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美術、映画

2020年7月10日 (金)

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

一昨日(7月8日)上野の西洋美術館に行きました。
ロンドン・ナショナル・ギャラリー展をやっています。ロンドンのナショナル・ギャラリーには一度だけ行ったことがありますが、広くて観たのはイタリア絵画の一部だけです。新型コロナでどうなることかと思っていましたが、開催時期を変更して開かれたのはうれしいかぎりです。  

新型コロナ対策のため、チケットはあらかじめ日時指定で購入しておかなければいけません。前もっての購入なので、当日お天気と相談して、というわけにはいきません。九州地方の豪雨で、関東もどうなるか、と心配でした。

朝、強風でしたがとりあえず雨は降ってはいませんでした。往復の電車、バスの密を避けるため11:30~12:00入場のチケットをとってあります。順調にに到着。久しぶりの西洋美術館です。雨に洗われた緑にロダンの彫刻が映えます。         

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マスク着用だけで、一応 熱のある人は、、の表示はありましたが、1m間隔で並んで入場。熱を測ったりはされず、おかれているアルコールジェルで手指の消毒しただけでした。(先週、デパートの美容室に行ったときはずっと厳重で入口で検温されました〉

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展
 
https://artexhibition.jp/london2020/  主要作品の解説も動画であります。

数制限しているせいで、中はすいていました。人と人との間隔をあけるように、という注意書きはありましたが、一枚の絵の前に、4.5人いる場合もありました。肩がふれあうほどではありませんが、結構ちかかったです。勿論、絵の前に1人もいないこともありました。

おかげでいつもよりずっと、ゆったり鑑賞できました。 

私のお目当てはクルヴェッリです。クリヴェッリは大好きです。アムステルダムで観た「マグダラのマリア」のゴージャスな絵は忘れられません。

会場では最初の部屋がイタリア・ルネッサンスの部屋で真正面に「聖エミディウスを伴う受胎告知」1486年 カルロ・クリヴェッリ
が展示されていました。

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大きいのです。207×146.7㎝

帰りに図録をかったのですが、幅広の帯がついていて、クリヴェッリのとゴッホのと2種類。クリヴェッリを選びました。

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解説は上記サイトで詳しくされていますので、私ごときが書くことはありません。
マリアの肌の陶器のような美しさ、当時の屋敷の豪華さ。美術書でよく知っている絵ですがやはり実物は凄い。ただ写真ではわからなかったことなのですが、上にかけてある絨毯、これが油絵具をぬりかさねたようでデコボコ感があるのです。聖霊の鳩が一羽だけでなく何羽もいるのも面白いです。かなりの時間、この絵の前にじんどってしまいました。

全部で61点、イタリア・ルネッサンスからフランス近代絵画まで有名画家の作品が1,2点ずつおかしくなるほどまんべんなく取り上げられています。ウッチェロもいい、あら、フェルネールもヴァン・ダイク、ゴヤ、エル・グレコ、、、モネ、ドガ、ルノワール、、、。あげていけばきりがありません。図録から絵を拝借するのもよくありませんので何枚かだけ。

驚いたのは デイエゴ・ベラスケス ベラスケスと言えば宮廷画家、とおもいこんでいたのですが、
『マルタとマリアの家のキリスト」(1618年頃)     

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(図録からなので少しまるまっています)。マリアは働きもしないでお話をきいていて、と不貞腐れたマルタの顔、気に入りました。ベラスケスは宮廷画家になる前はセヴィリアでこういう風俗画を描いていたそうです。

スルバランはよく聖女を描いています。一見これは民族衣装を着た普通の女性かと思いましたが、やはり聖女でした。

「アンティオキアの聖マルガリータ』(1630-34年)

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羊飼いをしていたマルガリータは信仰ゆえに結婚をことわったため、牢屋にいれられ、龍に姿を変えた悪魔にたべられるのですが、手に持っていた十字架の力でおなかがさけて無傷で出てこられたのだそうです。それで彼女は出産の守護聖人なのだそうです。暗くてわかりにくいですが、足元に龍がいます。エキゾチックな衣装を身につけていますが、まなざしはおちついて、やはり聖女です。とても気に入りました。

最後の部屋の正面にゴッホの「ひまわり」(1888年)

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この夏ゴッホは4枚のひまわりを描き、中でもこの絵をゴーガンが絶賛したそうです。    

ゴッホの「ひまわり」は昔安田火災が買った、というので大ニュースになりました。今では損保ジャパンの東郷青児美術館で常設されていますがそれと同じ構図のものです。現在ロンドンにあるこの絵をもとにしてゴッホが2枚描いたもののうちの1枚だそうです。損保ジャパンのものもステキだと思って観た覚えがあるのですが、今これを見るとやはりこれも、同系色のバックに溶け込むようでいて少し寂しい、静かな存在感があって、感動しました。

61枚というのは程よい数、1時間半ほどで見終わり、ショップでお買い物

図録 裏はターナの(ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス」(1829年)です。

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主人と一緒ですので重い図録も大丈夫。そのほかクリアファイルやら一筆箋、絵葉書などを買い込んで、さてお昼を、と「水連」に行くと20人くらいの列。あきらめてそのまま帰ることにしました。
帰るまで降られず、涼しい、というより寒いくらいでしたので、5時間近くマスクをつけっぱなしでも中がむれることなくて助かりました。

:::::

せっせと歩いています。今はコースをかえて毎朝4200歩です。季節はうつりかわってアジサイはもうおしまい。
葵が満開です。

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この度の豪雨のニュースに心を痛めております。被害に遭われた方にこころよりお見舞い申し上げます。

2019年12月 5日 (木)

コートールド美術館展へ

昨日(12月4日)都美術館で開かれている、コートールド美術館展を観てきました。   

私は特に熱心な美術ファンというわけではありません。そのせいかコートールドという名を知ったのも絵ではなく、アニータ・ブルックナーの『秋のホテル』を読んだ時、本の作者紹介に、コートールド美術研究所で学び、そこの教授である、と書かれていたことからです。

ロンドンに1人で行ったとき、トラファルガーからテンプル教会まで歩いたことがあります(当時は元気だった)。その途中コートールドの案内板をみつけて、でもその時は美術館に行く時間もなかったのでそれっきりでした。

今回は改装ということで、所蔵作品がいっきに観られるまたとないチャンスです。その上信州に住む友人が入場券をおくってくださったのでありがたく使わせていただくことにしました。

コートールド美術館展 魅惑の印象派 都美術館

https://www.tobikan.jp/exhibition/2019_courtauld.html

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着いたのは12時少し前、観ているうちにおなかがすいてしまっては、と先ず館内のカフェで簡単にお昼

ハヤシライスとエスプレッソ 美味とは言えないけれど、兎も角さっとでてきました。

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チラシ 売りはエドュアール・マネの「フォリー・ベルジェールのバー」らしく、看板もチラシもこの絵です。

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矢張り、この絵はすてきでした。全体に人はそれほど多くはなく、どの絵の前にも何人かいる、という程度でしたが、この絵の前だけは10人以上の人だかり、でもすぐ前には出られるし、じっくり見ることはできました。

それとこれはという絵にはすぐ横に見どころの解説がつけられています。
このバーメイド、よく見るとなんだか疲れた目をして物憂げなところが気になりました。解説では、こういうバーメイドは時に娼婦の役回りもさせられていた、とあり、なるほど、、、という具合。

ところがところが、素晴らしいのはこの絵だけではないのです。
美術全集で観たことのある、教科書にも出ていて知っている第一級品がずらり、すごい作品ばかりでくらくらするほどです。

チラシから

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ゴッホの「花咲く桃の木々」1889年 (左上)優しい感じできれいでした。

ゴーガン「ネヴァー・モア」1897年

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コートールドはセザンヌの蒐集で有名だそうですが、私はクロード・モネやアルフレッド・シスレーなどの風景画が気に入りました。

シスレー 「雪、ルーヴシエンヌにて」1874年

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ショップで図録とともに、クリアファイルを二つとメモ帳を買いました。彩度が落ちていてがっかりではあったのですが、、、。

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左 スーラ「クールブヴォアの橋」1886/1887 年   右ゴッホ 上の写真と比べると色が非常に違います。上の方が実際に近いです。

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左 モネ「秋の効果、アルジャントゥイユ」1873年    右 ブーダン「ドーヴィル」1893年

私は印象派ずきではなかったのですが、親しみやすい絵が多くて楽しめました。

作品の数は60点。ゆっくり見ても1時間15分くらいで観終りました。体力的にはまだ余裕があって、他の美術館もまわれそうでしたが、非常に満足感があったので、今日はこれでよし、として帰ることにしました。

お天気がよく美しい初冬の日。 

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でも暮れるのもはやいですから。

帰って主人に図録を見せると、「えっ、こんなにいいものがきてるの?」

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今日早速観に行きました。

お薦めです!!

 

 

  

2019年3月22日 (金)

イサム・ノグチ 長谷川三郎展 横浜美術館

3月19日 
横浜美術館に行ってきました。お友達が招待券を送ってくださったのです。
この美術館は海の近くなので冬場は行きにくいのですが、この日から暖かくなったのでチャンスとばかり出
かけたわけです。
イサム・ノグチと長谷川三郎展


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実はイサム・ノグチについては名前を知っているだけ、長谷川三郎は名前も知りませんでした。チケットをいただかなかったらきっと見逃していたでしょう。でも行って良かった!い展覧会でした。

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イサム・ノグチ(1904~1988)
詩人野口米次郎とアメリカ人女性との間の子としてアメリカに生まれ、日本で幼少時を過ごしたのち、13歳で単身渡米、普通教育の学校に通いながら彫刻家になる修行をした人。
1946年には 米国を代表する14人の新進芸術家の一人に選ばれている。
長谷川三郎(1906~1957)
甲南高等学校では、小出楢重に油彩画を学び、東京帝国大学では美術史を専攻、1929年から3年間欧州に遊学、画家として生きることを決意。抽象的な油彩画を描き始める。

イサム・ノグチは1950年日本にやってきて、長谷川三郎と出会い 美術における東洋と西洋の問題について 話を深め、一緒に関西へ旅行したりもします。
長谷川は油彩画をやめ墨絵や拓本の世界へ、ノグチは鋳鉄、石バルサ材などを使った彫刻、また魯山人の窯場で陶の作品を造るなど、多岐にわたる作品を作っていきます。

二人それぞれの展示と交流を表すような二人の作品が同じ場所に置かれたところもありました。
残念ながら撮影禁止、そうして図録がなんと5000円、手を引っ込めてしまいました。絵葉書も一枚だけ。
チラシの写真を載せます。
上記ホームページでいくつかの作品は見られます。
 長谷川三郎

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これと似たのがもう一枚あったのですが、墨による抽象画 ってこれまで知りませんでしたので、戦慄が走るほど感動しました。(写真だとそうでもないのですが、、、)

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これは木の表面そのままや少しほりこんだものを拓本にしたものです。
  
イサム・ノグチ

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能楽師たち(1958年)

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これは鋳鉄で作られていて 書 という題がついていました。(1957年)
長谷川三郎の初期の油彩画には ミロを思わせるような絵もあありました。
また イサム・ノグチの 日本に来る前の全く抽象の彫刻作品にもすてきなものがありました。そぎ落とされてその奥にある 孤独感のようなものが感じられたのです。写真がなくて 残念。
本当に素晴らしい展覧会でした。
チケットを送ってくださった友人に大感謝です。
帰りに コレクション展ものぞきました。
カンディンスキーやクレーの絵もありましたが、色合いがこのみではありませんでした。こちらは写真OKでしたが。
ダリ ニュートンを讃えて
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奥が特別展の会場、彫刻作品がぼんやり見えています。

2018年8月16日 (木)

山種美術館と 縄文展

気になっている展覧会が二つありました。この暑さで出かけるのをためらっていたのですが、 段々残りの日にちが少なくなってきたので、14日意を決して出かけました。山種美術館と東博平成館です。

山種美術館は駅から遠いのでつらいな、と思いながら美術館のホームぺージのアクセスのところを見るとバスで行けるようです。上野もタクシーを利用することにして暑くても出かけることにしたのです。

恵比寿駅 ホームでキョロキョロ、バスとかかれている方向へ指示にしたがって進むと 駅(美術館と反対側)を出たすぐ少し左手にバスがとまっていてそれが日赤医療センター行き、それにのって二つ目の停留所、道を隔てて目の前が美術館です。家を出て1時間半後、11時少し前に着くことが出来ました。

山種美術館 では 水を描く、 というタイトルの展覧会が開催中です。

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http://www.yamatane-museum.jp/exh/2018/mizu.html

お盆休みのせいか、ほどほどの混み具合、 広重のところあたりは少し人垣ができていましたが、他は鑑賞が妨げられるほどの人数ではありません。

想像した通り、水色、青、緑、白など涼しくなるような色合いの絵が多くて気持ちがよかったです。

チラシの上の絵は 千住博 「ウオーターフォール」
下は 川端龍子の 「鳴門」 大きな屏風でこれは半分、帰りにこのクリアファイルを買いました。

チラシ裏

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奥村土牛 「鳴門」 美術館ホームページから

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 ステキだと思ったのは「水花火」 宮廽 正明

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絵葉書は色がよくありません。漁師が白い網をパッとなげたところですが、編み目が1cm×2㎝くらいの紡錘形でそれはそれは細かい作業。レースのような美しさ。でも白さがこれでは全くでていません。

絵葉書は 8種類ほど買いました。 涼し気で 夏のお便りを書くのによさそうだとおもって。 そのうち あと 2枚だけ小さく載せます(あまりこういうことをしてはいけないのでしょうから)

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上 「波乗り兎」守屋多々志、 下 「山潤雨趣」奥田元宋 

作品の数は多くなく40分ほどで観終わり12時少し前でしたが、カフェでお食事

冷たい梅そうめんにしました。

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展覧会のチラシにあるように 美術館で納涼してさわやかで満ち足りた気分でしたので、上野に行くのはやめようかと思ったのですが、まだ12:20 。それで矢張り上野まで行きました。

上野駅で改札を出る前にかけられている地図でタクシー乗り場を確認、公園口でをわたって 中には入らず、道沿いにしばらく進むとタクシー乗り場があり、すぐ乗れました。これまで東博まで歩かずタクシーなんて贅沢はしたことがありませんがこの暑さ、やはり老いた身はいたわった方がいいのです。

タクシー代 なんと410円でした!最近、近距離だと安い料金設定があると聞きましたが、実際に遭遇したのは初めてです。 

数日前の調べではチケットを買うにも入場するにも待ち時間なし、とあったのですが、この日は暑い中、5分くらい行列に並びました。

チケットを買って最近平成館にいってないせいか、多くの人が左奥へ向かうのにおかしいと思いつつそのまま、まっすぐ目の前の建物へ。 ロッカーに日傘などをいれて、さて会場は? インフォで聞くと、「ここは本館ですけれど中からもいけますよ」ヤレヤレ、あちこち曲がって やっと着きました。

縄文展  http://jomon-kodo.jp/

図録 表紙

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こちらはかなりの混みよう、お盆休みのせいか家族連れ、若いカップルも多いです。こちらの方がポピュラーで子供のお勉強にもなりますから、混んで当たり前でしょう。三重くらいの人垣、頑張ってみて回りました。古代のものって、すぐエジプトとか中国などを思い浮かべるのですが、日本で一万年も前から土器が作られていたのですね。驚きです。また嬉しくもありました。

確か昔は 縄文時代というのは土器に縄目で模様をつけた、としかおそわらなかったような気がするのです。私が火焔型土器の存在を知ったのもわりに最近です。

紀元前11000~7000年の頃の作とされている、壺の形の美しいこと。アンフォラのように下部とがっていて横方向にの筋目が丹念に入れられています。

殆どは素焼き(というのでしょうか、色のついていないもの)でしたが、中には漆がけされて簡単な模様がつけられているものもありました。漆の歴史も古いのです。 

デコラティブな火焔型土器や、土偶が多くつくられているのは 紀元前3000~1000年

火焔型土器、王冠型土器が12個ほど一か所に展示されているところは圧巻でした。

縁に装飾のある土器は その飾りの形によって、色々名前が違っていますが、同じ形がまとまって出てくることから、その土地土地で固有の意匠があり、そういうなかでも他の場所で 発見されたものと同じものがでてくるので、何らかの形で交流(交易、あるいは人の移動など)があったことも推測されるようです。

狩猟,採集生活を していた時代ですから、家に残っている女性が土器の作り手ではなかったかの推測も成り立つそうです。

遥か古代の人の生活ってどんなだったのか興味がわいてきました。 

土偶 これはまた表情があるせいか、怖かったり、面白かったり、 かわいかったり、、、、楽しめました。

みみずく土偶(上記ホームページから拝借)

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縄文のヴィーナス とよばれる作品、腰回りがふっくら、というか巨大なのはマルタ島でも似たようなものを見ました。豊穣を願う気持ちは洋の東西を問わない、ということでしょうか。(上記ホームページから)

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おもしろくて2時間余りしっかり見て回り、といっても最後の方は疲れて少し端折りましたが、 充実した時間が過ごせました。

ところで帰りも矢張りタクシー利用。門の前には客待ちのタクシーがいました。上野駅、と言って乗ったのですが、来る時とは道が違います。聞くと文化会館前のあの通りは一方通行なのだそうです。かなり大回りして反対側の駅入口に着きました。大回りしたせいか帰りは820円でした。

湘南電車は東京からではなく上野からも乗れるのです。横浜まで31分で着きました。

近頃 体力の衰えを痛感していたのですが、バス、タクシーを利用したとはいえ美術館のハシゴができて、体力テスト合格!と勝手に思うことにしました。(帰りにデパートもぶらついたので 1万歩超えました)

2016年7月29日 (金)

メアリー・カサット展 ランチはキハチで

26日は 横浜美術館へ 「メアリー・カサット展」を観に行きました。

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「印象派だから好きでしょ?」と主人を誘いました。(いつも一人だけで楽しむのは悪いと思って、声はかけているのです) 
主人は 「どうせ、ランチのためだろう?」といいながらも一緒に行ってくれました。

メアリー・カサット展  http://cassatt2016.jp/

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メアリー・カサット(1844~1924) はアメリカ生まれで、絵の勉強のため21歳のとき渡仏、普仏戦争のとき一時帰国したものの、その後またヨーロッパにわたり、イタリア、スペイン、に住みオランダにも旅して、パルミジャニーノ、コレッジョ、ベラスケス、ムリーリョ、ティツイアーノ、レンブラントなどの絵を研究したうえで、1874年パリにアトリエを構えて制作を始めました。

そのせいか、会場に入って最初に出会う絵はバルコニーに男女がいる絵だが、「えっ、印象派のはずなのに」 と思うような絵でした。画風の変化、それと、イタリアですでに銅版画を学んでいたのですが、 日本の浮世絵を知ってそれに色を付けた作品も多く展示され、生涯、絵画の道を探求し続けたのだな、と思いました。 

カサットの絵で一番気に入ったのは

「浜辺で遊ぶ子どもたち」 1884年

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先日 「ベルト・モリゾ」を扱った映画を観ておいたのは、やはり時代背景を知るのによかったと思いました。 
当時、パリのエコール・デ・ボーザールは女子学生の入学を許可していませんでした。そこで ルーブル美術館で 模写をして勉強ということをしたのですが。 映画にもその場面が出ていました。 
またモリゾはどこへ行くのも 姉と一緒、当時 女性が一人ででかけりことは許されなかったのです。そういうまだ女性の社会進出が考えられなかった時代だったことも映画を思い出しつつ実感しながらみました。

アメリカでは特に女性の進出が阻まれていたのですが、パリでもそういう雰囲気はあったものモリゾたちの属する印象派は女性画家も隔てなくうけいれられていて、カサットはモリゾとも親しくなります。

ベルト・モリゾの絵も三点、そのうち、「縫物をする女性」 1897年頃
印象派らしい、気持ちのいい絵だと思いました。

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モリゾがマネの家で出会ったエヴァ・ゴンザレスの絵も一点展示されていて興味深かったです。

ドガとは、1875年に ウインドーに飾られていたパステル画をみて「その絵が私の人生を変えてしまいました」と後年書いたように、ドガを尊敬、お互いに刺激し合う仲で恋愛関係もあったといわれるほどですが、これは確証がないそうです。

ドガのような 踊り子の絵も何点かありました。

銅版画も多かったのですが、 とくに目を引いたのは彩色されたもの。 日本の歌麿など浮世絵の影響からだそうですが、浮世絵を教えたのもドガだそうです。

多色刷り銅版画 「沐浴する女性」 1890-91年

家に帰ると夕刊(朝日)に丁度この作品がとりあげられていました。
背中の輪郭を一本の線で描き、女性の肌の柔らかさとボリューム感を表現した。その描線は ドガも嫉妬したほど とありました。

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私はカミーユ・ピサロの絵が一番気に入りました。
「花咲くプラムの木」 1889年頃

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ショップで絵葉書だけ、と思ったのですが、カミーユ・ピサロはなかったので、図録も買いました。カサットについて 絵のことだけでなく、女性の社会進出のパオオニアとしてジェンダー論などでも取り上げられる存在であることなどもわかって買ってよかった、でした。

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美術館を出るときに名前をよばれて振り返るとなんと旅とものKさん。四月に泉屋博古館にご一緒して以来です。少し立ち話をして、これから鑑賞なさるという彼女と別れてランチ。

美術館からランドマークに戻るときいつも気になっていた キハチ にこの日はいってみようと考えていたのです。

1時に予約をしていたので、待っている方もいらしたのですが、すぐ入れました。

まずワインは シチリアの白で、 すっきり辛口、するする飲めてしまいました。

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オリーブオイルとフォッカチャが運ばれてきます。 

このお店 お料理が運ばれてくるまで、お皿とお皿の間がかなり長いのです。 
話すことのない老夫婦にはちょっと退屈な時間をすごすことになりました。満席のせいでしょうか。
主人が「この店、男性客、何人いると思う?」見回すとみごと女性ばかり、男性は主人一人でした!ランチタイムってこういうことがあるのですよね。

前菜
本日の前菜3種盛り合わせ

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パスタ
万願寺唐辛子とサッと炙ったイサキのペペロンチーノ カラスミ掛け
 麺が固ゆで、伊佐木もおいしくて満足

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主菜 ~主菜2種盛り合わせ~
・夏の定番!横須賀魚市場より届いたスズキのさっぱり梅山葵焼き
・牛リブロースの網焼き カフェ・ド・パリバターソース

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お魚はおいしかったです。添えられてあるまこもだけ(写真で斜めに細長く出ているもの)、エリンギに似た食感で 少しシコシコ、ほんのり甘味があって。
私にとって問題はお肉、カレー風味だったのです。
私jはカレーライスは好きですが、カレー粉を振りかけて炒めたような味、特に匂いがダメなのです。お肉はおいしければ塩コショウだけでいいのに、、。(申し訳ないけれど、私的にはここで大幅減点、もっとも主人はおいしいと言っておりましたが)

デザート
シェフ特製デザート5種盛り合わせ

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コーヒーまたは紅茶 
私は紅茶にしましたが、少しハーブティっぽくて(何かの香りがした)おいしかったです。

雨の予報でしたが、ここを出てランドマークに行くほんの少しの間雨に降られただけでした。
少し蒸しましたが、暑くはなくてお出かけにはまずまずの日でした。 

2015年8月18日 (火)

サントリー美術館へ

昨日(17日) 旅で知り合った友人たちと サントリー美術館にいってきました。

新聞の広告で青く輝くお茶椀の写真を見て、是非実物を観たいとおもったからです。

台風の余波か大雨のところがあったらしく電車が徐行運転、おまけにミッドタウン内で迷ってしまって 10時待ち合わせに数分遅刻してしまいましたが、幸い混んではいませんでした。

藤田美術館の至宝 「国宝 曜変天目茶碗と日本の美』 展覧会

http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2015_4/

http://www.fujita-museum.or.jp/  藤田美術館のサイト。ここでも所蔵作品が一部見られます。

展覧会チラシ

この素晴らしい青の色をみて 観にいくことをきめたのです。

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チラシ裏

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私は 陶器、磁器は好きですが、日本美術は大体において苦手です。この下の細長い書と絵にしても、どうしてこれが国宝なのかさっぱりわからないのです。

せっかく行っても猫に小判状態になるだろうとは思いましたが、仏像など高さ50センチにも満たないものが五体(興福寺千体仏)、それにこの右上の地蔵菩薩立像(快慶作)も58・2㎝、 大きな仏像から受けるような圧迫感がなく、素直に鑑賞することができました。

ところで 藤田美術館の藤田傳三郎氏とは、
1841年、長州、萩の造り酒屋に生まれる。
明治二年に長州の陸運局が廃止され、不要となった武器の払下げが行われた折り、一手にひきうけて大阪に運び売却、これによって資金を得て事業をはじめました。
藤田組、という名前をきいたことがありますが、建設業だけでなく 鉱山(小坂鉱山)や鉄道、汽船会社、岡山県の児島湾干拓など、色々な事業して、近代国家の礎を築くのに貢献したそうです。
明治ってこういう人物を出しうる時代だったのかもしれませんが、それにしても 一人の人間がよくぞ、と言う感じがします。まあそういうわけで大金持ちでいらしたのでしょう。

図録の解説から
価値観が大きく変動し、社会の仕組みも変わった明治維新後は、美術品を含む伝統文化が危機を迎えた時代でした。仏教寺院が打撃を受けた廃仏毀釈運動や、大名や公家の庇護を失った茶道や華道、能楽などいずれもが苦しい状況を乗り切らなければなりませんでした。そういう状況をみてもともと好きだった美術品収集にのりだした、というわけです。 

仏像の次には 書がありました。 こういうことを言うのはぼけているみたいですが、昔の人って 字が上手!!
大般若経 朝野魚養書写(伝承)のものや同じく 奈良時代の紫紙金字華厳教 など、書も素晴らしいのですが、奈良時代の紙が傷んだりしないで 残っているということも驚異に思えました。紫紙など、分厚くて見かけは なめし皮みたいでした。

そのほかの絵や書には あまり関心をもちえなかったのですが、寒山拾得図は 昔教科書に出ていたもので、少しなつかしかったです。
お友達二人は熱心に書や絵をごらんになっていましたが、私はしばらくベンチで足を休めて待ちました。

三階には 茶道具があります。 ここでいよいよ曜変天目茶碗にお目にかかれます。 

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これは買ってきた クリアファイル
お茶椀としては小ぶりです。 暗い中に弱い照明を受けて浮かび上がり、瑠璃の色がきれいでした。お茶のお茶椀です。 両手に受けて回したりしながら とっくり眺めたかったです。

中国、南宋時代(12,3世紀のもの)口径12.3センチ

曜変というのは 窯変と混同されやすいが、窯変の方が大きな概念、窯変は焼成中に様々な諸条件が絡み合って釉色の変化が現れたものをさしている。中国では 曜変という言葉は見られず、日本で星のような光彩がある窯変に対して、光輝くという意味のある「曜」をあてて、曜変という言葉に変化していったものと思われる。 (図録解説から)

 図録の表紙 

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よく見えませんが 表紙の黒地は表面が平でなく丸い粒々が浅くういています。陶器の表面をイメージしているのでしょうか。

そのほかのお茶椀、花入れなどすてきなものがいくつもありました。こういうものは手元に欲しいです!!

図録から少しだけ (本当は のせてはいけないのでしょうけれど)

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左、絵高麗徳利形花入れ(16から7世紀)  右 雲鶴青磁下蕪花生(17~18世紀)


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面影 と名づけられています。金継もいい。

そのほか能面、能衣装もありました。 能衣装は 絽に縫い取りしたものが二枚、 
また 段熨斗目松桜蔦(下写真)これも豪華 この地模様は卍継というそうです。

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二時間半ほどゆっくりみて、ショップへ、 図録やクリヤファイルを買って、 さてランチ。

 このお友達とのランチはいつもおしゃれなお店にいくのですが、ミッドタウンにはお店がたくさんあるので、適当なところを行きあたりばったりで、ということで予約はしてありません。

カジュアルなイタリアンのお店に入りました。

KNOCK CUCINA BUONA ITALIANA
まあ店員さんが大声で 注文を通す声がうるさくて おしゃべりするのも大変。 それでも負けじと大声で おしゃべりしながらお食事。

本日のおすすめの 鱈のニョッキ、ローズマリー風味にしました。 パン、サラダ、コーヒーがセット。ワインは 二人で カラフでたのみました。(一人の方はお飲みにならない)

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サラダ、 なんだか豪快です。 パン、ちゃんと温めてあって美味しい。

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珈琲はおかわりもできました。お勘定の段になってビックリ、ランチセット1000円だったのです。(ワインは 1400円なので一人700円) 横浜でも最近はお昼1500円はしますから、感動、おいしかったのですよ。

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時折外では 雨が激しく降っています。 ブランドショップひやかしたり、小物のお店でちょっとした買い物をしたり、そうして疲れたので座ってアイス、ところがこのアイスがなんと130円、こんな近代的なおしゃれなビルの中なのに、意外に庶民的なお値段設定に嬉しくなりました。 
5時すぎまで しっかりおしゃべりをしてまたの日を約束して家路をいそぎました。

 

2015年5月18日 (月)

ワシントン・ナショナル・ギャラリー展

昨日(17日)は歌会の日でした。せっかく近くまで行くのだからと、帰りに三菱一号館美術館によりました。 http://mimt.jp/

実を言うと開館して何年かたつのに(2010年正式開館)、この美術館にはこれまで行ったことがありません。あの中庭に面したレストランには行ったことがあるのですが。

東京駅丸の内南口を出て kitte ビルに沿って進み 横断歩道を渡って左に進むと

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この道を入っていくと小さな緑の広場

薔薇が満開です。

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この階段を上がると美術館入口

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入館は16時40分でした。今やっているのは 

 
ワシントン・ナショナル・ギャラリー展~アメリカ合衆国が誇る印象派コレクションから

http://mimt.jp/nga/

印象派というのは、これまで あまり関心がなかったのですが、最近、風景画がいいな、と思うようになって見ておこうと決めたのです。

この建物は旧三菱一号館の レプリカ再建だそうです。暖炉が各部屋にあるのですが、新しくて 逆にそれがガラスの自動ドアにはマッチしているのかな、 という感じがしなくはなかったです。(美術館という温度、湿度の調整が大事な建物は古いものそのままよりいいのでしょうね)。

まず 風景画。 矢張り 印象派の風景画はいいです。気持ちがやすらぎます。 風景画に限らず、サイズの小さい作品が殆どで、それもあってか親しみやすい、抵抗なく入ってくる絵でした。

モネの《アルジャントゥイユ》 、シスレー の《牧草地》 どれも白にちかいような水色の空に柔らかな白い雲が浮かんで川沿いの道や緑の草原、とtも気持ちのいい風景です。

カミーユ・ピサロ 《ルーヴシェンヌの花咲く果樹園》 Camille Pissarro [ Orchard in Bloom Louveciennes ] (webのアートギャラリーから)

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空の色はもうすこし薄い水色でした。

スーラの点描もきれい。

ウジェーヌ・ブーダンの《ブルターニュの海岸》も気に入りました。 

オンフルールにブーダンの美術館がありますが、私は丘の上の教会を見に行ったので入りませんでした。オンフルールに行ったのは15年も前のことで どういう絵を描く人か知らなかったのです。

ブルターニュの風景としては 、
ルドンの《ブルターニュの村》 Odilon Redon [Breton Village]  に心ひかれました。(図録から)

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今日見た中で 一番、といっていいほど好き。 影になった家の壁はもうすこし暗かったように思います。ま昼の静かな寂しさがただよっていて、ずっと眺めていたくなる絵でした。Redonはもう一枚ブルターニュの海沿いの村 もありました。これは少し暗い海辺です。

私は Bretagneというと 以前 埼玉県立美術館で観た 相原求一朗 という画家の作品を思い出します。(壁画修復師 高橋久雄氏とのに二人展。 高橋久雄の絵を観たくてはるばる出かけたのですが、相原求一朗のほうに夢中になりました)
ブルターニュにいらしたとき丁度お天気が悪かったとかで 真っ暗といっていいような絵でしたが、とても惹かれたことを覚えています。それに比べると、この明るさには驚かされます。
私はブルターニュにはまだ行ったことがないのです。 是非とも行きたい、いよいよいきたくなりますが、一体いつのなるのでしょうか。

途中で中庭沿いの廊下を行きます。

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右上に見えるのが多分 グリルうかい。このレストランには、先日の旅ともさんたちと一緒に行ったことがあります。誰かと一緒ならあそこでお食事したいなあ、なんて思いながら(ともかくお昼抜きなのです。おなかがすいてきました) さらに進みます。途中、館蔵の 古伊万里や鍋島の展示がありました。 
絵を全て載せるわけにはいかないですからもう載せませんがゴッホもゴーギャンもセザンヌもロートレックもありました。 
これまで知らなかったけれどちょっと気になった画家の作品を一枚だけ

エドゥアール・ヴュイヤール Eouard Vuillard という画家で Bonnardと仲が良かったそうで 二人の作品を集めた部屋にありました。

《会話》 Conversation

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Bonnardはお花の絵もきれいでしたが、私は《画家のアトリエ》という窓のある絵が気に入りました。

二階の通路から見下ろした中庭

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開館時間は18時まで。ショップに寄って図録を買うだけの時間はありました。
おなかをすかせて家路をいそぎました。


上の展覧会の公式ホームページから 出展リストをみることができます。

http://www.nga.gov/content/ngaweb/Collection.html

このナショナルギャラリーのコレクションリストのページからアーティスト名をいれることによって作品をみることができます。
でも今回の作品数はそう多くないので、東京駅まで出られ、少し時間があれば実物をご覧になられるといいと思いますよ。 会期は24日までです。 

ワシントン・ナショナル・ギャラリーは アンドリュー・W・メロンが創設したそうです。メロン銀行というのをきいたことがありますが、その銀行家です。ロックフェラー、モルガン・スタンレーに次ぐ大富豪だそうです。
今回の展覧会はその娘のエイルサ・メロンによるコレクションが中心だということで、自宅に飾ることを目的に集めたものも多く、そのせいか親しみやすい小品が多いのです。

アメリカにはとてつもない大金持ちがいるのですね。 エイルサの父親は絵について、公的な絵と私的な絵を区別をする、鑑賞の楽しみを独占してはいけない絵画もある、とういう考え方をもっていました。これが持てるものの義務、責任なのでしょう。
私的なものも没後は美術館に託されて我々は観ることができるわけです。大金持ちがいてくれるのも有難いことだと思いました。

2015年5月 9日 (土)

映画 「パプーシャの黒い瞳」と大英博物館展

昨日(8日)はお出かけ日。 まず 岩波ホール、そのあと上野の都美術館に行きました。

「パプーシャの黒い瞳」は、映画好きの友人が電話で行くつもりだとおっしゃっていて、ジプシー? どんな映画かしら(海外に旅行すると、現地ガイドにジプシーに気をつけて!とよく言われますから、あまりいい印象がないのです)と思っていたところ新聞に評が出ていて、とても良さそうなので行くことを決めたのです。
都美術館は大英博物館展、またか、というかんじですが、ウルのスタンダード とか見たことがないのもきているようです。

岩波ホールの 「パプーシャの黒い瞳」は、11時開始、私としてはかなり早起きをしました。

映画館に着いたのは10時半過ぎ、10時半からチケット発売で (最近整理番号がつくようになったので、階段で行列をつくる必要がなくなりました) この時点で43番。 あまり混んではいないようです。 45分開場ですから ほどなく入ることができ、席は自由に選べて、良い場所を確保。35パーセントくらいの入りでしょうか。

パプーシャの黒い瞳

公式ホームページ http://www.moviola.jp/papusza/

チラシ

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ストーリーは 1910年(08年という説もある)に現在のポーランドのジプシーの集団の中で生まれた、文字に興味を持ったパプーシャの生涯です。
ジプシー(本当は ロマ というべきなのでしょうが、この映画ではジプシーとすると断りがありますので、このブログもジプシーにします、蔑視されていた状況を表すのにふさわしいと考えられているからのようです)は文字を持たない流浪の民で 文字は悪魔の呪文なのです。

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パプーシャは15歳でいやいやながら結婚させられます。美しい彼女に年の離れた父(義父らしい)の兄(ハープ弾き)にお金で買われてしまったのです。

この集団にフィツォフスキという秘密警察に追われた青年がやってきます。彼は詩人で、あるときパプーシャの呟きがそのまま詩であることに驚きます。

二年後逮捕状が取り下げられて 青年はワルシャワに戻りますが、そこでパプーシャの詩を出版しました。 これは大評判になるのですが、彼は自分のジプシー研究の本も出版したために、パプーシャ夫婦は集団から爪はじきされることになるのです。
どうやら、ジプシーは 自分たちの内部のことを外に漏らさない、という掟があるらしいのです。(このところ私はよくわかりません、もしかしたら、詩人として成功した彼女への妬みもあったのかもしれないと考えたりもします。それとこういうことの判断は 長老に絶対服従のようで、この集団の特性もかいまみせています) ジプシーという存在そのものが 社会の外の人々であることに加えて二重の疎外です。

私は 知らなかったのですが、ナチスの虐殺はジプシーに対してもなされたそうで、そういうシーンもありました。
悲しい物語で、白黒映画であることが詩情をかきたてているだけでなく哀しみも強く訴える効果があるように思えました。

映画は時がかなり前後して少しとまどうところもありました。

映像も 断章、という感じでしょうか。 途切れ、というか 間をあけているところがあります。

それにしても画面が美しい。

時に 川(湖?)沿いに行くシーンは 夢をみているようでした。

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音楽、ジプシー音楽もよかってですが、パプーシャの詩につけられた歌の美しいこと。

パプーシャの詩、これが 何度かでてきます。

いつだって飢えて いつだって貧しくて

 

旅する道は 悲しみに満ちている

 

とがった石ころが はだしの足を刺す

弾が飛び交い 耳元を銃声がかすめる

すべてのジプシーよ 私のもとにおいで

走っておいで 大きな焚き火が輝く森へ

すべてのものに 陽の光が降り注ぐ森へ

、、、

森の美しさ、森を父としている、歌が歌われるのですが、映画はその森の明るさ、温かさというものはあまり表現していないように思えました。火を焚く場面は出てくるのですが、モノクロームのせいか、美しいと感じても明るさや温かみを私は感じませんでした。 

例えば 少女期の森で遊ぶ楽しさや文字習得の歓びなどが、もうすこし描かれているとよかったのに、という気がしました。

パプーシャ役の女優さん、とても美しくて素敵なのですが、私の考えているジプシーの顔ではなかったように思います。もうすこし色黒で鋭い感じがするのです。この女優さんは柔らかいイメージでした。そこが見ていて救いでもあるし悲しさをきわだたせている要素かもしれません。

パプーシャの身に起こったことだけでなく 定住化政策により集団で移動するという生活スタイルを棄てさせられたジプシーの運命にもおもいがよせられ、観終わって救いのなさを感じてしまいました。白黒映画だからかもしれません。 
救いは最後に流れる美しい歌声でした。

映像はうつくしかったのですが寂しい(少しやりきれない気持ちにさせられた)映画でした。
でも、観てよかったと思う映画でした。

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白黒写真でしたので、カラーで我が家の今日の薔薇をのせます。

シャーロットを二枚。

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開くとこうなります。

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クイーン・オブ・スエーデン

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大英博物館展のことも続けて書く予定でしたが、
テレビのお時間
アジアハイウエーを行く(今日はイラン)がはじまりそうなので、明日にまわします。
http://www.nhk.or.jp/arataahw/

2015年2月10日 (火)

ホイッスラー展

招待券をいただきましたので、ホイッスラー展 を観てきました。主人も観たいというので、カルチャーの終わった後美術館で待ち合わせ。 
まずは ランチです。

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オードブルは 鯛?のカルパッチョ

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お野菜に隠れてみえませんが、お魚 けっこう沢山はいっていて、おいしかったです。

メイン、主人はお魚(上に牡蠣がのっていて ソースは ほうれん草)

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私は鴨のコンフィ

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私には多すぎ、途中で 主人とお皿を交換しました。 お魚の方がおいしかったです。

デザートも入りそうだったのでたのみました。

主人は 林檎のタルト

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私は クレーム・アングレーズ チーズケーキ、というので たのんでみましたら、 クリームチーズを泡立てたようなのが苺の上にのっていて、かるくて美味しかったです。

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軽めにとはいいながらフレンチですので、ワインもたのんでしまって、ちょっと立ち上がりたくない気分になってしまいましたが、がんばって会場へ

寒いけれどとても良いお天気

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美術館

http://www.jm-whistler.jp/

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ホイッスラーって実は しらなかったのです。 1834年~1903年

アメリカ生まれですが、 21歳の時 画家をめざして パリに渡ったそうです。そうして イギリス、フランスを行き来して、 ロンドンでは ラファエル前派の画家たちと交流したそうです。
それで、 あのチケットなどの白いドレスの女性の絵なのですね。

 白のシンフォニーⅢ  モデルは 6年間ホイッスラーの愛人だったジョー

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これは一枚の絵なのですが大きすぎて プリンターにのらないので 半分ずつです。

私は 倦怠感ただようこの絵がすきでしたが、主人は Ⅱ のほうが好みのようでした。

チラシ中側

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左が 白のシンフォニーⅡ  右は自画像
鏡に映った顔のやつれに軽いショック、この絵を描いたあとすぐ二人はわかれたそうです。当時は 日本趣味が流行っていたのですが、 これらの絵のように団扇、陶器がおかれている程度がいいです。 赤い着物をまとった絵などもありましたが、私には悪趣味としか思えませんでした。

帰りに買ったクリアファイルですが、トーマス・カーライルの肖像

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疲れたような表情が気になりました。 とても気に入った絵です。

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風景画にも好きなものがいくつもありました。 
写真がなくて残念なのですが、小さな水彩画でウェストゲート(青と茶色ーウェストゲート、ムーア) マージーの風景、農家のある風景  等の作品が、淡い色彩で少しさびしいのですが、とてもきれいで ほしいな、と思いました。

リトグラフ等もけっこう多かったです。細かいので展覧会でじっくり観るには少し大変、この時代を扱った小説の表紙とか挿絵に使うといいな、と思いながらざっとながめました。

肩のこらない、ゆったり楽しめる展覧会でした。 けっこう人は入っていました。

コレクション展、 主人がもう疲れた、と言うので一人で大急ぎで観ました。(こちらもいいので 体力は温存しておいたほうがいいです)

http://yokohama.art.museum/exhibition/index/20141206-367.html 

抽象画 戦後から現代
 強烈な色彩の大作が多く、楽しめました。

光と影ー都市との対話 

小林清親 という画家の絵が切り絵みたいで 幻想的ですてきでした。

また ルネ・マグリットや ダリ、 アンドレ・マッソンの絵などもありました。(横浜美術館ってこういうのも所蔵しているのですね)

ルネ・マグリット

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アンドレ・マッソン 「ナルキッソス」

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まだまだ寒いのですが、日ものびてきて気持ちのよい午後でした。
招待券をくださったおともだちに感謝です。

2014年7月25日 (金)

 弥生美術館 「村岡花子展」

暑さも本格的もうこれ以上暑くなることはあっても涼しくなることは、当分なさそうです。 今週はお決まりのおでかけが無い週ですので、気になっていた映画『大いなる沈黙へ』をみにいきました。前日に岩波hallに混雑状況を問い合わせました。「初回は殆ど前売り券を持った方で一杯になります。 午後1時前にくれば 3時からの回のチケット購入は可能です。 3時の回は 2時20分くらいに戻っていればいいです」。
そこで 立てた計画は、以前から一度行ってみたかった、弥生美術館行きを間に挟む、というもの。 朝 まず岩波に行って、3時の回のチケットを購入して、弥生美術館を見て、昼食もとって、神保町に戻る、というものです。

朝9時半過ぎに家を出て、(神保町の駅で 間違った階段をあがってしまったために、少し手間どって) 11時15分、到着。 すぐ、チケットは買えました(勿論、11時30分の回のチケットは売り切れ、の 札がたっていました)。

弥生美術館へは地下鉄千代田線がよさそうと、地図検索から判断。 新御茶ノ水駅に向かいました。 JRの御茶ノ水より、少し遠くて、初めての場所なので地図を印刷していったのに、途中で迷い、もう汗だく。甲賀坂というところを下っていき、なんとか電車に乗って根津駅下車。

地上に出て、言問い通り は、ここね、と見るとなんと上り坂、 ウウーッ と思いつつ歩いていき、何とか12時5分前に到着。

http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/

まずチケットを購入、日傘もあずけて、横の 港や というカフェへ。

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野菜カレー(コーヒー付)(便乗値上げも多い中 880円、よく頑張っています)

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チキンカレーに焼いたズッキーニとかぼちゃをトッピング。 しっかり辛くて「ああ、夏はカレーだ」 かぼちゃの甘みも良かったです。 次の映画が 長時間なのに、午後、という眠くなる時間なので、しっかりカフェインを入れておく必要があります。珈琲も飲んで おなかが一杯になったところで、 美術館へ。 

村岡花子「と赤毛のアン」の世界 展

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目下の朝ドラは 「花子とアン」ではなく「白蓮と花子」 と改題した方がよさそうな展開ですけれど。村岡花子という人、白蓮の紹介もあり、佐々木信綱の指導もうけたことがあるそうで、短歌仲間でもその点で話題になっていたのです。

お歌、若いのに死を目前にしたようなものがあり、ちょっと驚きました。

一階が 村岡花子の生涯、とでもいうのでしょうか。年代順に写真なども展示され、英和女学校の写真などもありました。た。英二さんこと 村岡敬三との間で交わされた熱烈恋文なども。

見ていくうちに、あらっと思ったのは、子どもたちに昔買い与えた、そして一緒に読んだ絵本が沢山あったこと。 もしかしたら、その当時は 村岡花子訳だわ、と気がついていたのかもしれませんが、今はすっかり忘れて、赤毛のアンシリーズしか思い浮かびませんでしたので、 懐かしく絵本を眺めました。それに雑誌 少女の友 もありました。

 赤毛のアン、シリーズ、 私は 中二の時に初めて知りました。 すでに新潮文庫から何冊か出ていて、それらを次々に読みあとは 文庫が出版されるのを待って本屋に走って行ったのです。今は文庫にもカヴァーがかかる時代(昔は 硫酸紙のベラベラだけでしたのに)その原画が 二階に展示されていました。

白蓮関係のものも展示されていました。 白蓮さん 好んで夢二デザインの封筒をつかっていたようです。 歌集の『踏絵』の装丁も 夢二。そういえばここは 夢二美術館が隣にあって、 二階で繋がっていて、同じチケットで入場できます。(私はいきませんでしたけれど)白蓮さん毛筆は すてきだけれど、ペン字はあまり上手ではないのでは?なんて思いながら 見てまわりました

三階は 高畠華宵 

そもそも弥生美術館に行思い続けていたのは 華宵がお目当てだったのです。(弥生美術館の創設者は 華宵がお好きで それが高じて美術館まで 開くことになったのだそうです)

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(あとでショップで買った 華宵画 の絵葉書)

 昭和20年代後半、 まだこどものための本が 少ない頃(地方住まいでした) 当時父は 毎月 東京出張があり、その折 二冊ずつお土産に買ってきてくれていたのが 講談社の世界名作童話全集(今 ネット検索してみたら、古本で売られていました!!懐かしい!!)そのカヴァー表紙や挿絵を描いた画家に 華宵や 蕗谷紅二 がいたのです。 華宵の絵でおぼえているのは 『ベルとまもの』(美女と野獣)でした。 『おやゆびひめ』が蕗谷紅二、こういう絵が描きたいと真似して描いたこともあるほど夢中でした。内容は 名作童話を子供向けに書き直したもので、岩波の少年文庫をしったのは、この直ぐ後でした)

同じ思いの方もいらっしゃるのでしょう。 私と同年配?、もう少し上と思われる方が 杖をつきつき 苦労して 三階まで あがってこられていました。

一階におりて 入口脇のショップで お買い物。絵葉書やら メモ帳やら。 もう一人の好き だった画家、藤田ミラノの絵葉書はみつかりませんでした。
下は左が 夢二、右が 中原淳一画の絵葉書

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ここで 2時少し前、岩波ホールにむかうことにしました。

内容が少し異なるので 項を改めます。