2021年秋京都 5-4 (清水寺~帰宅)
10月22日 続き
清水寺へ行く道すがら「昔、清水寺へ行く時、坂道を上がって行ったという記憶がある?」「ないなあ」。
まわりは若い人が多いです。坂道など気にしない人たちばかり、さっさと歩いています。修学旅行なのか制服姿も混じっています。清水寺は京都一年生がいくところ。いまさらの感があります。
でも憶えているのは途中のお土産物屋さんと、舞台から眺めたことだけ。
お寺の敷地内にいろいろな建物があったことは全く覚えていません。
が今回は二つのカルチャーセンターの講座、建築と日本古代史の影響から行く気になったのです。
歴史は丁度この時間桓武天皇をやっているときでした。
桓武天皇の時代に征夷大将軍だった坂上田村麻呂と清水寺の関係を始めて知って、俄然興味がわいていたのです。
清水寺 音羽山 清水寺 (kiyomizudera.or.jp)
創建は778年、奈良で修行を積んだ僧、賢心がこの地に滝(音羽の滝)を見つけ庵をむすびました。
2年後、鹿狩りにこの地を訪れた坂の上の田村麻呂は賢心の教えに感銘を受け、十一面千手観世音菩薩を御本尊として寺院を建立し、音羽の瀧の清らかさにちなんで清水寺と名付けたのです。
伽藍建立当時の本堂は支援者であった田村麻呂夫人の住宅一棟が寄進されたと伝えられています。
14:14 仁王門の前に着きました。
仁王門は応仁の乱(1467~1477年)に焼失。16世紀初めに再建されました。(重文)
京都という町は応仁の乱によって壊滅的打撃を受けそれ以前の建物は残っていません。京都で現在見られる多くの古い建築物は江戸初期のものだそうです。
左に見えるのは馬駐(馬留め) 室町時代の形式がよく残っているそうです。(重文)
6頭分つなげるようになっています。ここで馬をおりて参詣したのです。
上がると西門(重文)(1631年再建)奥が三重塔(1632年、家光により再建)(重文)
反対側から
この西門からの景色、特に夕景はすばらしいそうです。
鐘楼(1607年)装飾は桃山のパターン
奥から 三重塔、経堂、田村堂(開山堂) 写真に移っていない手前には 朝倉堂、
尾根伝いに建っていて風が強いので一直線に並ベて建てています。
ここからは有料
轟門
廻廊を通って本堂へ
今回の目的の一つは懸造りをしっかり見ることで下。貫を左右に通している。
下に音羽の滝が見えました。
池(?)の石の所に修行僧が立って滝行をしているのがみられることもあるそうです。
昔、上の「奥の院」辺りに修行僧が庵をむすんでいたらしいです。
本堂、大きいです。
↓清水寺のホームページから
内々陣の中央台形の形に盛り上がっているのは(厨子を載せる須弥壇の下に旧本尊を祀った)土壇。磐座信仰の磐座に当たります。舞台から見下ろすと音羽の滝。
この霊地を壊さずに建物を作るために懸造りになったそうです。
屋根、照りむくり 檜皮葺き お寺の屋根は瓦葺だが、ここは元住宅だったということもあるだろう、と言うお話でした。
この後、後ろの地主神社へ
地主とは仏教が入る前の土着の神のこと。清水寺の本堂は自主権現の拝殿のような位置に建てられています(地主神社のホームぺージによると)。
拝殿の手前に一本の桜の木があり、1300年代、その下で連歌をやっていたそうです。(下写真、えんむすびの幟の横)。
奥の方は人がいっぱいでよく見ていないのが今思うと残念。
左が拝殿、右が本殿 間に手前と奥に石。目を瞑って向こうの石まで行ければ恋はかなう、という恋占いの石があり、やっている人を見かけました。一人はうまくいき、一人は売店の方に行っていました。
次に釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院へ
本堂の舞台を眺めるには、この写真右奥の舞台が最適な場所です。上の方の本堂の写真はここから撮ったものです。
階段を下りると音羽の滝です。
滝の前にある売店、もとは瀧拝殿。私はアテルイの碑がみたかったので、ここで場所をききました。順路に従っていくとすぐある、とのことでした。ほんの数分行ったところにありました。
田村麻呂、きっと意気に感じた相手だったでしょうに、二人が殺されたのはとてもつらかったと思います。
三重塔を見上げ池の横を通って
いつの間にか仁王門の下の広場に来ていました。
丁度1時間立っていました。
今度は清水坂も下りだかららくです。でももう疲れました。
産寧坂と清水坂、五条坂が交わる所、行きにタクシーが次々お客を運んできていました。あそこでタクシー拾いたい、と思いながら行くと丁度、一台きたところでした。ホテルに戻ることにしました。本当は五条坂を行くと河井寛次郎記念館に行けるのですが、その時は気力がありませんでした。
ホテルに戻って荷物をピックアップしてまたタクシーを拾って駅へ。 (16:05)
新幹線のチケットは18:30発。早すぎです。やはり河井寛次郎美術館にいけばよかった、、、。
とりあえずコインロッカーにキャリーを入れて伊勢丹へ。地下にいって帰りのお弁当を買っておきましょう。しにせ弁当の売り場に行くと、まだ和久傳の「鯛チラシ」が4折りありました。主人は「もう鯛チラシはいい、おなかもそれほどすいていない」 お昼、私のぶんも天婦羅をたべたのでまだもたれているらしいです)
そうして小さい柿の葉寿司を見つけてきました。
何か他に買うものは?でも密は避けたいのでデパ地下を出ることにしました。
もうすることはありません。チケットをはやいのにとりかえられないかしら?
30分早めてもらえて17:54発にはできました。
キャリーをだして、そうそうお漬物くらいは買いたいと、それに主人はビールを買ってから改札を抜けました。
新幹線は空いていました。二人席はかなり乗っていましたが、三人席は殆どあいていました。
お弁当も安心して拡げられます。この鯛ちらし、ブログでは評判がよさそうです。
でもお店で一切れたべさせてもらったのとは違います。ごはんがパラパラ、パサパサなのです。お店のほうがずっとおいしかったです。
それにこの鯛、しっかりたくさん敷きつめられているのはいいのですが重なっているのでとりだしにくかったです。
横の煮物はおいしかったのに、ちょっとがっかりなお弁当でした。
柿の葉寿司は残りを翌朝、いただきましたが、柿の葉に包まれているせいか、しっとりして翌朝でもおいしかったです。
新幹線は名古屋でどっと人がのってきて満席近くなりました。名古屋までに食事をおえてまたマスクをつけることができていたので助かりました。
順調に帰宅。18349歩
やはり5日間は無理だったのではないか、と言われるほど疲れて翌日は何もできず、其の後数日間、足は痛かったです。
こうして旅日記を書いていると見逃しを発見することが多く、残念な気持ちにもなりましたが、お天気に恵まれ、いい旅ができたとはおもっています。(旅日記完)
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