朝食レストラン入口のショップで自家製のクッキーやマドレーヌなどを売っていて、明日でもいいと思いつつ買ってしまったのですが、助かりました。今ならもうそういう時間はなかったでしょう。
鉄川与助は ド・ロ神父のところに見習いに行った。
ド・ロ神父が下さったカンナなどがここにのこっている。
前作は高さが出せなくて失敗、と考えここでは柱を二段に重ねる(継ぎ足す)ことによって高さを出している。
また 柱の下に石を置く(本来は床下)ことによっても高さをだした。
リブ・ヴォールトのリブ、
木でカーブをつくることは難しいので弧を描くように木を切って(くりぬいて)形作った。
長さが足りないと 継いだ。
(装飾の意図で、強度は関係ないのであろう)
信者数 900名
三廊式
色々書いてもイメージが浮かびにくいので、ネットから一枚拝借
後ろ側には 階上席(聖歌隊席) がありました。鉄川与助はどこでも聖歌隊席をもうけたそうです。(google map で青砂ヶ浦教会をクリックすると、横に写真が出てきます。教会内を360度回転して見渡すことが出来ます。)
教会から奈摩湾を見下ろす。
バス移動して
冷水(ひやみず)教会
冷水のキリシタンたちは五島崩れの際、迫害を受けて逃げて戻ってこず、迫害後、平戸や 下五島からやってきた人々が共同体を作ったところ。
冷たい水が出るところ、という意味。
磯臭くなく、潮風なのに、ベタベタしない。いかに水がきれいか、ということ。
教会は1907年に建てられたもので鉄川与助が独立して初めて建てた教会です。
道路から少し階段を上がります。
上が切れてしまいましたが 火の見やぐらスタイルの鐘楼
こぶりですが、信者は多く200人以上
上の方を拡大 ステンドグラスは取り替えています。
木造で内部は3廊式 天井は四分ヴィ―ルト 壁とも漆喰仕上げ。階上席もあります。
ネットから写真拝借
やはり 青砂ヶ浦にくらべて高さはありませんが、落ち着いていい感じです。角柱で二段重ねしていません。
入口から海が望めます。皆さん、ここに立って記念撮影。
バス移動して 昼食(11:40~12:40)
旅の宿 やがため の 万里波 で
http://www.yagatame.jp/inn/
お刺身(ヒラマサ、鯛) がおいしい。生ビール小400円。今回はビールを飲むことが多かったです。
バス移動
途中 比較的大きな町を通過しました。上五島病院の横を走っているとき、医者は長崎に住んでいるので、ドクターヘリが患者のところに飛ぶのではなく、医者の通勤用になっている、と話していました。 そういう状況ですから、医療のために島を離れる人もいるそうです。
跡次教会 (12:55~13:05)
1879年にきた8人の漁師たちが土地を買い取り1914年、初代教会をたてました。 現在の教会は1984年建立。
外側しか撮れないのに撮り忘れ、グーグル、ストリートビューから
この日 予定が変わったことから 頭ヶ島教会堂にいけませんでした。教会も残念ですが、、そこで見ることになっていたキリシタン墓地も気になります。他にもキリシタン墓地があれば教えてほしい、と添乗員さんに頼んでおきました。そうすると、ここにはある、というので坂の下に走ったのです。(それで教会の方の写真を忘れたらしい)
でも時間がなさそうなので、裏側からしか見ませんでした。
キリシタン墓地
写真ではカットしましたが、右のほうには 金文字入りの立派な(カソリックの)お墓がいくつもありました。
でも この隅の方に寄せられているのが、昔のキリシタン(といっても 江戸時代とかではなく 明治時代、カソリックに復帰する以前) のお墓ではないでしょうか。
おうどんに関しての野崎さんのお話。
台風による変更以前に 船会社の都合で 帰りの船に変更( ジェットフォイルがフェリーとなり時間がかかることに)があるので お詫び、 ということで お土産を頂きました。
五島うどん(あごだし付き) 塩羊羹、塩 これだけで島のお土産は十分と言えるほどきちんとしたセットです。
で、おうどんが話題に
打ち粉にする粉がないので椿油を使った。 手打ちではなく 手延べ
頂き方として 釜で茹でたものをそのまま、溶き卵にネギ、醤油をいれたものに絡めていただく
(これ、家に帰ってこころみました。醤油は濃縮めんつゆにかえましたがgoodでした)
(椿油を使っているせいか、煮崩れることはなく、ツルツルとのどごしがよかったです)
五島うどんは 日本三大うどんの一つ
遣唐使が伝えたらしい、稲庭も遣唐使が伝えたとか。いずれにしろ、うどんは大陸伝来のもの。
洋上石油備蓄基地を車窓から見ました。(13:09) バスのガラスの影響で青くなってしまいました。(今見ると 跡次教会からも見えています)
拡大 船に載せてあるそうです。
野崎さんは 「何かあると、ここは火の海になる、とうちのおばあさんは怖がっている。でも 200人の雇用があることを考えると、、、」 と話していました。
気持ちは分かります。このきれいな海に人工のものは置きたくないと思います。
でも五島には地震がない、とか。それで波の影響も受けない場所、として選ばれたのがここだそうですから、申し訳ないけれど、我慢してほしいです。
心の中では (それでは京浜工業地帯に住んでいる我々はどうなるの?)とも思っていました。
しばらく前の新聞記事では 陸上イージスの設置場所候補に五島が入っていました。
これは怖い気がします。ここに置かないでほしい、どころか買わないですませることを考えてほしいです。
(なお、イージスアショア設置場所に関しては15日現在、秋田市と山口県萩市で最終調整に入っている、との報がありました。五島は外れた模様、11/17記 )
中ノ浦教会 (13:30~13:50)
この地域には外海の黒崎村からわたってきた人達が住んでいました。
島の南側は 長崎に近いので大浦天主堂ができた知らせは早くに伝わり、隠れていた キリシタンたちは名乗りを上げました。そのため、ここでも五島崩れの犠牲者は多かったそうです。
教会は 1925年建立
鐘塔は1966年に増設されたものです。
晴れた日には手前の入り江に姿が映り、水鏡の教会、ともいわれているそうですが、
あいにくの曇り、水に映った姿は見られませんでしたが、美しい教会でした。
(↑写真、水に少しだけ白く映っている、と言えば言えるかしら)
↑Googleマップより、
野首教会だけでなく、頭ヶ島教会、旧鯛ノ浦教会、大曾教会など見応えがあると思われる諸教会がカットされてしまいましたが、これが見られだけで満足、と言えるほど、ここは内部も美しいものでした。
身廊は折り上げ天井 内陣はヴォールト天井
白壁に薄いピンクの天井、ここでも四弁の椿、ステンドグラスも美しい。
古色蒼然としたロマネスク教会ファンも、ここでは一時 宗旨替えです。
ノートに図をを描いたり言葉で書き留めたりしましたが、でもどうしても写真が欲しい。それで ここでも Googleマップからお借りしました。
後ろ側には階上席ももうけられています。
マップ上で教会をクリックすると左側に写真が出てきます。360度回転できる写真もあります。
折り上げ天井というのが気に入りました。
日本の教会独特ではないでしょうか。
舟底天井ともいうようですが、このネーミング、オン・フルールのセント・カタリーナ教会の天井をみているので、少し違和感。あちらは本当に小舟をひっくり返したような天井でしたから。
バス移動して船着き場に急ぎます。
心の中では欠航してマルゲリータホテルに戻りたい、と願いつつ。
ところが願いもむなしいどころか、またもやガーンです。
この間のカンパーナホテルには こういう事情ですから、全員が泊まることができません。7人はお隣のビジネスホテルになります!!。
そちらでもよいという方?なんと4人が挙手、あと一部屋(添乗員さんもそちらなので) くじ引きになりました。
ところで私たちはこの日バスは最後部。前からまわってくる籤は次々はずれ(つまりビジネスホテルではない)最後、籤は二本、先に妹がひいて大当たり!!。
14:08 頃 若松大橋を渡りました。
ほどなく若松港ターミナルに到着。 フェリーは欠航ではないそうです!!
14:55フェリー出発
島に囲まれたところをいくせいか、ゆれは殆どありません。
昨日見たハリノメンドなども見えました。奈留島によって福江港へ
16:20 福江港着
キャリーなどは ホテルの車に預け、 徒歩で まず 全員 かんぱーなほてるに向かいます。
そこから私たちはお隣の五島ターミナルホテルへ
お部屋 ベッドなのは助かります。でも狭い。 二つのベッドの間は50cmほど。
普通ビジネスホテルでも机と椅子はありますが、それもなし、
窓際のところにショルダーバッグなどはおきました。キャリーはベッドの上で拡げて出だすものを出したら、また立てておきます。
洗面所がユニットバスで非常に狭く洗面台が小さくて化粧品を置くカウンタ―がないので、 これもベッドにひろげておいて そこでお化粧をする、ということになりました。
湯沸かしポットなどもありますから、狭いのだけがまんすればいいだけなのですが、本当なら あのマルゲリータ だと思うと落差が大きすぎなのです。
フロントに男性が一人いるだけでしたが、感じのいい方だった(部屋番号をおぼえていて、 さっと鍵が出てくる)のでできるだけ不満を顔にださないようにしました。
夕食は外にいくそうで、朝食は私たちもカンパーナホテルで、ということでした。
18:30 コンカナ王国の レストランへ ホテルの シャトルバスで
太い梁がむきだしの木造りのレストランでいい感じでした。
五島唯一のワイナリーのあるところ、というのでグラスワインを頼みました。赤はなくて白、 味はさほど? でした。
ワイナリーがある、というので、洋食かと思いましたら、和食でした。
最初のテーブルの上、
横の蓋を開けると すき焼き(ミニサイズ)
お椀が運ばれ、このあたりで私はもうおなかが一日
先にご飯にしてもらいました。
こう色々あると 白米の方がいいのに、炊き込みご飯でした。
お魚、
茶碗蒸し
どちれもパスしました。
私は小食なので、ある限度に達するともう美味しいなどという感覚はなくなり、ひたすら苦しい、になってしまうのです。洋食だと 3コースないし4コース お皿の数がわかっていますから、それぞれのお皿を少し(場合によっては半分以上) 残すなどして全種類味わえますが、和食は見当がつかず後の方は全てパス状態になってしまうのです。
フルーツはいただきました。
帰りは3人づつタクシーに分乗しました。
タクシーの運転手さん、教会巡りのお客を乗せることがよくあるそうですが 「写真?私たちは入口でおろして待っているので、カメラのことは言いませんよ」
ネットでは写真をよく見ます。
「個人でタクシーでくれば写真は撮れたかもね」良識のない人間の独り言。
20:15頃ホテルに。
お風呂は各室についていますが、カンパーナホテルの大浴場を使うこともできます。
私は大浴場は行く気がなく、妹も夜中に外を歩くなんて、ということで結局妹はそのまま寝てしまい、私はシャワーをあびてやすみました。
夜中 建物がかなりギシギシいいました。台風が大分せまっているのでしょうか。
あとで聞いたのですが、このホテル来年建て替えだそうです。 倒れなくてよかった!
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