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四国(松山・徳島)旅行

2019年12月30日 (月)

松山・徳島へ(3日目―4)鳴門の渦、再び美術館へ

11:52発のバスを待ちます。おいていかれては困るので早めに来て待機しましたが心配したほどの寒さはありません。検索したブログではバスはとても混むとのことでしたが、待っているのはあと一人だけ。バスは10分遅れで来ました。観光港とかをまわるので少し大回りをして鳴門公園へ。10分くらいかかりました。バスにはそれまでに乗っていた人をあわせても20人はいなかったと思います。バス到着が遅れたので12:13鳴門公園着。バスをおりたすぐ横に山への上り口があります。

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案内板の現在地の所から黄色い道が山道、坂階段で手すりはありましたが、少々息がきれました。エディのところを少しまわるように進み高速道の下のトンネルを抜けてもう少し歩くと渦の道入口です。渦の道のところでに入口展望台などがありますが、展望台に上がる時間はありませんからチケットを買ってすぐ橋を歩きます。(12:30頃)自動車道の下になります。

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結構歩きます。450mあるそうです。今日は大潮で丁度見ごろ時刻なのに人は少ないです。横は網だけで風は通るのですが 今日は殆ど無風で、この通りお天気がいいので寒さは全く感じませんでした。
実を言うと鳴門に行けばいつでも渦が観られるとおもっていたのですが、大間違い。全く見られない日もあるのです。渦目当てはもちろんついでに、という方も潮見表で確認して旅の日程を組まれた方がいいです。
    https://www.uzusio.com/siomi/

途中ぶ厚いガラスを張った、下の海面がのぞける窓がありますが、一部分しか見えないのであまり面白くはありません          

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渦潮のでき方
播磨灘と紀伊水道の満潮と干潮の水位差と、鳴門海峡が幅1.3㎞で中央がV字型に90mも深く切れ込んでいることが渦のできる要因のようですが、下記のサイトに詳しく説明されています。
http://www.naruto-kankou.jp/uzu/

↓ グーグルマップから実際に見ても波立っているのは橋の周辺だけでその他は全くおだやかなのです。
不思議でした。(上の地図と南北が反対です)
 

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鳴門の渦潮、とても期待していました。大きなロート状に海の水が吸い込まれていく、海に巨大な穴が開く、という恐ろしい光景が見られると考えていたのです。でも実際は波がぶつかりあって、時々小さな渦があちこちにできる、という状態でした。波がぶつかってもどこに渦ができるのかわからず、刻刻とかわるので、なかなか落ち込む様子は写真にとれません。動画ですともう少しわかるのですが、このブログへの動画のはめ込み方がわかりません。
動画からの切り取りです。(ここは「渦の道」終点の展望場所です)。

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観潮船も出ています。潮流がぶつかり合うところを少し離れると、海は全くおだやかです。
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大きな渦ができることを期待して海を見ながら歩いてズッデーン、みごと転んでしまいました。道しるべ兼ベンチの石があったのです。痛かったですけれど、大丈夫歩けました。でも主人に「これだから一人で海外には行かせられない」と言われてしまいました。いえ、段差以外、気を付けるポイントがまた一つ分かったのだから、と自分をなぐさめました。気が付くともう13:00です。13:26発のバスに乗る予定です。戻ることにしました。

途中トンネルとエディの中間くらいの場所からの眺め 

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お天気がいいので大鳴門橋が海の青に映えて美しい!!

バス停にはもうバスは来ていました。定刻通り出発して、13:38美術館に戻ってきました。(出るときチケットにスタンプをもらっているので再入場できます)ロッカーにコート類を入れて、お昼です。手早く済ませたいと思いつつ1階へ
一度外に出てガーデンというレストランに行きました。(13:55)  
私は 鯛の刺身膳

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主人は鯛めしとうどんセット 鳴門わかめがたっぷり入っています。

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ともかく料理がさっと出てきたのがよかったです。ゆっくりしたくなるのですが、もうあまり余裕がありません

主人は渦を観に行く前にもうB1までひととおり観て気に入った絵の写真も撮ったそうです。(美術館ガイドではモデルコースだとB3から地上2階までで80分です)(全体では作品数1000余点、歩く距離4㎞)

14:35に出てエレベータ―でB2 に降りました。
エレベータ―の前には レオナルド・ダ・ヴィンチの作品 ロンドンのナショナル・ギャラリーとパリのルーブルにある「岩窟の聖母子」が二枚並べて置かれていました。私はそれぞれでみましたが隣り合わせて見比べることはできません。それができるのはレプリカだからこそです。(向かって左の大きいほうがロンドン)

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午前に見たニコラス・オルファノスとスクロヴェーニもそうです。横に設定されているので、図像プログラムなども比べてみることが容易にできます。そうそうダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は修復前と後それぞれの展示もありました。陶板というレプリカで見せる利点をうまくつかっているな、と思いました。

でもゲントの祭壇画は私には?でした。
あの教会の隅の薄暗いところであまりにもの興奮で息するのも苦しいほどのおもいで観たのに、すぐ前に上の方だけデンとおかれて光をあびいてまぶしいほど。なんだか拍子抜けしてしまいました。

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こではあの時のドキドキ感はありません。低いところにおかれているので細部までよくみることはできるのですが。そばにあった イーゼンハイム の祭壇画も 同様です。

このあたり私の好きな北方絵画がおかれていました。懐かしい絵です。

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ボストンにいってこれがみたい!

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↑ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの「聖母子を描くルカ」

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ペトルス・クリストゥスの「若い婦人の肖像」(1470年)
これは好き、というかとても気になる」絵なのですが、おかれているところが高すぎてよくみえません。ベルリンでは下の方(もしかして台におかれていたような気もする)で 右方向、左方向から、とみることができたのですが。少女の目が左右ちがうので観る方向によって雰囲気がちがうのです。

ようするに、自分にとって思い入れがある作品はやはりホンモノに軍配があがりますが、あまりこだわらなければこの美術館、価値は大いにあると思いました。

このあたりをもう少しみているうちに残り時間がなくなってきました。主人のカメラにはラファエロ、フェルメール、ベラスケス、レンブラント、クリムト、ルノワールなど色々はいっていますが、私は結局イタリア・ルネサンス、近・現代など何もみていません。

17:45発の飛行機に乗るためにホテル発16:00のシャトルバスを予約しています。そのため美術館前を14:58発のバスに乗るつもりです。(15:33発でも大丈夫そうですが用心して、それにホテルのショップでお買い物もしたいですし)  

行く前にざっと眺めた程度の作品リスト、今これを書くのに、改めて見ると観なかった絵で気になるものがたくさんあることに、ショックを受けています。でも国内です、飛行機でひとっ飛びです。一番の目的のニコラス・オルファノスはじっくりみたのですから、これで良しとしましょう。

ホテルのショップで一番買いたかったのは 藍染の製品。でも結局ピンとくるものはありませんでした。徳島県って農業が盛んなようです。わかめ サツマイモ、それにたまねぎまで売っていました。オニオンスープの素を買いました。顆粒タイプですが。こくがあっておいしかったです。それにすだちも特産

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ゆず姫というのはお酒です。柚風味のお酒、甘めで柚の苦みも少しして美味しい。

ノンオイルドレッシング、少しお砂糖がはいっていて甘めで気に入っています。

16:00 シャトルバス二人きりでもうしわけなかったです。ゆったりした柔らかいシートの小型バス、25分で空港に着きました。

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徳島阿波踊り空港、 阿波踊りのオブジェがおかれていました。
空港のショップも充実していました。

無事二泊三日の旅も終わりました。美術館に行くことがメインだったはずなのに、美術館の時間が少なかったのはわれながらどうかとは思いますが、旅は旅、楽しければいいのです。美味しい食事もできたことですし。
ついでに行った松山がとてもよかったです。あと半日ほしかった気がします。美術館ももう少し。だからといってどちらか一方では物足りなかったでしょう。
今度はもう少し丁寧に計画をたてて、上手に旅をすることにしましょう。(四国旅行記 完)

 

    

  

  

2019年12月29日 (日)

松山・徳島へ(3日目―3)大塚国際美術館2

一安心したところで鑑賞を続けました。ただ一々写真を載せていてはきりがありませんから走ります。

スクロヴェーニや聖ニコラス・オルファノスの横はセンターホール。人も増えてきました。高校生の大集団がホールlに座らされていました。校外学習のようです。各自アイパッドの様なものがのっている厚ささ㎝くらいの箱を首からぶら下げています。(これで彼らは写真を撮っているようです)ざっとみたところ100名近く?「1時半にここに集合、分からないことがあったら僕か〇〇先生がここにいるから」なんて言われていて、そのあと少しばかりにぎやかに生徒たちは動き回っていました。決して迷惑ではありません。若いっていいなあ。こういうものがあるから、教科書よりずっと美術の勉強になるし、とうらやましく思いました。ひとつでもふたつでも気にいったものをみつけて大人になったら、海外に行ってぜひ本物に触れてほしいです。

ホールの向こう、円形状になっているところは古代の作品が展示されています。ひときわ大きなアレクサンダー・モザイク、それから
エトルリアのお墓→    19122901

そこを出ると、おお、ラヴェンナ、ガッラ・プラキディアのよき羊飼いのモザイクがありました。さて聖テオドール聖堂にいきたいのに行き方、が分からないままうろうろしているとロマネスクの作品があるところにはいりこみました。懐かしい作品がいろいろ、ライヒェナウ島のザンクト・ゲオルグ、ナポリ近くのサンタンジェロ・イン・フォルミス、この間行ったばかりのサン・サヴァン、ミラの近くのサン・ヴィツェンツォ(このエレミアはカンタベリーのクリプト聖パウロと腰のまげ方が似ているのですが、ちゃんと横にカンタベリーのも展示されていました)どれも一枚、ほんの一部分だけでしたが。

行きたくてまだ行っていない(もう行けない)教会の壁画もありました。時代的には ロマネスクより古いのですが、

サンタマリア・アンティーカ(ローマ・コロッセオ)(741~752年)

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カステル・セプリオ(8世紀頃)

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イギリス ハーダムの聖ポドルフ聖堂のアダムとイヴ(12世紀初め)ここも聖堂全体を再現してほしい!

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もう感動で胸震えるおもいで眺めました。もっと全体を観たいのに、と思いながら。

そうしているうちに、どうも向こうのドアから出入りしている人がいることに気が付いて行ってみました。外に出るようになっていて、その先に 聖テオドール聖堂があったのです。どこのかと思ったらトルコ、カッパドキにある教会でした。 

10世紀前半のものです。入口

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アプシス、コンク

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かなり薄れているところがありますが、目がなれてくると大体どの場面かわかってきます。(写真は見やすくくするためにどれも明るさなど補正しています)

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天井より壁の方が傷んでいました。

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ポーズがきまりきったところはありますが、
優しい感じの絵で気に入りました。

また戻ってさきほどの続きです。ビザンティン絵画のところにきました。シナイ山のエカテリーナ修道院の絵がありました。懐かしいマケドニア、ネレジの 聖母の嘆き、十字架降下、クルビノヴのもありました。

この前行ったミストラでも立ち寄らなかったペリプレプトス聖堂の絵 美しいです。

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ここの壁画が素晴らしいことは知っていましたが、少し遠いところ。足が大丈夫なら頑張っていきたいと主張するところですが、あの時はそれどころではなかったのです。このあたり好きな絵がたくさんで目が泳ぎます。 

ああ、トレチャコフ美術館の作品が!この時間になると次々ガイドツアー
観たいの絵の前がなかなかあきません。写真も素早く撮らねばならず、よく撮れませんでした。

フェアフォン・グレーク キリスト変容 (1408年頃) 

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アンドレイ・ルブーリョフ 聖三位一体 (1422~27年)

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ウラディミールの聖母(1100年頃)

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ぜひともモスクワに行って本物を観たい絵です。でもガイドさんが説明しているのが聞こえました。「ロシアにいってもガラスの向こうです。近くでみることはできませんよ」でもねえ。

アンゲラン・カルトンのピエタやナルボンヌの祭壇布もありました。

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アヴィニョンのピエタ アンゲラン・カルトンの作とされています。(1455年頃)昔ルーブルで観ました。場所が分からなくてかかりの人に「ピエタダヴィニョン」といったらつれていってくださったことを懐かしく思い出しました。いろいろなピエタの絵がおかれている部屋でした。深い思いを誘ういい絵です。

シエナ派の絵もありました。でももう、11時25分。待ち合わせの時間が近づいていますコインロッカーのところにいって、寒さ対策に毛糸の足カバーなどを付けているうちに。電話。主人がすぐ近くに来ていました。身支度をととのえてバス停に。

渦をみて戻ってもう少しだけ絵を見たのですが、それは次回に 

 

2019年12月28日 (土)

松山・徳島へ(3日目ー2)大塚国際美術館

大塚国際美術館 https://www.o-museum.or.jp/
入口は山の麓だからでしょう。すぐに長いエスカレーターで上がります。あがったところがB3階、B2 ,B1、1階2階と展示フロアがあります。

大塚国際美術館 

大塚グループの大塚化学という会社で鳴門海峡の白砂を使ってタイルを造ろうということになった。
1mもの大きなタイルを造っても歪みや割れを生じることのないものができるよういになった。が丁度その時、石油ショックで折角のタイルも売れるような状況にはなかった。そこで、陶板に絵を描いて美術のほうに移行しようということになった。大型美術陶板・写真陶板に成功したとき会社は丁度創業50周年。これで後世に残るものを作ろうということになり、会社創業の地である鳴門に陶板美術館をつくることにした。高熱で陶板に焼き付けたあと技術者の手仕事によって筆遣いなどを再現する。創業75周年の記念事業として造られたこの美術館。開館は1998年です。

フロアマップ https://o-museum.or.jp/publics/index/424/
作品リスト  https://o-museum.or.jp/files/libs/548/201904201630306810.pdf

B3階にはショップ、コインロッカーなどもあります。あきれられそうですが、まずショップへ。
というのは徳島では和三盆が特産でそれを使ったお干菓子、ムンクの叫びが有名らしいのですが、1日限定50個で、帰りになると手に入らないらしいのです。横にゴッホのひまわりの図柄のもありましたので、とりあえず買って、コート類などと一緒にコインロッカーにしまいました。ひまわりの方は四角でしっかりしていますが、叫びの方は形が子の顔の形ですから、ぶつかって崩れるのではないかと少し心配でした。(子供たちへのお土産のつもりですのでまだ開けていません)

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シーズンではないからか、朝まだ早いからかコインロッカーはかなりあいていました。
作品リストを見ると古代から現代まで非常に点数が多いのです。私と主人では絵の好みは違います。それで各自、自分のペースで回ることにしました。
折角鳴門にきたのですから有名な渦潮もみたいのですが、丁度この日は13:00が大潮で迫力のあるものが観られることになっています。そのためには美術館前11:52のバスに乗るのがよさそうです。それで11:40頃にエレベーターをおりたところで待つ、ということでわかれることにしました。
B3階 shopなどから一番近い展示室 システィーナ礼拝堂を再現した部屋です。

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昔行ったのは丁度夏休みの時期でしたから、立錐の余地がないほどの混みようでした。でも今日はこの程度です。ミケランジェロの力強い絵がゆっくり見られます。でも私が一番みたいのはここではありません。 
フロアマップはあるのですが、入口が見つかりにくいのが難点。

でも見つかりました。 
ノアン・ヴィックの サン・マルタン聖堂 10月の旅行でいったばかりのところです。

懐かしい! でも現地のほうが明るかったような気がします。ツアーも人数は11人でけっして多くはなかったのですが(ほかに観光客はいなかった)ここは入口でチラッとながめて通り過ぎる人がほとんど、2,3人途中ではいってきただけです。独占状態でゆっくり見られました

大塚

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現地

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現地の方がボケ写真ですが、光の当たり方が違います。館の紹介によると、「現地は経年劣化していくが陶板は1300度の高熱で焼くため千年経っても色あせることはない」そうです。

もう一枚、洗足、ユダの接吻の場面

 大塚 

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 現地 

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撮ったカメラが違い(大塚ではスマホ)照明の色が違うので感じが変わって見えます。現地では自然光が入り特にアプシスは逆光になって写真がとりにくかったのですが、大塚では天井からの照明が反射して鑑賞の妨げになっているところがありました。現地の写真が鮮明ではない感じなので何とも言えないのですが、大塚のほう くっきりはっきりしている感じがしました。

次は テサロニキのニコラス・オルファノスを観たかったのですが、すぐ奥のはずが入口がなかなか見つからずゴヤの部屋に入ってしまいました。「オルガス伯爵の埋葬」や「聖マルティノスの殉教」がありました。観たことのある絵は観たときの状況を思い出して懐かしかったです。(感動は実際に見たときの方があるのはもちろんですが)

戻ってやっとみつけました。ニコラス・オルファノス聖堂(1310~1320年頃)

昨年3月に行ったときは写真を撮ることができず(なんと今年11月にいらした方は写真OKだったそうです!!)撮れない分しっかり記憶にとどめておこうとしたのですが、ダメです。すっかり忘れています。でも観ているうちにああ、そうだった、と思い出してきました。

平面図(去年、現地で買った本から) 再現されているのは中央部分、本堂です。手前はナルテックス、横は側廊というより回廊風だったように記憶しています。

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西側入口から見る 聖ニコラウスの事績が描かれています。(人が写っているので分かるように、とても狭い教会です。

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さらに進んでアプシスへ

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↑ 上から順に (右)ノリ・メ・タンゲレ(吾に触れるな)復活のイエス  その下 御生誕と三王礼拝 
その下 聖骸布 両脇に 使徒への聖体拝領   
その下の(暗くてよく見えないが)アプシス・コンクにはオランスの聖母
 
その下は 主教たちとメリスモス  手前に聖餐台がある。
これは ビザンティン聖堂の特徴がよく表れています。
聖骸布や 使徒の聖体拝領は 西側教会では まず描かれません。
 
もう一つ、その下のメリスモス これもビザンティン絵画でしか見られないでしょう。
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聖体拝領は これは私の体である「パン」血である、とそれをいただくわけですが 東方では聖体つまりイエスその人を聖餐台に置いた絵を描くのです。成人している場合もあればこのように赤ちゃんのこともあります。ちょっとショックな図像です。

テンプロン(前の仕切り)手前北壁

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↑~わかるところだけ 聖母の嘆き 冥府下り
下の段 十字架昇架 最後の晩餐 洗足

 

南壁


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ゲッセマネの園 ユダの接吻 大祭司カイファの前に引き出される ピラトにひきわたされる

 

北壁外側

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↑は ご生誕と 三王礼拝

残念なことに西壁内側は写真を撮り損ねています

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これくらいなのです。 キリストサイクルをはっきりさせるためにも必要なのに。
何枚か大きくします。

洗足 待っている弟子たちのおしゃべりがきこえてきそうです。

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ユダの接吻

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十字架昇架  腕が細くてちょっとおかしいですが、私はこれが一番好きです。

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   聖母の嘆き

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 聖母子

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立ち去りがたい思いでながめました。でも観るべき絵はまだまだあります。

そろそろ人が多くなってきたようで、この部屋はほとんど人ははいってこなかったのですが、周りがざわついてきました。(ああ、キリスト教だ、などといって通り過ぎる人がほとんどでした。やはりロマネスク、ビザンティンはマイナーなのです。すいているのはいいのですが、ツアーが成立しにくいのは困ります)) 

横にスクロヴェーニ礼拝堂がありました。(1304~1305年)
パドヴァに行ったとき丁度修復中でみられなくて、其の後もボローニャから行けたのですが、他にみたいところがあって結局まだ観ていなかったのです。ジョットーが壁画を描いたことで有名です。サン・マルタンやニコラス・オルファノスに比べるとかなり広く天井も高いのに驚きました。

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ガイドツアーがはじまっていました。これでは勝手に歩きまわりにくいです。

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オルファノスとの比較のために

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こちらもイエスに責めよっている様子がよく描かれていますが、ニコラス・オルファノスのほうが人々の非難の激しさが強い気がします。洗足などをくらべてもジョットーのほうが静かな感じがします。

もう一枚 聖母の嘆き

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全体的にみてジョットーのほうがエレガントにおもえます。でも私はニコラス・オルファノス聖堂のほうが好みです。 

ここまできて「なぜスマホで撮ってるのだろう?」慌ててバッグの中を見ましたがカメラがありません!いそいでロッカーの所に戻りました。ない!買い物をしたときショップに置き忘れたかと思い、ショップへ「ここにはありませんが忘れ物係に問い合わせます」 もしや、と主人に電話。持っているとのことでした。😥、これで15分くらい時間をロスしてしまいました。

写真が多くなってきましたので、続きは次回に   

2019年12月26日 (木)

松山・徳島へ 3日目

6時半ごろ起きました。すぐ、ベランダに出て海を眺めます。

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日の出は7時ごろです。

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主人は温泉に入りに行くといいます。私は部屋で身支度。アメニティは ロクシタンでした。

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なかなか主人がもどってきません。私は少ししかないとはいえ、とっくにパッキングも済ませています。おかしいとおもったらサウナにまではいってノンビリしていたのです。

今日はそもそもの目的であった大塚美術館に行く日です。開館と同時にはいりたいし、ホテルのチェックアウトもすませておきたいので、もうあまり時間がありません。8時20分になっていましたから。

朝食は2階で和食か8階の昨夜の場所で洋食かを選ぶことになっていて、洋食の場合は1000円増しです。

2階に降りる時間もないので、洋食にしました。 
レストランに入る前に大鳴門橋を眺めました。

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お部屋のベランダからでは体をのりださなければ橋はみえませんが、ここからだと真正面に見えます。 

朝食はビュッフェのほかにメインが三種類の中から選べます。

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私は フレンチトースト、アイスクリーム添え

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主人は エッグベネディクト (あわそだち すだちエッグベネディクト) 

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あと1種類は ポーチドエッグで何やらついているもの、つまりどれも卵料理、ということです。

フランスパンのフレンチトーストはあまーくておいしい、それにアイスクリームですから おやつみたいな朝食です。でも私は小食ですから、半分主人にまわしました。エッグベネディクトより、このほうが美味しかったと言っていました。

美味しいとついゆっくりしたくなりますが、9時25分発のバスに乗る予定ですから、のんびりはできません。9時20分には バス停に行っていないと心配です。(美術館までバスなら3分、歩けば30分くらいかかりそうです)

お部屋に戻り、荷物をもってフロントへ

チェックアウトして荷物は預かってもらい身軽になって外に出ました。

バス停には20分過ぎにはついていました。バスは3分遅れできました。同じバス停で乗ったのは他にひとりだけでした。

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↑到着側のバス停から見たところ、帰りのバス停は美術館の旗が並んでいる先です。

9:30を少しまわっていましたが、すいていてすぐにチケットも買えました。

美術館の中は次回に

2019年12月25日 (水)

松山・徳島へ(2日目―3)

松山駅発 吉野川エクスプレス 

http://www.jr-shikoku.co.jp/bus/businfo/yosino_ex/tokushima.htm

は、定刻より1分遅れて松山市駅に到着、11:30発となりました。

ここで乗ったのは私たち二人だけです。その前に数人乗っていたはずですが、人数チェックはしませんでした。私たちは1番前の席を予約していました。ガラガラでしたが、川之江インターまでは乗ってくる可能性があるので席はそのまま、そこを過ぎれば移動OKとのことでした。

暫く松山市郊外を走ります。途中で一人だけ乗ってきました。

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時々トンネルを抜けながら山間を縫うように走ります。道路はとてもよくてすべるようになめらです。

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温暖化の影響かまだ紅葉の時期でした。

海が見えてくると西条、新居浜です。↓多分、新居浜市あたり。

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川之江インターを過ぎたところで主人は席を移動。これまでは松山道だったのが、もう徳島道に変わっています。

買ってきたおこわイナリをそれぞれいただきました。

吉野川が見えてきました。

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14:15 三好BS到着 10分間休憩です。駐車場の向こうにお手洗いがありました。

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駐車場で撮った写真

この先はかなりアップダウンがありました(道はいいのですが)3時間のバス旅でしたが、紅葉の山々をみていてあきることはありませんでした。

定刻の15:38頃 徳島駅前到着

これから今夜のホテルに行くにはさらにバスにのらなければいけません。
ホテルの送迎バスは鳴門駅ならきてもらえるのですが、徳島駅はだめなので、路線バスで行きます。ちょうどホテルの前に泊まるバスがあるのです。

徳島バス 鳴門公園総合時刻表

https://www.tokubus.co.jp/themes/default/pdf/routebus/diagram/narutokouen_sogo.pdf

バスを降りて乗り場や切符売り場を探します。近くにすぐ見つかりました。

16:00発鳴門公園行きに乗ります。ホテルは小鳴門橋をわたっていく大毛島にあります。大毛到着は16:50の予定です。

運賃は710円、でも券売機には720円のボタンしかありません。案内所の人に運転手に直接払うように言われました。でも 面倒なので主人は720円の切符を二枚買ってしまいました。地方を旅すると横浜市の敬老パスもちろんですが、SUICAも使えないので小銭が必要で少々面倒なのです。

松山では寒さを感じなかったのですが、ここは風が強くかなり寒かったです。明日は鳴門の渦も見る予定なので、少し心配になりました。

ホテルのある大毛停留所から、ホテル敷地内にはすぐ入れましたが、入ったところはサウスタワーらしくてメインタワーには少し歩きます。ここも風が強くて寒かったです。

アオアヲナルトリゾートホテル https://aoawo-naruto.com/

17:00過ぎ なんとかフロントに到着、チェックインをして9階に上がって延々廊下を歩きます。スーペリアーハイフロアーというのにしたのですが、失敗したかな? 

お部屋

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ベランダ付きです。丁度月が出たところです。

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夕食は18:30の予約です。主人はとりあえず温泉に行きました。(温泉もこのあと行くフレンチレストランもこの9階とつながったメインタワーの8階です)。海がながめられるはずなのに、もう暗くて 何もみえなかったそうです。

予約してあるのはレストラン「フォーシーズン」でメニューは阿波藍ディナーです。藍は徳島の特産物なのだそうです。藍は染料としか知りませんでしたが、体にもいいそうで珍しいので注文してみたのです。

和食のお食事処は浴衣でもかまわないのですが、このフレンチレストランだけは一応きちんとした格好をしなければいけません。その必要はないとおもいながらも私はパンプス持参です。セーターもやめてブラウスにしました。

18:30~夕食

ホテル直接予約ですので、特典として青いスパークリングワインのプレゼントがあります。 

先ず食前酒として果実酒 昨日 ゆず酒がまわってしまったので、ノンアルコールにしてもらいました。

次に 青いスパークリングワイン きれい!    

Menu~
Amuse
徳島県産カリフラワーのムース 右が青いスパークリングワイン

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Entree
藍香る車海老と鳴門鯛 阿波野菜のタルタル仕立て
キャビア添え

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Soupe
阿波野菜と阿波尾鶏のコンソメ   ここでワインを注文

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Poisson
徳島県産平目とオマール海老のロティ
藍香る白ワインソース  周りの緑いろのソースが藍 とりわけ特徴的な味はしませんでした。

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Granité
藍のグラニテ  普通に甘くてシャリシャリしていました。

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Viande
淡路牛ロース肉のグリエ 藍風味のクラフティサレと共に
ハンガリー産鴨胸肉のポワレ トリュフソース

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AvantDessert
ほうれんそうのパンナコッタ 藍のジュレ

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GrandDessert
ムースショコラ フリュイルージュのマリネ
藍のアイスクリーム

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Café ou Thé
コーヒー 又は 紅茶

藍というのが個性の強い味ではないようで、藍をいただいた!という感じは(私は舌が鈍感なのかもしれません)あまりしなかったのですが、どのお皿もとても美味しくてしあわせでした。地方のホテルだから、なんてことはありません。東京のレストランに負けないお味だとおもいました。

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ここで20:15くらい

お部屋にもどって 酔いが回っているのでしばらくソファーでうつらうつら。ホテル直接予約の特典で1階のテラスカフェで カクテルと青いチョコレートをいただけることになっているのですが、これ以上飲めそうにないので断念。
それにしてもなんだかお部屋がとても寒いのです。エアコン の調節がうまくいきません。電話でホテルスタッフを呼びました。技術の人もきてあれこれやっていましたが、ダメなのでお部屋替え。お隣のお部屋に引越ました。まだ荷物をひらいていなかったので特に問題はありません。

でも遠い温泉まで行く気力はないのでお部屋のお風呂につかってやすみました。 (12月12日 11615歩)

2019年12月23日 (月)

松山・鳴門へ(2日目ー2)松山市内観光続き

松山市立子規記念博物館 に入ります。http://sikihaku.lesp.co.jp/index.html

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いただいたパンフレットからすると、観光客のための子規関係の品の展示だけでなく、研究者のための資料館でもありまた俳句の世界に親しませようということも意図してつくられたもののようです。      

2階では最初に古代、万葉の時代の紹介から始まって江戸時代までの松山の歴史が紹介されています。

教科書にも出ていてよく知られている、万葉集の額田の王の歌  
熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮(しほ)もかなひぬ今は漕ぎ出(い)でな
の 熟田津は道後温泉付近の港(昔は海がもっと内陸まで入り込んでいたと考えられる)ということになっているようです(ネット検索すると近くの西条であるという説も出てきましたが)
道後温泉を持つ松山は古代から人の往来があり、文化が栄えた町であることが紹介されるのですが、私が興味を持ったのは漱石と関係する部分です。

子規の生い立ち、家系 住んでいた家の平面図もありました。 

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決して大きな家ではありません。

子規の描いた絵も展示されていました。

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興味があったのは 漱石とともに過ごした家の模型とその1階部分(子規が住んだところ)の復元です。

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愚陀佛庵と名付けられています。愚陀佛は漱石の俳号です。
明治28年6月下旬まで愛松亭にいた漱石は二番町の上野義方という人の二階建ての離れに引越しました。それが愚陀仏庵です。子規は戦争取材のため中国に行った帰りの船中で大喀血、入院して治療を受けたのち、静養のため松山に帰ってきたのですが、その時、この家で52日間漱石とともに暮らしたのです。1階が子規、2階が漱石のスペース

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靴を脱いでお部屋に入ることもできました。漱石の住まい部分である2階は再現されていないので、階段は途中まででした。

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結核は死に至る病として恐れられていたのに、漱石は意に介さなかったのでしょうか。子規とのきずながそれほど強かったということなのでしょう。

松山では当時、子規の俳句理論に共鳴する人たちの俳句結社「松風会」というのがあり、漱石が学校から帰ってくると松風会の人々がやってきて句会を開き、漱石もそこでこの年だけで400句も吟じたそうです。
10月には子規は東京に戻ります。

人形(こういうのを何というのでしょうか?)もありました。

漱石と子規

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亡くなる前日 絶筆三句をしたためる子規

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糸瓜咲いて痰のつまりし佛かな
痰一斗糸瓜の水も間に合はず
をとゝひのヘチマの水も取らざりき

34歳の死はあまりにも早いです。
ざっと館内をみて
荷物をとりに宿に戻ることにしました。

館を出たところでみつけた歌碑

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子規は脊椎カリエスになり、最後の三年間は殆ど歩けなかったそうです。さぞかし故郷に帰って温泉につかりたかったことでしょう。
   

宿へは歩いて10分もかかりません。

10:30頃。素敵なロビーですので一休みしました。庭の松は 鶴亀、樹齢290~300年 

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宿を出たのが11時5分前でした。温泉駅前、ハイカラ通り入口に設置されている定時で動く坊っちゃんからくり時計が急げば見られます。

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時計の右(青い服の人の所)に足湯がありました。    

松山でもう二か所気になるところがあります。一つは漱石が勤務した旧松山中学跡です。大街道から少し先で、そこから松山市駅までは10分以上歩くことになります。昨日のバスの中からも見たことだし今日の電車の中からも碑は見えるので、降りることはやめにしました。

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苦しい写真です。句は わかるるや一鳥啼て雲に入る 漱石

動いている車内からなので写真はうまくとれませんでしたが、一応、視認した証拠です。

もう一か所は 松山市駅から数分のところにある子規堂です。駅前に高島屋があります。お昼はそこでお弁当を買って車内でとるつもりです。なんとか間に合いそうなので、子規堂へ。

子規堂   http://shikido.ehime.jp/

正宗寺という 正岡家の菩提寺の敷地内にあります。

事前の下調べ不足で、この建物が子規が子供時代に住んだ家を再現したものであること知らないまま来てしまったのです。

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時間があまりないこともあって中にはいらなかったのですが、今から思うと一目中を見ておけばよかった、と思っています。(行ったときはさほどなかったのですが、これを書いているうちに子規への関心が強くなってきました)

横の墓地に遺髪を埋めた 埋髪塔がありました。

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左の手前の石には 与謝野晶子の歌 子規居士と鳴雪翁の居たまへる伊予の御寺の秋の夕暮れ が刻まれていました。

坊っちゃん列車の客車も展示されていました。 

 

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手前の白い石には 子規が乗り漱石が乗り三津に行き道後に行きし汽車かこの汽車 越智ナントカ氏の歌

(はっきりいって晶子の歌もこれもつまらない)

11時45分です。急いで高島屋へ戻りました。地下でお弁当売り場を探しました。バスの中なのでおにぎりくらいでいいとおもい、米八のおこわいなり3個入を買いました。勿論お茶もコンビニで仕入れました。バスのチケットは旅行前に一応予約してあります。それを受け取って暫く座って待ちました。

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12:29松山市駅発 15:38徳島駅着
海岸沿いに走る列車よりよりまっすぐ突っ切る高速道で行くほうが1時間も早く着き、お値段も約半額の4500円です。

移動と鳴門のホテルの夕食は次回に 

 

2019年12月21日 (土)

松山・鳴門へ(2日目)

朝6時ごろだったでしょうか。起きて身支度、パッキング。昨日帰りにハイカラ通りに蜂蜜やさんがあったので一瓶買い、夜は旅館の売店で今治タオルを少しばかり買いました。でも私のキャリーと主人のリュックに何とか詰め込める分量です。       

7時半ごろ朝食に行きました。昨日と同じお食事処です。

朝からたくさん!

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右の黄色いふたのものは湯豆腐です。お味噌汁は浅利でした。御飯にのっけるものがいろいろ種類があって楽しみながらいただきました。

お部屋に戻ってもう一度松山城を遠望しました。

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8時半ごろ、チェックアウトしてキャリーとリュックを預けて観光開始です。

この地図は ハイカラ通り入口にあった看板です。上中央の丸をつけたところが 泊まった旅館です。

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又道後温泉本館のところまで行きました。何度見てもすごいです。公衆浴場なのですが、神社仏閣みたいです。下写真左の道を行きます。しばらく歩いて左に折れます。

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目的は伊佐爾波神社です。松山の行くべき場所をネット検索してでてきたのです。建物の形式が珍しいということなので観てみようとおもったのです。

参道、急な石段が見えてきました。

       

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伊佐爾波神社 https://isaniwa.official.jp/

134段とか、ひるみましたが、頑張りました。

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各段の幅も高さも無理のないものでした。よくぞこういう平らな石を集めたものだと感心しました(平らに削ったのでしょうか)。中央に鎖がはられていたので、それにつかまりながら上がり降りしました。

最初は中に入れそうになかったので外を一周。

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回廊で囲まれているようすが分かります。↓グーグルマップから 下からかなり上がってきています。

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そのうち工事の人が開けてくれて入ることができました。

神社の創建は定かではないが、神功皇后、仲哀天皇ご来湯の際の行宮跡に建てられたといわれ、延喜式にものっていて、1000年以上の歴史ある神社なのです。

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先ずちょっとお参り

回廊をめぐります。絵馬や山車などが飾られていました。

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神社の造りが八幡造りとよばれるそうです。それがみたかったのです。回廊からよく見えます。でも近すぎて全景は撮れませんでした。

八幡造りとは切妻造り平入りの建物を前後二棟並べた形の造り。京都の石清水八幡宮を模したといわれ、大分の宇佐神宮と並び 全国に三例しかない整った八幡造りだということです。(屋根がM字型に見える)

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この緑の垣で囲まれたところが本殿。手前が外殿、奥が内殿

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向こうに入口楼門のが見えます。一周しました。

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石段!下りは特に慎重に(転倒恐怖症!)鎖につかまりながらおりました。

次に目指すのは子規記念博物館です。

入る手前に道後公園(湯築城跡)がありました。きれいな水辺でここでゆっくりしたかったのですが、ゆっくりする時間はありません。

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博物館は次回に
 

2019年12月20日 (金)

松山・鳴門へ(1日目ー3)

萬翠荘は入らず「坂の上の雲ミュージアム」に向かいました。(15:50~16:20くらい)https://www.sakanouenokumomuseum.jp/

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三角形の敷地を利用し周囲の景観を損なわないよう配慮して建てられたというガラス張りの建築。見るなり主人は「船の形だ!」
平成16年着工、平成18年竣工 安藤忠雄設計です。
内部は2階が入口で外壁に沿ってスロープをあがるように行きます(降りるときはエスカレーターを使いました)。

司馬遼太郎作『坂の上の雲』は産経新聞に1968年4月22日から1972年8月4日まで1296回にわたって掲載されたそうで、新聞切り抜きを写したものが3階から4階のスロープの壁に展示されていました。

パンフレットの説明から
小説『坂の上の雲』松山出身の正岡子規、秋山好古、真之の兄弟を中心に多くの人物を登場させながら近代国家をめざす明治の日本が描かれています。初めての国民意識のなかで、一定の資格さえ取れば、博士にも官吏にも軍人にもなることができた時代、子規は新聞記者となり、近代俳句、短歌、文章の革新に力を注ぎます。一方好古は陸軍で草創期の騎兵を育て,真之は海軍における近代戦術の基礎を確立、ともに日露戦争が勃発する激動期を駆け抜けていきます。司馬さんこの長編について「ばくぜんとした主題は日本人とはなにかということであり、それも、この作品の登場人物たちがおかれている条件下で考えてみたかった」と書いています。今の時代を生きる我々に多くの示唆を与えてくれるでしょう。

明治時代、文と武 それぞれの道で活躍した人物を出した松山という町に焦点をあてたようです。子規と真之は1歳違い、子供のころから友達同士でした。

テレビドラマとしてもこの物語は放映されましたが、私はなぜ軍人をとりあげるのか?とあまり好きではありませんでした。律の兄に対する献身には感心しましたが。
ただ秋山兄弟も文学方面に関心がありながら家が貧しいため軍関係の学校に進んだことや兄好古は退役後教育者として過ごしたことを知って、軽々に判断してはいけないな、と思いました。
明治という時代は、頑張れば夢がかなえられる機会が今よりずっとあったのでしょう。また藩の中だけではなく、日本というより広い世界の中で、日本という国の草創期を開いていこうという気概に満ちた人間も多く輩出したのだと思いました。あらためて明治時代に興味を持ちました。

展示は軍艦の模型や秋山家や正岡家の系図など色々ありましたが、ざっとみただけです。 

日の暮れを横浜基準で考えていたので、暗くならないうちにと急いだのですが、こちらはずっと西なので、日没は30分も遅いのです。

16:30でもまだ暮れていません。電車で道後温泉駅に戻りました。ホテルへ帰る途中、寄り道をして道後温泉本館を見ました。

道後温泉は日本三大古湯の一つ。聖徳太子も来湯したそうです。

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道後温泉本館は1894年落成。『坊っちゃん』でも毎日汽車でここに通ったことが書かれています。漱石が使った座敷がみられるとあったのできいてみましたが、今は見学できないそうでした。(現在奥の方が改修中でした)17:15でこの明るさです。

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17:20頃 宿に戻りました。

道後館 http://www.dogokan.co.jp/

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玄関横には足湯もありました。

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鬼瓦の口からお湯が流れ出ています。(この2枚は翌朝撮ったものです)
預けておいたキャリーとリュックはもうお部屋に届けられていました。

お部屋は和室。玄関の間の二畳に続いて10畳のお部屋、それに広縁がついています。6階です。窓からはライトアップされたお城が見えました。 

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夕食は19:00の予約です。主人は先に温泉に入りに行きました。

夕食の前に一階のショップを下見。

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黒川紀章氏設計のホテル内部もすてきです。

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そろそろ時間なので2階のお食事室に行きます。(下は上写真の真上になります)

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個室風に簡単に仕切られています。温泉宿ですから、館内は浴衣で大丈夫です。

先ず 食卓に用意されている状態

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食前酒は蔵元のゆず酒 美味しい!甘いけれど少し苦みの混ざる果実酒です。(右下)

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前菜 冬の夜空前菜(左のお皿) 蟹みそ和フラン スノーボール 蕪大根みかん和え 南瓜月見立て 鮑旨煮 浜千鳥松風 赤ワインチーズ 備長炭見立て

三種呑み比べ、というのがありましたのでそれを注文、

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でもまずはビールということで地ビールをそれに愛媛県出身の友人にかかわりのあるお酒、ということで山川酒造の梅錦も頼みました。 

季節の吸い物 旬のお造り

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焼き物 写真下側 寒鰆巻繊と甘とろ豚 オリジナルソース
煮物替り 瀬戸内牛松山西京鍋

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写真には見えませんが 霜降りの牛肉が二切れ程別に出てきてそれを鍋にいれて自分で煮ます。

温物 媛っこ地鶏と伊予美人の銀あん掛け   酢物 地魚酢びたし

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御飯 媛マグロしぐれ  留椀 楽花汁     香の物 三種盛り

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水菓子 季節の甘味

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どれもとても美味しくて小食の私もかなりの量いただけてしまいました。

21時少し過ぎにお部屋に戻りとお布団が敷かれていました。 旅館です!

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30分ほど休んで温泉に入りに行きました。私は大浴場が苦手で温泉でも内風呂付を選びます。ここもお部屋にお風呂はあるのですが、ツアーではないので、知った人がいるわけでなし、といってみることにしたのです。主人ももう一風呂浴びるというので 途中まで一緒に行きました。

この廊下の突き当りまで行き階段を女湯は上へ男湯は下へと行きます。

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お風呂は熱いのとぬるいのがありました、それに寝湯、露天風呂も。でも露天風呂は寒そうなので入りませんでした。温泉というと硫黄のにおいを思い浮かべるのですが、ここは匂いがしません。柔らかいお湯で気持ちがよかったです。 

(12月11日 16399歩 疲れは感じませんでした)

 

2019年12月19日 (木)

松山・鳴門へ(1日目ー2)

内部に入ります。
松山城は日本の三大平山城の一つで天守は現存する12天守のうちの一つです。
天守、小天守、隅櫓を渡櫓で繋ぎ、武備に徹した天守構造物で、日本の代表的連立式天守ということです。  

松山城本壇

 

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赤い点線どおりに歩きます。 

下写真 右が一ノ門 奥が天守、手前は 筋鉄門東塀です。
天守は 三重三階地下一階の層塔型天守で黒船来航の翌年に落成した江戸時代最後の完全な城郭建築だそうです。

屋根の形は上から 入母屋破風、唐破風、千鳥破風(鉄砲狭間付き)   

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まず 一ノ門 

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本壇天守に通じる本壇入口を守る門で脇戸付き高麗門、一ノ門南櫓・二ノ門南櫓・三ノ門南櫓・小天守の四方向から攻撃可能になっています。
(1786年再建、重要文化財)

続いて 二ノ門 

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薬医門の形式で天守・三ノ門東塀から射撃される構えになっています。(1854年再建、重要文化財)

高麗門と薬医門の違い  

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三ノ門

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高麗門の形式で三ノ門南櫓・天守から射撃される構えになっています。(1854年再建、重要文化財)奥が三ノ門南櫓

三ノ門から天守沿いに進むと、筋鉄門(すじがねもん)

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右が天守、左が筋鉄門東塀、その奥が小天守。筋鉄門は櫓門で天守玄関がある中庭を防衛する重要な門です。天守と小天守をつなぎ、三ノ門から侵入する敵の正面から射撃する構えをとっています。壁に戸板が上がっています。 ここから矢を射たのだと思います。その下は 鉄砲用の穴かな?でも見えない。矢は立って射て、鉄砲は膝をついて撃ったそうです。

頑丈そうではありますが、ヨーロッパのお城に比べると、大丈夫かな?と心配になります。ヨーロッパの石のお城では門・石壁の厚さが何mもあり、上から鉄の落とし戸が落とせるとか煮立った油を流がせるようになっているとかでしたから。

曲がり曲がり四か所の門を抜けて天守広場へ

天守閣に入りました。靴を脱いでスリッパに履き替えます。中は博物館的で、鎧、刀などの展示場、文書などもありました。ざっとみただけです。階段でつぎつぎ上の階にあがるのですが、とても狭くて急で神経をつかいました。手すりはあります。

鎧、(三代藩主着用と伝えられているもの)

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松山城の上棟式に使われた弓矢  

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部屋の一つ

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上からの眺め     19121810 

建物の中にいたのは25分くらいでしょうか。

本丸広場で井戸があるのに気が付きました。

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築城時に谷だった場所を埋め立てるのにあわせて、泉を掘り下げて造られたと伝えられています。深さ約44m.水深は9m。

行きに撮ったロープゥエイの様子、 案内嬢は矢絣に袴、明治の女学生風。             

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お昼抜きですからさすが少しおなかがすいてきました。でも夕食時間も近いので、しっかりいただくことはできません。

坂をくだり、またロープゥエイで下におりて、大街道まで引き返し、少し進むと「坂の上の雲ミュージアム」の表示を右に入ります。

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萬翠荘 この門を入ると「坂の上の雲ミュージアム」や萬翠荘に行けます。その奥に愛松亭という喫茶店があります。

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萬翠荘 美しい建物です。1922年 藩主の子孫、久松氏が別荘として建てたものです。純フランス風建築で、皇族方来県のおりには必ず立ち寄られた当時最高の社交場だったそうです。

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愛松亭

この場所は漱石が松山に来て最初に住んだところです。『坊っちゃん』に出てくる いか銀 の家のあったところです。『坊っちゃん』では いやな家になっていますが、案内板には漱石はこの地を好んだとありました。  

 

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漱石先生最初の下宿跡の立て札 奥の碑は左の立て看板に記されているところによると、愛松亭から神田先生にあてた手紙、右の石碑は、はっきりしませんが、愛松亭跡と彫られていました。奥が漱石珈琲店、愛松亭  

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紅葉が きれいでした。

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                        愛松亭内部

主人はケーキセット、私はお抹茶セット、小さな坊っちゃん団子付き 店内はレトロな感じで雰囲気がよかったです。

一休みして外に出るとボランティアガイドさんが「井戸はご覧になりましたか?いか銀の亭主が勝手に高いお茶を飲んだというところがあるでしょ?、その時の水はこの井戸で汲んだのですよ」と教えてくださいました。

                          藩政時代の井戸

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松山城築城当時に彫られてものといわれていて、深さ20m、水深14.2m、現在でも枯れることなく湧いているそうです。

井戸をみて「坂の上の雲ミュージアム」に行きましたが、それは次回に

 

2019年12月16日 (月)

松山・鳴門へ(1日目)

12月11日(水) 羽田9:45→11:20松山

夜来の雨はなんとかあがっていました。7時5分ごろ家を出てバスで最寄り駅へ。横浜で羽田空港行特急に乗り換え。時間帯からみて混んでいるのではないかと心配でしたが、窮屈というほどの混み具合ではなく順調に空港駅到着、8時20分過ぎには出発階に。
朝ごはん抜きで来たので、主人にお弁当を買いにいってもらいました。私は万世のカツサンドが好きなのでそれを買うよう頼んだのですが、なかなか見つからなかったらしく、かなり時間がかかってしまいました。
兎も角先に保安検査を抜けて搭乗口近くに移動。途中で、パワーラウンジをみつけたので、そこに入りました(ゴールド以上のカードなら利用は無料)。
このラウンジ、椅子は安楽椅子ではなく普通の椅子でテーブルはあります。食事をするにはこのほうがいい。飲み物はアイスコーヒーにして仕入れたサンドイッチで朝食。

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これから乗る飛行機が見えました。パソコンを開いているビジネスマン風が多かったです。

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定刻通り出発 お天気がよくて下がよく見えました。真上から見る富士山。

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ここはどこ? 大阪?瀬戸内海も見えてきました。

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瀬戸内しまなみ海道が見えるともうすぐ着陸です。

定刻通り着陸。道後温泉行リムジンバスは11:35→12:15 (620円)
あまり時間がありませんでしたが、お手洗いにも行けました(飛行機の到着時間にあわせて調整するらしいです)

道後公園駅に時間通り到着。松山は一日曇り、写真がさえません。

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横には坊っちゃん列車が止まっていました。一日4回くらい運行するようです。

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すぐ向こうにハイカラ通りという商店街が見えます。そこを抜けて椿の湯を左に折れすぐ右に折れて少し坂道を上ると道後館。(6,7分)

まだお部屋には入れないのですが、チェックインはして荷物を預けてすぐ出ました。昼食の時間ですが、おなかはまだすいていないので、とりあえずお城に向かうことにしました。 

道後温泉駅に戻り12:47発の電車で大街道駅へ、

大街道駅でおりて道路を渡ってスタバの横の道を行きます。ここも観光道りとでもいえばいいのでしょうか?飲食店が多いです。骨董店もありました。途中で主人は「秋山兄弟生誕地」に寄りたいというので、少し横の道に入りました。松山は 漱石、子規だけかとおもっていましたが、秋山兄弟もウリのようです。司馬遼太郎の小説の影響が大なのでしょう。大分前にテレビでも「坂の上の雲」をやりました。

秋山兄弟生誕地
秋山好古(1859~1930年 陸軍大将 除隊後中学校長)秋山真之(1868~1918年 海軍中将)の生誕地  

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右、馬に乗っているのが好古 左、木の影になっている胸像が真之

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 ↓秋山真之 最終階級は中将でしたが、日露戦争の時、日本海海戦を勝利に導いたことで大将にまでなった兄より軍人としては有名なのだそうです。   

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中に入れるようでしたが、入らず先を急ぎます。

数分でロープウエイ乗り場へ。

13:20発のロープウエイに乗りました。(10分間隔 往復+天守閣 1040円)

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松山城

132mの勝山山頂に築かれています。創設者は加藤嘉明、関ヶ原の戦いで功あって20万石となり、1602年から造り初め1627年に一応完成。然し加藤氏は完成前に会津へ転封。蒲生氏をへて、松平定行が伊豫15万石を与えられて城主に。明治まで続き、明治元年、松平姓を返上し、久松氏になりました。私は子供のころ愛媛県に住んでいまして当時の県知事は久松氏でした。

ロープウエイから階段状の緩い坂を上ります。上写真(グーグルマップから)正岡子規句碑の所を通って進みます。登城とはよく言ったもの。坂道苦手な私ですが、道は整備されていてゆっくり行けば疲れることはありません。

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先ず石壁の見事さに驚かされました。

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高さ約 16 m、扇勾配とよばれる弓形のそりが美しい。ここを曲がると 

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向こうは多分太鼓櫓 突き当りを右に折れて

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戸無門

ここをくぐると 見晴らしのいい小さな広場

まがって 筒井門

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だんだんお城に近づくかんじがします。曲がり、曲がりしながら坂をあがっていくのがいかにも 登城(登城の登は別に上へあがるというわけではないのですが)という感じがしてワクワクしました。

筒井門を抜けて回ると、筒井門の奥の石垣の陰に隠された隠門(向かって左)が見えます。櫓付きで城の第一の防衛線

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この斜め反対側に 太鼓門

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太鼓門は本丸大手の正門。脇戸付きの櫓門  第二の防衛線になっています。

いよいよ本丸 南北300m 東西約 30~180mという広場です。

          
見晴らしがいいです。

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立派な梅の木がたくさんありました。

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馬具櫓 

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石壁手前の券売所の奥から天守閣に入ります。

お城本体を本壇というらしいです。長くなってきましたので本壇見学は次回に  

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