イーユン・リーの短編集を読みました。
『水曜生まれの子』 イーユン・リー著 河出書房新社

帯を撮取った写真
北欧神話に出てくるイグドラシル(世界樹)が描かれています。

ワルキューレの岩」で、第一のノルン(運命の女神)が「一人の大胆な神が水を飲みに泉にやって来て 永遠の叡智を得た代償に片方の目を差し出しました そして世界樹のトネリコの木から枝を一本折り その枝から槍の柄(つか)を作りました 長い年月とともに その枝の傷は 森のような大樹を弱らせました 葉が黄ばんで落ち 木はついに枯れてしまいました」と歌う。(WIKより)
世界樹は片目をもらったけれど、折られた枝の傷によって枯れてしまいます。
著者その人を暗示しているように思ってしまいました。
短編集なので気軽に読めるかと思ったのですが、そういうわけにはいきませんでした。
各タイトルといくつかについては感想めいたものを書き留めてみました。
表題作「水曜生まれの子」 が第一作目です。
前の晩これを読みました。次の作品を続けて読む気になれなくて二度読みました。
翌朝とても悲しい気持ちで目が覚めました。
イーユン・リーという作家は2017年、16歳の長男を自死により亡くしていることは知っていました。
この作品のロザリーも娘を自死により失くしています。自死により子をなくす、これほど両親にとってつらいことがあるでしょうか。
マザーグースに月曜生まれの子は、、、と曜日ごとに生まれた子の運命をうたう歌があるそうです。
それによると、「、、、水曜日生まれの子は悲哀がいっぱい、木曜日生まれの子は長い道のり、、」となっています。
ロザリーの子マーシーは水曜日に生まれ、15年1ヵ月後の木曜日になくなったのです。
何年かのち、ロザリーは列車内でマーシーと心の中で話しながらオランダからベルギーへ旅をします。その列車内の出来事が語られていきます。
短編小説は終わり方ががポイント。よかったです。
「かくまわれた女」
誰かのことをわかるとその人はいつまでも離れていかなくなるけれど、わかっていなくたって同じ結果になるんだ。死は死んだ人を連れさらないからね。その人を一掃深く心に根づかせるだけ。
「こんにちは、さようなら」
20年前カリフォルニア大学バークレー校の寮のルームメイトとして出会ったケイティとニーナの話。
かなり年上の暴力をふるうお金持と結婚したケイティは、ニーナになぜかと聞かれて「いい人とは軽い気持ちで結婚できないから。」と答えます。
「こんにちは、悲しみ、さようなら、悲しみ」「何でもそんな風に簡単だったらいいのに」「「こんにちは、まちがった選択、さようなら、まちがった選択」
「小さな炎」
著者はウイリアム・トレヴァーの作品が好きだということは知っていました。この作品はトレヴァーへの追悼の気持ちがこめられているそうです。 残念ながら手持ちのトレヴァー短編集何冊かには該当する作品はみつかりませんでした。
「君住む街角」
「ごくありふれた人生」
一 たんぱく質
二 仮説
三 契約
「非の打ちどころのない沈黙」
「母親に疑わせて」
「ひとり」
これもつらい話ですが心に残るエピソードでした。
心中しようと決めた六人の少女たち、五人は死んだのにスーチェンは死ねなくて周りから非難されました。しかし五人の少女たちはいないがゆえにスーチェンの世界では存在感のある人たちだった、、、。
「幸せだった頃、私たちには別の名前があった」
「すべてはうまくいく」
この中でジェームズ・ジョイスの『死者たち』に出てくる、マイケル・フュアリーという少年に触れられていました。
映画を観て、本も読みました。(映画は非常に良かったです)
子どもを亡くしたことにより祖父(幼子をなくして自死した若い前妻の夫であった男として)を悼むことができた話。
考えに考えて紡がれた文章。心の襞の奥に分け入ってある意味たんたんと書かれていきます。
一気読みはできません。
私は脳細胞が摩耗してしまっているのでしょう。
若い頃とは違って感じ方も表面的になっていることを思い知らされた感じがしました。
しかしある意味それは生きていく知恵かもしれません。
書き留めたいことはいくつもあるのですが、まとまらないので一応ここまでにしておきます。
2015年8月にこの著者の 『千年の祈り』を読みました。
その時はこんなつらい思いはしませんでした。
それで軽い気持ちでこの本を買ったのですが、、、重かったです。
著者自身は鬱病のとき自殺を図ったことがあり、その後次男も自死によりなくしています。
つら過ぎます。
今の私の体力、精神力ではもうこの作家の作品を読めそうにありません。
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