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対馬・壱岐旅行

2022年6月 3日 (金)

対馬・壱岐旅行 4日目―3

5月18日 
11:45頃 博物館を出発 5分ほど走ったところで「海鴉」の醸造元 壱岐の華酒造の横を通りました。

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海辺を行きました。金刀比羅宮神社です。

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昼食 はらほげ食堂  にて
バスガイドさんが 昭和の食堂、とおっしゃっていましたが、食堂という名前がピッタリのお店でした。

うにめし

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うにめし、ウニの炊き込みご飯で生うに丼 ではないことは承知していましたが、やはり 生うに丼 がいただきたかったです。うにの炊き込みご飯もおいしかったのですが、、、。
サザエの横にあるのは「はるか」という柑橘類、これはすっきりした甘さでおいしかったです。

12:30 食事が終わって はらほげ地蔵は近くだから、と歩いていきました。

はらほげ地蔵

六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)において、衆生の苦患を救う六体のお地蔵さまが海の中にたてられています。

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今は干潮なのでそばまで行けますが、満潮になるとそばにはいけません。

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お地蔵様のお腹に穴があいている(ほげている)ので「はらほげ地蔵」と呼ばれています。いつ、誰によって安置されたかは不明です。干潮時に穴にお供えをいれ、再び干潮になる時お供えが海中に運ばれるさいに祈りをささげたのが始まりと言われています。遭難した海女の冥福を祈るため、捕獲した鯨を供養するため、あるいは体内の病気を洗い流す為など様々な祈りを込めて今もお彼岸などには地域全体で供養されているそうです。
半島の埋め立てのために、位置は次々変わったのですが、最初、移動させたとき、その下から鯨の骨がでてきたそうです。

5分ほどバスに乗って

見えてきました。

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左京鼻 (12:59~13:25)

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江戸時代に干ばつが続き、陰陽師の後藤左京らが、この場所で雨ごいをしたら、雨が降ったと言う伝説があることからこう呼ばれています。

およそ1㎞続く断崖は玄武岩が柱状節理のようになっていて「観音柱」とよばれているそうです。

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これはもとは二本の柱がたっていて、夫婦岩といわれていたのですが、今 一本は折れてしまっています。

海の色がきれいです。

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海女さんがいました。

今、海女さんはレオタードを着てもぐります。ウエットスーツだと長く潜ることになって、体の負担になるので着用禁止だそうです。 
おお、雲丹がたくさん獲れています!

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横が少し丘のようになっていて、突端に鳥居がありました。

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美しい海に別れを惜しみつつバスに戻りました。

13:23 バスに乗って またうっとりするような海岸を観ました。

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清石浜というようです。

ジェットフォイル乗り場にお土産物屋さんがなく、フェリー乗り場にはあります。 それでまだ買い物をしたい人のためにと、少しだけフェリーターミナルに寄りました。

そのそばに

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少弐資時像がありました。少弐資時は12歳の時、文永11年(1274年)の文永の役で初陣、弘安4年(1281年)の弘安の役で日本軍を率いて、壱岐島を占領する東路軍と戦い、戦死しました。享年19。この像は元寇720年 を記念して建てられたものです。 

ジェットフォイル乗り場に移動
壱岐芦辺港は対馬から福岡への経由港ですからですから船が着くとすぐ乗船です。

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14:25~15:35

今度は進行方向右側です。乗ってすぐ右手に右京の鼻のあたりが見えました。右の方に丰が建っているように見えるのが 鳥居です。

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海は今日も穏やかでした。絶えず島影、もしかしたら九州本土?が見えました。
ジェットフォイルは速くて便利ですが、着席してシートベルト着用が義務、で歩きまわることができません。フェリーなら甲板に出て風に吹かれながら、周囲の景色を眺められるのに、と少し残念でした。

福岡です。

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着くと待たせていたジャンボタクシー二台に分乗して空港に向かいました。
空港で伊丹からの方(7人)と3組の夫婦、羽田、名古屋組とに分かれました。

旅行後2週間たちましたが、コロナ感染の気配はありません(このツアーはワクチン3回接種、もしくは抗体検査が必要)。

飛行機は18:00発を予約しているので時間に余裕があります。おなかも少しすいているのでフルーツパーラーでパンケーキ(バナナと生クリームたっぷり)&コーヒー・紅茶で一息入れて 搭乗。 

19:20頃の東京湾上空

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帰りの電車も空いていました。(リモートワークが進んでいるからだけでなく、あまり人は外出しなくなったのではないかという気もしています)

8919歩

私には少々ハードな旅でしたが、歴史の詰まった美しい二つの島への旅、満足しました。

お世話になった方々に感謝です。

 (ワールド航空利用)     旅行記完

2022年6月 2日 (木)

対馬・壱岐旅行 4日目ー2

 5月18日(水) 一支国博物館 (10:25~11:45)

「壱岐事典」という頂いたA4の立派なパンフレットから(壱岐についてのブログの記述はこのパンフレットにお世話になることが多かったです)。

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博物館ホームページ 壱岐市立一支国博物館-コンセプト (iki-haku.jp)

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入って正面。黒川紀章設計だけあってすてきな空間です。(ホームページから)
あの階段をあがります。

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正面、濃いブルーが神秘的でした。
ボランティアガイドさんの説明を受けます。
パンフレットから
弥生時代の壱岐は、東アジアの先進地・中国大陸や朝鮮半島と、海を介して隣りあう幸運に恵まれました。「海を街道」として、大陸や半島の新しい文化が、「ちいさな島」に、絶えることなく渡来し、それらは、のちに、日本列島の各地へ伝播、定着し、日本人の生活を大きく、豊かに変えてゆきました。
図らずも、先進地に最も近い「ちいさな島」は、列島への文化の取り入れ口として、頼もしい「大地」となってゆきました。 

中略)
一支国の都で、国際交流の拠点として栄えた、原の辻遺跡(国指定特別史跡)は、弥生時代の原風景を、現在に、よく遺し、倭人伝に記載される倭の30国のなかで、ただ1ヶ所、国の位置と、都の場所が、確実に判明する「奇跡の歴史現場」として、きわめて重要です。
鬼才・黒川紀章の設計で、最期の作品となった一支国博物館は、眼下に一望する原の辻遺跡を、最も大きな展示物としています。

うーん、凄い島なのですね。対馬の方が朝鮮半島には近いけれど山がちで、壱岐の方が平地が多く、稲作にも適して文化をとりいれ、中継ぎをする力があったのかもしれません。単なる通過点ではなく、文化の花開いた島だったのですね。(私にとって体力的にはきつい旅行でしたが、あらためて、行ってよかった!と書きながら思っています)

この後あの上の奥がビューシアターになっていて、しばらく交流物語のビデオをみました(やっと座れました)。船に乗ってってやってきた人物が歩きながら町を紹介し、恋をして、涙の別れ、という芝居仕立てになっていました。
ビデオが終わるとスクリーンがまきあげられて向こうに遺跡が広がります。

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この後、横の細くて保護のためにかなり明かりを落とした通路を歩きながら両側に展示された発掘品などを見ました。カメラ不可です。 壱岐市立一支国博物館-主な展示品 (iki-haku.jp)

ここで主要なものは見られます。通史ゾーン、古墳ゾーンを経て坂で1階に下りるようになっています。

金銅製亀型飾金具 については先ほど遺跡公園でもガイドさんにぜひ見るよう強調されたので、人だかりができていました。 1階におりて、どうしても観たかった柄頭を見なかったことに気がついてガイドさんにお聞きすると古墳のところにあるのでは? と言われてもう一度2階にあがって急いで同じ通路を通り抜けると、亀型飾りの横にありました!

単鳳凰輪頭太刀 双六古墳出土 古墳時代後期

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(上記ホームぺージから)
ホームページの説明)
2匹の龍が交差する装飾が施された環状部分の内部に珠〔たま〕を咥〔くわ〕えて横を向いた形の鳳凰が入っています。日本だけでなく韓国の古墳からも同形の柄頭が出土しています。

杏葉などは群馬旅行でみましたが、このタイプの柄頭は 初めて見ます。カルチャー講座では韓国のものをスライドでいくつかみていたのですが、今回実物がみられたのが嬉しくて、しばし見入りました。

満足して1階におりると船の模型がありました。 

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実は、往来した船はまだみつかっていないそうです。この船は埴輪から考えられたようです。

重要な発掘品として「人面石」の展示もありました。(写真不可)コピーなのでぼけています。

口は貫通していますが、目は石の半分まで彫り込まれています。

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先祖の霊を鎮める儀式に使われたと考えられている、国内唯一のもので、国指定重要文化財です。弥生時代後期(2000年前から1700年前)

楽しかったのは弥生時代の生活を再現したジオラマです(全体風景は壱岐事典の左ページ)

籏鉾川河口に渡来船が着いたところ

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小舟に乗り換えて 集落の船着き場

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運ばれてきた品物は市場で売られ(物々交換され)ます。

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今から2000年前頃に中国で使われていた通貨も発見されています。貨銭、五銖銭、大泉五十など。交換されたお金は通貨としてではなく、祭祀などで使われたそうです。(写真は上記ホームページで見られます)

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犬もかっていようですね。もしかしたらここで売っているのでしょうか?

家を建設中、奥は祭祀の場です。ジオラマの周囲はこのように発掘品が展示されていました。

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ともかく人物がリアルで楽しいのです。
巫女さんがお化粧をして準備中のようです。

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裏ではお供えの準備でしょうか。

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墓地です。

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人面石を掲げて祈祷しているようです。

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埋葬、石棺もあれば甕棺もあります。

 

墓を暴いてはいけませんえ。

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農作業

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一応見終わって辺りを見回していると「皆さん展望室にいかれましたよ」と添乗員さんがおっしゃるので、エレベーターで 4階へ。

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おりて1階のショップへ。図録と昨夜飲んだ焼酎「海鴉」があったのでそれを購入。海鴉は長崎県でしか売っていないそうです(日本橋の長崎県アンテナショップでは扱っています)。

この後バスに乗って昼食にいくのですが、写真が多くなってきたのでここで切ります。

2022年5月31日 (火)

壱岐・対馬旅行 4日目ー1

5月18日(水)旅行最終日です。

朝食前に主人はホテル横の公園にある「春一番の供養塔」を見に行きました。
「春一番」というのは春先に吹く南寄りの強風のことですが、その語源は壱岐にあるとされています。
1859年(安政6年)地元の多くの漁船がこの強風で遭難、53人の漁師が亡くなりました。これを知った民俗学者の宮本常一が昭和34年、俳句歳時記で解説し、その後気象庁が春先に吹く暴風としたことで定着したのです。 

春一番の塔

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気持ちの良い散歩だったようです。

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五十三霊淂脱之塔

朝食は7:00~9:00

私はおなかの調子があまりよくないのでパスしました。主人は食事にいきましたが、皆さんご心配下さったようでもうしわけなかったです。もともと小食ですから、無理していただきたくないのです。カロリーメイト一本ですませました。旅館の和朝食、好きなので残念でした。

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この会社は帰りの荷物宅配付きです。8:30までに宅急便で送る荷物をロビーに持っていく必要があります。それぞれのキャリーはで出してしまうことにして、当面必要なものだけ(バッテリーや化粧ポーチなど)トートバッグ(チャック付き)に入れました。キャリーは一つ引いて歩こうかと思いましたが、出して正解。やはりキャリー無しは楽でした。東京の場合は翌々日配達です。

9:00出発

9:06 焼酎の蔵元の一つ「山の守」の横を通りました。(昨日の海鴉の醸造元ではありません)

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壱岐は16世紀に麦焼酎つくりがはじまった、焼酎発祥の地です。壱岐は球磨(熊本)、沖縄の琉球泡盛、と並んでWTOに地理的表示の指定を受けています(その後、薩摩と白山が追加)
壱岐焼酎は米麹と麦が1:2だそうです。

9:14頃 復元公園が見えてきました。

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原の辻一支国王都復元公園 (9:19~10:14)

原の辻(はるのつじ)遺跡は登呂遺跡、吉野ケ里遺跡に続く弥生集落の国特別史跡です。ボランティアガイドさんに案内されて見学しました。原の辻は登呂や吉野ケ里ほど知られていない、とガイドさんは残念そうでした。

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遺跡のある深江田原(ふかえたばる)は長崎県第二の米どころ(一位は諫早)なので発掘調査は冬場に行われます。
深江田原の標高18mの丘の上にあり、24ヘクタールの環濠集落。

*300戸の竪穴住居があり、よく火事になっていた。
*大型建物は渡来人が建てた。
*この島には弥生遺跡が60ヶ所。

最初に見たのは入ってすぐの「従者の家」(多分、渡来人の従者ということだったとおもいます)

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内部

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従者の家を右に見るような位置からの眺め。中央の水色がツアーバス。
バスのとまっているところあたりが港のあった場所。日本最古の船着き場!(今は埋め戻されていて 見ることはできませんでした)
湾に通じる籏鉾川はあのあたりを流れていたようです。
   

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港は敷粗朶工法(盛土の間に樹木の枝葉を敷き詰めて基礎が滑らないようにする方法)で つくられていたそうです。中国→朝鮮半島→壱岐と伝わった技術。

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次に少し小高くなった祭祀の場所に行きました。

入口の柱の上に鳥! (鴨? 八咫烏?) 鳥居の始まりだとか。

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三棟たっています。

主祭殿 

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ほかの二棟は食糧倉庫(お米を入れていた)

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梯子が面白い。下駄の歯のようなものは、つけたのではな角材をくりぬいて段を造っています。

弥生時代の技術の高さをしめしているが、渡来人が大きな道具を持ってきました。土壁はありました。

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の田んぼの中に小さな小屋が建っています。あの手前の草むらあたりからたくさん陶器の破片が出てきました「土器だまり」。一度祭祀に使ったものはもう使いません。ケガレという考え方から。遼東半島のものもありました。

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物見やぐら
横の円形の家。再現するとき残っていた跡のカーブから大きさを推定したそうです。

その近くにあった建物

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足は 分枝柱が使われている。

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今回の旅行はお天気に恵まれました。この日は暑いくらいで、このあたりで疲れてしまって離れた石段に腰掛けてしまい、あまりよくお話をきいていませんでした。

その他 弥生時代、すでに家猫がいたそうです。

ここを出てバスに乗って籏鉾川を渡って

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安国寺のよこを通りました。

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1338年、足利尊氏が後醍醐天皇を弔い、平和祈願と元寇
元以来の戦死者の冥福を弔うために、従来あった海印寺を安国寺としました。非常に貴重な高麗初雕本の大般若経を所有しているのですが、その大半が盗難にあい、その一部とおもわれるものがが韓国で発見されたが返してもらえていないそうです。

10:20 一支国博物館(イシではなく、イキと読みます)

黒川紀章設計の建物です。

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内部写真が多いので ここでいったん切ります。

 

2022年5月30日 (月)

3対馬・壱岐旅行 3日目―3

5月17日 続き
月読神社の次は古墳巡りです。(13:03~14:30頃)
5~7世紀にかけて壱岐では数多くの古墳が造られました。江戸時代に書かれた、壱岐国続風土記には338基としるされていますが、現在のところ260基以上の古墳が確認されており、長崎県内の古墳の60%以上を占めています。古墳を造る費用のことを考えると壱岐の力の強さを改めて感じました。

壱岐は磐井の乱ではヤマト側につきました。この乱から薄葬礼までの間に多くの古墳が造られました。(古墳建設そのものは646年に薄葬令が出たことや仏教の広がりなどから廃れていくのですが、壱岐のように(関東でもそうでしたが)畿内から遠い地域では7世紀も続きました。)

壱岐では掛木、双六、笹塚、鬼の窟、兵瀬、対馬塚の6基の首長墓が「壱岐古墳群」として国指定史跡になっています。そのうち4基を今回見学しました。 

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今いるのは掛木古墳の前です。ここでボランティアガイドさんと待ち合わせして説明を聞きながら古墳巡りです。

掛木古墳 6世紀後半前半にかけて築造された円墳。現状は南北22.5m, 東西18m, 高さ7m。築造当時は直径30mと推定されるそうです。全室、中室、玄室の三室構造で両袖式の横穴式石室(両袖式というのは羨道の奥にT字型に玄室があるもの) 
玄室には島内唯一のくりぬき式家形石棺がそのまま残っています。

入ります。ちょっとワクワク。

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天上が低く、私でも腰をかがめなければならないほどでした。ついうっかり頭をあげてゴツン、帽子は絶対かぶっていた方がいいです。この大きな石もこのあたりでにあったものだそうです。

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家形石棺、玄室部分は少し天上が高くなっていました。狭いのでかわりあって観ましたが、どうしても他の方が映り込んでしまいます。

↓こんな感じで進みます。(これは出るとき)

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少しバスに乗って双六古墳へ。(バスを降りてから戻ってくるまで 25分くらい)

双六古墳は6世紀中ごろの築造。長崎県最大(九州で5番目)の規模。91mの前方後円墳。前方部の高さ5m。後円 部の高さ10.6m 横穴式石室で、全室右壁には船の線刻があるそうです。

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右の方へ回り込んでいきます。

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石室入口、線刻の風化を防ぐため入ることはできません。

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格子の隙間から

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まわりこんで 後円部(左)と前方部の間のところで説明を聞きました。

双六古墳には素晴らしい副葬品がありました。明日、一支国博物館で実物を見ることになります。

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ついでに笹塚古墳からの出土品の写真も見せていただきました。笹塚古墳からは金銅製馬具の副葬品が多く見つかっています。その中でもこの亀形の馬の額飾りは珍しいものだそうです。  

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 バスに戻ります。どの古墳間の距離もバスだと5分かかりません。次は鬼の窟古墳ですが駐車場に戻ったところで「時間があるから笹塚古墳に行きましょう」とガイド氏。私は双六古墳がゆるいけれど坂があったので、少しためらって、お聞きすると坂はあるがたいしたことはないです、ということで行くことにしました。お一人だけバスに残りました。

笹塚古墳 (ちゃんと見学してバスに戻るまで25分程度でした)

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木漏れ日の中を気持ちよくあるいていたら、この先急に下り坂、下ると上がらなければいけない、先を行く添乗員さんが戻ってきて「坂がきつそうですよ。ここで待っていますか?」そこで、ここで待つかバスに戻るかすることにして、戦線離脱。しばらく気持ちの良い木立の中にいましたが、立っているだけもどうかと、バスにもどって座って待ちました。

以下、主人の撮った写真

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全員バスにもどってきたところで少しバスに乗って次は

鬼の窟(おにのいわや)古墳
6世紀後半から7世紀前半頃に作象された円墳。石室は前室、中室、玄室の三室構造両袖式の横穴式石室で全長16.5m。
古墳の規模は直径45m,高さ 13.5m。島内で最長の石室を持ち、大きさは2番目。

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鬼でないとこのような巨石(大きいものは畳3枚分)を運ぶことができないから、というのが名前の由来だそうです。入口をとざすように大石がおかれていますが、これは後の時代に中に入れないようにするために置かれたものだそうです。

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ここをまたぐのは少し大変でした。

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14:34 出発 15分くらいバスに乗って宿泊ホテルへ

郷の浦港を見下ろす ビューホテル壱岐   

15:00にはお部屋にいました。

もうお布団が敷かれていました。

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ライティングビューローがモダンでステキです。

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この椅子が非常に座り心地がよかったです。どこのメーカーでしょうか?ほしくなりました。

広縁の反対側には化粧台

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窓外には港の景色が広がっています。

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古墳歩きで疲れていて、この眺めです。この後壱岐神楽を観に行くのをパスすることにしました。
16:15集合でバスで10分ほどの住吉神社にいくことになっていたのですが、あの椅子に座って持ってきた小説を読んで時々窓の外の海を眺めていました。

以下、主人が撮ってきた写真です。

住吉神社
神功皇后が住吉大神の守護によって三韓出兵を成し遂げ、帰途、現在の壱岐郷ノ浦に上陸して三神を祀ったのに始まると言われています。神社のある籏鉾川流域は古代より神聖な場所だったそうです。境内の神池から発見された神鏡177面の内12面は大陸系の物でした。
さがり宮といって、神社には道から階段を下りていきます。

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壱岐神楽は室町時代まで遡り、神職のみで舞うのは全国でも珍しいそうです。演目は「二弓」「篠」「八咫烏」「折敷」

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椅子に腰かけて鑑賞、全部で40分ほど。

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八咫烏

 

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折敷

17:40に帰ってきました。夕食にはまだ間があるので主人は先にお風呂。

18:30~ 3階の会場で夕食
最後の晩餐ですので飲み物一杯は会社のおごりです。ビールにしました。

テーブルにすでに用意されていたのは 

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シューマイのようなものですが、春雨がころもになっていておいしかったです。
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どれもおいしかったのですがもう多過ぎで殆ど手がつけられませんでした。

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壱岐は焼酎が有名なので次は日本酒ではなく焼酎にしました。いくつかあった中で長崎県限定販売の「海鴉」のロックを注文。私も少し頂きました。すっきりして、日本酒のような甘さがなくて気に入りました。ところが強かったのですね。回りました。

19:50頃お部屋に引き上げてぶっ倒れてしまいました。頭がガンガンして飲んだことを後悔しました。30分くらい寝るとすっきりしました。ヤレヤレ。
そのあと入浴。少し片づけ。明日朝、荷物を宅急便でださなければいけません。このツアーは帰りの荷物宅配付きなのです。

(8514歩)

2022年5月29日 (日)

対馬・壱岐旅行 3日目ー2

5月17日(火)壱岐、勝本続き

聖母宮(しょうもぐう)717年創建

神功皇后(仲哀天皇の后)仲哀天皇の急死をうけて身重ながら三韓征伐にいったのですが(200年頃?)その時この地から出向。風本とこの地を名付け、勝って帰ってきたので地名を勝本にしたそうです。

其の後この場所は放置されていたのですが「毎夜海中から光るものが昇り燈火のごとく静かにしばらくして燃えて又海に入る」という出来事が続いたため里人は五間四面の神殿に神鏡を納め、神功皇后をお祀りし聖母様とあがめたことがこの神社の由来です。聖母といってもキリスト教とは関係ないのです。

そういうことから神功皇后を御祭神とする神社です(祭神は他に仲哀天皇なども)
子の応神天皇を出産したのは筑紫ですが、この神社は 安産、勝利などのご利益があるとされています。

鳥居 本殿は右にまがったところにあります。

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西門 1592年に加藤清正によって建てられました。社地周りの石垣も寄進。
昭和5年土肥氏によって老朽化した脚材が一部取り換えられています。 修復した土肥家の家紋、 蔦がつけられているそうですが、はっきりしません。

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手水鉢 パラオからの寄進

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南門 1572年 肥前鍋島直茂が寄進 抱き茗荷の家紋がついているといわれたのですが、はっきりしません。

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本殿 

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丁度副宮司さんがいらっしゃったので外でしばらく説明を聞いたのち中に入ることができました。

神社が海辺に多いのは禊と関係がある。
島内には300社ほど神社がある。それらを統括しているのがこの神社。
神社に門があるのはここだけ。

本殿 に入ります。

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本殿は300年以上たっています。普通神社は式年遷宮といって、50年に一回とか建て替えられます。昔は設計図がなかったので、解体して建て直すことにより技術が伝承されていったそうです。100年以上たっている神社建築は殆どないそうです。

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本殿奥の祭壇(?名称を知りません)が豪華なので前に進んでみてください、とおっしゃってくださったので拝見させていただきました。江戸時代のもの。何年かは聞きませんでした。

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この像も貫禄です。

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外に出ます。

加藤清正が兵士たちのエネルギーのはけ口として積ませた石壁。

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馬蹄石
神功皇后が三韓の方向を見つめ気合を入れた際に、乗っていた馬にもその気合が伝わり、馬を乗せていた石に穴が開いたということだそうです。私の身長ではなかなか写真が撮れませんでした。
横には 文永之役 元軍上陸地 の石碑。1274年蒙古軍が来襲。この辺りは日本の最前線だったのですね。細く海が見えていますが、昔は海はもっと近かったそうです。

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この穴が馬の足跡 でも、ギモン。日本に馬が来たのは5世紀頃のはず。それ以前にも少しはいたのでしょうか?

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10:04 バス。時間があるので予定表にはない猿岩に寄ります、ということで猿岩へ。

10:32 まず 黒崎砲台跡へ

バスをおりて少し山の中の坂道を上がります(つらかった!)

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対馬海峡を通る戦艦を砲撃するためにつくられたそうですが、実戦に使われることなく戦後、解体されたそうです。

おりて 猿岩の見える公園へ

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まさにお猿!!
あの丘の所から正面が見えます。でも正面はお猿らしくないそうですが、殆どの方は見に行かれました。私は行かないでこの横にあったベンチで休憩。

主人が撮ってきた写真

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正面はただの岩、でも海がとてもきれいだったそうです。(頑張っていけばよかった!)座っていたところから海は覗き込めませんでした。

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多分11:05頃 出発

途中 湯本湾 松島というのは大袈裟だけれど松島のように島が多い。

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途中のバスの窓から見た「へそ石」(中央の石)。 壱岐の島の中心を表す石で、道標になっていたものです。

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芦辺港の「うめしま」で昼食 11:30~12:30
壱岐牛を使った料理ということでしたが、焼肉でした。
お魚続きでしたので、皆さん大喜び。お肉が柔らかくておいしかったです。

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壱岐で乗ったバス。明日行く 原の辻王都復元公園 の写真がラッピングされていました。

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12:35 出発 

月読神社 12:38~12:55

伊弉諾尊が右眼を洗ったときに生まれた 月読尊 が御祭神(左眼を洗って天照大神、鼻を洗って素戔嗚尊が生まれた)

私は月読神社という名前が素敵に思えて来るのを楽しみにしていました。

ところがバスが着くと見上げるような階段(手すりはあります)、ぞっとしましたが、上がってみるとさほどでもなかったです。

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小さな神社です。京都の松尾大社に月読神社があるのだそうですが、それはここから月神の分霊がなされたものです。この分霊で神道が中央に根付いたとして、壱岐の月読神社は神道発祥の地とされています。

茅の輪がありました。夏越しの祓え(6月30日)の一つで、厄払いと無病息災を祈って輪をくぐるのだそうです。書かれている指示通りにくぐってみました。初体験、ご利益があるといいな。

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「招福の鼓」年の数だけ打って(大は1回で10年、小は1回で1年と数える)打ち終わったら赤い鳥居をくぐってお参りをします。

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出来るだけものはさわりたくないので打つのはやめてお参りだけしました。

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何だか素朴で心が落ち着くいい神社でした。

この後古墳巡りをしたのですが、それは次回に

 

2022年5月28日 (土)

対馬・壱岐旅行 3日目―1

5月17日(火)今日はジェットフォイルで壱岐島に渡ります。

なんと6:45発の船です。

5:00起床 朝食は5:45にはロビーにランチボックスが用意されているということです。私は船が揺れるといけないので、 カロリーメイトで済ませました。主人はランチボックスをとりに行って私の分のお茶も持ってきてくれました。お弁当はサンドイッチなど食べやすいものだったそうです。

6:05 ロビー集合 バスで5,6分の港へ

あのジェットフォイルに乗ります。対馬ともお別れです。

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キャリーは各自ゴロゴロ引いていきます。乗船の時、みるからに足弱な私は船員?さんが持って行ってくださいました。

指定席です。前方窓側2席以外、中央はほぼ空席です。

海上保安庁の船ですね。

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私たちは進行方向右側でしたが、左側のほうが近づく壱岐島がみえてよかったようです。

海はベタ凪と言われる穏やかさで、船は全く揺れることなく快適でした。↓壱岐です。 

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壱岐に上陸しました。

壱岐について 魏志倭人伝には

南して一海を渡ること千余里。名づけて瀚海と曰う。一大国に至る。官は亦卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。方三百里可り。竹木の叢林多く、三千許りの家有り。差か田地有りて田を耕せるも、猶食するに足らざれば、亦、南北に市糴す。
とあります。

壱岐 芦辺港 7:55着

フェリーターミナルはもっと大きな建物ですが、ジェットフォイル乗り場は小さいです。

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ここからバスで壱岐観光に出発です。

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壱岐島は南北17㎞、東西15㎞で総面積139㎢、)標高は 最高地点で213m。周囲には23の属島があります。どの観光地に行くにもバスで15分もすれば行き着けます。20分以上続けてバスに乗ることはなかったような気がします。

行った所を中心に地図(いただいた観光パンフレットから)を拡大します。赤い下線を引いたところが行った場所です。 

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芦辺港から北の勝本港を目指します。

出発は08:05

バスの中で
文永の役(1274年)弘安の役(1271年)の蒙古軍来襲。どちらも守護代は自刃、戦死しています。このあたりでは悪いことをする子供には「むくりこくりが来る」というそうです。ムクリは蒙古軍、コクリは高句麗軍のことだそうです。

8:20頃 勝本着

ここは朝市が有名だそうですが、お店がどれだけ出ているかバスガイドさんは心配していました。

案の定、お店は一軒(どういう数え方をするのか分からないのですが)だけでした。多いときは100軒くらい出るそうです。

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もとは生産物や海で捕れたものをもちよって物々交換したのがはじまりだそうです。この通りもゴザなどをしいて品物を並べるべるのだそうです。
まあ、観光客も我々一組だけですから、たいして売り上げは見込めませんね。気の毒なのもあってイカ雲丹の瓶詰をひと瓶買いました。干物など買うわけにはいかないですから。このイカ雲丹、こりこりして 雲丹もたくさんはいっていて少し塩辛かったけれどおいしかったです。

町の散策

旧松本薬局

煉瓦壁、1階は和風で格子窓、2階は 銅板張りの開き戸で洋風という明治時代の和洋混交建築。

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この町では持ち送りには凝った彫刻があります。

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御柱
芭蕉の弟子 河井曽良は芭蕉亡きあと、幕府の巡検使として九州地方に行き、壱岐の勝本で1709年に亡くなりました。曽良は長野県諏訪市の出身でしたので、友好都市として諏訪大社の御柱が送られてきます。  

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右は少し離れた所にある 曽良終焉後の石碑

お洒落にリニューアルされている家も多かったです。

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最近できた地ビールのお店

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観光客を見込んでのリニューアルでしょうけれど、生憎のコロナ。早く終わって観光客が戻ってくれば嬉しいでしょう。 

港に行って。 こういう明かりをつけているのはイカ釣り船しょうか?

 

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永取家の鯨供養塔

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江戸時代勝本浦では捕鯨(勇魚捕り)が盛んでした。勝本では土肥組、原田組、永取組という三つの鯨組がありました。特に土肥家は大金持ちで三井、鴻池と並んで日本三大富豪の一人と言われ、その財力は
朝鮮通信使の滞在費用(現代のお金にして50億円くらい(と聞いたのですが、一桁多い気もします )を一手に引き受けたほどだったそうですから、凄いものです。

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あの植木鉢のある奥に注目

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T字の縦棒を揚げるようにして外しそれを足にすると腰掛が出現、いわゆる バッタリ床几です。京都の町やにみられるものです。

聖母宮に向かいます。↓奥にかすかに 聖母宮の鳥居が見えています。

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ここに 朝鮮通信使の説明板がたっていました。ここは接待施設があったところです。

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随分広い場所を占めていたことが分かります。

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この後聖母宮にいったのですが、写真も多くなってきましたのでここで一度切ります。

 

2022年5月27日 (金)

対馬・壱岐旅行 2日目―3

15:20頃 バスを降りて散会。

何人かはそのまま博物館に向かいました。

少し先には金石城の櫓門が見えています。1990年復元
お城本体はありません。

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この奥にあるお庭が見事らしいのですが、そこまで行く元気はありませんでした。

対馬博物館 長崎県と対馬市によって造られたものですが、なんと今年4月30日開館。訪問当時まだ開館一か月たっていなかったのです。

万松院からの帰りにバスの中から撮った外観(横長なので全景は撮れていません)

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ロッカーもあるのでまず荷物を預けます。

先に魏志倭人伝の対馬までの書き下し分を上げておきます。

<倭人は帯方東南、大海の中に在り。山島に依り国邑を為す。旧百余国。漢の時、朝見する者有り。今、使訳通ずる所は三十国なり。
郡従り倭に至るには、海岸に循ひて水行し、韓国を歴て、乍く南し、乍く東し、その北岸の狗邪韓国に到るに、七千余里。
始めて一海を度ること千余里にして、対馬国に至る。その大官は卑狗と曰ひ、副は卑奴母離と曰ふ。居す所は絶嶋にして、方四百余里可りなり。土地は、山険しく、深き林多く、道路は禽鹿の径の如し。千余戸有り。良き田無く、海の物を食して自活し、船に乗りて南北に市糴す。> 新人物文庫、現代語約魏志倭人伝 より

景観は今とかわらないようです。

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入ってすぐのパネル

対馬は半島、大陸との交通路で公的には遣唐使や遣新羅使が、それから朝鮮通信使などが通りました。 

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遣新羅使が詠んだ歌は上写真にあるように万葉集にも残されています。
万葉集には防人の歌ものっているのですが、防人については旅行中聞かなかったように思います。防人は 白村江の戦いで負けた後、国防の必要からおかれるようになったものですが、自前で関東からも3年任期で行かなければならず、彼の地で亡くなった人もいたのですが、10世紀頃には消滅したそうです。ネット検索していたら、防人の島、と言う名前でグッズが売られているようですが(博物館ではみなかったような?)今様防人は自衛隊でした。なんともはや。

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縄文時代から近・現代まで時代順に展示されています。

ブティックの陳列棚のような展示棚がお洒落です。

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椎ノ浦遺跡出土品(紀元前4世紀~紀元3世紀)

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細型銅剣などは朝鮮のもの。仿製鏡などは国内産。 

増田山遺跡出土品。弥生時代 2世紀 広形銅矛が8個分まとまって林道工事中に発見されたそうです。

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対馬は弥生時代、一地域で出土した銅矛の数は日本随一で、埋葬址への副葬や複数まとめて地中に埋納するなど、他地域と異なる様相があるそうです。

文書類はさっと通り過ぎてしまいました。

目をとめたのは 梵鐘 (室町時代1469年 製作地 福岡県芦屋町)

和韓混交鐘(朝鮮鐘の様式をとりいれて日本で造られた鐘)

 
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撞き座の横には 海を泳ぐ龍。その上には天女。 下は牡丹唐草

龍頭は 和鐘系の双頭式 下を向いた龍がそれぞれ珠を咥えています。
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説明版
  
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この説明からすると龍頭以外は朝鮮鐘の影響が顕著なように思えます。

装飾的で気にいりましたが、鐘は音が大事、どんな音がするのでしょうか?
実は昨日(5月26日)東京博物館に行き、琉球展もみてきたのですが、こちらのは首里城の鐘のように大きくありません。

かわいい仏像もありました。高麗時代(14世紀)朝鮮半島で造られたのですがいつ頃日本に来たのか 来歴はあきらかでありません。木造を銅?で被ってあり、一部損傷しています。高さ50㎝くらいでいいお顔です。

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石帯 水崎遺跡出土品 14世紀 トロンとした瑪瑙が素敵。

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倭寇図巻 明代末までに制作されtものとみられています。(模造品)

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その他関心を持って見たのは 朝鮮通信使絵巻

朝鮮通信使は、室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮から派遣された外交使節。1811年が最後。倭寇への禁圧対策を日本に要請するところからはじまったが、日本を下に見られるのは許さないという幕府との間で対馬の宗家は偽書をつくるなど色々苦労しました。また接待の費用も大変だったようです。

朝鮮国信使絵巻 江戸時代

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文書類もいろいろありましたが、早く座りたくてさっと通り過ぎてしまいました。

ショップで図録(説明はこの本からおかりしたところが多いです)などを買ってホテルにも戻りました。
何時かはおぼえていませんが 16:30にはお部屋にいたような気がします。
休んでいるうちに体力回復。夕食の集合は18:50です。時間があるので 17:45頃外に出ました。(主人は部屋で野球をみているようでしたので、一人で)

ホテルの前の通りを港から遠ざかる方向に2,3分行くと右に入る道に武家屋敷通りの標識が建っています。その横の広場には 宋義智公の像がたてられていました。 
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武家屋敷通り、立派な石垣ですが 奥に立つ家は普通の現代家屋です。武家屋敷通りであって武家屋敷はないのです。

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この一番奥辺りを左に折れると半井桃水館

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半井桃水(1861~1926年)は 新聞記者で作家。樋口一葉が師と仰ぎまた恋人でもありました。
この桃水館は市民の交流スペースで観光客も自由に出入りして休んでいい場所です。

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座って一休みしたくなるような素敵な場所です。でものぞいただけで引き返しました。

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暫く川端通りを歩きました。水量の少ない川で、川というより堀といったかんじですが。
この岸壁というか川の側壁が注目なのです。

タイルに朝鮮通信使の行列図が書かれています。

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厳原では毎年8月の港まつりで朝鮮通信使行列をするそうです。最近の事情ではどうかわかりませんが日韓友好に役立っているのかもしれません。

18:20頃ホテルに戻り、 18:5 ロビーに集合して今日の夕食のお店 志まもと に向かいました。

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ここも新しくきれいな場所です。ところがお料理が、同じなのです。ここが一番上品な感じはしましたが。


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烏賊の白子、お刺身、鯵のフライ、ろくべえ、など。島の御馳走勢ぞろい、といったところなのでしょうか。多すぎて半分もいただけませんでした。
20時頃 ホテルに戻りました。
   (13019歩)
   

2022年5月25日 (水)

対馬・壱岐旅行 2日目ー2

5月16日 午後の部は厳原市内観光です

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上下が少し切れてしまいましたが、バスに乗って最初に行ったのが地図一番下の対馬藩お船江跡に行きました。13:10?~13:40

バスをおりて川べりに下りていきます。

お船江跡 
対馬藩の御用船を係留した船だまりです。1663年の造営とされています。お船江を持つ藩は多いけれど、これほど見事に原型をとどめているところは少ないそうです。

厳原港の湾の奥にあります。

ここでも干潮で水がひいていて雰囲気がないです。

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潮が満ちていればあのボートも浮いているのでしょう。↓一番左の低いのが昔のまま、他の三つは15年くらい前に復元されたものです。

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厳原港(帰りのバスの中から)
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万松院 13:50~14:55

万松院(ばんしょういん)は、元和元年(1615年)に宗家20代義成(よしなり)が父義智の冥福を祈って創建した寺で、以降、宗家累代の菩提寺となりました。
その後数度の火災により焼失したため今の本堂は明治12年(1879年)に建造されたものです。安土桃山式の山門と仁王像は焼失から免れた対馬最古の建物です。

山門 桃山時代

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我々が入ったのはこの左にある門からでした。

見どころは

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参拝者用の門を入ると 諫鼓

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靴を脱いで本堂に入ります。

天台宗ですので、お軸の絵は最澄ですね。

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右奥には 徳川将軍の御位牌が置かれています。

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対馬藩の家紋も五七の桐です。

廊下奥には朝鮮国王から贈られた三具足(みつぐそく、 花瓶。香炉、燭台)が並んでいます。

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外に出て石段を登って墓所に向かいます。

この万松院の墓所は、加賀の前田家、萩の毛利家(三か所に分かれている)と並ぶ、日本三大墓所の一つだそうです。 

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ここからではなくお寺のお庭の方から行きました。

132段の百雁木(ひゃくがんぎ)と言われる石段を上がります。 
段差も小さく、一段、一段が平らなので、これなら楽勝とおもったのですが、最後の方は息が切れました。

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この町では至る所で石垣が見られます。坂本で穴太積を知ってから石垣にも関心が向くようになりました。ここの石組は切りこみ接ぎ、といって朝鮮から伝わった積み方だそうです。

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大杉 樹齢1200年と言われています。(3本あります)

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歴代の宗家当主,夫人たちのお墓がたくさんあって、ちゃんと名前もかかれていたのですが、もう疲れて丁寧に見る元気はありませんでした。 

降りてきて横の売店で和蜂蜜と芋ようかんを買いました。蜂蜜がとてもお高かったです。

数分バスに乗って

厳原八幡宮神社へ 14:50~ 15:15

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御祭神は 神功皇后、仲哀天皇 応神天皇、姫大神、武内宿禰。
神功皇后が三韓征伐の帰りに清水山で祭祀をおこない、異国の侵入からこの地を守るよう祈りを捧げたと伝えられています。神功皇后が実在したかどうかはかどうかは知りません。
ここには小西マリアがまつられているお社もあります。小西行長の娘マリアは宋義智夫人でしたが、関ヶ原の戦いで行長は西軍についたため、逆賊となり、離縁されてしまいました。義智も西軍でしたが、悪化した朝鮮との国交回復のため、家康は 義智の罪を問いませんでした。

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これで今日の観光は終わりです。

バスはホテルの前に停められないので少し離れたところにとめました。そこからだと対馬博物館に近いので、私たちはホテルに戻らず博物館に行くことにしました。

長くなってきましたので一応ここで切ります。

 

2022年5月24日 (火)

対馬・壱岐旅行 2日目ー1

5月16日(月)

5:30起床
6:30 朝食のために1階のイートスペースに行くと混み合っています。別のツアーの方たちもいらっしゃるようです。バイキング式ですがプラスチックのランチボックスもおいてあります。これにいれてお部屋に持って帰ることもできるので、お部屋食にしました。

8:50 集合
9:00出発。今日は狭い道を行くので中型バスです。 

バスの中でのガイドさんのお話。 
「対馬では自衛隊の陸・海・空軍が1000人が守りについています(こういう言葉でした)」。国境の島なので、住民も単純に軍備反対、なんて言ってられないのだろうな、と思いました。

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地図右側中ほどの厳原から出発少し北上して数字44の所(緑ルート)を行きます。トンネルを抜けて暫く行くと樫根。ここは日本最古の銀山のあった所です(対州鉱山)。
674年に対馬島司が朝廷に銀を献上した、という記事が日本書紀にあるそうです。また701年には島から朝廷に金を献上、そのため大宝という年号にしたのですが、この金はにせものだったそうです。中断もありながら、幕末まで採掘はおこなわれていたそうです。其の後(1983年)東邦亜鉛が採掘権を得て鉛の鉱石を採掘していましたが、1973年閉山。カドミウム汚染の問題も起こったそうです。

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小茂田、バス右手の海岸にはお隣の国からプラスチックごみが押し寄せてきて、子供たちもごみとり作業をするそうです。

椎根の石屋根 9:23~9:51
対馬でしか見られない、屋根に石を置いた高床式の倉庫を見ました。

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この倉庫の屋根の石は頁岩で総量20tくらい。柱は椎、他は松材。
火事の時、家と倉庫両方が焼けてしまっては困るので、倉庫は家から2,3分行ったところに建てます。
何故、石を置いたのか? 昔は瓦より安かったとか、瓦を使うことが許されなかったからだとか言われています。

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大きなカギ穴があります。

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立派な家!この辺りこういう立派な大きな家が多いです。漁師が多く、漁師さんはとてもお金持ちなのだそうです(ガイドさんも家は漁師だそうです)。そのほか真珠の養殖や椎茸栽培も盛んだそうです。平地が少ないので、このような水田はあまりありません。このあたりの田の土はカドミ汚染のため壱岐から持ってきた土と入れ替えているそうです。これから行く豆酸では神事用の赤米をつくっているそうです。

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何棟か石屋根倉庫をみましたが、改修して屋根を瓦にかえているものもありました。今は石の方が高いそうです。

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バスに乗って

〈対馬には新しいものがあまりない。コンビニも厳原に2軒だけ。映画館もない。外の人がやってきて何かをすることがない。例えば島外からきてきて工務店を経営、家を建てるとか。そういうのは島の人達でうまく回っている。住んでいて不便なことはない。ただし、政府の機関とか何かの転勤族はいる〉などと言う島の事情を話されました。銀山もあり、きっと昔から豊だったのでしょう。

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窓越しでぼんやりしていますが、こういう樹々の間を走りました。原生林かと思ったら植林だそうです。

途中廃校(小学校)の横を通りました。錆びたブランコなどが寂しげでした。
また安徳天皇の御陵墓というのもあり、天皇はこの地で75歳まで生き延びられた、ということになっているそうです。
対馬には 阿比留という姓が多いのですが、宋氏の前の支配者は阿比留氏だったからだということです。

お話を聞いているうちに海が見えてきました。

豆酸崎(10:35?~11:50)
バスを停めて海沿いの道(途中緩い坂道)をしばらく歩きます(車ならとおれる道です。すれ違いは無理そう)。

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中央下の茶色の場所にバスを停めて青い道を歩いて現在地に来ました。車ならここまで乗ってこられます。ここから時計回りに岬を一周します。
今11:00。 11:18くらいにはこの地点に戻っていましたが、きつかったです。
最初は下りです。

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↓どなたか分かりません。説明があったのかもしれませんが、最後に行ったので何もきいていません。

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岬の先端は、あの橋の手前の鎖が見えるでしょうか、道が崩れているらしく通行止めになっていました。 

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それで さっさと右側に回り込んでいきます。

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崖自体はさして魅力的ではなかったのですが、透き通った海の色が美しくて見入ってしまいました。

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少し上り坂になってきました。ここを回り込んでからが、胸突き八丁、多分1分もかからなかったとは思いますが、坂道ダメ人間にとっては死にそうなほど苦しかったです。(皆さん、苦しそうにはなさっていらっしゃいませんでした!)

↓ガードレールの切れた所に上がってきました。

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主人は灯台を見に行くといってしまいました。結果的には灯台のところまでのぼっても景色はさほどではなかったそうです。

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私は先にゆっくり海を見ながらバスの所に戻りました。

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11:50出発。元来た道を戻り途中美女塚を過ぎた所から右折、厳原に戻りました。
昼食は厳原の「八丁」というお店でした。

12:15頃にバスは着いたと思います。少し歩いて

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穴子の天婦羅、刺身、ろくべえ(汁もの)など昨晩と同じようなものが並んでいました。

食後、出発まで時間があったので名物 かすまき のお店に行きました。

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「かすまき」というのはカステラの皮の茶色の所で餡をくるんだお菓子です。日持ちがしないそうですので、5本入りひと箱だけ買いました(あとでまとめてホテルに届けてくださるそうです)。

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1本が長約10センチ、径5㎝くらいの大きさです。甘くておいしかったです。

午後の部の観光については次回に  

 

2022年5月22日 (日)

対馬・壱岐旅行 1日目ー2

和多都美神社からバスで5分、烏帽子岳展望台上り口に着きました。(15:17~15:45)
私はここで待っていたかったのですが、全員上がるのが当然のようなガイドさんの口ぶりに、仕方がない、と登ることにしました。一応滑り止め付き軍手を持ってきています。それをはめて手すりにつかまりながら登ります

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バスが停まったところ。私はここで待っていたかったのです。

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145段だそうです。私は坂道より階段の方が楽なのですが、階段一段一段の高さが問題、ここは少し段差が高いところがあって苦しかったです。明らかに私より高齢の方もちゃんと登られました。

標高176mの烏帽子岳展望台から、リアス式海岸に囲まれた浅茅湾が見渡せます。360度見渡すことができるのですが、かすんでいて釜山はみえませんでした。

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平地の少ない地形だということもよくわかります。

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これで今日の観光は終わりです。元来た道を戻ります。

16:12頃海が見えました。

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↓姫神山砲台跡入口、ここを行くと砲台跡に行けるようです。明治時代に砲台は十くらい造られましたが、使われたことはなかったそうです。

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さらに南下して宿泊地、厳原(いずはら)の町に向かいました。厳原が対馬の中心地です。

16:35頃厳原着 
宿泊するのは、東横インというビジネスホテルです。ホテルの前にバスがとめられないので、数分、各自荷物を持って歩きます。のっぽビルでどこからも見えるので散歩に出ても帰れなくなることはありません。

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道路は新しいのですが、石畳の表面がでこぼこしているのでキャリーがひきにくかったです。
ホテルのお部屋がとても狭い、ということで相部屋希望の人もそれぞれシングルに泊ることになっています。あらかじめしらされてはいたのですが、夫婦で別々の部屋、と言うのは何かと不便なこともありました。

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省スペース、無駄なく余計なものもない、みごとなものです。このテーブルが幅広でしたからキャリーをのせても椅子の前から左は空いていました。

ともかく疲れたのでベッドにひっくり返って夕食までの時間を過ごしました。

18:25 集合 夕食レストランまで徒歩で行きました。

18:34 「千両」 と言うお店に到着

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御座敷ですが椅子式でした。

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頂き始めてからもお料理がきましたので、食べかけの食卓になってしまいました。

左奥が対馬B級グルメの「とんちゃん」 手前しろっぽい団子のようなものは 烏賊の子 お箸の右は「ろくべえ」中にサツマイモで作った麺がはいっています。奥は鯵のフライ。

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穴子ご飯、おいしかったです。もっとも私は四分の一くらいしかいただけませんでしたが。

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デザートはマンゴープリン。

テーブル間隔は十分とってありました。黙食がきまりなのをすっかり忘れて、離れたお隣さんとおしゃべりを楽しんでしまいました。20:10頃ホテルに帰りました。(10458歩)

 

 

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