福岡県へ 3日目ー2(太宰府天満宮→九州国立博物館→帰宅)
11月27日(土)続き
光明寺から天満宮参道まではほんの数分です。
土曜日なので覚悟はしていましたが、ものすごい人出です。
人の流れに押されて行くと赤く塗られた太鼓橋、
ここで11:48 先にお昼を済ませましょう。地図から「うぐいす茶屋」というのが場所的に良さそう、と一応予約のお電話を入れてあります。お店の方は「予約なしで大丈夫ですよ」
太鼓橋を又戻って脇の道を行きます。
家族連れの多い大衆的なお店でした。すぐ座れましたが、かなり待たされました。
私は釜揚げ野菜天婦羅細うどん、主人は鍋焼きうどんでした。
頂く前に写真を撮り忘れたのでメニュー写真です。
普通に美味しくいただきました。
12:35過ぎにお店を出て、まずは天満宮へ
お店は境内と言える場所にあります。出てまっすぐ行くと
「如水の井戸」
黒田如水、黒田官兵衛は剃髪して二年くらいこの天満宮内に庵をむすんで住んでいたのです。キリシタンでしたけれどね。弟の直之が秋月のところで出てきたので、なんとなく懐かしさみたいなものを感じました。
すぐ横が宝物殿。結局、ここには入りませんでした。曲がるとすぐ楼門です。
太宰府天満宮
菅原道真(845~903年)学者の家系でしたが、宇多天皇の側近として出世、娘を女御として出すほどとなりましたが、(カルチャ―の先生によると、いい加減でやめとけばいいのに、欲をだした、と言うことになるのですが)妬みをかったようで、左遷、大宰権帥として901年九州にくだることになったのです。住んだのは地図左下の今は榎社となっている、もと府の南館があった所ではないか、と言われる場所です。亡くなられて門弟であった味酒安行が亡骸を牛車に乗せて進んだところ、牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうと、その地に埋葬されることになりました。
905年 墓所の上に祀廟が創建され、919年には勅命により社殿が建立されました。
その後、道真の無実が証明され「天満大自在天神」という神様の位を贈られ、「天神さま」と崇められるようになったそうです。
楼門は何度か火災にあい、現在のものは1911年に再建されたものです。内側と外側が違っていて、内側は屋根が一層だそうですが、行ったときは知らなくて、内側からみた写真は撮っていません。
↑手水舎
現在の本殿は1591年、小早川隆景が再建。いかにも桃山時代!と言う豪華さです。
本殿の前はざっとみて十数人が7,8列にならんでいる、という状態です。横の方に回って撮りました。
少しおくれての七五三の御参りの方も多くて、きれいな着物姿の子供さんを多く見かけました。あの中もお祓いの順番を待っている人達のようです。
右手が「飛び梅」です。
東風吹かばにほいおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ
道真公を慕って、都から一夜にして飛んできた、として知られる梅、だそうです。
囲いの外を一回りしました。この天満宮は流れ造りです。切妻平入り。
大楠
後ろ側もみたくて敷地の外側をぐるっと回りました。
後ろ姿 垂木の先には梅のマークがついています。
このまま向こうに回り込むようにして進むと 池がありました。
梅の種納め所
紅葉がみごとでした。
御神牛
頭をなでると知恵が授かるそうですが、コロナ時期ですから触りませんでした。
ひとまわりしたので博物館に向かいます。
九州国立博物館(12:55~14:25)
この入口から長い長いエスカレータ―にのり、動く歩道に乗っていくと
ここに出ます。中に入って聞くとなんと70歳以上は常設展は無料だそうです。特別展は海幸・山幸というのをやっていましたが、それはパスすることにして3階に行きます。保険証か何か年齢を証明するものを見せることになっています。 もちろんもっていましたから、すんなり入れました。
展示は、「縄文人、海へ」「稲作りから国造りへ」「遣唐使の時代」というふうに時代ごとに分けて展示されています。そうして特にカメラ禁止のマークがついていないものは撮影OKです。ヨーロッパの博物館並みです。
特に気になったものだけ写真を撮りましたのでそれを並べます。
残念なのは撮ったつもりで縄文時代の丸木舟を撮っていなかったことです。
そうして、ここで観世音寺の梵鐘が展示されていたのです。まだ 戒壇院と観世音寺を混同したままの私は、ああ、ここに鐘をおいたから、なかったのだなと思いました。どちらかがレプリカということになるのでしょうか。(kikuko様がコメントを下さいまして、来年3月までこちらこちらに展示されていることになっているそうで、大失敗にもかかわらずホンモノを目にすることができました!)現地でみられれば雰囲気があってよかったのに、とは思いますが。
ここでは1分毎に鐘の音が流れるのです(実際に撞いているのではなく録音)。音量をしぼってあるのかもしれませんが、大きな音ではなく又グワーンなどという濁った響きでもなく、優しく柔らかいといってもいい音でゴーンとなっていました。
九博のホームページを見ますと、来年1月16,17日 妙心寺の鐘ときき比べ 鳴鐘会(めいしょうえ)をするそうです。
九州国立博物館 | 催し物案内:「妙心寺鐘・観世音寺鐘」鳴鐘会(めいしょうえ) (kyuhaku.jp)
観世音寺の梵鐘
観世音寺は天智天皇が朝倉広庭宮で661年に亡くなった母親の斉明天皇も冥福を祈るために発願されたもので、80年後の746年に完成。九州の中心的なお寺でした。
鐘は日本最古の銅鐘で京都・妙心寺の梵鐘と兄弟鐘といわれています。
鐘の正確な鋳造年代はわかっていまないが、兄弟鐘の京都・妙心寺鐘が698年であることから、このころ鋳造された、考えられている。この梵鐘の撞き座の蓮華模様は蓮弁の表現、中房の周りの蕊の表現などが、田川市・天台寺跡(新羅系)軒瓦と酷似しており、両者の関係は古くから注目されていた。梵鐘の口縁部に線刻された「上三毛」も豊前国上三毛郡を示すと考えられている。
この地の朝鮮半島系の人々が観世音寺の梵鐘の鋳造に際して、工人としてかかわったことを示している。
『渡来系移民』岩波書店より
菅原道真が家の外に出られないのを嘆いて作った詩には「都府楼は纔かに瓦色を看る 観音寺は唯(ただ)鐘声を聴く」というのがあります。
遣唐使船の模型
パキスタン クシャーン朝 2,31世紀 仏伝「結婚」 (個人蔵)
中国 西安市 8世紀の仏像レリーフ 仏像にはいまだ関心がもてないのですが、これは好きでした。
どこかヨーロッパのロマネスク彫刻に通じるものを感じます。
花鳥蒔絵螺鈿聖龕 16~17世紀
近世初期、西欧に輸出された教会祭儀用の漆器の一つ。聖画を納める厨子形式になり、器形はヨーロッパ人(イエズス会宣教師)の注文、技術は日本の蒔絵、螺鈿などの漆芸、意匠は和様折衷という特色をみせている。近世初期の日本と西欧の文化交流の象徴的な作品。南蛮漆芸の中でも最上等のもので、油彩の聖母子像はヨーロッパで制作されたものである。(解説より)
ここれは時代が下って19世紀のものになりますが、フリーメーソン螺鈿箱 長崎製輸出漆器(長崎青貝細工)
上に「プロビデンスの目」がついてコンパスや定規など石工職人ギルドだったことの名残からくるシンボルもちゃんとつけられていて、驚きです。日本でこういうものが作られていたなんて。
私が今受講しているカルチャーの先生は「日本が鎖国をしていた、というのは間違い。窓口が幕府に一本化されていただけで、交流はあった」とおっしゃっていますが、春に見た朝鮮人街道のこととも思い合わせて頷けるものを感じました。
潜伏キリシタン関連として
徳化窯 明~清時代17世紀、1856年の浦上三番崩れの没収品 (東博蔵)
長崎奉行所が1669年に作らせたとされる真鍮製の20枚の内の一つ(東博蔵)
ロザリオ 1867年の「浦上四番崩れ」の没収品(東博)
琉球王国のてわざ として模造復元品の展示がありました。私は「琉球紅型」の着物がみたかったのですが、その展示はありませんでした。
聞得大君御殿雲龍黄金簪(きこえおおぎみうどぅんうんりゅうおうごんかんざし)
径が7,8㎝もある大きなものですが、中は空洞でごく薄いものなので軽いそうです。
かなり前にNHKで琉球王国が舞台の「テンペスト」というドラマがありました(仲間由紀恵が主演)。
これを見て以来、沖縄に行きたいと願っているのですがまだはたせていません。
そのドラマに聞得大君がでてきました。いじわるだったような、、、。 もう殆どおぼえていないのですけれど。
作品のいくつかは九博のホームページでご覧になれますので、このくらいにします。
外へ出て また 太鼓橋
参道
大宰府と言えば梅が枝餅、やはり買うことにしましょう。売っているお店はたくさんありますが、傘之家が有名店のようです。
あら、お隣はスタバです。 木材の積み重ね、隈研吾氏の設計ということがすぐ分かります。
傘之家はこの向かい側にもあります。向かい側の方が行列が長かったです。
二個だけ買いました。今なら15:00発の大宰府ライナー旅人に乗れそう、となると急ぎたくなりました。あとから思うと飛行機は18:00ですから、それほど急ぐ必要はなかったのですけれどね。この辺のお店を覗くのだって楽しそうでしたから、残念なことをしました。
西鉄大宰府駅には15時10分前に着きました。
15時少し前にバスが2台来ました。座れそうでしたが、かなりの人が並んでいました。そのため臨時便をだしたようでした。
バスは渋滞が心配で、早い方がいいかと思ったのですが、係の人に聞くと「渋滞しても福岡まで40分くらいですよ」
この大宰府ライナーというのは福岡国際空港に停まって、国内空港にはとまらないのです。終点の博多ターミナルから地下鉄で空港に行くらしいのですが、国際空港と国内空港間のシャトルバスがあります。それに乗ることにして国際空港でおりました。
15:29国際ターミナル着 すぐ隣のバスストップにシャトルバスが来ます。
15:30 シャトルバス到着 ピッタリのタイミングでした。この時間帯バスは15から20分間隔であるようでそれほど長く待つことはなさそうです。(でも利用なさる方はあらかじめお調べになってください)
無料です。でも座り心地は悪いです。空港内で移動するときに乗るあのバスですから、座席も少ないです。今回は乗る人も少ないので座れました。広い飛行場の中をぐるぐる回ります。ところどころゲートがしまっているところを開けながら。
15:45 国内線ターミナル着
福岡空港は広いです。カードで入れるラウンジに行きました(端の方で遠かったです)
長ーい待ち時間。17:00までそこですごして
ここはチェックインカウンターが1階で保安検査が2階、迷ってぐるぐるまわって 搭乗、
無事家に帰れました。 16927歩
九州はこれで四回目です。でも古代に目を向けたのは初めてでした。それぞれどこもお国自慢、郷土を誇りに思う気持ちはあると思うのですが、北九州は特に熱気を感じました。邪馬台国、やはり北九州かな?
このような充実した旅ができたのはkikuko様のブログを読ませていただいたからこそです。
心から感謝いたしております。
福岡旅行 完
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