13:20~15:34 三井寺(園城寺)
三井寺は小説などにも出てきたりして関心がありました。その上、旅の先達alice様、kikuko様のブログを読ませていただいていよいよ行きたくなっていたお寺です。
バスの中でガイドさんから説明がありました。
三井寺は 686年創建。天智天皇の皇子である大伴皇子(弘文天皇、明治になっておくられた諡号)の子大友村主(すぐり)与多王が父の御霊を祀るために建てたものです。王が田園城邑を投じて建立したので天武天皇より「園城」の勅額を賜り「長等山園城寺)と称しましたが、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があるので御井(みい)の寺ともよばれているのだそうです。
貞永年間(859~877)になって、智証大師円珍和尚が園城寺を天台別院として中興、東大寺、興福寺、延暦寺と並ぶお寺となったのですが、円珍の死後、延暦寺とたびたびいさかいを起こし焼き討ちにあっています。

バスが停まったのは仁王門手前の駐車場です。
私がここでどうしても観たいのは文化財収蔵庫にあるという「訶梨帝母倚像(かりていもいぞう)」です。aliceさんが聖母子像のよう、とブログに書かれていたので是非ともみたかったのです。皆さんと一緒に歩いていて見る暇があるのかどうか心配で、歩き出す前に「2、30分でいいから収蔵庫に行く時間がほしい」といいましたら、余裕らしかったので最初は一緒に順路通りに行くことにしました。ところが皆さん、三井寺には何度もいらしているのか、金堂の前で散り散りになりました。
まず目につくのが 仁王門(重文)桧皮葺
1452年の建立、甲賀郡の常楽寺にあったものが伏見城に移され、さらに1601年家康の寄進によってこの三井寺にもたらされたものです。

寺院建築というのにも不案内です。鎌倉の東慶寺や明月院は門というほど立派なものはありません。(円覚寺には立派な山門がありますが)それにこういう形。(日吉大社もそうでしたが)去年臼杵で驚きました。調べてみると門の形式には色々あるらしくて、このように門の上が二階建てになっているのを楼門というそうです。二階建てだけれど、一階部分に屋根がないのも特徴的です。楼というのは高く構えた建物という意味だそうです。私は横浜ですから、中華街のナントカ楼を思い浮かべてちょっとおちつきません。

門をくぐるのではなく脇から入ります。
まっすぐ進むと横にみえているのが 釈迦堂 通りすがりに眺めただけです。室町初期の建築。
御所の旧清涼殿を下賜されたとつたわっているそうです。(買ってきた冊子に書いてありました。中に入ってよくみればよかった!)

三井寺にはそこそこ人がいました。
進むと階段があります。金堂が見えています。

左に回って
金堂 (国宝)現在の建築は 秀吉の北政所により1599年に再建されたもので、桃山時代を代表する名建築だそうです。

(角度をなおしたので少し端がおかしいです。それとカメラのレンズがくもっていることに気がつかなくて、どれも白いもやが浮いています。)
金堂の屋根のそり具合がすてきです。中の仏像を拝むために上がられた方もいらっしゃいましたが、私たちはパス。でも本を見ると、内部構造も面白そうだし、持ち送りの彫刻もよさそうで、しまった、と思っています。ここで御姉妹は観音堂へ行くからと離れ、結局バスガイドさんと私たち夫婦三人で歩きました。
少し離れて鐘楼 有名な三井の晩鐘がつるされています。1602年の再建

三井の晩鐘として有名なこの鐘は宇治の平等院、高尾の神護寺の鐘とともに日本三銘鐘といわれています。音色がいいらしいです。

金堂の横に回ると
閼伽井屋 (重文)三井の霊泉 天智・天武・持統天皇が産湯に用いられたという泉がわきているそうで、覆屋は1600年の建立。正面上部の竜の彫刻は 左甚五郎によるもの。
中には しめ縄をかけた石が見えました。

むかしこの竜が夜ごと琵琶湖に出て暴れたので甚五郎自ら竜の目に五寸釘を打ち込んだという伝説がつたわっています。(でもどれが五寸釘なのかよく判別できません)

その横には閼伽井石庭
日本最古(具体的にいつかは書かれていませんでした。創建当時からでしょうか)の庭園で蓬莱山を表していると立て札にありました。

中央より 人、神仏、鶴、亀 と配されているそうです。
石庭を回り込むようにして 上がって行くと霊鐘堂
ここに 弁慶の引き摺り鐘と呼ばれる鐘(重文)と 弁慶の汁鍋がおかれていました。
奈良時代の梵鐘で、弁慶が奪って比叡山に引きずり上げて撞いてみると「イノー、イノー」となったので怒って谷底へなげすててしまった、という言い伝えがあるのでこうよばれています。
先に進むと一切経蔵(重文)

すっきりとしたいい建物なのに、おかしな写真になってしまいました。
室町時代の建築で1602年毛利輝元により山口県・国清寺より移築・寄進されました。
中には 回転式の八角輪蔵があります。軸があって回転します。鎌倉の長谷寺でも見ました。

先へ進み橋を渡ると 唐院と呼ばれる一角になります。
唐院は智証大師の廟堂としてもっとも神聖な場所になります。
三重の塔(重文)


室町初期の建築、大和の比蘇寺にあったものを秀吉が伏見城に移し家康が1601年に三井寺に寄進したもの

手前が 唐院 潅頂堂 (重文) 奥に少し見えている瓦葺の建物のが長日護摩堂(
右奥にみえているのが唐院大師堂の唐門です。大師堂はかろうじてみえていますが、大師堂には国宝・智証大師像二躯、重文・黄不動尊立像をまつっているそうです。
これまで見てきて気が付いたことは三重の塔と護摩堂をのぞいてどれも屋根が檜皮葺であることです。にわか勉強では神社の屋根には瓦を使わない、とのことでしたが、ここはお寺でも殆ど瓦は使われていません。
理由はわかりませんが、瓦屋根はときにぎらつくこともあります。ここの檜皮葺のお堂はどれもとても落ち着きがあっていいなと思いました。この潅頂堂、胴体の部分はすっきりしてある意味モダンでもあるのですが、屋根を見ると田舎家風にも思えて親しみさえ感じます。
ここで案内予定のところは終わりなのでガイドさんとは別れました。階段をおりて文化財収蔵庫に向かいます。
ここは唐院への参道になっています。

美しい参道です。この横に「おちょやんロケ地」の看板がありました。

↓村雲橋


この突き当りを左に曲がると収蔵庫はすぐです。空いていました。実は東京の美術館を思い浮かべ、限られた時間で入館制限にあっては困るので前日にお電話しておききしましたら、平日に混むことはありません、ということでした。
入るときにお一人出ていかれてあとは二人きり、混むどころか閑古鳥が鳴いていました。
写真を撮り忘れたので買ってきた冊子の中から

左頁は 勧学院客殿の障壁画(狩野光信筆)です。
お目当ての「訶梨帝母椅像」はあの仏像が見えている裏側にありました。

これは絵葉書 収蔵庫の売店に井浦新さん撮影のクリアファイルがありましたのでそれも買いました。

いいお顔です。
想像していたよりずっと小さくて、高さ43.5㎝です。鎌倉時代(13世紀)のものです。
檜の寄せ木造りで彩色されています。衣の襞など、鎌倉初期の写実的な表現がよく表れている、と説明がありました。
訶梨帝母 とは鬼子母神のことで1000人の子がありながらよその子供を奪ってたべていたのが、お釈迦様によって改心させられ以後子供の守護神となった女神だそうです。右手には子孫繁栄のシンボルであるざくろをもっています。
キリスト教の聖母子像にも「ザクロの聖母」というのがあります。aliceさんはキリスト教の聖母子に似ているけれどキリスト教伝来は16世紀だから、、、とお書きになっていらっしゃいました。
おっしゃる通り、時代から言って隠れキリシタンが持っていたマリア観音ではありえませんね。
でも 聖母子像に似ている。
キリスト教の聖母子はエジプトのホルスに乳を与えるイシス神の像が元だと言われています。それがキリスト教では聖母マリアとその子イエスになり、仏教になると鬼子母神になる(ほかにもあるのかもしれませんが)という発展の仕方をした、と考えられそうです。図像の類似ということを考えるとキリスト教の図像が先でそれが東の方に伝わってきた(直接にキリスト教伝来ではなくても図像だけ)真似たのかもしれません。そうそう中国にはネストリウス派が入ってきていましたしね。推測するだけでなく詳しく知りたいところです。
調べてみると鬼子母神像は色々でてきますが、この三井寺のものが一番上品で美しい作品だと思いました。
朝鮮鐘もすてきでした。太平年間の銘がありますが、高麗時代の」作品(11世紀)総高77.2 ㎝、口径50㎝

これはホームページからお借りしました。展示されているときの向きでは下の飛翔天は見えなかったと思います。DVD(後述)では はっきり大写しにされていました。
鐘の形は東西で全く違います。ヨーロッパの教会の鐘は裾が外に開いています。日本(朝鮮も)のものはそのまますっとおりてきて外にむかってひらいていません。音はうちにこもった音になります。打つのも外からと内側から、と違います。どうしてこういう違いができたのでしょうか。
ヨーロッパの教会の鐘は村の人達に礼拝の時を知らせるためといわれています。(修道院では村人に知らせる必要がないので 鐘楼のないところがあります)お寺はお坊さんのため?遠くまで聞こえはしますが、煩悩を鎮めるとかの意味があるから? などと推測もしてみました。
日本を含めた東洋文化について少し勉強したくなりました。
なお 三井寺のホームページはよくできていて宝物は全て解説付きで見られます。
三井寺(天台寺門宗総本山園城寺) (shiga-miidera.or.jp)
帰りにショップで三井寺のものと収蔵庫のものについてのと二冊、本を買いました。いずれも写真が美しいです。
収蔵品ガイドの方はDVDが付いています。
このDVD最初に一覧が出てきて見たいものをクリックするとその作品についての解説が始まります。写真の方も、例えばザクロの部分を拡大するとか、衣の柄を拡大、とか後ろ側を見せるとか、とてもよく分かります。買ってよかったです。
この収蔵庫、点数はさほど多くなく、二人とも仏様の絵などあまり関心がないので、20分たらずで出ました。15:10前です。集合は 15:40です。ゆっくり戻りました。
だめもとで勧学院に行ってみました。金堂に戻る途中、左の坂を少し上がります。
↓あの坂を少し上がります。人物を消す、という処理をしたので 壁の石が少しずれてしまいました。

矢張りダメでした。

丁度3人ばかり女性グループが出ていらっしゃるところで「やっぱりだめだった、そこで入れなくなっていた」とおっしゃっていましたので強引に入ってみることはやめにしました。
aliceさんは智証大師生誕1200年の年においでになり、特別公開でここに入られています。調べてみると(滋賀・びわこ観光情報)3名以上で事前予約すれば入れるそうです。もう一つの光学院客殿も同様。なかなか同じところに二度行く余裕はないのですが、このお寺はとてもよかったので出来れば娘でも誘って人数をそろえてまたきてみたいです。
ゆっくり散歩しながら集合場所に向かいます。

金堂が見えます。

このメインの通りは少し人出がありますが、横に入ると殆ど人はみかけませんでした。金堂までは行かないで手前の道をまわるようにして仁王門の方に戻りました。

桜もそろそろおしまいです。
三井寺、期待に疑わず、というかそれ以上に素晴らしいお寺でした。
お寺の案内には拝観所用時間5,60分とありました。たっぷり2時間あったのですから 時間配分を考えた歩き方ができればより充実した観光ができたのにという思いが残っています。
皆さん早めに集まられたので15:34出発して今日の宿泊地 京都に向かいました。
ホテルのことは次回に
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