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函館・松前・江差旅行

2018年6月 4日 (月)

函館、松前、江差旅行 3日目―2 函館市内観光

5月3日 続き

五島軒でランチです。(12:10~12:55)函館の老舗レストランのようです。

建物の写真撮り忘れたので、紙のランチョンマットの写真から

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五島軒は明治12年創業、 
コメ相場に失敗して函館にやってきた埼玉県出身の若山惣太郎と、五島列島出身で長崎で 通辞をしていたが戊辰戦争に巻き込まれ、函館戦争で(幕府方)逃げ込んだハリスト正教会で10年間ロシア料理を学んだ五島英吉が始めた洋食やさんです。函館ならではの歴史。 

カレーだけかと思っていたら、色々出ました。

コーンスープ

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ランチプレート
エビフライ、 蟹クリームコロッケ、 ビーフシチュウ 温野菜

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イギリス風牛カレー

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バニラアイスクリーム   コーヒー、紅茶

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昔ながらのアイスクリーム入れ。お料理どれも普通においしかったです。ただ私のおなかはカレーライス分しかありません。せっかくですのでランチプレートも少しずついただきました。が、大量に残してしまいはずかしかったです。女性でも完食なさった方もいらしたので、このくらいの量は必要だったようです。

終って、お土産用レトルトカレーをお求めの方も多かったようです。(私たちは買いませんでした)。

元町散策(13:20~14:30)へ

バス移動して 旧函館区公会堂 へ (15分くらい中を見ました)

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遠望、 

ペリー提督来航記念碑

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ペリー提督は1854年 函館港開港のための視察に来航、函館湾の地図作成のほか、銀板写真術の初公開、吹奏楽の演奏などで 人々を驚かせたそうです。 

横の建物

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↑ 旧北海道庁函館支庁庁舎 瀟洒な建物です。

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↑旧開拓使函館市庁書籍庫

煉瓦に製造者の刻印がありました。

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少し階段を上って、愈々公会堂です。

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説明板から 解説

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内部 お土産ものやさんやレンタル衣装やさんもありました。 
髪もセットしてもらって、華やかドレスで館内を歩いているお嬢さんたち、かわいかったです。(大賑わいでした。 バスガイドさんもやってみたい、と言っていたそうです」)

大広間

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御座所

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晴れていれば いい眺めだったでしょうに。

ハリストス教会のほうへと歩きます。

はいってみたかったお店。

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八幡坂(函館西高校のすぐ下にのびる坂です。(commercialにつかわれたのでチャーミーグリーンの坂ともよばれる)

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聖ハリストス正教会(5分くらい)

http://orthodox-hakodate.jp/

1860年領事館付属聖堂建てられたのが始まり。 1862年に着任したニコライ神父(後の大司教)は函館を拠点として日本正教会を創設し、神田のニコライ堂なども建てました。

現在の聖堂は1916年に建設されたものです。

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時間を確認しないで中の椅子に座ってしまったため、皆さまをおまたせしてしまいました。教会建築に興味があるので写真を撮ってしまいあとで気が付いたらカメラ不可でした、、、、

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四角い堂内、かなり狭めでした。薄暗くて、日本のお寺にいるようでした。

すぐ前が 大三坂

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元町教会

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そばには 聖公会の 聖ヨハネ教会もありました。

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さらに少し歩いてロープウエイ乗り場のところの駐車場からバスに乗って、空港に向かいました。(14:00) 
途中大森浜のところで 土方・啄木浪漫館の横を通りました。

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多分右端に 啄木像

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雨であることと、大阪 東京二手にわかれるので搭乗手続きに手間どるかもしれないということで早めの空港入り、晴れていてもう少しゆっくり散策できれば、と少し残念。

函館ってのびやかで (小雨でも) 晴れやかな気持ちのいい町でした。 
横浜は目抜き通りに高いビルが建ち過ぎて、道がせせこましい感じがするのです。

函館は大火に見舞われたこともあり、道幅が広くとられています。
ゆったりと海に向かって傾斜している地形なので明るくひらけた感じで、心がのびやかになります。

14:30頃空港着

時間がたっぷりあるので、買い物三昧。 
といってもおなかに入るものが殆ど。 お菓子を何種類も、こちらでも買える ロイスのチョコレートまで。 
北海道らしい はちみつ が欲しかったのですが、あったのは1種類だけ。

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特徴的なお味ではなかったですが、この名前に満足、

帰りの飛行機で、ものすごく耳が痛くなりました。気流が乱れたせいで。 
5,6分どうなるかと思うほどの痛みでしたが、飛行機が水平になったときに 「プシューッ」 という音がして戻りました(といってもその日はずっとボワーンとしていましたが)翌日は治っていて一安心、初体験でしたので心配になって対処法などネットで調べて次に備えています。

歩数 1日目 13,131歩  2日目 10380歩  3日目 15036歩

休みなしに歩いた1日目はかなり疲れました。 あとの2日間は 間でバスに乗ったおかげで 全く疲れませんでした。

ホッとしたのは主人の顔がいつ見ても嬉しそうだったことです。 
ツアーの経験が殆どない主人にお仕着せはどうか?と気になったのですが、全く問題なし。次もこういう方が楽でいいよ、とのことでした。 

  (函館旅行記 完)

 

2018年6月 3日 (日)

函館、松前、江差旅行 3日目ー1 大沼公園、北斗市

3日目 5月3日 小雨

5:20 起床 雨でした。予報では2日から雨でしたので、まあ、1日だけで済んでよかった、と思うことにしました。

 6:30~ 朝食。 
朝食レストラン(昨晩のメイン・ダイニングではない大広間)まではお部屋から遠い! 
行くと長蛇の列。ほどなくはいれましたが、窓際の席に座りたいと思う都 かなり奥の方。
それでも場所を確保して、混雑する食品台(正式名称は知りません) から色々とります。

和食メニューのほうが豊富。北海道なのに、チーズ、ハム類の種類が少ないのにちょっとがっかりしました(あってもそれほど多くはいただけないのに) 

↓主人の朝食 2種類の塩辛がおいしかったそうです。おにぎりは私もいただきました。
その場で中身を指定してにぎってもらいました。私はシンプルに梅干し、おいしかったです。 

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この景色をながめながらのお食事は気持ちがよかったったです。 

7:15頃お部屋に戻って出発準備(2泊の旅行だと少しお土産分がふえたにしろラクです)

8:25 出発

8:35 大沼公園着 集合の 8:20まで フリータイム 中央下の P1にバスをとめて

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先ず 「千の風モニュメント」までは 案内していただきました。

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光の関係で横からしか撮れませんでした。

このお天気で 千の風 、寂しすぎの感じです。

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「千の風になって」は一時大流行しました。原詩はアメリカ人女性によって書かれたものですが、それを訳詞、作曲されたのは新井満氏。友人の奥様が47歳(49だったか?)の若さで 亡くなられたことを悼みこの歌を作られたのだそうです。
新井氏はこの近くに別荘をお持ちで大沼公園を好んで散策されたことからここに記念碑が建てられたとのことでした。

あいにく小雨で新緑はみられませんでしたが、かえって墨絵のように美しい景色を味わうことができました。

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晴れていればこの奥に駒ケ岳

是非とも再訪したい場所です。JR大沼公園駅もすぐ近くのようです。

9:23 出発 北斗市へ向かいます。 

法亀寺 9:42頃から5分ほど

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枝垂れ桜(樹齢およそ300年、高さ12m)で有名で、ここも満開。藤がさがっているみたいです。

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雨で足元には水たまり。桜を撮っただけです。晴れていれば感嘆の声を上げたとは思うのですが、このお天気で色がさえません。

そそくさとバスに乗って15分くらい走って

10:15~10:45 松前藩戸切陣屋跡
少しのぼったところにある広い公園でした。

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広い公園内 桜だけではありません。(お花の写真はかなり等倍台に近くしないときれいに出ません、どれもちょっと残念な画面です)

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雨の中広い公園を歩き、その奥にある陣屋跡へ

説明版

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グーグルマップより

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中はなにもなさそうでしたので、少し眺めただけ全体は歩いてみませんでした。

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雨がかなりふっていて靴に雨が浸み込みそうなくらいだったのです。

函館に戻ります。20分ほどバスに乗って

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途中、雪が積もらないよう信号機は縦 また横の黄色い矢印は雪がつもって歩道と車道の区別がつかなくなった時境いを示すため、などの説明がありました。

11:05~12:00 函館朝市

函館駅のそばです

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雲丹は絶対買うつもりでした、100g 4000円、高いです。いくらも100g(多分)3500円、高いですけれど、とても大粒で、普段こちらで買っているのとは全然違いました。

自宅に帰って ご飯にたっぷり載せて ウニ・イクラ丼、さすがおいしかったです。
雲丹がくずれているかと心配でしたが、大丈夫、形はしっかりしていて、口に入れると とろける柔らかさ、これまでいただいた中で最高でした。

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雲丹、ラップをはずして

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そのほか、松前漬け、塩辛など。 社長の塩辛、というのが、ガイドさんお薦めでした。 
丁度お昼ですから、有名ウニ丼店の前は長蛇の列でした。

雨でも休日ですから、人出とでもすごかったです。観光バスが何台も来ていました。 
私は方向音痴なので、主人がいなければ自分たちのバスはみつけられなかったかもしれません。

バス移動して昼食ですが、それは次回に。

 

2018年6月 1日 (金)

函館、松前、江差旅行 2日目―3 江差から大沼公園へ 

続きです

12時、 
バスに乗って出発、また海沿いを行きます。ずっと海側の席で申し訳ないみたいです。 
二人組の人は 前後ではなく通路をはさんで左右なら山側から海側に移りやすいのに。
このツアーは人数が多くて23名、そのうち一人参加は4人、三人組1組、母娘1組、それ以外は夫婦です。 これほど夫婦組が多いツアーは初めてです。

追分ソーランラインと名付けられた道を行きました。

12時33分頃の景色(今回の写真、バスの車窓からのものはどれも色が今一つです)

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13:03 江差がみえてきました。かすかに見える三本たっているものは開陽丸のマストです。
島は鷗島。

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13:05頃、 バスをおりました。

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横山家が昼食場所です。

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入口はこの先 かなり老朽化しています。 最近の情報によると、6月1日から休業だそうです。 3月にご主人が急死されたとのこと、建物の維持管理も大変だそうです。

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この前の通りが いにしえ街道です。

食事場所は広い土間にベンチの様な椅子。もと蔵だったところです。

建物はこの入り口からずっと奥に細長く伸びています。京都の町屋のように。 
昔は海までつながっていたそうです。奥に蔵が並んでいます。そこが現在は食事処や資料館になっているのです。

すぐおかれたのは お重、、ニシンそばだったはずなのに、

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これを頂いたら私はおそばは無理! でも待っているあいだに少しずついただきました。お味は普通。5分ほでお蕎麦が出てきました。

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ニシンは 少しあまいのですが、全体にあっさりでおいしかったです。
食事が終わると家の説明です。でも前の組がいるので少し待ちました。
どういうわけか 写真をとっていません。火事の時にしょった縄のような肩紐の付いた金庫など面白いものがあったのですが。

http://yokoyamake.jp/custom.html

ホームページをみつけました。写真が見られます。

当主の説明(急逝された方とどういう関係かは知りません)

(説明をノートになぐり書きしているのでハッキリしないところがあるのですが) ニシン漁は300年位前から盛んになり、江戸時代には40軒もの(北前船経営者?)がいた。しかし明治の末ニシンがとれなくなり(漁場が北へ、小樽、留萌へと移って行った)殆どの家が廃業した。 
横山家は米問屋になった。能登からやってきて現在で8代 250年の歴史がある。

ヒバを使い釘を使わないで作ってある。 土蔵は4っつ。一番蔵は家用、漆の戸がついていて 中はみせないそうです。
2番目からは 商品用でニシンはそのまま入れた。
3番蔵は 250(300?)年前に来た時に前からあったものをそのまま買ったもの、
海からはニシンがとれたが山からは ヒバ。

海からのトンネルのような出入口もありました。

間口の広さで税金がかけられたのでこのように細長いものになったそうです。

多分現在では歴史的意義を担うだけの存在になっているのでしょう。旧家の維持は大変なのだろうな、と思いました。  

北前船の説明、

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名前だけしか知らなかったので勉強になりました。 

このあと数分、バスに乗って開陽丸記念館へ (14:20~14:50))

http://www.kaiyou-maru.com/index.html

開陽丸、というのは幕末、オランダで建造された軍艦。1867年日本に回航されるときにはオランダに留学していた 榎本武揚らも乗っていたそうです。
徳川家臣救済のため 蝦夷共和国を夢みて榎本武揚らはこの船を奪い北上したのですが、江差沖で防風雨により 座礁、沈没してしまったのです(1868年)。今年は沈没150周年記念の年です。

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寒かったです。 ここまでくるともう観光客はあまりいません。ツアーは二組くらい出会ったかな。函館、松前のにぎやかさとは大違い。 
お天気ともあいまって、北のわびしさがひしひしとせまってきました。 

平成2年に実物大で復元された艦内に入りました。

大砲が実際に操作できるようになっていたり、船員のハンモックがあったり、お人形つきで それなりにおもしろかったです。(詳細は 上記ホームぺージで)

少しバス移動して追分会館へ ソーラン節 鑑賞です(14::55~16:05自由時間を含めて)

三曲ばかりきいて 歌、 尺八 太鼓

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自由時間、お隣の山車会館をみるもよし、 いにしえ街道を あるくもよいし、ということでした。 山車会館へ。

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時間をもてあましましたが、いにしえ街道へは少し坂を上らなければいけないのと、寒いので適当にブラブラして時間を過ごしました。
帰って、グーグルストリートビューで見ると、昔ながらの家や蔵があり、がんばっていくべきだった、と思っています。

16:05 大沼にむけてバス出発

しばらくして山の中に入りました。時には、渓流の横を走ったり、白樺林や小さな滝を眺めたり。 中山峠というところを越えましたが、両側にはかなり雪が残っていました。

1時間あまりかかって 大沼公園プリンスホテル到着

お部屋、 
このホテルの全面には 池があるのですが、残念ながら そちら側ではありませんでした。 
でも 窓外の白樺林が気持ちよかったです。

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ホテルは横に翼を広げたように細長くて レストランなどに行くのにかなり歩かなければいけません。

主人は 昨夜は大浴場が混んでいたので、今日は先に、と大浴場(温泉)に行きました。

今日のお部屋はバスタブ付きです。 私は食後に入ることにして簡単に着替えだけ済ませました。 
最近、海外旅行では夕食の際殆ど皆さんお着換えなしです。私は運動靴でディナーというのは好きではないので、大げさなお洋服はきませんが、ちょっとした着替えは持っていき、パンプスも持っていきます。

118:30~ 夕食

大テーブルではなく 二人で1テーブルでした。 

少し離れてはいますが、おしゃべりはできる程度でしたのでお隣のご夫妻とおしゃべりしながらお食事を楽しみました。

窓の外

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シェフお薦めディナーです

・生ウニとがごめの滴のカクテル

がごめ というのは このあたりでだけ採れる昆布  18060113
 
  ・パテ・ド・カンパーニュ マスタードソース 彩り野菜のピクルスを添えて

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これだけ、ナイフやフォークが並ぶなんて結婚式以来?です。

    ・海の幸とトマトコンソメジュレのサラダ仕立て

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    ・ジャガイモとポロ葱の冷製クリームスープ

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    ・アワビの香草焼き ブルギニオンソース

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    ・はこだて大沼黒牛のポワレ ソースベルシー 厚沢部産メークインポテトを添えて

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  ・北海道産小麦の全粒粉パンと北海道産チーズ
 
  ・リンゴのシブースト 2色のソース 七飯町産リンゴのチップスを添えて
 

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  ・コーヒー または 紅茶

分量少な目、私でも(パン以外)完食できました。そうしてとてもおいしかったのです。最近いただいたお食事のどこよりも!ただお皿をはこんでくる速度が速すぎ。私たちのおしゃべりがはずみすぎだったせいかもしれませんが、気が付くと次のお皿がもうテーブルにのっている状態だったのは、どうか?と思いました。

20:00過ぎ 大満足でお部屋に引き上げました。

手抜きでメニューをホテルのホームページをコピペしたのですが、続いての記述も字体がそのままになってしまいました。

2018年5月31日 (木)

函館、松前、江差旅行 2日目ー3  松前続き

藩屋敷をでて桜見本園の方に行きます。

松前には、250種、1万本の桜が植えられているそうです。種類が色々あるので、一か月にわたり桜の花が楽しめるというです。幸い晴れてきて、日の光の加減がちょうどいいのか、昨日の函館より、花の色がずっときれいでした。

花都 これはまだ満開ではないですね

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 南殿(なでん) てまりのように丸く固まって咲くのが特徴です。江戸時代に本州から持ち込まれた品種で、この後行く血脈桜を親木としています。早咲きなので、丁度満開でした。

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下がっていくと右手に墓地?
松前藩主松前家墓所

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家の形をしたお墓ははじめて見たような、、、。(トルコにはあった気がしますが)
松前の歴代藩主やその家族など55基のお墓。北前舩交易などによって北陸地方からもたらされた笏谷石や御影石が 使われているそうです。

この道の傍らに咲いていたお花

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紅豊

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なんだか さつまいもみたいな名前!松前生まれの桜

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見本園なので、色々な種類の木が植えられ、それぞれ名札がついていますが、桜は桜、

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龍雲院へ 函館戦争で消失を免れた唯一のお寺で 蝦夷霞桜の木が植えられています。

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入るとすぐ足元に 白花タンポポ。北海道のタンポポは黄色で 本州ではふつうにある白花も北海道では 松前だけらしいです。

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黄色いカタクリの花も咲いていました。

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蝦夷霞桜

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松前桜、三大銘木の一つだそうですが、ふつうの桜だと思いました。

ついで 光善寺

ここには 血脈桜 という矢張り三大名木の一つがあります。松前一の古木で南殿の親木です。三大名木のあと一本、夫婦桜は見なかったような、、、 (説明聞き逃しかもしれません)

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説明版

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角度を変えて

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お城へとおりていきます。

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雨宿り

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全体は写せませんでしたが、 梅の枝のように横に張る木です。(雨宿りができるほど大きく横に枝を張る、ということかららしいです)

松前城をバックに

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松前城 正式な名前は福山城。
1854年、日本で最後に造られた日本式の城で、内部は資料館になっています。
昭和24年に、本丸御門を残して消失しましたが、昭和35年の復元工事により、昔の姿を見せています。

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お城には入りましたが、この 松前屏風(1750年頃の松前を描いている)を眺めただくらいで すぐ出ました。

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松前藩は 水産資源、広大な北海道の森林資源のかげで、繁栄しました。
北前船のおかげで 京の文化も流れこんで文化的にも豊かだったそうです。
幕末、18代松前藩主は攘夷に反対の立場で、幕府再興に力をつくしたのですが、失脚。
榎本武揚率いる旧幕府軍にいた土方歳三に城を攻め落とされ、松前藩は事実上,終焉の時を迎えたのです。

天守閣にもあがれるようでしたが、あがらずすぐに外に出ました。もういい加減くたびれていたので、階段をあがらせられなくて、ホッとしました。

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↑ 本丸御門は もとからのもの

 この前の広場から海がみえました。

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そろそろ次に向かう時間です。出口にあった、これは きっと現在見られる桜を示しているのだと思います。

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お城の案内板、これをカメラにおさめて、花いっぱいの松前をあとにしました。

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江差は次回に

 

2018年5月30日 (水)

函館、松前、江差旅行 2日目ー2 松前へ

5月2日(水) 曇りのち晴れ

バスに乗り遅れるのではないか、と主人にハラハラさせてしまいましたが、十分間に合う時間に戻ってこられました。 
集合時刻より10分ほど前にロビーに下りると、早い方は既にバスに乗り込んでおられます。

この旅行は座席指定制、一人2席でおおまかに前、中、後ろと入れ替わります。二人参加は前日は通路を挟んで隣り合った席でしたが、今日と翌日は前後でした。

今日は海岸線沿いに走るので海の見える左側がいいな、と願っていましたら、ラッキー 左側でした。(青線は 新幹線、海沿いの黄色い線であらわされている道を行きました。途中、知内町から少し内陸に入りました)

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8:15発が全員そろったので 8:10には出発しました。

海さえ見ていれば幸せな私は山ほど写真を撮ってしまいましたが、同じような写真を載せても仕方がありませんので、観光?スポットだけ。

8:33 海洋桟橋 日本セメント(現在は太平洋セメント)
 「ハウルlの動く城」に似ているとか、工場夜景の綺麗なところとして 有名だそうです。
向こうに函館山、卧牛山ともよばれ、牛が寝ている格好をしているといわれています。

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8:39 矢不来(やふらい)のボーズ 軍の大砲の届く位置を測るため、とか潮位を測るため、などの説があるそうです。

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8:41 波を抑えるためでしょうか。 不思議 

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この山側には トラピスト(男子)修道院があるそうですが、見えませんでした。三木露風はここに4年間いて、その間に「野薔薇」 「夕焼け小焼け」 などを作詞したそうです。

木古内あたりは 和人とアイヌ人の戦いが多かったところ、

知内、とはアイヌ語で鳥が多い、という意味で、松前藩の鷹狩り場だったところ、 
北島三郎の実家があるそうです(見えました)。 さぶちゃん饅頭というのがあるそうです。

知内町から内陸入ります。 山もいいものです。
9:13

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新幹線展望塔でトイレストップ。 (9:15~30頃)

福島町の山の方に 大千軒岳があります。
北海道に 和人が住むようになったのは13世紀、15世紀には 砂金掘りや鷹狩りなどで、多く和人がすむようになり金を採る家が千軒あったところから、千軒町、といわれる町があるそうです(グーグルマップにはない)多くなると争いが絶えず、和人の横暴もめだつようになりました。
隠れキリシタンも多くわたってきたのですが、寛永16年(1639年)106名が松前藩により 処刑、千間岳だけで90名の首がはねられたそうです。追われ、追われてここまできて、、。胸がつまります。

和人は、にしん、さけ、昆布、毛皮の交易で財をなすようになり、横暴にもなっていったのだそうです。争いをおさめた蠣崎氏が松前氏となり、松前藩の基をきづいたのだそうです。

9:51 青函トンネル記念館 通過(ここは福島町 横綱千代の山、千代の富士の出身地です、横綱の里、という記念館もあるそうです)

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青函トンネルというと 推進のきっかけとなった 洞爺丸事故を思い出します。昭和29年、幼いころの事件というのは 衝撃が大きく、これと紫雲丸事故で船に対しては恐怖心を抱いています。
バスの中でも洞爺丸事件についてのお話がありました。1000人以上が 死亡または行方不明になりました。海難事故としては世界第二の惨事。(第一位は タイタニック号遭難)
波打ち際から100mも内陸に死体がうちあげられていたが、それほど凄い台風だったということだそうです。

またバスが海岸線を走るようになりると、まもなく 松前です。

10:08

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10:15頃? 松前 駐車場着(下地図P)
ツアーのいいところは 歩きやすさを考えたコースが組まれていることです。山の上の方から 徐々に下りてくるコースです。

現地ガイドさんの案内で回ります(松前町町会議員さんだそうです)
嬉しいことに晴れてきました。

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先ず地図左上 藩屋敷からです。

ようするにテーマパーク。

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ちゃっかりお土産物屋さんもはいっていて、私は松前杉のお店で木しゃもじをいくつか買いました。
松前、といえば 松前漬け、皆さんずいぶんお買いになっていらっしゃいました。 私たちは 翌日の朝市でかうことにしてここでは みるだけ。 この松前漬けやさんの前の広場の桜もみごとでした。

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白い枝垂れ

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そのあと 武家屋敷へ

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町村記念公園

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このあといよいよ桜見物ですが、写真が多くなりましたので次回に

 

2018年5月29日 (火)

函館、松前、江差旅行 2日目―1 立待岬

2日目 5月2日

このホテルは 朝食の美味しいホテル北海道№1だそうです。(全国2位)

開始の6時半に行ってみると、もう行列です。先に座席を取っておいてください、とホテルの人が交通整理、しかし思ったより早く5分くらいで食べ物のところに到着。

先ず 焼き物、 小食の私はパスです。 

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煮物につづいて、載せ放題で評判の海鮮丼カウンタ― 

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私の朝食、

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少し寂しいので、主人のを

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一度に二杯分作って持って行かれる方もいらっしゃいました。

このほか 洋食コーナーもあるのですが、私のおなかは容量が小さい、それにツアー出発前に出かけたいところがあるので 気もそぞろです。

函館、といえば 石川啄木です。啄木は明治40年5月から9月、正味4か月間、函館に住んでいました。 とても気にいったらしくて、死ぬときは函館で、と言っていたほどです。
亡くなったのは 東京ですが翌 1913年 一周忌、 宮崎郁雨 らにより、函館にお墓が建てられたのです。場所は立待岬。調べると、ホテルから車で10分くらいですので、昨夜 フロントにタクシーの手配をお願いしておきました。主人は遅れるのが心配で残って荷物をロビーに持って行って待っている、というので、一人で出かけました。

タクシーは7時の約束 ロビーにおりるとちゃんと運転手さんが待っていました。普通のタクシーではなく 観光タクシーを予約してくださっていたようです。 

乗ると左右の説明を あれこれしてくれました。

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文芸評論家の 亀井勝一郎氏も函館出身だそうです。

青柳町 啄木住居跡 この先をすこし行ったところだそうですが、今その家はありません。

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函館公園  桜の名所で みごとでした。向こうに函館山が見えます。

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ここには 歌碑があります。有名な

 函館の青柳町こそかなしけれ友の恋歌矢ぐるまの花 

が刻まれているそうです。

岬への最期の道は狭くて大型バスは無理かもしれません。 墓地が両側にありますが、海側墓地のきれる最後のところに 砂山影二 の歌碑。 

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啄木を慕っていた歌人ですが、大正10年、20歳の時に青函連絡船から身を投げて亡くなったそうです。

その隣に啄木の面倒を見た 宮崎郁雨(1885~1962年、啄木夫人の妹と結婚)一族の墓

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蹣跚と夜道をたどる淋しさよ 酒はひとりし飲むものならず

その隣、回り込むようにして数段上がると啄木一族の墓があります。将棋の駒のような形です。

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刻まれた歌(直筆)

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東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる  啄木

矢張り、啄木といえば、この歌になるのでしょうか。

実を言うと私は啄木があまり好きではありません。借金しまくって(宮崎郁雨からは現在のお金にして150万円も借りている)遊んで甘えた歌を詠んで、、、。

でもこのも細い字を見ると、そぞろ哀れをもよおしました。なんといっても弱冠26歳の病死は かわいそうです。

一人でくれば 此処で引き上げるところですが、運転手さんに裏も見るよう促されました。

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読みにくいですが、おれは死ぬ時は函館へ行って死ぬ  の文字が読めるはずなのですが、、。 郁雨の弟にあてた手紙だそうです。
函館での生活はきっと楽しかったのでしょう。

しばし、墓地から海を眺めました。

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この向かいのどこかが啄木の愛した大森浜、啄木小公園もあるのですが、Googleマップでは景観的にさほど、と思ったので、立待岬に来ました。翌日空港へ行くとき横を通りました。こちらの来て正解。

すこしだけ車に乗って与謝野寛・晶子の歌碑のたつ場所へ(右手の岩に嵌め込まれています)。

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今日はお天気はなんとか大丈夫でしたが、寒い!
それにここは吹き曝しですから 強風で寒さが身に沁みます。岩陰で風をよけて歌碑を見ました。

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寛  濱菊を郁雨が引きて根に添ふる立待岬の岩かげの土  寛

晶子  啄木の草稿岡田先生の顔も忘れじはこだてのこと  晶子

晶子の歌、うーん、です。

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立待岬 は 津軽海峡に面しています。晴れていれば下北半島が見えるそうです。

これでホテルに戻ります。運転手さんは気をきかせて来るときとは違った 山の上のほうを行くコースをとってくれました。

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はっきりしませんが 両側に海が見え、左にホテルも見えます。右が津軽海峡、左が函館湾

碧血碑 旧幕府軍の墓入口近くを通りました。

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町中にもどってきて、 亀井勝一郎生誕の地

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↓二階が洋風、一階が日本家屋の家。明治42年に建てられたもの。

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ホテルには 7:37頃着きました。道中の説明も丁寧にしてくださって、2150円、お安くてもうしわけないくらいでした。 8:15出発に余裕で間にあいます。

続きは 次回に

 

2018年5月27日 (日)

函館、松前、江差旅行 1日目―2

ホテル ラビスタベイ函館

お部屋

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出窓があり、少し海が見えます。 
コーヒーミルとコーヒー豆などが置かれています。 そうしてカップが ニッコー山水 です(あさが来る、で使われていた)嬉しい!

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コーヒーはあとにして、1時間ほど時間があるので外に出ました。

近くの 金森赤レンガ倉庫に行ってみました。倉庫の中に色々なお店が入っています。

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何か、布地を使った小物など買いたいとは思ったのですが、短時間では決められず 

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海を眺めてホテル戻りました。右の建物が宿泊ホテル。

バスで すし蔵 へ(18:00~)

先ず飲み物の注文、私たちは 田酒 にしました。
田酒は青森の銘酒で我が家の近くではあまり出回っていないので、主人も初めてだそうです。おいしかったです。

最初の一皿

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ところが 肝心の握りずしがなかなか出てきません。お酒は飲み終わっています。座も白けたころ(50分後!)やっと出てきました。 

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ネタが新鮮でとてもおいしかったのですが、待たされすぎ。
お寿司を食べ終わって、もうおしまいかしら?とおもう頃、お椀が。 

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アラでだしをとってあってお味はよかったのですが、タイミングが悪すぎです。

美味しいお寿司やさん、でも団体客用ではなさそうです。

まあでもおいしかったのはおいしかったし、おなかもいっぱいになって、
19:40またバスに乗り、函館山へ向かいました。道路がこんでいることが予想されましたが、 特に渋滞などはありませんでした。
イロハ坂でずいぶんぐるぐる回りながら登りました。

此処は夜景タイムはマイカー禁止だそうです。観光バスか観光タクシー、でなければロープウエイです。事情は、その時々で変わるかもしれませんので、個人でいらっしゃる方は必ず 確認なさってください。 

観光バスには30分ルールというのがあり、上の駐車場には30分しかとめられず、それより時間がかかるのなら一度、バスは一度下におりなければならないそうです。 
それでバスを降りてから30分で戻らなければいけないので、いそいで階段を上がりました。 (結局 景色がかわるわけではないので 浸る、というのでなく見るだけなら、30分で時間は十分なのです)

20:05~20:35 函館山からの夜景

凄い行列なので、展望台の行列かと思ったら、ロープウエイ待ち で下りの方が混むそうでこの時は 50分待ち、というアナウンスが聞こえました。

展望台も手すり近くは人がいっぱいでしたが、適当に動きがあるので(30分ルールのおかげか)しばらくすると前に陣取れました。

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北海道には学生時代に来たことがあります。函館山にも来るしたが、その時はこれほどの明かりではなかったような気がします。

さすが日本三大夜景の一つです。世界三大夜景の一つでもあるとか。混雑していても一見の価値はあります。

ここの夜景の素晴らしいところは 左右両側に海があることです。昼間の眺めもいいそうです。(今度は昼景も見に来てください、とガイドさんは 熱心に言っていました。あっ、このツアー、東京から添乗員、現地では三日間同行バスガイド、それに場所によっては現地の専門ガイドがつきました)。

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函館山は100万年くらい前に海から火山が噴出してできた山です。それが江の島のように 砂などで徐々につながってきた 陸繋島 なのです。
翌日乗ったタクシーの運転手さんの話では、私たちの泊まった ラビスタベイホテルもその砂州にあるため、建てるときは 45メートルも杭を打ちこんだということでした。

写真は展望台より 途中の階段の方がよく撮れました。ただし、立ち止まらないでください、の声がありますので、じっくりカメラをかまえられないのですが。

21:00ごろ ホテル帰着 
コーヒーミルでおまめをひいて淹れました。 ひいているときの香りはよかったのですが、お味は普通。

このホテルは最上階に眺めのいい温泉があります。主人はそちらへ。 私は大浴場が苦手なので、お部屋のシャワー。 
温泉は混んでいて、色々なタイプの風呂桶があるのに、試してみることはできなかったそうです。 (1日目 完)

2018年5月26日 (土)

函館、松前、江差旅行 1日目ー1

5月1日から2泊3日で函館に行ってきました。
今年は主人が喜寿です。海外、とおもったのですが、もうおっくうなのだそうです。結局 花好きなので、五稜郭に桜を観に行くことにしました。

函館、観どころが色々あるので、函館だけ,とも思いましたが、送られてきた国内旅行のパンフレットでは 松前なども回ることになっています。調べてみると、松前には鉄道で行くことができないので少し面倒。 矢張りツアーでぐるっと回った方がよさそう、と申し込んでしまいました。主人はツアー慣れしていない人なので、順応できるかと、少し心配ではありましたが。

お花見 開花時期が気になります。今年は例年よりずっと早いようです。 

5月6日発のツアーを申し込んでいましたが、もう散ってしまっているのでは?と 1日発に変えてもらいました。大正解でした。連日、満満開の桜を見ることが出来ました。

5月1日

朝7時45分頃家を出て、バス、電車で羽田へ。 集合場所に行くと、搭乗券と一緒にお茶とお弁当を渡されました。

10:00搭乗   10:40離陸 

シートベルト外してよしのサインがでたところで、飲み物サービス開始です。温かいお茶をいただいてお弁当。

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大増の懐石弁当、おいしかったです。

食べ終わったころにはもう降下はじめました。函館は近い。

このツアーは東京、大阪同時募集され 函館で合流なのですが、東京からの方が1時間早く着くので、そのあいだに東京組はトラピスチヌ修道院につれていってくださることになっていたます。が、離陸が遅れたうえ、機内預けになさった方の荷物がなかなか出てこなくて、修道院まで行く余裕がなくなってしまいました。ちょっと 残念でしたが、空港でおみやげ物の下見などして大阪組を待ちました。

大阪組が到着して12:50 バスは出発。

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函館は 人口26万人、北海道第三の都市だそうです。

ほどなく 五稜郭 到着、タワーの方は長蛇の列だったので、先に公園のほうに行くことになりました。

現地のボランティァガイドさんが案内してくださいます。

函館は 室町時代 河野政道 という方が戦いに敗れてやってきて、箱の様なたて(館)を築いたので 箱館、という名になったそうです。函という字に変わったのは 明治新政府になってから。 

会社からリクエストを出してあったらしいのですが、土方歳三についてのお話が中心でした。 私は新選組とかにあまり関心がないせいか、お話はいい加減にしかきいていませんでした。

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五稜郭は日本初の西洋式城で、国の特別史跡です。五稜郭は死角がないので敵が来た時に便利だそうです。

説明板

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お濠を渡って見事な桜を見ながら 箱館奉行所へ

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箱館奉行所(氏の案内より)
日本の北辺防備の拠点として設置された江戸幕府の役所で,当初は箱館山の麓に置かれていましたが、内陸の地に移転が計画され、五稜郭と共に1864年(元治元年)に完成しました。港から、3.5キロ、大砲の届かない距離です。
1854年にペリー提督率いる黒船5隻は箱館にも来ているのです(お恥ずかしいことに初めて知りました)。
1868年(明治元年)戊辰戦争最後の戦いとなる箱館戦争の舞台となり、1871年(明治4年)にわずか7年で解体されました。
その後、古写真や文献資料・古図面などの調査を元に検討を重ね、2010年(平成22年)に140年の時を経て箱館奉行所が復元されました。

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真新しく見える 奉行所の中に入りました。(靴を脱いで、これが日本の観光で面倒なところです。)

身分によって入れる部屋が違っています。下級武士はもちろんずっと手前の部屋。ふすまを開け放つと72畳の大広間になります。

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奉行所、というと大岡越前の守、を思い浮かべます。やはりここにも お白洲はありました。 
それだけでなく、諸外国の領事館が置かれた箱館奉行では、諸外国からの要求に対する交渉事にも追われていたそうです。
また 海岸の警備も担っていました。

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国後、択捉も樺太も しっかり範囲に入っています。

建物の工夫に一つとして、柱を石に埋め込んだようにみえるが、これは石のカーブに合わせて柱の方を切ったそうです。

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此処を出て、少し土手の上を歩きました(25分ほど)。

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目の高さすれすれに樹を見るせいか、一面の花が見事です。 

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ここに、土方歳三が埋められたであろう、という樹も見ました。

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満開の桜

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タワーのほうに向かいます。行列はまだありましたが、大型エレベーターが2基あるせいか、 思ったより早く上に上がれました。

多くの人が 窓の前にじんどっていて 場所確保が大変。 

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でも、 お濠の外側の方が 桜びっしりで見事でしたが、 そこまでを一枚におさめることはできませんでした。ガラス越しですので、少しはっきりしません。五稜郭には 1600本の桜の樹があるそうです。

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いささか期待外れ。下で見た方がすばらしかったです。

下りるエレベータ―は一つ下の階からです。そこには売店があります。売店で桜ソフトクリームを買って食べました。

下に降りて一階には お土産物屋さん。合計1時間くらいのフリータイムでした。このツアー、結構お買い物タイムがありました。

少しバスに乗って、若松緑地へ。

土方歳三 終焉の地、ということになっています。

五稜郭パンフレットによると

開国か鎖国かを巡る対立から、幕府打倒の動きへと発展、1868年 戊辰戦争が起こり、旧幕府軍の一部は脱走して各地で戦いつづけ、副総裁であった榎本武揚も艦隊を率いて江戸湾を脱走、蝦夷地に渡り、五稜郭を本拠地としました。
彼らは蝦夷地開拓の許可を政府にもとめましたが、明治政府は軍隊を派遣して幕府脱走軍への攻撃を開始、箱館戦争がはじまりました。政府軍は圧倒的な力で脱走軍を次々に制圧。土方歳三らも戦士したのです。

主人は「百姓出身の人たちはみんな死んでいったのだなあ。 武家出身は残っているのに」 榎本武揚は明治新政府で要職に就くことになったのですが、やはり教育のある人は必要とされたのではないでしょうか。

土方歳三最期の地碑

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一本木関門

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ここで ひとまず ホテル ラヴィスタベイ函館 にチェックイン。

一休みして、夕食を食べに行き、その足で函館山に上ります。(もちろんバス利用です)

ここで今回はひとまず終了。