対馬・壱岐旅行 4日目―3
5月18日
11:45頃 博物館を出発 5分ほど走ったところで「海鴉」の醸造元 壱岐の華酒造の横を通りました。
海辺を行きました。金刀比羅宮神社です。
昼食 はらほげ食堂 にて
バスガイドさんが 昭和の食堂、とおっしゃっていましたが、食堂という名前がピッタリのお店でした。
うにめし
うにめし、ウニの炊き込みご飯で生うに丼 ではないことは承知していましたが、やはり 生うに丼 がいただきたかったです。うにの炊き込みご飯もおいしかったのですが、、、。
サザエの横にあるのは「はるか」という柑橘類、これはすっきりした甘さでおいしかったです。
12:30 食事が終わって はらほげ地蔵は近くだから、と歩いていきました。
はらほげ地蔵
六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)において、衆生の苦患を救う六体のお地蔵さまが海の中にたてられています。
今は干潮なのでそばまで行けますが、満潮になるとそばにはいけません。
お地蔵様のお腹に穴があいている(ほげている)ので「はらほげ地蔵」と呼ばれています。いつ、誰によって安置されたかは不明です。干潮時に穴にお供えをいれ、再び干潮になる時お供えが海中に運ばれるさいに祈りをささげたのが始まりと言われています。遭難した海女の冥福を祈るため、捕獲した鯨を供養するため、あるいは体内の病気を洗い流す為など様々な祈りを込めて今もお彼岸などには地域全体で供養されているそうです。
半島の埋め立てのために、位置は次々変わったのですが、最初、移動させたとき、その下から鯨の骨がでてきたそうです。
5分ほどバスに乗って
見えてきました。
左京鼻 (12:59~13:25)
江戸時代に干ばつが続き、陰陽師の後藤左京らが、この場所で雨ごいをしたら、雨が降ったと言う伝説があることからこう呼ばれています。
およそ1㎞続く断崖は玄武岩が柱状節理のようになっていて「観音柱」とよばれているそうです。
これはもとは二本の柱がたっていて、夫婦岩といわれていたのですが、今 一本は折れてしまっています。
海の色がきれいです。
海女さんがいました。
今、海女さんはレオタードを着てもぐります。ウエットスーツだと長く潜ることになって、体の負担になるので着用禁止だそうです。
おお、雲丹がたくさん獲れています!
横が少し丘のようになっていて、突端に鳥居がありました。
美しい海に別れを惜しみつつバスに戻りました。
13:23 バスに乗って またうっとりするような海岸を観ました。
清石浜というようです。
ジェットフォイル乗り場にお土産物屋さんがなく、フェリー乗り場にはあります。 それでまだ買い物をしたい人のためにと、少しだけフェリーターミナルに寄りました。
そのそばに
少弐資時像がありました。少弐資時は12歳の時、文永11年(1274年)の文永の役で初陣、弘安4年(1281年)の弘安の役で日本軍を率いて、壱岐島を占領する東路軍と戦い、戦死しました。享年19。この像は元寇720年 を記念して建てられたものです。
ジェットフォイル乗り場に移動
壱岐芦辺港は対馬から福岡への経由港ですからですから船が着くとすぐ乗船です。
14:25~15:35
今度は進行方向右側です。乗ってすぐ右手に右京の鼻のあたりが見えました。右の方に丰が建っているように見えるのが 鳥居です。
海は今日も穏やかでした。絶えず島影、もしかしたら九州本土?が見えました。
ジェットフォイルは速くて便利ですが、着席してシートベルト着用が義務、で歩きまわることができません。フェリーなら甲板に出て風に吹かれながら、周囲の景色を眺められるのに、と少し残念でした。
福岡です。
着くと待たせていたジャンボタクシー二台に分乗して空港に向かいました。
空港で伊丹からの方(7人)と3組の夫婦、羽田、名古屋組とに分かれました。
旅行後2週間たちましたが、コロナ感染の気配はありません(このツアーはワクチン3回接種、もしくは抗体検査が必要)。
飛行機は18:00発を予約しているので時間に余裕があります。おなかも少しすいているのでフルーツパーラーでパンケーキ(バナナと生クリームたっぷり)&コーヒー・紅茶で一息入れて 搭乗。
19:20頃の東京湾上空
帰りの電車も空いていました。(リモートワークが進んでいるからだけでなく、あまり人は外出しなくなったのではないかという気もしています)
8919歩
私には少々ハードな旅でしたが、歴史の詰まった美しい二つの島への旅、満足しました。
お世話になった方々に感謝です。
(ワールド航空利用) 旅行記完
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