小宇宙』(世田谷美術館)レポート というところでも写真が沢山見られました。

 

2023年11月10日 (金)

山種美術館へ

春、京都に行ったとき、地蔵院で«五色散り椿»を見ました。この散り椿を見て描かれた速水御舟の絵があります。

タイトル「名樹散椿」は山種美術館が所蔵しているのですが、常時展示されているわけ
ではありません。今回の特別展でそれが展示されることが分かって出かけられる時を見計らっていました。
主人に話すと「行く」というので一緒にそのうち出掛けることにしていました。
昨日はこの日(11月9日)まではお天気がいい、という最後の日でしたから、思い切って出かけることにしました。体調が気になって出るのが心配ではあったのですが、支度を始めると気持ちが明るくなって気分もよくなってきました。

山種は美術館としては横浜から行くには近いほうです。恵比寿からはバス利用(日赤行二つ目の停留所)がラクです。

10:45に家を出て、12:20 美術館到着

先ず先に食事です。にゅうめんです。おなかにやさしいです。

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12:50ごろから会場へ
今回は聖地巡礼というタイトルで北海道から沖縄まで各地で描かれた絵を展示しています。それぞれの絵にはそれが描かれた場所の写真が添えられていました。聖地巡礼、というわけです。

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私は日本画、といっても富嶽百景とか浮世絵のような江戸期のものは苦手、明治以降の近代のものが好きです。山種は近代・現代のものを多く所蔵しているようです。今回は全て昭和期の作品でした。

奥村土牛、東山魁夷の作品が多かったです。
チラシ裏より

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カメラ不可のうち一枚だけOKのものがありました。
奥村土牛 「山中湖富士」

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素敵な絵はたくさんありましたが、私は特に気にいったのは(買ってきたカタログからなのでページがまるくなっています)

奥村土牛 「吉野」

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優しい色でうっとり。
これが印刷された マルチクロスも売店で買いました。

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奥村土牛 「醍醐」 醍醐寺 三宝院玄関脇の枝垂桜(私は2021年春にいったのですが、もう殆どは花は終わっていました)。これもとてもきれいでした。マルチクロスの裏はこの醍醐でした。

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速水御舟 「名樹散椿」

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葉室麟の小説『散り椿』 文庫本のカバーにもつかわれているので絵そのものはよくしっていますが、実物を見るのは初めてです。驚きました。ずいぶん大きいのです。襖4枚です。

絵のことをあれこれ論ずることはできないのですが、やはりこの左になびいているような構図がいいな、と思いました。

京都 地蔵院の桜がモデルです。当時は樹齢400年の古木でした。これは枯れてしまって今年三月に私が見たものはそのDNAを受け継いだ二代目です。三月下旬、今年は暖かくなるのが早くて、この五色八重散り椿は少し黄変していました。

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御舟の絵は花の数をへらして 赤、白赤・白交じりなどを描きわけています。

作品数は49、でもショップの奥の部屋にもあることに気付かず結局みたのは42枚。
柔らかい色彩のものが多く心安らぐ空間でした。
みおわってショップで図録 マルチクロス、一筆箋などをもとめ、カフェでいつもお菓子をいただきたいと思いながらおなかがいっぱいではたせなかったので今日は「椿」をテイクアウトしました。 

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13:40に出ました。

買ってきた「椿」で夜のティータイム

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甘くておいしい! 

2023年9月30日 (土)

奥志賀へ 1 長野県立美術館(東山魁夷館)

新型コロナが5類へと移行して日がたつにつれ、罹患の心配が後退したのか、海外へお出かけになる方も増えているようです。お友達もお二人お出かけになります。私はもう海外は卒業。(負け惜しみではなく)未練はありません。体がいうことをきいてくれなくなっているのです。でも気分転換にどこかへ出かけたい気持ちはあります。
せっせと観光するのは無理、ということで、高原のリゾートホテルに泊まりに行くことにしました。
旅行会社のパンフレットを見ているうちに昔行ったスイスの山のホテルに似た造りのホテルを見つけました。
奥志賀グランフェニックスというホテルです。
ツアーではハイキングをするようです。でも私は歩けないので、個人で行くことにしました。長野駅までホテルのシャトルバスのお迎えがあるので、団体旅行でなくても簡単に行けます。

観光なしのつもりでしたが、折角長野に行くのですから、県立美術館で東山魁夷の絵はぜひ見たい、それでシャトルバスのお迎え時刻よりかなり早めに行くことにしました。 

9月26日(火)

7:00家を出て7:09バス  9:30 東京駅着
10:24発のチケットを取っていたが早すぎたので、窓口で変更してもらって9:56発かがやき523に乗ることにしました。
9:56→11:13長野。 上野の次に大宮に泊まると次はもう長野。座席は三人がけのところを窓際と通路側というとり方にしました。真ん中はよほど混まない限り座る人は来ないはずなのでラクでいいのです。
朝主人は普通に朝食をとってきたのですが、私はフルーツだけ。車内で朝食がわりにカロリーメイトを一本。

長野駅改札口は一つ、出たすぐ左にコインロッカーがありました。キャリー用は一つ500円。京都では1000円です!
朝食がいい加減でしたから、はやめですがお昼。やはりお蕎麦です。 
駅に平行してMIDORIというレストランや県の名産品を売っていいるお店の入ったビルがあります。

その3階で みよ田 というお店に入りました。

てんぷらなどはいらないので巴せいろ、という、たれが三種類のものにしました。

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たれが ゴマ汁、とろろ、おろしの三種類、お蕎麦もこしがあってとてもおいしかったです。
ここで出された冷やしそば茶がおいしかったので帰りに一箱求めました。 
結局、帰りもここに入って同じものを頂きました。この写真は帰りに撮ったものです。

おなかもいっぱいになったところで、外に出て、、、バスもあるらしいのですが、タクシーで県立美術館に向かいました。最後は小高い丘のようなところにあがっていったので、バス停がどこか知りませんが、タクシーにして正解だったような気がしました。(1800円)

長野県立美術館 東山魁夷館 (12:26から 13:00)

時間の制約もあるので、東山魁夷館だけにしました。特別展として池田満寿夫展をやっていましたがパス。

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本当は御射鹿池の向こうを走る白い馬の絵(タイトルは緑響く)がみたかったのですが、別の期間(第一期)の展示で観ることはできませんでした。第Ⅳ期の白馬の森、もすてきです。

東山魁夷というと、どこか夢の中で見たような景色を思い浮かべるのですが、油絵をめざしたこともあったそうで、絵具をもり上げた様なタッチ、はっきりした色使いの作品も多かったです。

他に来館者は一組だけ、その方ともどこかでわかれてずっと二人でした。 

買ってきた画集

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表紙の絵は「夕星」1999年 これも実にいいです。実物が観たいところです。

気になった作品を少し画集からお借りして

「山谿秋色」1932年

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「静唱」1981年 もう少しあおみを帯びた色でした。うっとりするような美しさでした。

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「秋思」1988年 これもすてきでした。

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「静かな町」1971年

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このほかアブストラクトな作品もありました。夢で見たような景色だけでなく色々こころみていたのですね。

調べてみると、カスパー・ダーヴィット・フリードリッヒを日本に紹介したのが東山魁夷だそうです。フリードリッヒの方が昏くて重く寂しいですが、どこか似た雰囲気もあるかもしれません。

この美術館、建物も素敵です。
見終わった先にあったロビー。 東山魁夷館は谷口吉生設計

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今回見られなかった作品を観に絶対また長野に来よう!と思いました。

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魁夷館を出ると右手に善光寺

こちらが本館

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うっとりと素敵な絵をながめて過ごした後は「折角だから善光寺も行こう」

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善光寺は次回に

 

2023年4月29日 (土)

根津美術館と国立近代美術館

一昨日(4月27日)は美術館をはしごして疲労困憊。折角東京に出るのだからと欲張ってはいけない年齢なのです。

コロナ前からも一部はそうでしたが、美術館は前もって日時指定予約になっています。
チケットはスマホにはいっていますが、用心のため印刷もして持っていきました。
根津美術館は10:00~11:00(この時間内に入場すればよい)近代美術館は13:30 に予約しました。40分あれば待ち時間こみで楽に移動できそうですから、これなら間でお昼も頂けると思っていました。でも誤算でした。

家から根津美術館のある表参道までは1時間と少し、と見積もっていましたが、1時間40分かかりました。家を出るのも8時半のつもりが9:00になりましたし。 

コロナ籠りから解放されたからか、人出が多く電車が結構込んでいて品川まで座れませんでした。そのせいか美術館に着いた段階でもうクタクタ。すぐ見始めることができず、しばしベンチに座り込みました。(なんだかグチばかりですね)

根津美術館(10:55~12:45) 

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この美術館では毎年、庭園の池に燕子花の咲く時期に所蔵の「尾形光琳の杜若図屏風」が展示されます。私は以前、メトロポリタンにあるもう一つの燕子花屏風の里帰りで一緒に展示されているときに見たことがあります。主人は出張の際、メトロポリタンの絵はみたことがあるそうですが、根津美術館には行ったことがないので、今年は行くことにしたのです。 

11:00入場を待つ人で入り口はごった返していましたがもちろん私たちはすぐは入れました。

主人はイヤホンガイドも借りて丁寧に見ていってます。

1階が 特別展です。

燕子花図 パンフレットは右隻ですので、左隻

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合わせればこうなります。屏風ですから伸ばした状態ではなく折って立ててありました。

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両帝図屏風」 狩野探幽画

舟と車を作って難所を克服した黄帝と、琴を弾いて天下を治めた舜を描いています。中国の皇帝を描くなんてこともあったのかと少し驚きました。

 

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楽しい絵だと思ったのは
伊勢路参宮道中図屏風 京から伊勢への道中と伊勢神宮が描かれています。
↓大津、家の中で大津絵を描いている人、売っている人がいます。

外で23042901

「西王母図」 清原雪信
以前、葉室麟『乾山晩愁』という中編小説集を読んだことがあります。その中に「雪信花匂」という一篇がありました。 
名前をみて、ああ、あの人だと気が付きました。狩野派の女流画家です。恋愛事件で話題になった人らしいです。家に帰って 小説を読み返しました。
っそういうわけで関心を持って眺めました。残念ながら写真がないのですが、やさしい感じのする絵で、気に入りました。
西王母は中国で古くから信仰された女神だそうです。

大津絵、というのもありました。

勿論、光琳の燕子花も観て上の階にある大好きな饕餮も見に行きました。紀元前10世紀ごろの青銅の酒器、あるいは祭祀の用具。
それにかわいい 双羊尊(紀元前13~11世紀)にもご挨拶。
饕餮などは2015年5月のblogに写真をのせましたので、今回は省略。

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ホールの仏像も好みです。

北魏時代(6世紀)の仏碑

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それからお庭に実物の燕子花を見に行きました。
ここでもう12:15 近代美術館に移動するために、12:45にはここを出なければなりません。
少し急ぎました。

飛び石だったのが敷石に変えられて歩きやすくなっていました。

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燕子花は真っ盛り、見事に咲きそろっていました。

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気が付くともう12:40、上に上がって(池は谷底のような低い位置にあります)12:45 美術館を出ました。

行きにも気がつきましたが、美術館から地下鉄・表参道駅(A5出口が近いですが、階段です)への道、以前はレストランがいくつかあったのですが、現在は小さなお店は全くなくなり、ビルばかり。ヨックモックの青い建物が目を引きます。奥にカフェテラスが見えて、あと30分、時間があれば寄るのに、と残念な思いをしながら通り過ぎました。

国立近代美術館のある竹橋までは半蔵門線で九段下まで行き、東西線で一駅。ところが九段下で迷ってエレベーターであがったりおりたり。余裕で着くはずが5分ほど遅れました。 

国立近代美術館

先ずはレストランと、おもったら、もう「予約でいっぱいです!」仕方がない、おなかをすかせたまま観る以外ありません。

特別展は 東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密 です。

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まず最初は 横山大観の「生々流転

山奥の一滴の水が渓流となり、大河となって海へ注ぎ、嵐とともに龍となって天へ還る、という水の輪廻を表した。水墨絵巻。長さが40メートル、細長い巻紙に描かれているのを眺めました。

残念だったのは 展示期間が過ぎていて福田平八郎「漣」が見られなかったこと。

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(美術館のホームページから写真拝借)が好みなだけでなく氏のお墓が法然院の谷崎の横にあったので、より興味があったのですが。

カメラ禁止サインがないものは写真OK でした。 

こういう絵は なんだか懐かしい気がします。

黒田清輝 「湖畔」

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岸田劉生「麗子微笑」

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今村紫紅(18880~1916)知らない画家でしたが、夭折の画家。インドの絵が多く、また近江八景も印象に残りました。 左が堅田

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この特別展のチケットでMOMAT展(所蔵作品展)が観られます。実はこちらの方が楽しかったです。

パウル・クレーがかなりありました。これは面白い

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北川省三 モビール・オブジェ (風でもあてて回してみせてほしかった!)

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草間彌生 天上よりの啓示

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春の屏風まつり

広いお部屋に大型の屏風が展示されていました。
屏風、というのはその昔は生活につかわれましたが、今では使われません。でも画家は現代でも書いています。その理由がホームページで述べられていました。
屏風を生活空間で使っている人は、近代以降は少数派でしょう。なのに画家たちが好んで屏風に描くのは、(1)画面が大きいから、(2)収納が便利だから、(3)屏風のジグザグの折れに独特の画面効果が望めるから、だと言えます。とくに(3)が面白くて、屏風の屈曲の効果によって奥行きや動きが生まれるのを、うまい画家はちゃんと計算に入れて描きました。そう、屏風はただの平面ではないのです。では実際にどんな奥行きや動きが生まれるのか。それを見て取るには、枝をひろげた樹木は初歩的かつ最適な主題です。

菊池芳文 「小雨ふる吉野」1914年

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屏風を折る(折るというのが正しい表現かどうか分からないのですが)ことによって木が奥に伸びている感じが表されているように思います。

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跡見玉枝「桜花図屏風」1934年

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屏風を折ることによってこの枝の折れも面白くなっています。

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一段と華やかな絵は
船田玉城「花の夕」1938年
これは以前、 練馬美術館で見たことがあります。

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加山又造 「春秋波濤」 1966年

とても面白い描き方です。波の間に浮かんでいるのが桜咲く春の山と、紅葉の秋の山、もう一つは松の山だそうです。
室町時代に描かれたやまと絵の作例を見て、一つの画面に様々な季節が同居するこの作品を着想したそうです。
技法を観ると、拝啓には金や銀などの箔を細かく切って散らす、「切金」や「切箔」、桜には型紙を使って砂子を撒いた跡が認められます。多彩な技法によって、モチーフと地を均一に覆うことで、実在する景色とは全く別の生気に満ちた華やかな絵画世界を生み出しています。(解説より)

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kikuko様がこの絵をブログで紹介されていて、是非とも見たいとお澪ったのがこの展覧会に来ることにした理由です。
kikuko様によりますと、この波間に山が浮かんだような図は河内の金剛寺が所有する「日月山水図屏風」にインスパイアされたそうです。この秋、東博で展示されるそうなので、見に行きたいと思っています。

15:10過ぎに美術館をでて、地下鉄にのるのに、ビル内を抜けて行こうとしたら、おうどんやさんがみつかったので(ものすごくお安い)おうどんで遅い(15:30過ぎ)お昼にしました。もうくたびれて駅構内を歩く元気もなかったのでタクシーで 東京駅まで行き、横須賀線で(遠い方の)最寄り駅へ、そこから家までもタクシー。健脚なはずの主人も今日は疲れたを連発していました。京都を一日歩き回るより疲れました。
日時指定は混雑を避けるには良い方法ですが、先にチケット代も払ってあるので予定変更がためらわれることが難点だと思いました。

 

2023年3月 5日 (日)

舞台「アンナ・カレーニナ」

3月3日 シアター・コクーンに「アンナ・カレーニナ」を観に行きました。

「鎌倉殿の十三人」を観ていて「宮沢りえ、上手くなった、舞台でも観たい」と思ったのです。2017年に「ワーニャ伯父さん」を観たときは、失礼ながら声に幅がない気がして今一つと思ってしまったのですが「、、十三人」のりくでは声に幅というか奥行きが出てとてもよかったのです。

ただこのところの体調不良、ブログアップが遅れていますが、28日から一泊で熱海に行きましたが、出発前にまた不整脈発作が起こってしまったのです。それでこの日家を出るときも心配で予防にお薬を飲んででかけたためもあってか、無事帰ってこられました。

アンナ・カレーニナ」上演台本・演出 フィリップ・ブーリン

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トルストイ原作の『アンナ・カレーニナ』読んだことがあったか、なかったか?漠然とこういう話、というのは知っていますが、行く前にネットであらすじを確認しておきました。

アンナはサンクトペテルブルグに政府高官である夫カレーニン(小日向文世)と息子セリョージャと住んでいますが、ある日、兄を訪ねてモスクワに行きます。列車ではヴロンフスカヤ伯爵夫人と親しくなります。
モスクワに着いたとき、母の伯爵夫人を迎えに来ていたヴロンスキー(渡邊圭祐)はアンナに強く惹かれます。アンナを迎えに来ていたのは兄のスティーヴァ(梶原善、十三人で暗殺者・善児の役)。
この時列車に轢かれた駅員が死亡する、という事件が起こり、不吉なものを感じさせられます(鉄道が敷設されてまもないころ、つまり鉄道は近代化の象徴でもあったのです)。

ステーヴァの浮気のため妻・ドリーとの関係がうまくいかなくなっているのをアンナは仲裁に来たのです。
ヴロンスキーは機会をつくってはアンナに近づきます。
ドリーの妹キティはヴロンスキーが好きなのですが、ふられてしまいます。
一方スティーヴァの友人リョーヴィン(浅香航大)はキティに想いを寄せていますが、キティはヴロンスキーが好きなのでふられてしまいます。失意のリョービンは領地の農場経営に力を注ぎます。

アンナ・カレーニナの話はアンナと夫カレーニン、ヴロンスキーの話だとばかり思っていましたが、スティーヴァとドリー、リョーヴィンとキティ三組の男女の話で構成されていました。

まだ暗い舞台を見るとどうやら子供部屋らしく、木馬やドールハウスが置かれていてその奥に二列に椅子が十客あまり並べられています。貴族の館らしい布張りのロココ(?)風のものです。
この椅子には前面で芝居をしていない出演者が腰かけています。出番待ちに座っているわけではなくギリシャ悲劇のコロスのようです。合唱はしませんが事件の見届け役のようです。
そうして向かって左手にはピアノがありヴィオラ、コントラバスの三人の奏者が開幕してまだ暗いうちから演奏を始めています。ふつうは舞台の下ですが、同じ舞台上です。
なかなか面白い舞台設定だと思いました。 

場面転換は明かりが落とされるだけでその間に出演者たちが椅子をもって走り回ったり、テーブルを引っ張ってきたりして基本の舞台設定は変わりません。

三組のトラブル、この口喧嘩が壮絶
ドリーが有名な「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」(この言葉通りだったかどうかは思い出せませんが)という台詞を言ってました。「自分は子供をたくさん産んでボロボロなのに、あなたは 、、。」ともうすごい剣幕で言いたい放題。そこでアンナは貞節のすばらしさをといて、、(この後の自分に起こることなどまだ想いもよらないのです)

ヴロンスキーと親しくになるにつれ夫が疎ましくなっていくアンナ、このカレーニンとアンナの二人の対話、面と向かって話ながら間で客席に向かって本心を打ち明ける、これがなかなかおかしい。しかしだんだん壮絶なケンカ、疎ましいばかりか毛嫌いし、憎みます。

一方、ヴロンスキーに失恋したキティはリョービンを受けい入れ、愛し合うようなり、結婚。二人の喧嘩はお互いの愛を確かめ合うようなもの。息子も生まれます。

アンナとヴロンスキー、二人の間柄はいわゆる不倫ですから周囲に受け入れられるはずではなく、ローマに住んだりしますが、矢張りロシアが恋しくなって戻ってきます。
アンナの出産、娘もアンナという名前を付けます。なお、カレーニンとヴロンスキーも名もは同アレクセイ。

二人が同じ名であり、母と娘も同じ名である、というところもポイントになっているようです。

三組の男女の話が早いテンポで入れ替わり立ち代わり演じられて、長い芝居(前半1時間45分、休憩のあと1時間40分)も飽きさせません。

周囲に受け入れられないアンナは夫との離婚に関してもためらうところがあります。ヴロンスキーが帰ってこないと、他の女性と一緒だったのでは?と疑心暗鬼になり、次第に心のバランスを失っていきます。

このあたりの狂気じみた凄まじさには圧倒されました。そうしてアンナのとった最後の行動。
しかしこれで舞台は終わりではなく最後の場面はお互い理解しあって幸せな家庭を築くリョービン・キティ夫婦。
「どの瞬間も疑いようもなく良い意味を持っている、おれたちにはそれを手に入れる力がある」大地に根付いて生きようとするリョービンはトルストイの分身ともいえる人物です。

見応えのある舞台でした。特にアンナ役の宮沢りえが素晴らしかったです。初めて知った恋にのめりこんでいき、夫に侮辱的な言葉を投げる驕慢なアンナ、
周囲の非難のうち、いよいよ多くヴロンスキーにもとめるようになり嫉妬に苦しむ、一方で夫のことを憎みたいけれど憎み切れたわけではなく、病気になったアンナは二人のアレクセイに「私はもう一人のアンナが怖いの、あなたと恋に落ちたアンナのことが いまここにいるのは本物のわたし、完全なわたし この私に必要なのは赦しだわ 赦して、赦して、わたしを赦して、、、」 赦しを求めるアンナ

これを演じきった宮沢りえ 華のある役者だとはおもっていましたが、実にすばらしかったです。

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熱度の高いアンナにたいして有能な管理らしく落ち着いて話す小日向文世もよかったです。

ヴロンスキーを演じた渡邊圭祐、宮沢理恵に貫録負け。すごい美男ですが武官です。体が華奢すぎます。堂々たるアンナに押されてしまっていました。

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リョービン役の浅香航大にしてもそうですが、近ごろの若い男優は背が高いけれど体が細過ぎの人が多いようです。テレビならいいけれど舞台では客席を向いてより、対話している横向きを見せることが多いわけですから体が薄くてはどうしても存在感が希薄になってしまうのです。その分、話術や動きでカバーできればいいのですけれど。浅香航大はよく頑張っていると思いました。
スティーヴァ役の梶原善もいい味出していましたが、時々言葉が聞き取りにくいときがありました。

素晴らしいお芝居でした。カーテンコールのときはスタンディング・オベーション

それにしても宮沢りえ、よかったです。十代の頃は美少女として名をはせ、色々週刊誌を賑わせた事件もあったように記憶していますが、それで埋もれてしまわず、努力してきたのだな、と改めて感嘆の思いで観ていました。

この役、向いていると思いました。次はマクベス夫人なんてどうかしら、なんて。

体に不安があり、東京まで一人で出かけるのもこわくなってきていますが、まだまだ生の舞台は見に行きたいと思いました。 

 

2023年1月18日 (水)

観劇「ジョン王」

13日(金)はシアターコクーンに彩の国シェイクスピア・シリーズ「ジョン王」を観に行きました。
これまでもこのシリーズの公演を観たいとはってはいたけれど、埼玉は横浜からは遠すぎて行くことができなかったのです。今回は渋谷なので行くことができました。
どうやら、埼玉の芸術劇場は修復工事中らしいです。

小栗旬主演です。 
「鎌倉殿の13人」で無邪気な小四郎がダークイメージの義時になっていく変化(表情、特に目つき、それに声)をみていてこの役者の生の舞台も観てみたい、と思ったことも大きな理由の一つです。

チケットは先行予約でかなり早くとったのですが、なんとその数日後カルチャーセンターで「プレレクチャー、アフタートーク付き「ジョン王」を観る(チケット込み)」の講座の案内がありました。
チケットを取るために発売日の10時にパソコン画面を開いたのですが、もたもたしていてゲットできた席はあまりよくなかったのです。もう少し早くしらせてくださればいいのに。
講座で観に行く日はなんと同じ13日です。プレレクチャーは観劇なしの人も受講できます。アフタートーク(出演者二人を交えて)はお芝居を観ることも含めたセット申込者だけです。プレレクチャーの受講は申し込んでアフターのほうは直談判しようと考えていたのですが、あの不整脈の発作。その日に起こるかもしれません。ともかく無事お芝居を観終えることができたらすぐ家に帰った方がよさそうですので、頼み込むのはやめにしました。

7日のプレレクチャー「ジョン王」をもっと楽しむために 
講師は翻訳者の松岡和子さん
お教室には行かずにオンラインで受講しました。松岡先生はご立派な方なのに、とても気さくな感じでした。

「皆さん、もちろんもう戯曲はお読みですね?」あらっ、慌ててアマゾンに注文していく前に読みました。

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ジョン王その人についての一般的知識は持ち合わせていますが、実は戯曲「ジョン王」がどういう内容なのか全く知りません。
うかつにもこのとき初めて知ったことですが小栗旬が演じるのはジョン王ではなく私生児だったのです。
彼はリチャード獅子心王とフォークンブリッジ夫人との間の(不義の)子フィリップで、芝居の中で、皇太后エリナーがリチャードに似ていると彼を孫として認め騎士とし、サー・リチャードと呼ばれるようになります。
芝居はタイトルロールのジョン王ではなく私生児リチャードが実質的な主人公だということです。
(エリナーとはエレアノール・ダキテーヌのこと)

講座要点
*この史劇は人気がない。理由は ジョン王が王として立派でない(どころが失地王で、マグナカルタに署名させられた王ですからね)、周りの人物にもなじみがないから。
しかし、立派でないけれど実に人間的。
教皇に反抗、破門になっている。これはヘンリー8世と同じ。16,7世紀当時の英国では「ジョン王」は「ヘンリー8世」とともに人気演目だった。現代の英国がブレグジットを選んだ深層心理とあい通じるものがある。
*今回はオールメールで演る(女役も男性が演じる)
先日の朝日の評ではこれをよしとしないと書いてあったが、エリナーとコンスタンス(ジョン王の兄・故ジョフリーの妃で遺児アーサーの母)との凄まじい舌戦が取っ組み合いにまで発展するところなど、これを女優がやったら目を覆いたくなる。男優だと分かってみると(この後先生は何とおっしゃったのか忘れましたが、それも納得して観られるような意味のことをおっしゃっていました)。
*今回は 台本、吉田鋼太郎としていいかと言われて松岡先生はもちろんどうぞ。「ものすごく変えられているかと思ったらそうでもなかった」。 
エリナーを歌舞伎の中村京三が演じるのでここは坪内逍遥訳を使っている。
アーサーを殺せと命じられるヒューバートは貴族ではないが、さらに庶民に近づけてズーズー弁にしている 

見どころ、名場面(ここに注目して観てほしい) 
大事な人物には長い独白をさせている
*コンスタンスの嘆き  ジョン王の姪ブランシュとフランス皇太子ルイの結婚を知って嘆く場面(イングランドとフランスが和解してしまったらアーサーを王位につける目的が果たせない)
*アーサーの城壁の上のセリフ
*アーサーとヒューバートのやり取りもすばらしい。
*私生児(サー・リチャード)の「狂った世界、狂った王たち、狂った妥協、、」に始まる独白
ここで出てくるC
ommodityという言葉は現代では商品の意味。当時は私利私欲という意味で使われていた。
坪内役では「便益」北川悌二訳では(利益)小田島雄志訳では「利益」 松岡訳は私利私欲
ここで私生児は、私利私欲にとらわれている人々を猛烈に非難し、世の中は私利私欲で動いているが、自分には私利私欲がない、と言う。上昇志向はあっても野心の行き先は私利ではないと言っているのです。
大河ドラマ最後から二番目の回で北条政子が「色々ひどいことをやっているが義時には私利がない」と言っているのを聞いて 先生はガーンとなったそうです。小栗旬の二つの役の共通項に感動・興奮して思わず、旬さんの楽屋に駆け込まれたとか。
時代も鎌倉時代はジョン王の時代と同じころです。(ジョン王1167~1216年)

その他にも話されたのですが、要点はこういうところでしょうか。

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1月13日(金)
パソコンも無事回復して今日は観劇日
1:30開演(開場は 1:00)にあわせて11:30に家を出て JR で行こうとバスに乗ったのですが、直接行くバスは本数が少なくて途中で乗り換えるつもりで、JR の駅でも一駅品川からは遠い駅行バスに乗りました。ところがぼんやりしていて乗り換えの停留所で降りるのを忘れて、はらはらしながらそのまま一駅遠い方の駅に行きました。でもさほど道路がこんではいなくて、電車も飛び込み状態ですぐに乗れ、乗り換えもスムーズに渋谷へ。
ところが渋谷も随分久しぶりで降り口を間違えて改札を出る前におかしい109が見えない!と駅員さんに確かめてまた山手線のホームに戻って、ということもあってあせりました。二つのミスにもかかわらずシアターコクーンへは 1:05には着くことができました。結構ここで疲労困憊 。

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お席は1階でも後ろの方で中2階から入ります。舞台から遠いですが、しかたがありません。
(後部ではあっても表情までしっかり見えました。両隣りの方はオペラグラス持参、ファンならそうでしょうね)
舞台には大きな門が据えられていて、扉は開いたまま、向こうに、、、。
これ以上は驚きなので書かないことにします。

開演時刻、奥からのこのこやってきたあのジーンズに赤いパーカーの青年???なんで?もしかして、もしかして小栗旬??いや、絶対に小栗旬。それにしても、、、。
この意表を突くオープニング(といっても幕はもともと上がっているのですけれど)
これは面白いものがみられそう!もうワクワクしちゃいました。
考えてみれば私生児リチャードもこのイングランド王家への闖入者です。

そうして本編がはじまるわけですが、エリナーの登場の仕方、これも面白い工夫がされていました。 

イングランドではヘンリー2世亡き後の王はのリチャード獅子心王。彼の亡き後、本来ならば次のジェフリーが王位を継ぐはずだが、既に亡くなっているので継承権は子のアーサーに移るはず。しかし、アーサーは若年でフランス王宮で育っていることから、フランス王の支配が及ぶのを恐れ、エリナーの後押しもあって末子ジョンが王位を継いでいます。
そこでジョンを王位簒奪者とみて、アーサーを擁してフランス王は大陸にあるイングランド領地だけでなくイングラント本島をもよこせ、と戦争を仕掛ける、というところから本題が始まります。

この時ある地方の珍妙な事件として長男と嫡子の相続問題がおこっていることが知らされ、私生児がサー・リチャードとなるわけです。
なんだかおかしな成り行きで地方地主の私生児が土地の相続権はなくなったが騎士となってしまったことに対する無邪気ともいえるホクホク感のある独白。この小栗旬とてもよかったです。(どこか江間の小四郎時代の義時に通じなくもない) 

そうして英仏対立。
戦いを終えアンジェの市門の前で門を開けろ、とフランス、イングランド両軍が顔を合わせる。
ここでの舌戦が凄まじい。まずは両国王の舌戦。そこに私生児リチャード、アンジェの市民が加わります。アンジェの市民は関西弁です。
東京公演ではフランス王を吉田鋼太郎が演じました。(これはジョン王の衣装。今回はフランス王で白い衣装でした)。

写真はプログラムから拝借しました)

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特に凄まじいのはエリナー(ジョンの母)とコンスタンス(アーサーの母)の舌戦、ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う。レトリックを駆使した言葉の応酬、これがこの舞台の特徴でしょうか。
舌戦でおさまらず取っ組み合いを始める始末。
すごいのですが、私の感覚からすれば役者は声を張りすぎ。喉が切れるのではないか、と思ってしまうほどでした。

全体としてのこの舞台に対する不満は、声を張りすぎている役者が多い、それに色々な音が大きすぎ。もう少し抑えてほしい、というところです。(朝日の評で声を張りすぎている、というのには同感)
朝日では小栗旬も、と書いていましたが、私の観た回では小栗旬は決して叫ぶような声の出し方はしていませんでした。

この後の見せ場の一つ「狂った世界、狂った王たち、狂った妥協、、、」の独白部分はむしろ最初は声も小さめ。小さくして耳を澄まさせる、という手もありますが私はもっと朗々と語るのかと思っていました。しかし、私生児リチャードは王の側近にはなっているのですが、この長台詞はこの状況に対する冷めた批判なのですから、この語り口がやはりいいのだ、とあとで 気が付きました。うわついた気分の騎士に叙されたときの独白と明らかに変えています。

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ジョン王の姪とフランス皇太子の結婚に持参金として領地をつけるという妥協策で和解。
アーサーの権利問題がとんでいったしまったことを後から知ったコンスタンスの怒り、嘆きの凄まじさ、これもまたすごかったです。

しかし、フランス王は約束を破って戦争を仕掛けてきます。
 
それでイングランドに連れ来たアーサーを王はヒューバートに殺すよう命じます。
この時の王子はヒューバートに対して命ごいをするのですが、諄々と説得するかのような言葉での頼み方、そうしてそのあと 逃げ出そうと塔から飛び降りる前の独白。
このアーサー役は5年生と6年生の二人の男の子のダブルキャストで、この日、そのどちらかは知らないのですが、まだ声変わり前のきれいな声で話すのがとてもかわいらしくて胸を打ちました。ある意味ここが一番の山場かとも思いました。 

アーサーの死、に貴族たちが王から離反したと知ると、慌てて死刑を取り消そうとしたり、またローマを敵にまわしたり、また恭順の意をしめしたり、ころころ方針を変え、ジョン王の無能ぶりがあらわになります。

その一方、私生児はどんどん成長していって、王を叱咤激励して方針を指示するほどにもなります。

この芝居はまさに私生児リチャードの成長物語、主役はやはりリチャードです。 

最後の私生児リチャードのセリフがとてもよかったのです。

たとえ全世界が武装して三方から攻めて来ようとも、撃破するだろう。
イングランドがおのれに対し忠実であるかぎり、我々を悲しませるものは何もない。
この喋りのところ小栗旬、とてもよかったです。
これはジョン王が亡くなり、イングランドは大陸の領土をほとんど失い、子のヘンリーが王位を継ぐことが決まったところでいうのです。本来なら王のセリフだと思うのですが、リチャードに言わせています。

このセリフのためにこの「ジョン王」は書かれたといっても過言でないほどの決め台詞だそうです。

ここで本編終わり、全員立ち上がって拍手、のうちに全員退場かとおもいきや、私生児一人残ります。
この後も書かない方がいいのでしょうね。

でも最後のセリフが今のウクライナのひとたちへの応援にもなっているという解釈をしているのだろうな、と思われる最後の演出。
そうして始まりの、赤いパーカーの男、闖入者退場です。

この芝居、演出が面白い

「ジョン王」という芝居、おもしろくなくてあまり上演されないということがあって、特に演出に工夫がこらされたのでしょうか?それとも彩の国のシリーズはいつも何かしら面白い仕掛けがあるのでしょうか?
エンタメ的要素のある(こういう言い方失礼なのでしょうか)芝居になっていて、楽しめました。

何しろ途中に歌まで入るのですから、それも王子の塔の場面では「小さな木の実」、皇太子とブランシュの結婚話の場面は「赤い花、白い花」その他昔はやった反戦歌。なんだか昭和チック!って思ってしまいました。朝日の評は流れを止めると全否定でしたが、私はこういうのもアリではないかと思います。

この日は体調がよくないというわけではなかったのですが、少し歩くだけでもとても疲れました。会場を出たときカルチャーセンターの受講生たちと思われる方たちが20人以上?戸口に集まっていらっしたのですが、私はこの疲れ具合、それに時間も4時40分終了で暗くなりかけていましたので、残念だけれどアフタートークなしが正解だったと思いました。

小栗旬、よかったのですが、義時役のときの最後の方のような、すごい迫力、という感じとは違いました。
他の役者たちのものすごい熱気のなか(喚き散らすような言葉の応酬)それを冷静に客観的に見ての独白は周囲の喧騒から離れて別の世界にいるような雰囲気でした。

小栗旬のことしか書きませんでしたが、叫びすぎの感があったものの吉田鋼太郎はじめどの役者さんもよかったです。いつもなら、この人どうかな?というのがあるのですが今回はありませんでした。さすが彩の国シェークスピア劇場です。

お芝居はとっても楽しい。でも帰りもヨロヨロ状態。それがはっきりみてとれたのでしょう。どの電車でも席を譲ってくださる方がいて情けなかったけれど、ありがたく座らせていただきました。
渋谷くらい普通に出かけられるようなんとか鍛えなければ!3月にもチケットはとってあります。

2022年12月13日 (火)

歴史博物館と静嘉堂文庫 2 歴博と静嘉堂文庫 

加耶展を出ると受付階には長いエスカレーターであがることができました。
まずショップに行き、図録と栞を買ってレストランへ 
レストランは満席でしばらく待たされました。

満席といっても間隔は充分、案内された席は4人掛けの一人使用。
古代米カレーと紅茶を注文
(一口頂いた後写真撮り忘れに気が付きました)
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古代米というのは初めてですが、ワイルドライスのようにパサパサではなく、普通に美味しかったです。
間に図録をみていたら、常設展の総合展示室1に関連した展示があることが分かりました。
食べ終わって13:25から10分くらい大急ぎで見ました。もう少し時間が必要でした。

展示室1は先史・古代の部屋です。小学生が見学に来ていました。ナウマンゾウや縄文時代の服装をした人形の間を抜けていくと古代の朝鮮半島や倭の品々が展示されていましたが、残念ながら殆どはレプリカでした。

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先ほど見た三燕のものととても似ています。
4月に行った綿貫観音山の発掘品(レプリカ)などもありました。

その他目にとまったもの
古代船の埴輪(複製)この船をもとにして、壱岐で見た船がつくられたのだなあ、と眺めました。(5世紀)
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導水施設および囲形埴輪(大阪府、狼塚古墳 5世紀)

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特別展は韓国の博物館の協力もあって、どれもホンモノでした。日本国内の出土品は、どうやら現地の博物館に行った方がホンモノが見られそうです。

今回の特別展、日韓関係最悪の中で準備されたのでしょう。よく開催できたものと思いました。きっとご苦労も多かったのではないでしょうか。韓国には行けそうにもありません。この展覧会で色々みられて本当に良かったです。

14:30佐倉発の電車に乗る予定です。タクシーがすぐ来るかどうかわからないので、もう少しゆっくりしたいと思いながらも出てしまいました。受付でタクシーの電話番号をお聞きすると番号を印刷した紙を渡してくださいました。

電話をすると「京成佐倉の駅から行きます」。ということは案外早く来そうです。
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13:48 タクシーを待っているとき。風もなくおだやかで美しい初冬の日でした。

JR佐倉駅には14:02ごろ着きました。あと15分くらいは見ていられたのに、と少し残念に思いながら電車を待ちました。

14:30~15:30電車
疲れた足を充分休めることができました。遠出のようですが、上野で博物館、美術館のはしごよりかえって足は楽だったかもしれません。

電車は丸の内側には着くのですが、南口まで行くのが遠い!地下を随分歩きました。

丸の内仲通りはもうクリスマス。イルミネーションが暮れかかった町にきれいでした。
この辺りは高級品店街、ウオーキングシューズではなく、踵のある靴で歩きたい通りです。

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丸の内MY PLAZA に入って奥へつきぬけるようにいきます。
途中にクリスマスツリー この左奥の建物の中に美術館。
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静嘉堂@丸の内

響きあう名宝 曜変・琳派のかがやき

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16:00からで10分前についたのですが、その時は5、6人だったのが16:00になるとまあ、4、50人は並んだでしょうか。
ソーシャル・ディスタンスなんてどうなっているのでしょうか。
4室にわかれているのですが、1のお部屋はあまりにも満員で2から見ました。ここも人は多かったのですが、何とか硝子ケース前に肩をくっつけあって並び1,2分でやっと一つ分動く、という状態で鑑賞しました。3,4はすいていました。然し4の曜変天目のケースの前では皆さんなかなか動きません。私もなんとか潜り込んで、しっかりじっくり見させていただきました。 
勿論、カメラ禁止です。

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俵屋宗達の絵は前期展示で見られなかったのが残念でした。

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曜変天目、何年か前にサントリーで藤田美術館のをみましたが、それよりも美しいような、、、。

ともかく青の色がとてもきれいなのです。曜変の周りは水色、地は青から藍、コバルトブルーというのでしょうか。光の当て方もあるとおもうのですが、その青い色の輝きの美しいこと!
これ一つ見ればもう充分、来た意味があったという気分です。
17:00までです。あと10分。ショップに行きました。茶碗をワンポイントにあしらったハンカチや一筆箋、ポストカード等買い込みました。

出るともうすっかり日は落ちています。
入ってきたときと反対側です。向こうが仲通り。
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イルミネーションも輝きを増していました。
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大満足の二つの展覧会、おまけにクリスマス・イルミネーション迄見られて嬉しい一日でした。
18:30 ありがたいことに膝も痛くならず、無事家に帰ることができました。(8601歩)

歴史博物館と静嘉堂文庫 1 加耶展

12月8日(木) 
会期終了が迫っている二つの展覧会に行ってきました。
千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館の「伽耶」展、もう一つは丸の内に移転した静嘉堂文庫美術館の「曜変・琳派のかがやき」展です。10月から行きたいと思いつつ、旅行で延び延びになっていたのです。
それが思いがけない体調不良、しかしながら曜変天目茶碗は又の機会ということもありますが特別展「伽耶」はもうないでしょう。なんとしても行きたい!
我が家から一番近い駅は私鉄駅ですが、少し遠いJRの駅も利用できます(バスで15分)。JRで成田行きを利用すると乗り換えなしで佐倉迄行けるのです。遠くても楽に行けそうです。帰りは東京駅でおりて静嘉堂文庫によれば1日コースとして丁度よいのでは?と出かけたわけです。(静嘉堂は事前予約が必要です)
心配は心配で極力タクシー利用で歩きを減らすことにしました。 

ラッシュを避けて8:50に家を出てバス、9:30の成田行きに乗車。すいていて楽に座れました。ボックス席ではなくベンチシートが残念でしたが、車中は探偵小説を読んで過ごしました。何しろ1時間40分かかるのですから。
11:25  佐倉駅北口でタクシー乗車。
11:36   博物館前 (料金は1300円でした)

国立歴史民俗博物館
通称「歴博」、気になって一度は行ってみたいと思いつつ、遠いのでためらっていた博物館です。やっと今回訪問の機会を得ました。

入口はあのアーチの向こうです。(本数は少ないですが、博物館前のバス停もここにあります。)
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館内に入り受付を通ると、一度向こう側に抜けるように階段をおりていきますから、見始めるのに少し時間がかかりました。
伽耶国。たしか伽耶子というなんだか哀しい小説があったような、、、。
調べてみると『伽耶子のために』李 恢成著でした。映画化もされたようです。
そのせいか加耶の国、というとなんとなく哀しい印象があります。

伽耶ー古代東アジアを生きた、ある王国の歴史 

チラシは2種類
この山々は古墳の連なりですが、遥か歴史のかなたに消えてしまった国という印象の写真です。

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こちらは近隣の国々にと交流して文化の花開かせた国のイメージです。 

写真は池山洞古墳群と主山城 (丸いポコポコしたものは古墳)

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古代の日本と朝鮮半島の交流史の講座では加耶についても習いました。講座と春に行った群馬や埼玉の博物館の展示も思い出しながら、興味深く見ていきました。
カメラOkでした。

5世紀後半から6世紀初めの朝鮮半島南部(図録より)

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図録と講座レジュメの伽耶についての説明を要約すると
伽耶は3世紀から6世紀にかけて朝鮮半島南部で活躍した国々です。
伽耶の前身は弁韓十二国。この小国郡が連合していく中で伽耶の諸国が形成されました。4世紀に勢力を誇ったのが金官伽耶国ですが高句麗との戦いで衰退し、5世紀になると大伽耶が飛躍的な成長を遂げます。しかし金官伽耶国は532年に、大伽耶国は562年にどちらも新羅に服属して滅びました。

伽耶は倭ともっとも近い地域で、伽耶との交流を通して倭は須恵器、鉄の道具、金工、馬の飼育、治水、蒸し器などの炊事用具、竃等、様々な情報や技術、道具を手に入れました。また伽耶に倭系遺物も見られ、相互交流が盛んであったことが分かります。
かつてはこの地域を『日本書紀』の用語にならって、任那と称していましたが、現在の教科書では「伽耶」「加羅」と記すようになっています。よく分かりませんが、任那という呼称は韓国を刺激するらしいです。
この図録でも任那という呼称は使われず、ただ一か所、平安時代初期に成立した『新選姓氏録』には、伽耶(任那)に出自を持つ十氏族とそれぞれの祖が記されていて「任那」のほか「弥麻奈」「三間名」「御間名」などと表記される、というところに見られるだけです。
昔私が習ったのは任那ですが、伽耶の方がネーミングとして素敵です。よりロマンを感じます。(ミーハーですね)

伽耶については文献資料の不足から未知の国とおもわれていたのが近年、伽耶遺跡の発掘調査が進み実像が明らかになりつつある、という状態だそうです。

展示プログラム
Ⅰ 加耶を語るもの  鉄生産と武装、土器、王陵群
Ⅱ 加耶への道    墳墓文化
Ⅲ 加耶人は北へ南へ 4世紀の対外交渉をしたのは金官伽耶 倭との関係についても
Ⅳ 伽耶王と国際情勢 5世紀に勢力を誇った大伽耶 荷知王は479年南斉に使者を派遣
Ⅴ 加耶のたそがれ  6世紀に入ると新羅、百済が伽耶との統合を目論むようになり、新羅に降伏して姿を消します。

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広い部屋にこのような状態ですから、上記のプログラムに従ってではなく目に入るまゝ見て回りましたが、一応プログラム通りに整理してみました。(図録を参考にしたのですが、この図録、読みやすいけれど細かい説明がないのが残念なのです) 

Ⅰ 伽耶はまず鉄生産と交易を一体として運営していたことと、重厚な武装をととのえていたことが指摘されます。

4世紀後半から5世紀の兜と短甲 奥のガラスケースには板状鉄斧が見えています。
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蕨手模様が特徴的です。4世紀の短甲
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5世紀中葉 帯金甲冑式 倭系です。倭とのつながりを示すものです。
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鉄鋌を加工して造った儀具(有刺利器)(4世紀末~5世紀前半)
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馬具、馬冑や蛇行状鉄器や鐙など埼玉の将軍山古墳でみたと同じようなものもありました。『渡来系移住民』にでははっきり、将軍山の物は大伽耶産と書かれています。
400年頃倭は百済・伽耶とともに高麗の進攻に対して戦い、この時高句麗の騎馬軍団との戦いなどから、騎馬技術を学ぶようになったのです。
馬冑(5世紀後半)
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須恵器 低温で焼く土師器と違って高温で焼く硬質土器で地域によって形などに違いが見られます。
金冠伽耶
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大伽耶と小伽耶
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車輪飾土器
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王陵については講座でも習いました。木槨墓(金官伽耶)から石槨墓(大伽耶)
遺体の下に鉄の馬冑,馬甲や鉄の斧を並べてを敷きます。大伽耶の高霊池山洞44号墳には4人の従者も葬られ、さらに周りを32の殉葬槨があるのがいたましい(36人殉死!)。

Ⅱ 加耶への道 では、加耶の前身,弁韓、また楽浪郡の品々の展示が見られました。

漢(楽浪郡)との交流を示すもの(紀元1世紀)
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弁韓時代の物(紀元2,3世紀)
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金官伽耶を経て大伽耶時代の素晴らしい黄金アクセサリー
金銅冠(5世紀中葉)半円形の板の左右と上部に宝珠形の立飾りが付き、全体に細かい彫金が施されています。これと類似のものは日本列島でも出土しています。
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大伽耶系のアクセサリーは日本各地で出土していてこれまでに見たことがあるようなものが多かったです。
おそらく倭の有力者たちが、大伽耶との交渉の中で入手したものと思われ、また大伽耶からの渡来人とも思われる墓からも出土しています。
耳飾り(6世紀前半) 山梔子の実のような垂飾りは大伽耶の耳飾りの特徴
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5世紀末から6世紀前半
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装飾太刀(
5世紀前半) 龍鳳凰文環頭太刀
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拡大
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龍鳳文環頭太刀 6世紀前半
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穴には宝石でも埋め込まれていたのでしょうか。
こういうのは大好きでしばらく見入っていました。


東アジアとのつながり
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2、文透彫金具(辻金具) 3、文透彫金具 4、帯金具(西晋) 1,2,3は多分、三燕のもの
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金官伽耶と倭 金官伽耶の墳墓に副葬された倭の製品
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Ⅳ 大伽耶と国際情勢 5世紀~6世紀
遅くとも5世紀前半には百済は大伽耶に接近し、金工技術等を提供していたようです。

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また大伽耶の墳墓からは新羅系、もしくは新羅を経由した西方のガラス器なども出土しています。 
新羅とは敵対関係にあったといわれていますが、ときには友好的であったようです。
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西方のガラス容器(5世紀後半)
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Ⅴ 加耶のたそがれ
6世紀に入ると、百済、新羅は加耶との統合を目論むようになります。外交術を駆使して生き残りをはかるのですが、532年に金官伽耶、562年に大伽耶がそれぞれ新羅に降伏して歴史の表舞台から姿を消すことになるのです。
熨斗(5世紀後半)

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百済系の耳飾り(6世紀前半)
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東からは新羅が接近してきます。墳墓に残された新羅系遺物
新羅の墳墓に副葬された大伽耶の太刀(6世紀前半)
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小伽耶で副葬された新羅系の馬具(6世紀前半)
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小伽耶の墳墓から出土した新羅系土器(6世紀前半)
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滅亡直前の大伽耶の対外交通路は南江から海へ出るものでしたが、海側の小伽耶の墳墓に新羅系や百済系の品がみられることから、南江ルートもすでに閉ざされていたと考えられます。こうして大伽耶は新羅に服従することになったのです。
滅亡後、新羅北縁に強制移住させられた大伽耶の人々が作った土器なども展示されていました。  
栄枯盛衰は常とは言え、ため息が出ました。

12:35 なかなか興味深い展示でしたが、そろそろ出ることにしましょう。
写真が多くなりすぎましたのでここで一度切ります。
 

2022年6月 6日 (月)

東博へ(朝鮮王の興亡、 琉球展、 日本の考古・ 特別展) 3

5月26日 続き

1階におりて日本の考古・特別展の部屋に入ります。
琉球展は混んでいるとは言えない状態ですが、それなりに人は入っていました。でもここに下りてくると、閑散ととしています。最後の方でお二人入っていらしただけでした。

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埴輪 子を背負う女子 栃木県真岡市 鶏塚古墳 6世紀

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奥に馬具が見えています。三環鈴も見えいます。ちゃんと写真を撮っていないのが残念。

銅鏡もいろいろありました。4世紀になると、中国製の鏡をまねたり、日本独自の文様を表現して大型の鏡がつくられるようになります。これは倭人にとって鏡は特別な意味があることをものがっています。←解説より

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 三角縁神人車馬鏡(中国製) 甲斐銚子塚古墳出土 4世紀 神獣のかわりに車馬がはいっています。

 

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鼉龍鏡 奈良県新山古墳 4世紀
丸まった胴を持つ怪異な神像とそれにとりつく棒状表現(いわゆる巨)を銜えるS字型の胴部をもつ小像とが絡み合った図像。独創的な図文から古墳時代の倭鏡といわれます。

奈良県新沢千塚古墳126号墳出土品 5世紀後半 出土品は一括して重要文化財指定(6月12日まで)

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金製方形板と金製垂飾付耳飾り

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ガラス器(ほんの少しだけ見えている)と 指輪、腕輪、バックルなど

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ガラス器は撮り損ねたので東博ホームページからお借りしました。きれいな瑠璃色! 22060524

 

冑や短甲など、左は楯でしょうか。始めて見ました。(5世紀)

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戦闘用の馬具 5、6世紀 馬冑はレプリカ 蛇行状鉄器は奈良県団栗山古墳

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おお、群馬県立博物館で見られなかった金銅冠ここにきていたのですね。見られてうれしかったです。
すぐ下は金銅製魚珮(千葉県木更津市松面古墳出土)6世紀その下は説明版を写すのを忘れたので分かりません。

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前橋金冠塚古墳出土 金銅製冠(レプリカ)と金銅製帯 6世紀

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新羅独特の出字形冠です。(全徳女王がつけていた!)それにしてもずいぶん高さがあります。

 

目下一番関心があるの 柄頭、意匠に興味があります。いずれも6世紀 半島風の意匠が見られます。

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右から 双龍環頭柄頭(高島市鴨稲荷山古墳) 双龍環頭柄頭(岡山県真庭市) 方頭大刀とあるのですが違います!

鴨山稲荷のものを拡大していました。

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下にも金地に双龍

 

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 左 獅噛環柄頭(静岡県院内古墳)

 右 単鳳環柄頭(鈴鹿市)

グルグル回っていくと、おお、江田船山古墳出土品が展示されていました。6月12日まで。なんとラッキーなこと! 

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特に有名なのが銀象嵌銘大刀です。埼玉稲荷山とちがって 刀の背?に象嵌されているので気が付きにくいです。一生懸命 刀の面に目を凝らしていました。(予習をしていなかったのでこの上にあることに気が付きませんでした)

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道理で灯りが上を照らしていたわけです。

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書き下し文

天の下しらしめしし、ワカタケル大王の世、典曹に奉事せし人、名はムリテ、八月中、大鉄釜を用い、四尺の廷刀をあらわす。八十たび練り、(九)十たびうつ。三寸上好の(刊)刀なり、この刀を服する者は、長寿にして子孫洋々、恩を得るなり。そのすぶる所を失わず。刀を作る者、名はイタ(ワ)書するのは張安なり。

その他

金銅製沓

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儀礼用で底板にはスパイクが付きます。亀甲文の交点から下がる金銅線の先には歩揺がついていました。
甲の部分(前中央)に合わせ目があるのは百済ですから、これは百済の影響を受けていると言えます。(新羅だとスリッパの甲のように継ぎ目がなく横で接いでいます。カルチャーで土曜日に新羅のものをみたばかり!)
かみつけの里で観たのは大きいので驚きましたが、これはさほど大きくはありませんでした。

装身具

金銅製冠帽と冠二つ、耳飾り

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中央に絡み合った2頭の龍,その外側を火焔文で縁どった文様を透彫りした2枚の爪形の金銅製側板と,半球状の飾金具を付けた蛇行状金具からなる。側板・縁金からは多数の歩揺(ほよう)を垂下する。←解説より

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銅鏡も 6面出ました。

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一番下の小さい物以外は南朝時代・宗のものです。

神人車馬画像鏡

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近くに岩戸山古墳の石人がおかれていました。

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別のところに切り込硝子椀も飾られていました。

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羽曳野市 伝安閑古墳出土(6世紀) 

満足してゆっくり出ました。休憩所の自動販売機でペットボトルの紅茶を買って(ここにはレストランはありません)一休み。

出るとタクシーは待機していました。おかげで3時間ほどの滞在でしたが、全く疲れることはありませんでした。
この前、埼玉・群馬にいったとき東京・上野ラインに乗ったことを思い出し、これだと横浜まで乗り換えなしに早くつけることに気が付きました。これまで上野からだと乗り換えが面倒で京浜東北線に乗ることもあったのですが、時間がかかりすぎです。最近は相互乗り入れで便利になりました。
丁度4:21に出る沼津行列車に乗れました。ガラガラです。横浜まで30分で着きます!一番大変だったのはバスをおりてからの我が家への坂道です。

写真撮り忘れや手振れもあって残念なところもありました。特別展は少し内容を変えてまだ続くようです。時々チェックしてまた行こうと思っています。 (8340歩)
 

2022年6月 5日 (日)

東博へ(朝鮮王の興亡、琉球展、日本の考古・特別展)2

5月26日続き

ランチの後平成館へ、2階で琉球展、1階で日本の考古・特別展です。まず2階をざつとみて考古展をゆっくり見ることにしました。

 琉球展

琉球の歴史をしらなかったので WIKIをざっと読みましたが、にわか仕込みなのでここには書きません。

エスカレーターをあがって右は 万国津梁 アジアの架け橋 というテーマでした。

カメラ不可でした。 印象に残っているのは 鐘です。

銅鐘(1458年)
琉球は船によって万国津梁(万国の架け橋)であるとうたった文字がきざまれているとのことでしたが、 丁寧に観なかったせいかよくわかりませんでした。

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ここは文書類が多いので ざっと見まわしてすぐ出てしまいました。反対側の部屋は

王権の誇り 外交と文化 でここの尚王家の刀剣、漆器、衣装などはカメラ可でした。

去年、九州博物館で観た聞得大君の簪もありました。あれはレプリカでしたが、こちらは本物、写真を撮っていいのかどうかわからなくて撮りませんでした。

見たかったのは琉球紅型です。遠慮なく写真を撮らせていただきました。

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左は

黄色地鳳凰蝙蝠宝尽青海波立波模様紅型綾袷衣装(国宝)綾絹です。18~19世紀

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あでやかで素敵です。黄色地は王家の人だけが着用を許されると聞いたことがありますが、どうなのでしょう。
昔ある習い事でご一緒だった方が別に紅型染めも習っていらしてその展覧会に行ったことがあります。豪華な大振袖でとても見事でした。皆さんご自分のお嫁入衣装を染められるらしかったです。

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帰りにこの柄のマルチクリーナーや一筆箋を買ってしまいました。

 

黄色地鶴松竹梅紅葉模様紅型綾袷衣装(桐衣)(国宝) 18~19世紀
(桐衣の意味は分かりません。)

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桃色地山水楼閣鶴模様紅型木綿袷衣装 18~19世紀

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こういう紅型もあるのですね。

その他 苧麻の衣装も涼やかですてきでした。
衣装は期間中、入れ替えがあるようです。

刀剣もありました。

青貝螺鈿鞘腰刀 (国宝)16~17世紀

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脇差

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宮古島の仲宗根豊見親玄真が、あるいはオヤケアカハチの乱平定を祝い宮古島の玄雅夫婦が 尚真王に献上したと伝えられている。
16世紀初頭の八重山への王権拡大と、これにかかわった宮古島豪族の入貢を物語る 象徴的な品。 

他に目にとめたもの

色絵紅葉文風炉 18世紀

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緑釉四方燭台 (国宝)19世紀

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朱漆巴紋牡丹沈金馬上盃 (国宝)18~19世紀

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螺鈿細工の文箱(?)などもありましたが、写真がピンボケで載せられません。

王家の品々だけあって逸品揃い、国宝のオンパレードでした。

先をいそぐので 出ることにしました。でもショップには寄ってお買い物。ほかに紅型衣装の柄のポーチも買いました。

きりがいいので今回はここまでにします。

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